言えないのではなく、刺さないだけ
前回、母との定期イベント――盛大な喧嘩が勃発した。
「性格が悪い」
「自己中」
「一緒に作業するとストレスが溜まる」
などと言われ、「もう仕事の手伝いもしてくれなくて結構」と、私は母の仕事の手伝いをクビになった。
その後については、前回の記事に書いた通りである。
今回は、その続き。
母との喧嘩に、父が参戦した。
だが私は、一切参戦を要請した覚えはない。
夜、父からLINEが来た。
「周りも迷惑だからケンカしたからといってこもるのやめて下さい。
大人なので」
私は少し考えた。
こもる、とは。
必要があればリビングに行く。
洗面所にも行く。
トイレにも行く。
病院にも行く。
会社にも行く。
なんなら、このLINEを受け取った今も外にいる。
ただ、家に帰って特にすることがなければ、自室のベッドで動画を垂れ流して寝ている。それだけである。
ただ、それを「こもる」と呼ぶのであれば、私は否定できない。
なぜなら私は、もともとそういう人間だからだ。
用がなければ外に出ないし、日向ぼっこをしながら眠くなれば寝る。
仕事は、PCと充電器さえあれば自室で問題なくできる。
話すことがなければ、話さない。
別に今回の喧嘩をきっかけに、突然自室へ立てこもったわけではない。
むしろ最近、リビングにいる時間が異常に長かっただけだ。それも、母の仕事を手伝っていたから。ただそれだけ。
でも、その仕事をクビになったので、リビングですることがなくなり、自室に戻ったというわけである。
では、父の言う通りリビングへ戻ったとして、何をするのだろう。
家族と話す?
残念ながら、驚くほど話すことがない。
「今日出社だから、夜ご飯は食べないよ」
「今日のお昼ご飯と夜ご飯は、おにぎり2個でした」
「ちょっと散歩ついでに出かけてくる」
だいたいこのあたりで、会話の選択肢が尽きる。
もちろん、話すことがあれば話す。
末っ子に会って髪型が変わっていることに気づけば、
「いいね! コーンロウ、似合ってんじゃん!」
くらい普通に言う。
無視しているなどということは全くない。
ただ、話題がないだけである。
それならば、一緒にテレビでも見ればいいと思うだろう。
ところが私が好きで見ている『BONES』も、『プリズン・ブレイク』も、『イクサガミ』も、『スーサイドスクワッド』も、『殺人分析班シリーズ』も、ことごとく家族の趣味には合わなかった。
毎度お決まりのように、「これ変えていい?」と言われた。
もちろん、好きに変えてもらって構わない。嫌いなものを無理して見る必要はないから。
そうして、リビングでは私の興味のないドラマが流れる。
だから私は自室に行き、好きな動画を見る。
自室では好きな動画を、ベッドで好きな体勢で見られる。エアコンも、ハンディファンがあれば別にいらない。
勝負にならない。
考えてみれば、今までの私は、自分から家族との接点を作っていた。
買い物へ行くときには、
「なんか買ってくる?」
何か買えば、
「これ買ってきた~。食べる?」
特に話題がなくても、何か話すことはないかと探していた。
今回の喧嘩を機に、それをやめてみた。
すると驚いた。
本当に話すことがなかった。
私は家族との会話を拒絶していない。
今まで自分で会話の種を持ち込んでいただけだったようだ。
それでも父は言う。
「周りも迷惑だから」
では、私がこもることで、誰の何に迷惑をかけているのだろうか。
思い当たるとすれば、私がやらなくなった家事が弟たちへ振り分けられるようになったことくらいだ。
もし、それを指しているのであれば。
それはそれで、今まで私にどれだけ助けてもらっていたのかを痛感する、いい機会なのではないだろうか。
「いつまでもあると思うな親と金」という言葉がある。
しかし、我が家の場合は少し違う。
いつまでもあると思うな、姉と家事代行。
そもそも、母と私の喧嘩は、昨日今日始まったものではない。
27年間、何度繰り返してきたのか分からない。
喧嘩する。
口を利かなくなる。
しばらく経つ。
なんとなく終わる。
もはや定期イベントである。
なのに父は突然、27年間繰り返されてきた母娘の定期イベントへ参戦し、「ケンカしたからといってこもるのをやめなさい」と、見当ちがいな仲裁を始めた。
そんな父に心の中では、
「事情も知らない野次馬が」
くらいは思っている。
もちろん本人には言わない。
こういうと、「相手には言えないでしょ」と言われることがある。
違う。そうじゃない。
言えないんじゃない。言わないのである。
確かに私は感情が高ぶっている最中は、うまく言葉が出てこない。
感情に言葉が追いつかないせいで、その場では言い返せず黙ることもある。
しかし、それを「言えない」と判断するのは少々早い。
冷静になると、言葉が湯水のように出てくる。
相手に言われたことを思い出し、論点を整理する。
そして、矛盾を拾い、過去の出来事と照合する。
さらに、相手が何をコンプレックスに思っているのか、
刺されたくないところはいったいどこだったのかを考える。
そして、言葉が完成する。
過去には兄との喧嘩で、
「私より給料安いくせに!」
と、本人が気にしていそうなところを狙って刺したこともある。
我ながら、最低だと思う。
でも、その経験があるからこそ知っている。
言えることと、言っていいことは違う。
私は、たぶんクラゲに近い。
普段は水の流れに任せて、ぷかぷか漂っている。
できることなら争いたくない。というより、面倒くさい。
だから自分から誰かを追いかけてまで刺しにはいかない。
しかし、意に沿わぬ刺激が加われば、
ブスッといく。
刺せないわけではない。
刺さないだけだ。
「事情も知らない野次馬が」
も言える。
「27年間も同じことを繰り返しているのですから、
そろそろ学習機能を搭載されてはいかがでしょうか」
も言える。
「母に育児をほぼ任せてきて、私の好き嫌いすら把握していないあなたに、私と母が27年間どう喧嘩してきたか分かるはずもないでしょう」
だって言える。
そして何より、
「永世中立国としての立場すら守れず、一方的な仲裁しかできないのなら、
余計な火種を増やすだけなので入ってくんな」
とも言える。
全部、言える。
ただ、それを全部本人にぶつけたところで、何が残るのだろう。
相手が怒り、新しい喧嘩が始まる。
また説明することが増える。
それが何より、面倒くさい。
だから言わない。
思ったことをすべて口に出すことだけが、
「大人」のコミュニケーションだとは思わない。
むしろ、言える言葉の中から、言う必要のあるものだけを選ぶ。
今回、父に返したのも、
「ケンカしてるから部屋にいるわけではないです」
という、ごく普通の説明だった。
クラゲは今日も、ぷかぷか漂っている。
触手にはちゃんと刺胞がある。
ただ、今のところ刺す必要がないだけだ。
そして私は家に帰ったら、おそらく自室へ行く。
適当に動画でも垂れ流して、そのまま寝る。
ただそれは、怒っているからではない。
そこが一番快適だからである。
