そんな人生 50歳のわたしに残ったもの
30代の役者さんがテレビで自身の近況を話している。
若いな。と思う。いつのまにか、テレビに出る人はほとんど自分よりも若い年齢の人になっていた。プロ野球選手で、大ベテランと言われている選手だって、わたしの15歳ぐらい下だったりする。それに気づいた時に、自分の歩いてきた人生の長さにびっくりする。いつのまに。いつのまにこんなに遠くまで歩いてきていたのか。それはまるで登山をした時に、いつのまにか山頂に辿り着いていた時の驚きとちょっと似ている。
自分の年齢を考えた時に、もう20代、30代のようにはいかないな。と気づく。それはファッションだったり、体力だったり、時間をかけて学ばなくてはいけないことだったり、それはどうしたって抗えないことだったりする。文章を書くこともそうだ。もっと若いうちにちゃんと考えて、始めておくべきだった。と愕然とする。
では、自分が生きてきた道のりを考えた時、何も考えてこなかったのか、というとそうでもない。その時その時で、悩み、立ち止まり、考え、自分の中では最善の道を選んできたはずだ。必死に生き抜いてきた。手を抜かず、真面目に生きてきた。
今、わたしは自分の人生の中でも、一番楽しい日々を過ごしているように思う。一箱本屋のオーナーになったり、ZINEを制作して販売したり、夢だった学校図書館司書になったり、大好きな本をたくさん買って読んだり、全部自分の好きなことで、毎日がワクワクしている。
思春期の息子2人は壁にぶつかり、そのフォローは大変だが、もう何もわからない小さな子供ではない。自分たちで今後の人生を考えることができる。わたしができるのは、相談に乗って、見守って、事務的な手続きの手助けすることぐらいだ。彼らの「人生」で、わたしの「人生」ではない。その点ではもう手が離れたと言ってもいいのかもしれない。わたしはわたしの人生を考える時間ができたのだ。
それでも若い人を見ると、これから何でもやりたいことが制限なくできるのかと思うと羨ましくなる。人生まだまだ先の方が長い。と思っていたあの頃が羨ましい。あの頃、人生は長いと疑わなかった。その長さにうんざりした時すらあった。
今、自分の立っている足元を見てみると、何もないように見える。こんなに長く生きてきて、何も残っていないように感じる。何者にもなっていない、ただのおばちゃんだ。〇〇コーディネーター、〇〇専門家、〇〇研究家。そんな肩書きひとつもない。こんなに真面目に働いて必死に生きてきたのに。
でも、ふとした時に経験が滲み出る時がある。円滑に仕事ができるようなコミュニケーション力だったり、危機管理能力だったり、思春期の子供たちへの理解はうつ病になった経験が活かされた。そういった経験はいつのまにか自分の体に染みついていて、時に自分を助けてくれる。
ふたたびテレビの中の若い役者をボーっとみる。若くて、可能性がたくさんあって、生き生きとしている。でもそう見えるだけで、彼らだって、今を必死に生きていて、先のことなんて考えていられないかもしれない。未来なんて誰にも予測できないのだ。
これでいいのだ。きっと。今、楽しいのだから。そんな人生をいつでも夢見てきた気がする。「何者かになりたい」より「毎日楽しく過ごしたい」とずっと願ってきた気がする。そしたら、なりたいわたしになれているのかもしれない。
とはいえ、限りある人生。これからはやりたいことは何でもやって、後悔しないように生きていきたい。いつでも「即行動」をモットーにしている。
何も残ってなくても、幸せな人生だった。と最後に言えるように、ここからは畳み掛けるように楽しんでいきたい。最高の思い出をたくさん残すことはできるのだから。
わたしが最後に残すもの、それは抱えきれないくらいたくさんの思い出であって欲しい。
そのために、一瞬一瞬を大切に、噛みしめながら生きていこう。
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