ドゥブロヴニクの次に選んだのは、なぜクラクフだったのか|南欧と全然違う、ポーランドという答え
夕方6時のクラクフ中央広場(Rynek Główny)。
煉瓦色の旧市庁舎の塔に、夕日がゆっくり当たっていく。 白い馬が引く馬車が、石畳の上をカタカタと音を立てて通り過ぎた。
私は、ベンチに座ったまま動けなくなっていた。

🌇 ドゥブロヴニクの「熱」と、クラクフの「静けさ」
前回のクロアチア・ドゥブロヴニクの旅から、私は鉄道とバスを乗り継いでポーランドのクラクフに来ていました。
ドゥブロヴニクは、太陽と海とオレンジ色の屋根の街でした。 歩いているだけで体温が上がる、あの南欧特有の熱量。
でもクラクフに着いた瞬間、空気が変わったんです。
クラクフ中央駅(Kraków Główny)を出ると、目の前にはガラス張りのモダンな駅舎。 そこから5分歩くだけで、計画都市みたいに整った並木道が現れる。
「あ、ここはちゃんとした街だ」 私が最初に思った言葉でした。
韓国でも日本でも、私はずっと「ちゃんとしている」ことの圧に疲れていたはずなのに。 クラクフの「ちゃんと」は、なぜか息苦しくなかった。





🚶♀️ 治安の良さに、ようやく肩の力が抜けた
正直に言います。
20カ国を旅した中で、ひとりで「夜9時に歩いていて怖くない街」って、そんなに多くないんです。
ヨーロッパでも、観光地ほど夜は気を張る。 スリ、客引き、酔っ払い。 私は韓国人ですが、アジア人女性ひとりへの視線って、どうしても感じる場面はある。
でもクラクフは、違いました。
夜8時、聖ペテロ&パウロ教会の前で開催されていたクラシックコンサート(Golden Classical Music Concerts、80PLN = 約3000円)に行ったときのこと。
教会の中は、シャンデリアの光と、バイオリンとチェロの音だけ。 バラ柄のドレスを着た女性奏者たちが、ヴィヴァルディの「四季・夏」を演奏していました。
終演後、夜10時近く。 ひとりで歩いて宿に帰ったんですが、街は静かで、でも人の気配は消えていない。
韓国のソウルや日本の東京の「安心感」とは、また少し違う。 "監視されている安心"ではなく、"成熟した街にいる安心" とでも言うか。
これが、私がクラクフで初めて感じた感覚でした。

🏰 ヴァヴェル城で考えた「歴史を抱えた街の品格」
朝、ヴァヴェル城(Wawel)に登りました。
ルネサンス様式の中庭に立った瞬間、息を呑みました。 3層のアーチが整然と重なり、柱の一本一本に時間が染み込んでいる。
ガイドの女性が、こう言っていました。 「ポーランドは何度も国を失いかけた。でも、クラクフは戦争でほとんど壊されなかった、奇跡の街なんです」
その言葉が、ずっと耳に残っています。
韓国も日本も、戦争で多くを失った国です。 韓国人として育った私は、「失ったものを取り戻す」物語を、子どものころからたくさん聞いてきました。
でもクラクフの空気は違った。 「失わなかったものを、丁寧に守ってきた」街の空気でした。
派手じゃない。観光地特有の媚びもない。 でも、そこに立っているだけで、街がこちらに語りかけてくる感じ。
🍖 そして正直に言うと…ポーランド料理は、私には少し重かった
旅に「全部最高」なんて、嘘になるから書きます。
クラクフ名物のゴロンカ(Golonka、豚すね肉のロースト)を食べに行きました。
骨付きの大きな塊肉に、こんがり焦げた皮、横にはマスタード、ホースラディッシュ、フライドポテト。 見た目は最高に美味しそう。実際、最初の3口は本当に幸せでした。
でも、半分食べたあたりで、正直白旗を上げました。
韓国人の私は、キムチや酢の物で口をリセットしながら肉を食べる文化で育っています。 日本に来てからは、漬物やお味噌汁がそれを担当してくれていた。
ポーランド料理は、ジャガイモ、肉、クリーム、バター。 どれも美味しいんです。でも、口の中をリセットしてくれる「酸味」や「軽さ」の設計が、私の舌には少なかった。
これは、悪口じゃありません。 「自分の舌は、思ったより韓国人のままだったんだな」 という気づきです。
20歳で日本に来て、「私はもうグローバルに生きていける」と思っていた21歳の私は、クラクフのレストランで、自分の中の根っこを久しぶりに思い出しました。

🎻 クラクフが私に教えてくれた3つのこと
①「整っている」は、息苦しさじゃなく、安心になる ちゃんとしている街は、人を緊張させるものだと思っていた。 でも、本当に成熟した街は、ちゃんとしているのに、人を緩ませる。
② 守られてきた歴史は、街の「品格」になる 派手な観光より、静かに守られてきたものの方が、深く心に残る。 これは、人にも当てはまるんじゃないか、と思っています。
③ どこへ行っても、自分の根っこは消えない むしろ遠くに来るほど、自分の中の「韓国人としての舌」「日本で鍛えた感覚」が、はっきり輪郭を持って現れる。 旅は、自分を消す行為じゃなくて、自分を確かめる行為なんですね。
クラクフ滞在中、私はもうひとつの計画を立てていました。
この街の郊外には、ヴィエリチカ岩塩坑(Wieliczka Salt Mine)と、アウシュヴィッツ強制収容所(Auschwitz-Birkenau)があります。
「観光地」とひとくくりに呼ぶには、あまりに重い場所。 でも、クラクフまで来て、行かないという選択は、私にはできませんでした。
その2つの場所で私が見たもの、感じたことは、次回の記事に書こうと思います。
あなたが旅で「この街、好きだ」と思った瞬間は、どんな場面でしたか? 派手な観光地ですか?それとも、こういう静かな街ですか?
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