見出し画像

それでも彼らは微笑む【チェンライ🇹🇭】

飛行機から一歩足を踏み出すと、湿度と日差しと香辛料と、あのアジアの空気に包まれた。

本渡航は、合同会社DreamDiveが佐々木食品工業株式会社の支援を受けて実施する海外派遣プログラムによるものである。「若いうちに世界を知ることが成長につながる」というスポンサーの考えのもと、2分間のピッチ動画による選考が行われ、30名ほどの応募から若手6名が採択された。渡航先も活動内容も各自が設計し、分野の制約はない。参加者のテーマは和食・意識研究・睡眠研究など多岐にわたる。帰国後に成果報告を行う。

移動による対比の際立ち

イスタンブールトランジットでは深夜に到着、トルコ航空の一日ツアーに参加して、それに合わせて友達に再会するという安定の詰め込みスケジュールだったが、無事にシンガポールでの仕事を終え、バンコクで乗り継いでチェンライに降り立つ。空港からさらに北へ1時間。ほとんどミャンマーの国境にあるDui Tungへ。

ゆったりとした時間が流れただただ美しいヨーロッパから一転、シンガポールは効率的で、合理的で、文句のつけようは何もなかった。ご飯は美味しく、電車は時間通りで、多様な文化に寛容的、利益の最大化が徹底されていて治安も最高。ただ、私にはなんか違うな、というかあまり好きな空気感ではなかっただけだ。

夕方の風は気持ちがいい

中華、マレー、多様な文化が入り混じった食事は日本人の口にも馴染みやすそうだ。手前の醸豆腐はドライのものを頼んだからか、型崩れをしていなくて食感が楽しめる。日本の豆腐はにがり(塩化マグネシウム)での凝固が主流だが、こちらは中国南部の影響を受けて硫酸カルシウムが使われることが多いらしい。

タイの空気感は成長を急かされることなく、ただその場にいて良かった。
ある意味縛りとか無意味とも言われるような長い歴史の積み重ねを感じられる伝統の方が、最適化のレールよりも身を預けたい。
マフラーを巻くほど凍える冷房よりも、体温をなかなか下げてくれない扇風機の弱い風だけの方が居心地が良い。
これらは極端な例えだし、そう考えると日本なんかはちょうどいいバランスにいるなと思う。客観的に良い悪いというより、私の主観で好きか苦手か、そういう価値判断が久しぶりにスッと出てきた。

去年の8月に南アフリカに行く前のトランジットで1日いた時は、ただただ便利で快適だなという印象が大きかったので、私のものの見方と感じ方がこの1年で大きく変化したということだろう。

シンガポールからのDui Tungはまず人の少なさに驚き、それから出会った数人の表情筋は心なしか緩いように私には見えた。

国境付近のチェンライ

Day1 : ミャンマー系の人の村

村のご夫婦がホテルに迎えに来てくれて、村まで軽トラに乗せていってもらう。荷台にはスイカがゴロゴロ積んであった。

村の説明をしてもらうが彼らは英語を話せないし私もタイ語はわからないのでGoogle翻訳に頼る。国境地帯なので民族が混ざっていて、彼らも含めたこの200人の村の人はミャンマーから来たそうだ。

以前は紛争などの影響で焼けてしまい荒れた土地を数十年かけて緑化しているらしい。

荒れた土地からの緑化
この斜面の管理は大変そう
ドリアン😳


森の中のコーヒー、お茶、ドリアン、マンゴスチンなどの木を見せてもらい、小規模な多品目栽培が広がっている。

通り道に案内してくれた女性のお姉さんの家があり、英語ができるそうでインターホンを鳴らして一時的に通訳に駆り出されていた笑

さらに車で少し移動した彼らの畑には、ペットのようにアヒルが飼われていて、本当に様々な植物を育てていた。鶏や犬ももちろんいる。雨の影響で滑りやすくなかなか歩くのが大変だったが、その不便さも観光地化されていないリアルな光景で良い。

かなり急斜面
可愛いい
この葉っぱを一緒に摘むと夕飯に出てきた
桃のような果物を守る

その後は12歳くらいの子供たち4人が伝統衣装を着て踊りを披露してくれたり、遊びを教えてくれた。餅つきできたお餅のようなものにすりごまをつけて食べるととてもおいしかった。

12歳の女の子に身長負けた。。
甘いスイカ
お餅つき

その後はさっき見学した畑で摘んだというコーヒーを七輪のようなコンロで煎り、浅煎り、中煎り、深煎りのコーヒーを飲み比べさせていただいた。待っている間はこれまた村でできた赤紫色のハーブティと蜂蜜をいただいて、食べるものの多様性が感じられた。

色に反して飲みやすかった

その後、売店兼小さな食堂のような場所に連れて行っていただいて、そこで夜ご飯を作ってもらうのをみていた。屋外キッチンの上の方にアボカドの木があったので写真を撮っていたら、食べたいかと聞かれ、そう答えたらすぐに長いハサミで採ってくれて、すぐ渡された。タイではアボカドを蜂蜜をつけて食べるのが主流らしい。新鮮なアボカドはまろやかでとてもおいしかった。

上にはアボカドの木
卵のトマト炒め
コンパクトなキッチン

夜景スポットに寄ってもう少し活気のあるような夜の食堂を見学してからホテルまで送り届けていただいた。

私のような旅人は、単なる観光地巡りよりも、新しい場所でその人たちの生活に根付いた現地のリアルを体験しに行きたいという想いが強い。この村の訪問ツアーはまさに、外部の人間が地元の暮らしを覗き見るための高付加価値ツアーであった。観光地を消費するのではなく、生活そのものに入り込む希少な体験だからこそ、価格も高く設定されるのだ。
しかし、一部分を数時間だけ見ることで”分かった気”になって良いのだろうか。そもそも私が見ていたものはどこまで彼らのリアルな暮らしなのだろうか。私は“正しい答え”を出そうとするのではなく、自分が見ているものそのものを疑い始めた。

例えば私が会った村の人たちはみんな伝統衣装のようなものを着ていて、私は昔ながらの集落の様子と総合的に見て「これが当たり前なんだ」と見えているものだけで納得をしていた。だけど、日本人ガイドの浴衣のように、ツアー客が来るから着ただけかもしれない。それが都市であれば、演出としてやっていることがすぐにわかるが、「タイの田舎はまだ昔のまま」というような先入観が強く残っているから、それに沿った情報を都合よく解釈しやすいのだろう。子どもたちのスマホを使っているのは見て見ないふりをしていた自分が思い出される。あるいは、普段は実際に着ていなくても、観光客に限らず来客の時はもてなすために着飾る風習があるのかもしれない。

もっと言えば、子どもたちも含めツアーに関わってくれた全員に対価が支払われているのかはわからない。子どもたちはミャンマーから逃れてきた孤児で家のお手伝いをする代わりに養子として育てていると言っていた。子どもたちが踊ってくれたり、遊びを教えてくれたりしたのを児童労働かもしれない、と疑うのは私がアメリカ的な資本主義に染まっているからだろうか。私にはまだ分からない。ただ、もし彼らにとって家族同士で助け合うことが当然ならそれを「タイの人はさすが慈悲深い」と捉えることが自然なのだろうか。
もちろん何が実際に起きていることかはこの数時間から全て知ることはできない。

それでも、そんな自分が本当は知らない部分まで、勝手に想像して自分の仮説が正しかった、または塗り替えられたことで”分かった気”になっていくのは仕方ない、で済ませて良いのだろうか。

私は彼らの普段の収入を知らない。それでもツアーの金額はかなり高額に感じられ、ほかに大きな産業もなさそうなあの村で、その収入は間違いなく彼らの暮らしを支えているだろう。ツアーを通じて伝えられる魅力とそれが観光客に働きかける消費欲は大きいに違いない。また一場面を知ること、現地に人との交流があることで、他の側面を見て見たいという観光客がその地をまた訪れることにつながるかもしれない。

旅行者にとっても完成された綺麗な部分だけ見るわけではないから、こうやって考えを巡らせて、自分の価値観を壊して新しい見方を創造することが、旅の重要な部分でもあるだろう。

観光はどこまでの深さでその地域のことを旅行者に伝えるべきか、受け入れる地域で犠牲になっているものはないか、それは本当に犠牲なのか、といった問いを持ちながら、次の旅行先を選んでいくことが観光客としてできることで、観光を設計する側にももちろん必要な視点だと思う。

Day2 : リジェネラティブスタディーツアー

翌日はより広域なDui Tungというエリアのツアーに参加する。
ここ数年耳にすることが増えたリジェネラティブを体現しているようなスタディーツアーだったので、そう表現させていただく。

リジェネラティブ(Regenerative)とは、英語の「再生させる」「再生的」を意味する言葉で、単に環境負荷を減らして現状を維持するだけでなく、傷ついた環境や社会をより良い状態へ積極的に回復・再生させるという概念

講談社SDGsより

まずはコーヒーの焙煎工場を訪問する。国境地帯のDui Tungはもともとアヘンの栽培地で荒れていたが、タイの王室の支援でコーヒーとマカダミアナッツの生産に切り替えることになり、現在ではそれで知られるようになっている。

コーヒーの形態による価格の違いを可視化するわかりやすい図があった。コロンビアでもコーヒー豆の生産だと微々たる給料にしかならないから、自分たちで加工・商品化・販売までする6次産業化が進められていたことを思い出した。

コーヒー工場の隣には織物工場もあり、伝統的なものづくりを生かした商品開発で女性の雇用を生み出していること、和紙のような紙もバンコクの高級ホテルのアメニティに使われていることなど、地域の自治体が個々の事業者の支援を積極的に行っていて伝統を守っているのかもしれない。天然原料を生かした染め物の見学もした。

廃棄物の現状

次はゴミ処理工場を見学する。その日は大雨で人がいなかったが、廃棄物管理を徹底して進め、現在では廃棄物が0%になったそうだ。リデュース、リユース、リペア、リサイクルの4Rを地域全体で徹底して地道な努力を積み重ねているそうだ。

ここまで分別するとは、、!

訪問したことはないが、徳島県の上勝町と親和性を感じる。

太陽光発電もあって、その目の前でヤギが草を食べて、天然草刈機のような役割で放し飼いをされているということで、隠岐でもそんな光景があったことを思い出す。

お昼には地元の食堂で、No spicyと言われたメニューを頼む。米麺でココナッツミルクのラーメンと呼ばれるタイ北部のカオソイだ。とても美味しかったのは事実だが、辛いのが大の苦手な私には辛すぎてかなり辛かった。。十分辛い気がするのにやはり味覚の基準が相当違うのだろう。

何か甘いものが欲しく、ガイドさんに近くのカフェに連れてきていただいた。バタフライピーのアイスとマンゴースティッキーライスは求めていた通りの優しい甘さだ。日本に留学していたというオーナーさんがトトロのイメージで作ったカフェで、壁には私が好きな言葉も書いてあった。

ここにピッタリ

それからドライブをしてコーヒー農園に行く。高い木が生えている間にコーヒーの木があるのは、直射日光だとコーヒーには強すぎるから適度な日差しに遮っているらしい。それにしても斜面が急なので栽培は大変そうだ。コロンビアのコーヒーは赤く熟していたので、収穫の時期がずれていて、価格競争は回避できていそう。

コーヒー農園の前の道路でマップを見て驚く。もうミャンマーとの国境が目の前だ。

近くにあったタイの軍事施設も見学に行く。ブランコがあったり、フォトスポットがあったり、平和が保たれているのだろうなといとも簡単に推測できる。奥にはミャンマーの軍事施設らしき建物と国旗が見える。去年韓国と北朝鮮の軍事境界線DMZに行った時は、北朝鮮のプロパガンダソングが流れてきたり、望遠鏡から銃を持った兵士が見えたので、緊張感を感じたが、同じ国境でも全く違う雰囲気だ。

タイの王室の女王様の別荘も見学ができる。国民に愛された女王様は世界で学んで活躍され、引退した後もDui Tungで暮らされて地域の貢献のために尽力を尽くされたという。

別荘近くの庭はお花が綺麗で、霧に包まれた雰囲気が幻想的だった。

夕食には辛くないものが食べたかったので、豆腐となめこのあんかけのような逸品を頼んだ。山間なのでキノコや山菜といったメニューが多い。中国の影響も受けていて豆腐が食べられているそうだ。日本の絹どうふの食感を少し硬くしたようなイメージだった。

Dui Tungという地域は、一つの大きな何かが全てを変えたのではなく、環境・産業・観光・国境・王室という複数のレイヤーで成り立っていた。

Day3 : タイ最北端とお寺

最終日はタイ最北端メーサイの国境地帯を目指す。車を降りて街を散策しても、そこが2国を繋いでいるという特別感はほとんど感じられない。車も人もゲートを簡単に行き来できるようだ。ミャンマーの人は頻繁にタイに買い物に来るという。

さらにドライブして向かった先は、タイ・ミャンマー・ラオスの国境であるゴールデントライアングル。メコン川とルアック川が合流した地点だ。ここはかつて世界最大の麻薬密造地帯であった。取り締まりを強化したタイ側は今では秘境と呼ばれるような観光地として平和な空気だが、ミャンマー側は以前として軍閥が続き、密造も続いているという。国境では数百メートルの差で、世界が180度違うというが、まさにその通りなのだ。

対岸に見えるラオスのビル群は中国資本が流入する経済特区らしい。しかし裏の顔では違法賭博や特殊詐欺の中心地になっているそうだ。

南下してチェンライ中心部の青の寺院へ向かう。煌びやかすぎて観光地化がより一層進んでいた。

徒歩圏内にローカルなマッサージ屋さんを見つけ、行ってみるとかなり良心的な金額を教えてくれたので、早速お願いすることにした。差し出された着替えは誰かのパジャマのようで、タオルケットもキティちゃんのデザインだったりしてその実家感になんだか安心した。タイマッサージはかなりしっかり柔軟体操を取り入れるのでイタタと言いながら施術してくれるおばさんと一緒に笑い続けていた。

お昼にはTofu noodleというのを見つけたので注文し、無事に辛くなく、ダシの優しさが沁みて、フォーのような印象だった。豆腐の食感はより木綿に近かった。

一瞬だけ白い寺院も見学して、空港へ向かう。
1月20日に東京を出発してボストンに降り立ち、ワシントンDCで4ヶ月留学し、アメリカのさまざまな都市を訪問してから中南米、南米、ヨーロッパ、中東、そして最後のタイに来た。この7月4日まで本当に動き回り、出会った数多くの人に助けられ、何度も自分の価値観を問われ、考え続けた。

数年前の海外はただ広い世界を見に行きたいというモチベーションだったが、その世界に対して何ができるか、という問いを経て、今では知らないことを確かめに足を運ぶことは変わらないものの、自分の世界の見方を疑うようになってきた。
私は食卓・食文化を軸に旅を計画することが多いが、その中心の外側で思いがけない学びがたくさんあるからその可能性に余裕を持たせるようにしている。ここに書いたこと以上に考えたこと、学びになったことはあったけれど、それは自分の糧として残すことにしようと思う。

改めて、この数ヶ月とこの旅を支えてくださった全ての方に感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

最後のタイの景色


いいなと思ったら応援しよう!