余市ウイスキーについて調べたら、個人開発者として勉強になった話
8月の頭に、お店でシングルモルト余市のハイボールを飲みました。

ジャパニーズウイスキーを一通り飲んでみたいなと思っていて、余市があったから頼んだ。それだけの理由です。
正直な感想を書くと——そんなに、めちゃくちゃうまいとはならなかったんですよね。
美味しいは美味しい。でも、癖がめちゃくちゃ強い。炭の味が結構するな、という印象だけが残りました。
それから数日して、僕は同じ余市を、今度は酒屋さんでわざわざ買って飲んでいます。
そして、味が全然違った。
液体は同じです。僕の舌も同じ。変わったのは、その数日のあいだに竹鶴政孝さんという人の物語を知ってしまったことだけでした。
きっかけはYouTubeでした
最初の一杯のあと、なぜかウイスキー自体への関心が出てきて、YouTubeで調べるようになりました。
そこで「余市蒸溜所」を知ります。作ったのは竹鶴政孝さん。朝ドラ『マッサン』のモデルになった人です。
名前は聞いたことがありました。でも、何をした人かは知らなかった。
追いかけるうちに気づきます。これ、ウイスキーの話じゃないな、と。
個人開発者が読むべき、ストーリーテリングの教科書でした。
一冊のノートから始まっている
1918年。竹鶴さんは勤め先の摂津酒造の命で、単身スコットランドへ渡ります。目的はひとつ。本物のウイスキーの作り方を持ち帰ること。
グラスゴー大学で有機化学と応用化学を学びながら、蒸留所を回ります。「実習させてほしい」と頼み込んで。エルギンのロングモーン、キャンベルタウンのヘーゼルバーン。
2月から4月の実習で書き残したのが『竹鶴ノート』。大学ノート、2冊。
中身がすごい。仕込みから蒸留、樽詰め、そして販売方法まで書いてある。作り方だけじゃなく、売り方まで持ち帰ろうとしていた。

ところが、日本に戻った竹鶴さんを待っていたのは中止の知らせでした。不況で、ウイスキー計画そのものが消えていた。
命じられて海を渡り、頼み込んで現場に入り、2冊のノートに全部を書き写して帰ってきた。それが、行き場を失う。
想像すると、けっこうきついです。自分が世界で一番詳しいはずのことを、誰も必要としていない。個人開発でも、たまにこの感覚に近いところへ立たされます。
10年、他人の会社で理想を我慢する
1923年、竹鶴さんは寿屋——いまのサントリー——の鳥井信治郎に招かれます。日本初の本格ウイスキー蒸溜所、山崎。その初代工場長になりました。
でも、契約は10年。しかも山崎は、理想の土地ではありません。彼が作りたいウイスキーには、もっと冷涼な気候がいる。
1934年、契約満了。竹鶴さんは寿屋を辞めて、北海道へ向かいます。
ノートを書いてから、16年が経っていました。
余市を選んだ理由が、全部「味」に向いている
竹鶴さんが選んだのは、北海道の余市。理由はこうです。
年平均気温8℃の冷涼な気候。スコットランドに近い
日本海から吹く潮風
余市川の伏流水(清冽な軟水)
石炭が安く手に入る
最後のひとつが効いています。安い石炭が手に入るから、石炭直火蒸溜ができる。
温度管理が難しく、手間もかかる製法です。だから世界中の蒸溜所がやめていきました。余市蒸溜所は、いまも続けています。世界で唯一です。
便利な土地を選ばなかった。売りやすい場所でもなかった。味に必要なものだけで、場所を決めている。
僕が最初の一杯で「炭の味がするな」と思ったもの。あれは、その選択の味でした。
りんごジュースで食いつないだ
ここがいちばんグッときました。
ウイスキーは、作ってすぐ売れません。樽で何年も寝かせないと商品にならない。つまり、会社を作ってから数年間、社員を食わせる金が入らない。
そこで竹鶴さんは、余市の名産だったりんごでジュースを作りました。社名も「大日本果汁株式会社」。資本金10万円。
ここで普通なら、安く作って数を売ります。
でも竹鶴さんは、果汁100%のジュースしか売らなかった。1本30銭。
同じ頃、他社は「果汁入り清涼飲料」を6銭で売っています。5分の1の値段です。
結果、あまり売れませんでした。
食いつなぐための商品ですら、品質を落とさなかった。というより、落とせなかったんだと思います。
1940年、ようやく最初のウイスキーが出ます。社名の「日」と「果」を取って、ニッカ。

ここまで知って、純粋に「欲しい」と思った
全部知ったとき、僕が思ったのは「へえ、いい話だな」ではありませんでした。
純粋に、欲しいと思ったんですよね。
店で飲んで「癖が強いな」で終わった、あのウイスキーを、です。
それで酒屋さんまで買いに行きました。飲んだら、感じ取れるものが違った。
石炭の味は、やっぱりします。でも今度は「あ、これが石炭直火か」になる。同じ味なのに、意味が変わっている。
そして、それまで拾えなかったものが出てきました。フルーティーな、リンゴっぽい果実感。
りんごジュースで食いつないだ会社のウイスキーから、リンゴを感じたわけです。出来すぎですけど、本当にそう感じました。
味が変わったんじゃない。僕が変わった
液体は1ミリも変わっていません。変わったのは、受け取る姿勢でした。
最初の一杯は「うまいかどうか」を判定しに行っていた。2杯目は「この人が何を作ろうとしたのか」を受け取りに行っていた。
同じものを飲んでいるのに、拾える情報量が全然違う。
物語は、味を良くしない。受け取る解像度を上げる。

物語が売れすぎて、商品が消えた
これ、僕だけの現象じゃありません。
2014年9月、NHKの朝ドラ『マッサン』が始まりました。結果、ブランド『竹鶴』は前年比300%超。他のブランドも150%増。
そして翌2015年8月、シングルモルト余市の10年・12年・15年・20年が終売になります。原酒不足。売れすぎて、寝かせてある在庫が尽きました。
余市10年は2022年に復活します。ただし価格が違う。終売前は4,500円ほど。復活後は8,800円。年間供給は9,000本。市場では3万〜5万円で取引されることもあります。
味は変わっていません。変わったのは、物語を受け取った人の数です。
この物語が効く理由を、分解してみた
なんでこんなに効くんだろう。分解すると、2つに絞れます。
1. 敵がいない
悪役が出てきません。鳥井信治郎とも円満に別れている。
竹鶴さんが戦っているのは、人ではなく制約です。不況、契約期間、気候、時間。
制約は誰にでもある。だから読む側が、自分の状況を重ねられる。
2. こだわりを、言葉で説明していない
竹鶴さんは「品質にこだわっています」と一言も言っていない。選択で見せています。
余市という不便な土地を選ぶ
世界が捨てた石炭直火を続ける
つなぎのジュースを、5倍の値段で出す
どれも損な選択です。損をしているから、本物だと伝わる。
「こだわり」は、書くと嘘くさくなる。捨てたものを見せると、伝わる。
じゃあ、僕らのプロダクトは?
余市ができるまでの過程って、別に成功続きじゃないんですよね。
計画が消える。10年待たされる。理想の土地に来たのに売るものがない。高すぎるジュースが売れない。うまくいかなかった時間のほうが、圧倒的に長い。
それなのに、これだけの人を惹きつけている。というより、うまくいかなかった時間があるから惹きつけている。
個人開発をしていると、つい機能表とスクリーンショットで勝負しようとします。でも、機能はコピーされます。UIも真似される。AIがあるいま、そのスピードは上がる一方です。
コピーできないのは、一つのことを突き詰めていく過程だけ。だから、その過程を発信すること自体が資産になる。成功したところだけを切り取らずに、です。
そのうえで、自分に聞いてみてください。
あなたのプロダクトの「30銭のジュース」は何ですか。
売れないと分かっていて、それでも下げなかった一点。楽な道があると知っていて、選ばなかった選択。
それがあるなら、あなたのプロダクトにはもう物語があります。あとは、書くだけです。
何も出てこないなら、そこが伸びしろです。次に何かを決めるとき、「どっちが楽か」ではなく「どっちを後で語れるか」で選んでみる。
ただし、順番を間違えないでください。竹鶴さんは売るための物語を作っていません。全部「良いものを作る」ための選択で、物語はあとから他人が見つけたものです。
選択が先。物語は後。
逆をやると、すぐバレます。読む側は、驚くほど正確に見抜きます。
良いものを作れば分かってもらえる、は半分しか正しくない
最初の一杯で「癖が強いな」と思った僕は、間違っていません。ただ、受け取れていなかっただけでした。
良いものを作って、そこに至る過程を渡して、はじめて受け取ってもらえる。
だから今日も、突き詰める側と、それを書く側の両方をやります。
記事の内容を気に入っていただけたら、私の各種SNSをフォローしてくれると嬉しいです!
https://ren-hirasawa.vercel.app/ja
