イオンモール会津(?)出店計画の真相
こんにちは。
Designing Aizuです。
2002年に、会津地方は湯川村にイオンモールが出店する計画があった。そう耳にしたことがあります。会津の商業を考える上で、特異点になり得たこの巨大計画。現在会津地方にイオンモールが無いことから分かるように、この計画は結局頓挫してしまったのですが、それでもこの計画について知ることは会津の商業を考える上で示唆に富むものだと確信しています。
中々インターネットやSNSでも情報が見つからず、かなりざっくりとした内容しか分からなかったのですが、今回ChatGPTを用いてあらゆるソースから情報収集を行ったところ、かなり具体的なこの計画の全体像が見えてきました。知られざる20年近く前のイオンモール会津(?)について、この記事で書こうと思います。かなり興味深い内容です。
計画概要と自治体間の対立
噂ではこの出店計画があったのは2002年と言われますが、実際はそれより2年後の2004年から計画が動き出しています。2002年と市民の記憶にあるのは、まだ計画が表面化する前の構想・噂レベルのものなんでしょうね。
2004年、イオン側から湯川村に対して大型ショッピングセンターの出店が打診されました。場所は湯川村の佐野目地区。国道49号線で阿賀川沿いの場所。現在、「道の駅 あいづ 湯川・会津坂下」があるまさにあの場所です。

当時はまだ会津縦貫北道路がない時代。国道49号線が今以上に幹線道路として存在感を持っていた時代に、会津若松と喜多方の二大都市の中間となる立地に出店しようとしていた訳です。非常に賢い立地だと思います。
当初(2005年末)報道された計画では、敷地約10ha、店舗面積2万㎡、従業員は数百人規模、2007年の開業を目指す計画でした。
しかし、その計画から2026年5月までに計画規模が拡大されます。敷地面積は約13haへ。売場面積も3万7000㎡へ当初案から倍弱まで拡大しました。この規模のイオンモールは、現在存在する店舗と比べるとまさに「イオンモール Nagoya Noritake Garden」とかなり近い規模になります。とは言っても、名古屋のイオンモールなんて想像がつかないと思うので東北のと比べると、山形県庄内地方の「イオンモール三川」、宮城県石巻市の「イオンモール石巻」より少しばかり小さいようなサイズ感です。

こんなイオンモールが会津に出来ていたかも。
最近伊達市や郡山市に建設中のイオンモールと比べると規模は劣ります。ですが、会津地方では抜群、圧倒的な存在感を誇るサイズ感です。現在会津最大店舗のメガドンキホーテUNYよりも、遥かに巨大。
こんなイオンモールが出来る計画について、出店予定地の湯川村は歓迎します。人口が少なく、財政力指数も低い小さな村にとって、売場面積3万7000㎡もの大型商業施設が出来れば、雇用が生まれ、税収も増え、会津盆地全体から村に人が訪れるようになる。村の経済構造を大きく変革する可能性がある。魅力的ですよね。当時の報道でも、「税収や雇用面でメリットが大きい」としています。
歓迎する湯川村に対し、会津若松市側はこの計画を強く警戒します。会津若松商工会議所などの商工団体は、湯川村に大型ショッピングモールが出来れば会津若松市の既存商店街や中心市街地から客足が流出することを懸念し、反対の声を挙げました。2004〜2005年頃の中心部商店街の状況をみると、郊外に商業施設が増加しそちらで商業集積が形成。2002年の神明通りにあった長崎屋の閉店に象徴されるように中心部の衰退が既に起きていた時代であり、湯川村のイオンモールが中心部にトドメを刺す存在になるのではと考えたのでしょう。

(でぱあとまにあ様のサイトより)
反対したのは会津若松市だけではありません。計画地に近い会津坂下町でも町議会が大型店出店に反対する意見書を採択しています。
会津地域という一つの商圏の中において、「イオンモールが出来て村の発展が見込める湯川村」と、「自分たちの自治体の商業を衰退させたくない会津若松市・会津坂下町」の間で利害の対立があった訳です。
制度条例上の壁、そして計画頓挫へ
ここからこの計画は県や国にも波及します。
2005年10月、湯川村は福島県にショッピングセンター誘致の意思を伝え、2006年3月には農業振興地域からの土地利用転換を可能にするための「27号計画」の原案を県に提出。「農振法27号計画」は、市町村が地域農業の振興のための計画を作ることで、一定の条件下で農用地区域内の土地利用転換を可能にする制度です。佐野目地区の計画地は、農業振興地域・農用地区域に含まれていました。そんな13haの土地を大型商業施設に転用するためこの提出を行ったのです。湯川村が「ショッピングモール開発は地域農業の振興になる」としたことにどうも納得しかねますが、まさにそれは国会議員も同じ思いだったようです。
この農地転用については、国会でも取り上げられました。2006年5月10日の衆議院経済産業委員会で、共産党の塩川鉄也議員が会津盆地の田園地帯に3万7000㎡の大型商業施設を建設する事例として紹介されたのです。大規模商業施設のために農地転用の制度を利用することの是非について議論されました。
この時期、湯川村の計画に関わるもう一つの動きがありました。それが、福島県の「商業まちづくりの推進に関する条例」、「福島県商業まちづくり条例」なんても呼ばれる条例の制定です。

2005年10月に制定され、2006年10月に施行された同条例は、当時としては全国的にも先進的な大型店立地規制でした。
この条例では、売り場面積6000㎡以上の店舗を「特定大型店」と位置付け、周辺地域への影響を考慮しながら、大型店の立地を広域的な仕組みで調整する仕組みを導入しました。中心市街地の衰退、モータリゼーション、郊外大型店の拡大、中小小売業の衰退などが背景にあります。
商業まちづくり条例の施行は2006年10月、対して湯川村は出店決議を同年8月に採択します。6000㎡を大幅に上回る3万7000㎡のショッピングモール開発。まさに、条例制定前になんとか滑り込ませられるかという瀬戸際のタイミングだったのです。
この時期では1ヶ月ごとに進展があるなど、かなり速く計画が動いていました。時系列で見ていきます。2006年3月に湯川村が「27号計画」を福島県に提出。5月には、農振除外に向けた協議が始まります。2006年6月には会津坂下町議会が反対の意見書を採択。8月には湯川村議会で誘致決議がなされました。9月段階で、福島県は「県条例(商業まちづくり条例)の趣旨には合わない」としながらも、「農業振興法、農地法上の要件は概ね満たしている」として国へ意見書を送っています。ここまでは、イオンモール出店計画も実現しそうな流れでした。しかし…
2006年10月、国が県の意見書を差し戻します。そして、商業まちづくり条例が施行されます。2007年月、「条例の趣旨に合わない出店計画」として意見書を再提出。2月には、国が農地転用の事前協議について「転用不可」と回答。そして、同月、湯川村はイオンモール誘致を断念することとなり、一連の計画は頓挫しました。開発のための農地転用、商業まちづくり条例との整合性の2点でNOを突きつけられてしまったのです。
因みに、大規模なショッピングモール開発にNOと言われるのなら規模縮小するという選択肢も取り得たと思いますが、イオン側が規模縮小をするのであれば出店しないとしたため、計画そのものを断念せざるを得なかったとされています。
計画頓挫の真因
会津へのイオンモール出店は何故実現しなかったのか。近年では「会津若松市の商店街や商工会議所がイオンと大喧嘩して決裂した」なんて噂もあります。彼らが反対していたのは確かです。ですが、実際何が決め手となったのかは異なります。
最も大きな要因が、農地転用が認められなかったこと。次に、商業まちづくり条例や県の方針と整合していなかったこと。第三の理由として周辺自治体や地元商店街の反対があった。そのような順位になると考えられます。なお、この3点以外でも、肥沃な会津盆地の農地を大規模に転用すること自体が問題とされたり、給排水などのインフラ面で課題があったとも言われています。
跡地の現在地
結局イオンモールが出店することのなかった湯川村佐野目地区。ここには現在、「道の駅あいづ」が整備されました。

会津一の巨大ショッピングモールとは全く違う、農産物直売所、飲食、観光、交流、防災などの機能を組み合わせた地域の交流拠点として、開業翌年の2015年には年間入り込み客数が100万人を突破するなど、かなり成功しています。
守ったはずの中心部の現実
結局、イオンモールは出来なかった会津地域。会津若松市や会津坂下町の出店計画に反対した人々は安堵したかもしれません。しかし、では中心街が守られた、ともならなかったのが皮肉な現実です。
2007年にイオンモール出店計画が頓挫した2年後、会津若松駅前の会津サティが閉店。2010年、会津地方唯一の百貨店で神明通りの核であった中合が閉店。

(でぱあとまにあ様のサイトより)
少し時間が経って2020年にはリオンドール神明通り店が閉店して中心市街地の大型店は全滅。2023年、神明通りの地価の下落率が商業地として全国ワースト3など、散々な状態となっています。(最近は新規出店が相次ぎ、地価下落率も和らいで来ているなど復活の兆しもあります。)
大型商業施設のイオンモールの出店を阻止すれば中心街は守られる。そんな単純な因果関係ではなかったことが明らかになった結末と言えるでしょう。
また、後年会津若松市が実施した市民意識調査では、市民から湯川村のショッピングモール誘致に反対したにもかかわらず以前のスタイルのままで何も変わっていないという旨の意見があります。大型店出店に反対するならその代わりに中心市街地活性化を実現するべきだったのでは、という不満も存在したのです。
イオンモールを欲する現在の市民
さらに皮肉なのが、20年前イオンモール出店に反対して実際に出来なかったが、今の市民はイオンモール(大型商業施設)を欲しているという現実です。
2021年に商工会議所が市民に向けて行った都市開発に関する調査↓
https://www.aizu-cci.or.jp/aizu-cci/cci-img/a-cci-inC1/02-topics/t2022/20221001_01.pdf
では、神明通り、会津サティ跡地、旧県立病院跡地、駅前周辺と鶴ヶ城周辺以外の全ての場所において大型商業施設や映画館を求める声が上がっているのです。自由回答でも、「イオンモールがほしい」、「今からでもいいから湯川村に郡山・日和田以上のイオンを」、「イオンタウンなどの大型商業施設を。若松は魅力のない市」、「老若男女、親子みな楽しめるショッピングモールがほしい」、「映画館を含む大型商業施設ができることを期待している」とこのように。
イオンモール出店は実現せず、中心街は守られたはずが結局衰退し、現在市民は大型商業施設、イオンモールを欲するようになった。当時、こんな未来が想像できたのかは分かりませんが、なんとも皮肉な結末です。
湯川村へのイオンモール出店計画。その実態を明らかにすることが出来ました。いかがだったでしょうか。
現実を知った上で、会津地域の商業のあり方を考えたいと思います。
…続編として、このイオンモール出店計画も絡めながら会津での商業の変遷をまとめ、現在の課題とそれに対する私なりの改善策を書きたいと思います。そちらもお楽しみに。
