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スズメバチに蘇生された理科教師

 夏休み最終日の夕方だった。明日から始まる二学期のことを考えると気持ちが重い。

 いきなり始まる学校祭準備に向けた指導計画、
教材になりうる動植物の写真撮影、
二学期の評価計画をもとにした定期テスト問題の作成など、
二学期に向けた表面上の準備は整っている。
でも、夏休み中に“教材を探す”という大義名分のもと野山を駆け回っていたころが懐かしい。
毎年のことだが、今は充実していた夏休みへの未練で、来るべき明日への意欲は意識不明の重体だ。

 まずは過去の呪縛を断ち切る必要があると判断した私は、夏休みに大活躍した愛車の汚れを落とすことで、明日への意欲の蘇生を試みることにした。
ゾンビ状態のまま洗車のためのホースを準備していると、近所のご主人が困った顔でやってきた。

「うちの外階段の下にハチの巣らしいものがあるんですが、これをかけても大丈夫でしょうか?」

 手にはスズメバチ用の強力殺虫スプレーが握られている。
私の自宅は住宅地の最も山側にあり、普段からエゾシカの大群、キツネ、タヌキ、そして最近ではヒグマもかなりの頻度で出没するような土地柄だ。
ご近所さんもアウトドア派が多く、釣りやキャンプなどを趣味としている人がたくさんいる。
当然のように子供たちもアウトドア派なのか、家の周りで元気に遊びまわっている。
そんな子供たちの交流で、私が理科教師であることはすでにばれており、過去に私が駆除したスズメバチの話も、子供たちを通してご近所に広まっていたようだった。

 恐縮そうにしている近所のご主人の顔とは対照的に、私には猛烈な下心が湧き上がっていた。
漏れそうになる不審な笑顔を、表情筋フルパワーで必死で隠す。

「私がやりましょうか」
「いいんですか、いやー申し訳ないです」

 恐縮するご主人と、不謹慎な笑顔を噛み殺した理科教師が並んで歩く姿は、周囲の住民の目にどう映っていたのだろう。そんな答えを考える間もなく、私たちは現場に到着した。

 ご主人が指さす木造の外階段の下をかがんで覗き込む。一番奥にぶら下がっていたのは、直径二十センチにも満たない小さな巣だった。
ちょうどそこへ、スズメバチが一匹戻ってくる。ご主人は気配を察して素早く避難した。

「コガタスズメバチですね」

 スズメバチ属の中では体も小さく、攻撃性も低い。
例えるなら、悪役レスラーの中で最も紳士的なタイプだ。とはいえ、凶器のパイプ椅子(毒針)を持ち出す悪役であることに変わりはない。

 スズメバチの駆除が特技だと言っても、さすがに防護服は持っていない。それでも、ハチの生態を逆手にとった沢木流の駆除術を使えば、いつもなら巣を根こそぎ処理できる。
だが今回は、ご主人がせっかく買ってきてくれたというハチ用殺虫剤を使うことにした。
さすがに専用に開発されただけあって、その破壊力は抜群だ。
吹き付けられたハチたちは、リアルに秒殺だった。
文明の利器は、時として自然界の動きを一瞬で無力化する。
人間視点では「駆除」だが、ハチにしてみれば、一方的に戦略兵器を打ち込まれた気分だろう。
動きを止めたことを確認すると、直ちに袋をかぶせて巣ごと回収する。ミッションコンプリートである。

悪役レスラー軍団を秒殺した理科教師。
「どっちが悪役だよ」
と心の中で突っ込みを入れつつ振り返ると、ご主人がポカーンと立っていた。

「えっ、もう終わったのですか?」
「すごいですね、これ」

感心しながらスプレーをご主人に返す。

「助かりました、ありがとうございます!」
「いえいえ。ところで、駆除した代わりにと言っては何ですが、この巣、いただいてもいいですか?」
「もちろん! 持って帰っていただけるならありがたいです。教材用ですか?」
「えっ、ええ、ま、まあ、そんなところです」

どうやら私のことを、教育熱心で真面目な理科教師だと思っているらしい。
その方がご近所づきあい的には好都合だ、と思いながら、戦利品を我が家の車庫へと持ち帰った。

ツンツン

 ここからが、完全に私の時間だ。
もう、あふれ出る不穏な笑顔を抑える必要もない。
表情筋パワーオフと同時に誰の目もない空間で、理科教師の知的好奇心が暴走を始める――。
 教育者としてはあまり大きな声で言えないが、下心というのは時として使命感より強い。

 まずは、持ち込んだ巣の外壁を丁寧に剥がしていく。
すると内部構造が見えてきた。
中心部には白いまゆでふたをされたサナギ。その周囲に幼虫。
まるで大規模カプセルホテルのような構造である。


サナギの繭をはがしたところ

 生き物のつくる構造物というのは無駄が全くない。
限られた材料で最大限の機能を実現している。
昔ペットボトルのお茶についていた歴代仮面ライダーのストラップを壁一面に吊り下げている私の部屋とは大違いである。
 
 外壁に守られてスプレーの直撃を免れた幼虫たちは元気に動いていた。
お腹を空かせている幼虫は自らの大アゴを育房の壁にこすりつけ
「ガリッ、ガリッ」と音を立てている。
人間に例えるなら「おなかすいたよー」と泣いている赤ん坊と同じだ。
かわいい。

 巣を駆除した後の最初の楽しみは、幼虫の頭をつつくことだ。
元気に動いている幼虫の頭を指でつつくと、口から透明な液体がブワッと分泌される。
この液体こそ、ハチ社会の基盤をなし、後に私の思考をひっくり返すことになる重要物質なのだが、この時はまだそんなこと考えもせず、ただひたすら 
 
「おー、出た出た」


頭をツンツンされ口から液体を出すハチの幼虫



もう一匹、ツン、

「おー、こっちも出た」

これはいつもながらに面白い。
さらにもう一匹・・・
気が付けば車庫で一人、ひたすら幼虫の頭をツンツンしていた。
ハチ社会にとって重要な液体でも、頭のおかしい理科教師にかかればこの扱いだ。

あれっ、ヤバイ。
車庫内だからいいけど、外でやっていたら完全に通報案件だ。
そう思った瞬間、我に返る。

アイアム理科教師!

これでは超重要の意味が伝わらない。
まずは記録として残さねば。
ようやく撮影を開始した。

しばらく撮影していると、

「おー、この匂い」

スズメバチの巣を開けた時のいつもの匂いだ。
私にとっては学生時代からのなじみの匂いだ。
この匂いを嗅ぐと、初めてあのアミノ酸飲料を口にした時のことを思い出す。
「うーん、やっぱりVAAM(ヴァーム)だ」

登山やマラソンをする人なら一度は見たことがあるだろう。
運動前に飲むスポーツサプリメントだ。
実はこの名前、Vespa Amino Acid Mixture(スズメバチアミノ酸混合物)の頭文字を取ったものである。Vespaとはスズメバチの学名だ。
 つまり、あの商品は最初から堂々と
「スズメバチ由来です」
と名乗っていたのである。
私は学生時代からスズメバチの巣を解体していたので、幼虫が差し出す液体の存在は知っていた。そのため、このサプリメントが初めて世に出て、開発のきっかけを知ったとき、過去の経験と結びつき迷わず購入した。
 初めて手にしたのは缶入りドリンクだった。缶のふたをあけて口に含んだ瞬間、

「うわっ、モロにハチの巣の匂いだ」

その瞬間、私は完全にこのドリンクの信者になってしまった。

 スズメバチは武器である毒針を全方位に向けられるよう、腰が極端に細い。そのため、固形物はこの部分を通過できない。つまり成虫は液体しか摂取できない体なのだ。スズメバチが他の昆虫を捕らえて肉団子にするのは自分で食べるためではない。あれはほぼ幼虫専用のエサだ。
 幼虫は成虫から与えられたエサで大きく育つのと同時に、栄養豊富な液体を分泌する。
その特製の栄養エキスこそが、成虫たちの主食なのだ。
つまり、スズメバチが一日中飛び回るためのエネルギーは幼虫の恵みに由来するのである。
研究者たちは、この液体に含まれるアミノ酸の組成に注目した。
すると、脂肪を効率よくエネルギーとして利用する働きに関係することが分かってきた。
そこであの奇跡のサプリメントが開発された。

 私はVAAMを飲むたびに新生児だったころの息子たちを思い出す。子育て奮闘記なんて全ての親が超大作を書けるほど苦労の連続だ。でも私に向けられた無邪気な笑顔は、辛い日常をリセットしてくれる最強のサプリメントだった。
子どもという存在は、不思議なものだ。育てているつもりでも、気づけばこちらが力をもらっている。
そんなことを思っていたらなぜか、目の前の幼虫たちの顔が、我がクラスの元気な生徒たちの顔と一瞬重なり、1学期の授業風景が一瞬頭をよぎる。
ちょうど無脊椎動物の単元で、

「スズメバチの幼虫は、一度も糞をせずに育ち、サナギになる直前にまとめて糞をするんだ。この糞が巣の強度を何倍にも高める。」
そんな話をした時のことだ。

「えーっ」「そうなんだ」「知らなかったー」などなど。
この時の生徒の反応が、目の前で液体を出している幼虫と不意に重なる。

イヤ、待て待て、変な妄想をしている場合ではない。
目の前にいるのは我がクラスの生徒ではなく、コガタスズメバチの幼虫である。
今夜のメインディッシュだ。生徒と重なると食えなくなる。

妄想を振り払うため、途中で止まっていた洗車を完了させ、気分をリセットすることにした。

洗車している時、ふと視線が車庫の方に向く。その車庫の片隅には、先ほど採取したスズメバチの巣が静かに鎮座している。
これから私は、この巣を解体して中の「ごちそう」をいただくわけだが、世間の人が聞けば卒倒するかもしれない。しかし、これほど贅沢な味はないのだ。

現代の一般的な感覚からすれば、ハチの子など認知の枠外、あるいは罰ゲームの定番くらいに思われるのがオチだろう。だが、日本の食文化の歴史を紐解けば、それは大きな誤解だと分かる。

 海のない長野県には古くから豊かな昆虫食文化がある。スーパーで見かける一般的なシーチキンと同じ、手のひらに収まる小さなサイズのハチの子缶詰が、今や一缶三千円、四千円と値を上げ、マツタケ並みの高級珍味として扱われているのだ。
ただでさえ、ハチの子は知る人ぞ知る現代の隠れた高級食材。ましてや、今回私が手に入れたのは鮮度抜群の生である。美味くないはずがない。
しかも、これほどの極上食材を、自分一人でこっそり平らげるのはもったいない。
実は、私には駆除したときからある計画があった。夏休み最終日の夕食、家庭サービスを兼ねて、息子たちに理科教師特製ハチの子料理をふるまおうとしていたのだ。
息子たちはもちろん初のハチの子料理ということになるので、大量の糞を抱えた幼虫は使わず、糞が全くないサナギだけを使うことにした。
糞がないサナギは、幼虫に比べ雑味がなく、食感もイメージもよい。
ただでさえ高級食材のハチの子において、サナギだけを使うなんてとんでもなく贅沢だ。
このマグロをさばいて大トロだけを使うような暴挙は、息子たちへの理科的愛情表現だ。
我が息子たちのハチの子デビューは、間違いなくセレブなものになりそうだ。

一見、過保護に見えるかもしれないが、これには私自身のハチの子デビューがあまりにもワイルド、いや、破天荒すぎたことへの反省があるからだ。

時は学生時代にまで遡る――。

スプーンの罠

学生時代、仲間とともに林道を歩いている時、偶然、土中にクロスズメバチの巣を見つけた。当然掘り起こして持ち帰ることになるのだが、この作業が極めて難航した。上から掘り進めようとすると、複雑に絡み合った木の根が邪魔をした。横を深く掘り、下から掘り起こそうとすると巨大な岩盤にさえぎられた。結局掘り起こすのに3人がかりで丸二日間かかった。しかも、作業に当たった3人中、私を含めて2名が毒針に被弾した。
 苦労して掘り起こした巣は、私たちの想像以上の超巨大コロニーだった。
直径約80センチ、巣盤は全部で10段。回収できた働きバチだけでも約5000匹。大量の幼虫の入った巣はずっしり重かった。

 巣はそのまま私の自宅に運んだ。そこで一人合流し、主目的である巣盤の調査のため、幼虫とサナギは全て取り出した。
その量は、直径30センチの皿がてんこ盛りになるほどだ。

「ハチの子って高級料理なんでしょ?」
「えー、これ食べるの?どう見てもウジ虫だぞ」
「おいしいらしいよ」
「どうやって料理するんだよ」
「わからんけど、焼けばたいていのものは食えるでしょ」
「じゃあ、バター炒めでもやってみるか」
「でもさー、幼虫は糞あるでしょ、これだけ溜まっている糞食いたくないなあ」
「まあ確かに。でもとりあえず焼いてみよう」

 実験的に少量の幼虫を熱したフライパンに投入すると、すぐに体がぷくーっと膨らんでくる。

「うわー、うわー、膨らんでいるぞ」
 すると、次の瞬間、ポンッ と破裂する。
「うわっ、なんかポップコーンみたいだな」
「んっ、ちょっと待て、はじけて何か飛び出したぞ・・・これ糞じゃないの?」
「うわ、本当だ、ということは焼けば糞が飛び出すから幼虫も全然普通に食えるってことでしょ」
「よーし、一気に行こうぜ」

  ジュワー、プクーッ、
  ポンッ!ポンッ!ポンッ!ポンッ!

「おー、スゲースゲー」

 焼きあがったハチの子はそのまま全て大皿に盛りつけた。 
盛り付けられたハチの子は、超高級料理であることには間違いない。
でも、形がモロ、サナギとウジ虫だ。
そのビジュアルのせいで誰一人、箸を出そうとしない。
しびれを切らした一人が、

「じゃんけんで負けたやつが試食レポート係な」

負けたのは唯一毒針に被弾していないAだった。
しばらく深呼吸してから意を決して1匹を口に入れた。
全員苦い顔でAを凝視する。
すると、険しかったAの表情が緩む。
そして2匹目を口に入れ、

「んっ?あれっ?」

さらにもう1匹入れた時

「うまっ!これ、なまらうめーぞ!」

そこからスゴイ勢いで口に放り込んでいく。

「えっ、えっ、マジか」

躊躇していた私たち焦りだす。
Aの勢いにおされて口に入れると、

「ぬぉー!」

予想以上の味にびっくりした。
超濃厚なエビだ。ホッカイシマエビのさらに上をいく味だった。

 口に入れた瞬間はよくあるバター醤油風味。まず、これだけで充分おいしい。かじってみると「サクッ」と軽く歯切れのよい食感、そして「トロッ」と広がる濃厚なエビ風味。しかも、エビより口全体に風味が広がる速度が速い。つまり、かじってから脳が「うまっ!」と認識するまでのタイムラグが、エビより圧倒的に短いのだ。この感覚に、私の脳は完全にマヒした。こうなると、箸でつまんでなんかいられない。

「おい、スプーンないのか」

すでにすごい速さでハチの子を口に運んでいたAが、なぜか半分キレたような口調で叫ぶ。
私は全員にカレー用のスプーンを渡した。
大量のハチの子は、あっという間に完食だった。

「やばいなこれ、超旨かったぞ」

全員同感だった。

「長野でこれだけ食ったら10万以上するんじゃないの」
「いやー、贅沢な時間だったな」

空になった皿を見ていた時、私はあることに気付いてしまった。

「ん?・・・なあ、幼虫とサナギ同時に焼いたよな」
「どーした、今さら、何か気になるのか?」
「幼虫から糞が飛び出して安心していたよな」
「うん・・・」
「フライパンからそのまま全部皿に盛りつけたよな」
「んっ?」
「なんで食い終わった皿に何も残っていないんだ?」
「・・・」
「・・・ !」
「ヴーーー、マジかー、何で食っているときに誰も気づかないんだよー」
「誰だよー、スプーン出せって言ったのー」
「うわー、全員やっちまってるわー、・・・でも旨かったなー」

ハチの巣を駆除するたびに、ワイルド、いや、おマヌケなハチの子料理初体験物語を思い出すのだ。

蘇生の兆し

 この時の経験から、息子に初めてふるまうハチの子料理は精選したサナギにしようと決めたのである。
サナギだけを選ぶのは、ただの贅沢ではない。
幼虫のように糞が残っていない分、味がクリアでクセがない。
そして味以上にイメージ的な部分が大きい。
初心者の息子に出すなら、まずは“入門編”から。
ハチの子料理は入門編が最もクリアで贅沢なのだ。
そして、理科教師としては最高の愛情表現でもある。

 まず、息子たちに集合をかける。
ところが長男は

「いや、俺は辞退。こんなに元気に動いているのを見ちゃうと、生きたまま焼くの見たくない。」

うーんなるほど。その感覚は確かに理解できる。
幼虫たちの多くは今も目の前で
「おなかすいたよー」
と、育房の壁を大あごでこすり、ガリガリやっている。

次男は

「これを食うの?」

と言いながらも手伝ってくれた。

 幼虫はピンセットでつまみだすだけなので、簡単に取り出せる。
取り出した幼虫は今回使用しないのだが、
“命を無駄にできない”という信念が邪魔をする。
そこで、引っ張り出した幼虫たちはそのまま車庫の外の目立つ場所に放置してみた。
すると、すぐにカラスがやってきて、自然のサイクルへと、もどすことができた。
カラスのおかげで信念を貫くことができた、と自己弁護しながらサナギ取り出しにかかる。

 まず、育房の白い蓋を外すのだが、これが頑丈なのだ。
普通にピンセットで引っ張ってもはずれない。解剖用ハサミで切れ込みを入れ、ピンセットで引っ張るとようやく蓋がとれて中のサナギが顔を出す。
ここからがさらに厄介だ。
真っ白でしっかりして見えるのだが、実際はぶよぶよだ。
絹豆腐をピンセットでつまむようなものである。
慎重に取り出しても、何匹かは頭が取れたり、つぶれて白い液体が出たりする。
だが、今回は標本を作るわけではない。
最終的な行き先はフライパンなので、細かいことは気にしないことにした。

食材が整ったのでいよいよ調理開始。

食材はサナギのみ。一部の人にしかわからない超贅沢食材。

まずフライパンでバターを溶かす。
そこへ取り出したコガタスズメバチのサナギを一括投入。
火が通ってくると、サナギの体がぷくーっと膨らみ始めるが、
すぐにプシューとしぼむ。
幼虫ほど皮が固くないので、ポンッと破裂することはない。
この皮の薄さが、焼いたときの軽い食感を生む。

全体がふくらんできたら醤油を少々。
火を止めて盛り付ければ完成である。

バター炒め


今回は新鮮なトマトを添え、「ハチの子とトマトのカプレーゼ」にしてみた。
試食してみると、予想以上に旨い。

ハチの子カプレーゼ完成

トマトの酸味とハチの子のコクがばっちり合う。
ハチの子初心者にもおすすめできる、さっぱり系の一品である。

長男は案の定、見た瞬間
「無理!」
どうやら形あるものが苦手なようだ。
確かにわからないでもない。サナギがトマトの上からこちらを見ている。
次回は長男用に、ミンチにして団子にして油で揚げてみよう。
次回のレシピが決まった。

栄養士の妻は、一口食べて満足したようだ。
やはり見た目がネックらしい。

次男は
「見た目の印象ほど悪くない」
なんて生意気なコメントを残してテレビに視線を奪われている。
茶碗を持ったままテレビに夢中になっているとは、なんと行儀悪いことか。

ハチの子ライスオン

「成敗!」

盛り切れなかったハチの子を次男のご飯へ、こっそり投入した。
一瞬だけ動きが止まる。
しかし、そのまま何事もなかったように完食した。
まるで普段から山で暮らしているかのような反応だ。
それとも、私の息子に生まれてしまったという現実に、ようやく気付き始めたのだろうか。

一方、長男は違った。
ハチの子と聞いただけで全力で距離を取る。
こちらは見事な里の住人である。

野生児のように馴染む次男と、全力で拒絶する長男。
同じ環境で育ったはずなのに、反応は正反対だった。

その様子を見ていると、ふたたび里山の風景が頭に浮かんだ。
同じような環境に見えても、人と自然との距離感は驚くほど違う。
私の家は自然と隣り合わせだが、山と里の融合を実現している里山文化とは似て非なるものだ。

 北海道の大自然は、圧倒的に雄大だ。しかしそこには、人間が暮らす「里」と野生がうごめく「山」との間に、冷徹でくっきりとした「境界線」が存在する。境界線があるからこそ、野生動物がその線を越えて人間の領域に侵入してきた時、待っているのは「排除」という現実だ。

 一方で、長野の里山にあるのは「融和」である。
それは、ただ自然を放置するのではなく、人間の適切な管理(手入れ)が入ることによって、里と山の境界線をあえて曖昧にし、互いの命を生かす仕組みだ。
 我が家の食卓で「里山」という単語が浮かんだとき、二学期を前にしてギスギスとしていた私の脳内に、ふっと心地よい余白が生まれた。
その余白の中で、「管理による共生」という言葉が、いつの間にか「教育による融和」へと鮮やかにすり替わっていく。

 そこから、私の意識は山から教室へと穏やかに反転し始めた。

あの場所へ

 スズメバチは、幼虫を守るために進化した昆虫だ。
外敵から巣を守り、獲物を運び、子どもたちを育てる。そのために彼らは、毒針を自在に操れるよう極端に細い腰を手に入れた。
しかし、その進化には固形物を摂取できないという代償があった。
その欠点を補っているのが幼虫たちだ。
働きバチが運んできた肉団子を食べて育ち、その代わりに栄養豊富な液体を分泌する。
成虫たちは、その液体によって再び飛び立つ力を得る。
子どもを育てるために変化した結果、今度は子どもたちに生かされる存在になったのだ。

 思えば、教師という生物も同じだ。
教室へ肉団子を運ぶ。
生徒たちはそれを食べ、
「うわー!」
「スゴイ!」
「へー、なるほど!」
などと言いながら、驚きと発見を分泌する。
それを得た教師は、また次の肉団子を探しに行く力が生まれる。
気がつけば、ずいぶん長いことそんな循環の中で生きてきた。

そのことを考えているうちに、先ほど頭をよぎった里山の風景が再び浮かんだ。
里山は、人の手が入らなくなれば荒れていく。
放置された多様性は豊かさではなく荒廃へ向かう。
教室もたぶん同じだ。

 夏休みが終われば、すぐに学校祭への取り組みが始まる。
個性の強い生徒たちが集まり、意見がぶつかり、時には衝突も起こるだろう。
ただ放置する(放任する)のではなく、適切な『手入れ(環境づくり)』をすることで、教室という生態系は誰一人排除されることなく、豊かさを増す。
つまり、ほんの少しの手入れで、想像を超えた絶景を見せてくれるようになる。

 目の前では、息子がハチの子のカプレーゼをうまそうに平らげている。
その様子を眺めながら、私は夏休みを振り返った。

彼らへ与える肉団子は十分に集めてきた。
新しいツンツンテクニックも考案済みだ。
目指すべき絶景の姿もイメージできている。
あとは届けるだけだ。

今の私に不足している栄養素はただ一つ。
それは彼らが出す知的好奇心の反応だ。

この反応こそ、夏休み中に集めた教材に命を吹き込む唯一のエキス。

数時間前までの重体の原因は、どうやら栄養失調だったようだ。

さあ、戻ろう。力を呼び覚ますエキスがあるあの場所へ。

明日はいよいよ始業式。

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