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妊娠というセンシティブな話

こんにちは、S.Kumeです。
イタリアに来てからこの秋で2年になります。もうここで過ごす時間もわずかになりました。
日本か!と言いたくなるような湿度のある暑さも、すぐにやってくる蚊たちも、欧州だと思い知らされる真っ直ぐに照り付ける日差しも、網戸という概念がない建物群も、あと少しかと思うと急に愛おしくなってきました。

というわけで、タイトルにもあります通り、新たに身体に命を授かっております。現在妊娠もうすぐ6ヶ月目です。安定期に入りました。
ここから先は、主に妊娠3-4ヶ月目のつわりが最も辛かった時期に書いたものです。


私は20代中盤から重度の生理痛に悩まされ、婦人科で月経困難症、PMDDと診断されるほど、女性ホルモンの変化に翻弄されて生きてきました。
これらが原因で行けなかった場所、挑戦できなかったこと、諦めるしかできなかったこともありました。
それでも、いつか子どもができたらいいな、と思って私の荒れ狂う女性ホルモンたちに向き合ってきました。そういう意味では、頑張ってきてよかったなーと感じてます。

妊娠するまでのあれこれ(前半)

妊娠発覚する約1年前から、2人で話していろいろな考えが重なり、ゆるく妊活をスタートしました。
月経困難症の対症療法であったピルを休薬し、妊活を始めてすぐ、去年の春ごろに生理が3ヶ月来ないタイミングがあり、でも妊娠検査薬は陰性、軽く体調不良の日々が続くという時期がありました。初めてイタリアの医療機関にかかり、その手続きの煩雑さやハードルの高さに面食らったのを覚えています。
そして何より海外で相談できる人も少なく、不安でいっぱいでした。

どうしようもない思いがつのり、体調不良についてXでつぶやいたところ、Yさんから「妊娠した?」とどストレートに公開でリプライが来ました。そうだったらいいんだけどね、と、悲しくて悔しくて仕方なかった。ほんともう!
違うから飲みに行きましょうね、って返信しました。それが彼が倒れる前の最後のやり取りになっちゃった。飲もうって言ったじゃん。もう。でもね、大好きですよ。

結局は専門医にかかろうとした直前に生理がやってきて、まぁ環境変化起因のストレスだったのかなーみたいな感じで終わりました。それからXで自分のことつぶやく回数が激減しました(笑)

そこからは、毎月生理が来る度に、あぁ今月もだめだったかぁ、の落ち込みと、それに加えて空気も読まずに容赦なく襲ってくる生きているのを本気でやめたくなってしまう痛みに心身ともに凹んでました。
SNSにアップされる身近な人たちの出産報告や子どもの写真やなんでもない子どもに関する話、LINEで送られてくる写真たちから目を背けたくなる。「おめでとう」「かわいい」と思えない自分の器の小ささに落胆する。

そして、きっと同じように、私のこの妊娠報告も誰かに何かを思わせてしまうんじゃないかと、思ってしまう。
そんな人がここまで読んでいるかはわからないけど、女性にとって年齢が関わる話だからこそ、焦ったり羨んだり悲しくなったりする気持ちは痛いほど分かる。それは卑しくなんかない、とても自然な気持ちだと思います。

妊娠するまでのあれこれ(後半)

生活環境が特殊なのもあり、妊活は結構難しかったです。調べれば調べるほど不安になりました。
最初はアプリで排卵日予測して、基礎体温を毎朝測っていました。
最後は、尿をかけて排卵日の前日が分かる検査キットを買って、正確な排卵日が分かるようになったのがよかったです。アプリの予測日とズレていたし、今となればだけど、これはもっと早く買えばよかったな。

男性側の精子の量を測るというのもやってもらって、最初Amazonで買ったキットだと陰性になって心底焦ったけど、結局すぐにイタリアでクリニックに行ってくれて検査して問題ないことが分かる。日本では忙しすぎて行くタイミングがなかったのだけど、早めに行ってこしたことはなさそう。

妊娠してから、「妊活したいけど何から始めたらいいかわからん」みたいな友達から相談を受けることが何回かあったので、とりあえず自分の経験をまとめておくとこんな感じです。(個人の見解)

  • マタニティチェックを2人で受けたほうがよい

  • 生理の周期はチェックしておいたほうがよい

  • 基礎体温は可能な限り測ったほうがよい(妊娠検査薬使う前から妊娠しただろうなって分かる)

  • 排卵日の前日が分かるキットおすすめ

  • どれくらい本気で子ども欲しいかなどの価値観をパートナーと話して擦り合わせるの大事

  • 出来なかった時どうしたいかの考え(不妊治療や養子に関して)を早めに共有できていたのは自分は良かった

ちょっと調べれば出てくるけど、1年妊活してうまくいかなかったら、不妊になって、体外受精なども選択肢に入ってくるみたい。
体外受精の体験記もネットに転がってるけど、ちょっとあまりにも壮絶すぎて自分にはできないなって思ってしまっていました。そのへんの考えもお互い共有できていたのは良かったです。
※全く知らない方ですが、下記の記事は参考になりました。

自分は、2人が愛し合っててタイミングさえ合えばきっと神様から授かる、って価値観を持っていました。だから、検査したりタイミング見たりするのは少なからず抵抗があって、妊活してたとはいえそういう行動に移すのを少し躊躇っていました。
これは身体に関わることだから、身体と気持ちはつながっているから、だからこそ、そういう気持ちを男女関わらずどちらかが持っているのであれば、その気持ちに寄り添いながら少しずつお互いのペースで進めていってほしいなと感じます。

妊娠に対する自分自身の無知について

がっつり命に関わる話を書く(既に書いてる)ので、見たくない人は見ないでください・・・と、書こうとしたけど、こういう受け取り手への配慮文化なんやねん。(突然の暴論)
もちろん、個々人でいろいろな事情があると思います。まわりの大切な方の死に触れた、妊娠で辛い経験がある、親からのプレッシャーで押しつぶされそう、等、他にも私が想像にも及ぶことができないような悲しいことや困難なこと出来事に触れた方々はいらっしゃると思います。
でも、誤解を恐れずに書くならば、「命に関わる話は何となく怖いから見たくない」「自分のプライベートの大事な部分だから人に知られたくない」みたいな思いが交錯して、女性の身体に関する無知や妊娠に対する誤った認識が広がったままになってしまうと思うのです。

最近は、生理痛だけでなく、PMSにも急速に社会の理解が深まっているように感じます。
私の月経が開始した2000年代後半は、生理のことを「あれ」と呼び、人前で生理の話をするのは汚らわしいという空気感がありました。
もちろん、自分自身の年齢が上がるにつれて周りの理解度が変わっていった部分もあるので一概には言えないと思いますが、『男性社員が社内研修で月経痛を体験!』みたいな日本のニュースに触れたり、私自身も会社で男性上司陣としっかり自分の病気について自分の言葉で共有して(おおむね)適切に対応していただけた経験などを通して、約20年前に比べれば、その頃より「女性の月経痛は社会全体の問題のひとつ」のような扱い方をされているに感じます。PMSという言葉も広く知られるようになったのはここ数年のように感じます。(PMSの更に酷い版、鬱状態になってしまうPMDDもよろしくね。)映画『夜明けのすべて』や『生理ちゃん』などが与えてきた社会への良い影響を身に沁みて感じます。

一方で、妊娠については未だいまだに知られていないこと、誤解されていることが多いように妊娠をしてから感じています。こういったことを発信する人が少ないからなのか、そもそも社会の中で経験したことのある人の母数が少ないからなのか、不妊の方への配慮(優しさ)から閉ざされているのか、その全てからなるのかは分かりません。
でも、私自身が『無知』だったことを通して、誰か1人でいいから、妊娠発覚〜安定期までのイメージと実際の違っていたことを知ってもらいたいと思ってここからそのことを書いていきます。

見えない未来と、自分が進みたい未来の間で

私自身、現在年齢は31歳で、夫も私も兄弟姉妹はおらず、身近の親族に出産を経験した人はいませんでした。安定期前に妊娠を打ち明けてくれた友人もいましたが、彼女はあまり多くを語らず(寄り添って聞いてあげられなかったことを今は後悔)、他の出産した先輩方が妊娠したのを知ったのは安定期後のことが多かったです。そんなわけで、私は身近で妊娠に触れる機会はあまり多くはありませんでした。
私にとって妊娠や流産のイメージといえば、映画『恋空』でした。映画自体はかなり苦手な方の映画ですが、高校生で妊娠した新垣結衣さん演じる主人公が階段から落ちた衝撃で流産してしまう、というシーンは印象に残っています。

仕事を続けていくなら重い生理痛を回避するためにピルを飲み続けるしかないと思っていた時期や、妊活がなかなかうまくいかない日々は、妊娠の情報からあえて目を背けていたことも影響していると思います。受精後10ヶ月で出産という意識はありましたが、実際に妊娠検査薬で陽性になってからの日々はあまり想像しようとしていませんでした。その頃は、陽性になることがゴールだったので。
とは言え、妊娠したいという思いの中で、一時帰国のチケットを取って良いのか、夏に中国でWGの運営を手伝ってくれないかというお誘いを受けて良いのか、JWOCのオフィシャルを受けて良いのか、本当はイタリアでも働きたいが妊娠したとしても継続して受け入れてもらえるのか/自分が働き続けられるか不安、等、見えない未来(妊娠していない現実)と自分の進みたい未来(妊娠したい思い)に隔たりがありました。もし妊娠するのなら無理はできないけど、でも杞憂に終わるかもしれないもどかしさが常に同居していました。
自分は今、日本で勤めていた会社を退職してイタリアに来ていますが、もし日本で働き続けていたら、例えば転勤を受けるのか、例えば新しいプロジェクトを引き受けられるのか、例えば管理職試験を受けるのか、などと葛藤しながら日々を過ごしていただろうことは想像に難くありませんし、そういうことと葛藤しながら日々を過ごしている女性は同年代に多くいるのだろうなと思います。

今年の春に妊娠検査薬が陽性になって喜びはつかの間、杞憂となっていたことが突然現実になりました。
あと数日で決めなければならなかった夏の中国での運営は妊娠発覚後に即日でキャンセルです。その他、既に予約していた一時帰国の予定の時期や直後に予定していたいくつかの旅行をどうするか決めなければなりません。調べれば、「妊婦さんの海外旅行はNG」なんて出てくるけど、こちらは既に海外にいるわけで、長距離フライトがどれくらい身体にリスクがあるか等を学びながらその後の予定を決めていきました。

身体が命を作り始める頃に

妊娠発覚直前に行ったロンドン旅行では何も気が付かずビールを毎日飲んでいたのに、突然大好きだったお酒を絶つ生活も始まります。イタリアの美味しい(まじで美味しい、超美味しい)生ハムや加熱前のチーズも食べられません。エスプレッソを飲んで目を覚ます生活が日課だったのに、カフェインも多く摂取することはできません。
「それでもその分自分は子どもと会えるという経験が出来るんだ」と思えばそれほどひとつひとつが辛いわけではないですが、自分の人生において妊娠を境に「自分の身体を最優先にする」ということに一気に大きな舵を切らねばならない、それ自体はとても自分にとって大きなことでありました。

妊娠が発覚してから約2週間は、驚くほどトイレが近くなったこと、薄っすら気持ち悪いことを除けば普通に生活ができていました。
料理も出来るし、普段通りの予定をこなすことはできました。直後に予定していたジェノヴァ遠征とシエナ旅行は、同行する友人に妊娠を伝え少し旅程を短くして無理のない範囲で決行しました。
シエナに一緒に行った日本人の友人は私の足を冷やさないためにあったか靴下を持ってきてくれたり、ノンカフェインの紅茶の茶葉を持ってきてくれたりして、彼女の優しさに触れてとても良い旅になりました。

街全体が小高い丘の上に

「あんなにも辛い生理痛と長い間戦ってきたんだから、私はつわりが軽いのかもしれない!」と期待しました。でも、その期待は呆気なく散ることとなりました。要は私の身体は女性ホルモンの処理能力が低いんだろうと思います(知らんけど)。

妊娠7-8週目(妊娠発覚から3週間前後)から徐々に不調の日が増えてきました。とにかく気持ち悪くて動けない。予定があるなら行くことはできるけど、ミーティングがあるなら出席はできるけど、他の時間はなるべく家にいたい。家にいる間はなるべく横になっていたい。においにどんどん敏感になっていき、冷蔵庫を開けたくない。野菜が切れない。出来ないことが日々増えていきました。

つわりのピークと呼ばれる妊娠9-11週目(妊娠発覚から1カ月後くらい)はついに誰かに何かを誘われても外に出られなくなりました。とにかく気持ち悪くてベッドに横になるしか選択肢がなく、スマホを見るのも精一杯。楽しみにしていたクラブのイベントも連日キャンセル。きっと森に行けば私のメンタルは回復するのだろうと思い行くか悩みましたが、車で山道を登っていくのを耐えられる三半規管が私には残っていませんでした。
味覚の嗜好も変わり、あれほど毎日パスタを好きで食べていたのに、私の内に眠っていた大和魂が目を覚まし、とにかく出汁の香る和食を欲しました。梅干しが食べたいのに手に入らず、韓国スーパーで見つけた湖池屋の梅味ポテトチップス(一袋3€、約500円)で母国を感じました。イタリアに来てから、初めて本気で日本に帰りたいと思い泣きました。コンビニに行きたい、3€で牛丼が食べたい、8€でラーメンが食べたい、あったかい湯船に浸かりたい。もずく、冷ややっこ、大根、白菜、紫蘇や茗荷、冷やし中華、かまぼこ、いなり寿司、さばの味噌煮、薄切りのお肉たち・・あぁ、会いたいよみんな・・

これもお酒の話と一緒で、身体はとても辛かったけど、私の場合はそこだけ切り取れば耐えられるくらいの話なのです。妊娠悪阻と呼ばれる、栄養を摂取できず入院して点滴を受けなければいけないほどのつわりではなかったし、日々やれることを見つけて、できることをやって、できないことは夫や周囲に助けてもらう、という生活でした。
※こちらも全く存じ上げない方ですが、妊娠悪阻+働く女性の壮絶な日々をこちらで読むことが出来ます。


何を恐れて過ごしているのか

私が妊娠初期で最も辛かったのは、「流産の恐怖」と、「安定期までまわりに言えない(らしい)こと」の2つでした。

妊娠初期が最も流産の確率が高いそうです。大切な友人や会社でとてもお世話になっていた先輩も流産を経験されていて、他にもいくつかそのような話を聞いており、「身近でも起きることなんだ」というイメージは何となくありました。
でも、恥ずかしながら、「妊娠初期に起こる流産は染色体異常が原因で母体の行動が原因であることは稀」ということは私は妊娠するまで知りませんでした。(妊娠初期(特に12週未満)に起こる流産の約80〜90%は、胎児側の染色体異常(先天的な遺伝子の問題)が原因とされているそうです)
流産を経験された会社の先輩が、ご自身が妊娠発覚しても気にせず働き続けていたことを強く後悔して私にも助言してくれていたことや、先述の恋空のイメージもあったのかもしれません。

妊娠が発覚してしばらくしてからは、私の身体の中に命が宿っているのに、その命が続いているのか、それが生きているのかを知る方法は健診でエコー検査を受ける以外ありません。
最初の健診で、心拍を確認してもらいますが、生理が来なくなって検査薬で陽性が出てから心臓の音が聞けるまでは約2週間。おなかの中の命の心臓が動いているかも分からないのに、人に私は妊娠したという事実を伝えて良いのかもはや分かりません。でも、伝えないと自分の身体を守れない状況はいくらでもあります。クラブの代表チームでエントリーしていたスプリントリレーは直前に他のメンバーに交代してもらい、他のエントリーしていたレースは全部歩きました。とても目立った。(トレイルOは妊婦でも活躍できる最高の種目です。)

心拍を確認してから、命を確認できる次の機会までは私の場合は4週間空きました。日本では妊娠初期は2週に一度が受診の目安だそうですが、この国では4週でした。それはそれは長い時間でした。おなかの中の子が生き続けてくれるのか、本当に不安でいっぱいの日々でした。
私は妊娠してから、妊娠・出産を学ぶためにベネッセの雑誌『たまごクラブ』をKindleで購読しました。また、その雑誌が配信しているアプリ『たまひよ』をスマホに入れています。このアプリは、同じ出産予定月の方々が匿名で集えるルームという名のSNS機能が付いており、出産予定月が同じ人たちが妊娠状況をそれぞれ思い思いにつぶやき発信をしています。
そのルームでも、ぽつぽつと「出血しました」(流産の兆候として出血があるらしい)、「心拍が動いていませんでした」、「流産と診断されました」、という報告が書き込まれていきます。

この私のお腹の中に来てくれた命とお別れする可能性は十分ありながら、私は自分の身体を必死に守ります。日々身体が変化し、私の摂取した栄養と、日々を生きていく気力と体力を総動員して身体の中で命を生成していきます。
「もし流産することになったら、それと向き合って、妊娠を報告した人にもそれを伝えないといけない」と考えると、どこまで誰に伝えるかは慎重になってしまいます。安定期に入るまで、親にも伝えない方もいらっしゃるそうです。
何となく、もし流産したら「母親失格」みたいに思われるんじゃないかという思いが過ぎります(決してそんなことはあり得ません)。つわりに1人孤独に向き合ってきたであろう、安定期までそんなそぶりも見せなかった先輩方の背中が目に浮かびます。私はこの時期に妊娠を打ち明けて、何度か相手の無知から生じる反応に仕方ないとは分かっていながら悲しくなったこともありました(私も妊娠前は同じことを言ってしまっていたかもしれません)。
まだこの時期はまわりの人に伝えたくないという女性たちの気持ちはすごくよく分かります。

でも、つわりの個人差は大きいとはいえ、辛いつわりに耐えながら、自分の身体を必死に守りながら、人にも話せない、さらにはその状況で働いている女性が多い社会それ自体に、これから変わっていってほしいなと願います。
生理痛を受け入れようとしている、受け入れられる社会だったら、きっと同じように、もっと妊娠初期に対する意識も変えられるんじゃないかなと感じます。
「流産する可能性があるから言えない」のではなく、「流産する可能性があるからこそ言わないといけない」と感じます。もし自分が今も日本の会社で働いていたら、受動喫煙したくないので4月の歓迎会は禁煙のお店で!とタバコ大好きなおじさん達に言えていたかは怪しいです。

安定期も、12週からという説と16週からという説と2つを読みました。自分の年齢での12週以降の流産確率と16週以降の流産確率を調べて、医師とも話をして、私は12週から安定期(?)と捉えようと考えています。でも実際は安定期なんてなくて、妊娠は常にリスクと隣り合わせです。

なんで「まわりの人への妊娠報告」は18週なの?


安定期になったら周囲に妊娠を伝える文化、滅びればいいのにと思います。夫婦でお腹の中の命と向き合って、周囲に伝えたい、伝えなければならないと思った各々のタイミングで伝えられるようになればいいなと思います。
流産も、それはもう一定の確率で起こってしまう避けられないことだし、もっと社会全体が流産を受け入れられるといいなと感じます。むしろ、命は儚いことを知ることができる、大事な機会であり、夫婦だけでひっそりと悲しんで見送るには重すぎる事実です。そういった方々に浴びせられる心ない言葉や視線が一切なくなり、流産の可能性が高い妊娠初期でも周囲に打ち明けられる環境になることを願います。

私には何の力もありませんが、願うだけでは誰にも伝えることは出来ない、誰か1人にでも伝わればいいなと思ったので、この記事を書くことにしました。
以前も自分の重い生理痛についてSNSで軽く発信したことがあるのですが、主に後輩から同じような悩みを相談してもらうことが何度かありました。
もし、身体のことで悩んでいる方がいたらいつでもLINEくださいね。話を聞くことしかできないけど、私はいつでも話を聞きます。

きっとこの後出産できたらこれから、産後うつ、出産後の生理再開、しばらくしたら閉塞に向かう更年期など、様々な女性としての身体の変化に対峙していかねばなりません。「女性にしか分からないこと」として口を閉ざすのではなく、女性にしか分からないからこそ言葉にして伝えられればと思っています。

出生前診断について

一番書きたかったことは書きましたが、最後に、少しだけ出生前診断(NIPT)のことに触れて終わりにしようと思います。
出生前診断は、2013年から本格的に導入された比較的新しい診断で、血液検査だけで胎児の遺伝子異常が妊娠初期〜中期の段階で統計学的に検査し、そこで陽性であれば更に詳しい検査をして出生前に診断が出来るというものです。
私は先述の通り妊娠に関して無知だったので、この診断のことも『たまごクラブ』を読んで知りました。
イタリアでは割と検査を行う方が一般的のようで、私はプライベート(保険適用外)の病院で500€程度で検査を行いました。

この検査では、妊娠後期までしか胎児が生きられない可能性が高い13,18トリソミーという遺伝子異常と、21トリソミー、いわゆるダウン症の子どもが産まれてくる可能性を検査します。他にも産まれてこないと分からない先天性異常のリスクはもちろんあることを理解した上で、この検査を受けるかどうかの判断を行うことになります。

13,18トリソミーだった場合は母体に負担がかかりそれ以降の妊娠に影響が出るというリスク、そして私たちは引き続き海外生活の中で出産や子育てを考えていることもあり、大きな病気を抱えた子どもを産むことは彼の仕事も含めて大きく影響をすると考えて検査をすることとしました。

しかし、もし陽性だった場合、ここまで自分の身体の中で必死に育ててきた命を自らの手で手放すかの決断を迫られる可能性があるということです。
また、イタリアの法律では22週まで待たないと手術をすることは出来ず、結果を知ってから2ヶ月強は一緒にお腹の中で過ごしてから別れを告げなければならないと説明を受けました。
想像するだけでもその絶望感は果てしない。技術の進歩が、救った多くの人生もあるだろうがその裏に多くのどうしようもない悲しみも生んでしまっているように感じます。

少し前の結局安定期っていつなんじゃい、の話に戻れば、妊娠16週にもなれば出生前診断の結果も出揃う頃なので、その結果も受けた上で最近は妊娠16週が安定期という話に変わってきているのかなと勝手に想像したりしています。
「自分が病気の子どもを産めないから別れを決断したと周りに言えない」から、それを全てひっくるめて流産と表現したくなるのは、それはそうだろうな、と感じます。

私の大切な友人は、妊娠後期でダウン症が発覚し、もう決断するには遅いタイミングでその子が産まれてきました。産まれた時からNICUに入り多くの病気や手術を乗り越え、たくさんたくさん愛情を注いで子育てをしています。私には見せないだけかもしれませんが、彼女と旦那様はとても強く気高く、そして何より子育てを楽しんでいるように見えます。
友人のお子さんが、彼女たちのもとに生まれてきて良かったと心から思います。
私も、その子と彼女をこれからも遠くから愛して、必要ならばいつでも寄り添える人でありたいと心から思うのでした。


この記事を公開する今は安定期な日々にも慣れてきて、特に妊娠していることを隠さず生活をしています。そもそもおなかも目立ってきたし。
でも、先月は1回血液検査でサイトメガロウイルス感染症の陽性が出て、その頃はそれでまた不安でいっぱいになってこの記事を出すまでには至りませんでした。結局、再検査して偽陽性だったので安心しました。まだまだこれからも何が起こるか分からないなと、少しだけ緊張感のある日々を過ごしています。

だいぶ長くたくさん書きました。同じような悩みや思いを抱える誰かの助けになりますように。では。


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