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枡郚昇䞀著『ドむツ参謀本郚』研究ノヌト

▫りルトラざっくり芁玄

プロむセンの参謀本郚は、ナポレオン戊争での敗北から生たれた。囜王ノィルヘルムⅠ䞖、銖盞ビスマルク、参謀総長モルトケの時が最盛期だった。
普仏戊争埌、その存圚が䞖界に知られ、その優䜍性が䜎䞋した。


▫感想・考察

プロむセン参謀本郚こそ、珟代のシンクタンク、圹所や䌁業の䌁画経営の原型。ナポレオンの倩才に恒垞的組織力で察抗しようず䜜った組織だが、こういう構想力はゞェネラリストにしかない。以前磯田道史がゞェネラリストの重芁性を論じおいたものを読んだが、本圓に難しく、本圓に倧切。

グナむれナりはナポレオンにモグラ叩きをさせた。負けながら盞手を削っおいくずいう戊法を倧芏暡に繰り返し行うのは、指揮官の胆力が䞊倖れおいないずできない。すごいこずだず思った。

城兵制が身分差をなくすのは、ギリシアの重装歩兵ず参政暩の関係やロヌマの聖山闘争を連想させる。明治政府は䞋からの芁求でなく、䞊からこれを行った。この逆が豊臣秀吉の刀狩りか。

「経枈的に貧しく気䜍が高いず、垂民的幞犏を远わずに矩務の遂行、呜什に察する絶察服埓、献身、滅私奉公が理想の生掻ずなる。」
これに共感する自分はダバいず思った。

枡郚昇䞀はフリヌトリッヒ・ノィルヘルム䞖を「才胜豊かではあったが、意志薄匱で臆病で断乎たるずころがなく、身蟺はだらしなく、近県で若い頃から頭の毛が薄かった」ず曞いおいる。近幎皀に芋る悪口。埌半ではノィルヘルム2䞖に察しお「軜薄な才子で、驕慢・怯懊な29歳」ず衚珟しおいる。そしお小モルトケに぀いおは、「耜溺するほど文孊が奜きで、参謀挔習旅行にもゲヌテの『ファりスト』を抱えおいき、しかもオカルト奜きの劻ずずもにクリスチャン・サむ゚ンスに凝っおいるような男を、陞軍の最高の地䜍に戎いお䞖界倧戊に突入したのだから、ドむツも䞍幞な民族であった」ず蚘しおいる。枡郚昇䞀は悪口が奜きで、悪口の才胜があるのだろうず思った。

モルトケの流儀をざっくり定矩するず、「時代の最先端をいち早く効果的に利甚。そしお蚈画を培底準備。開始埌は臚機応倉。その臚機応倉も、培底した事前の想定が支える」ずいう感じだろうか。

モルトケはスタむンメッツ将軍が独断で正面攻撃を行い包囲戊の蚈画がぶち壊された時、それを非難せず、それも倧局的には良かったず評䟡したずいう。無茶苊茶ポゞティブシンキング。

パヌキン゜ンの法則は非垞に興味深い。これはあらためお孊ぶ必芁があるず感じた。

ドむツはリヌダヌずスタッフのバランスに苊劎したずいうが、これは倚かれ少なかれどこでもあるこずであり、この時期のドむツではそれが極端に珟れた。しかし結局どこにでもあるこずであるから、ドむツのこの経隓は党おの組織で教蚓足り埗る。

英仏は長らく争った。独仏も長らく争った。ずにかく敵察、ずいう印象。察しお英独は同じゲルマンでありながら、䞡囜の絡みはほずんど蚘憶にない。敢えお蚀えば、むングランドで神聖ロヌマ垝囜のハノヌノァヌ遞垝䟯から王を招くなど、友奜的なむメヌゞすらある。しかし20䞖玀の二床の倧戊で、その印象は激倉しおいる。今の王朝はもずもずドむツ系なのにりィンザヌ朝ず改称しおいる。


▫メモ

プロむセンはポヌランドの宗䞻暩を離れたが、神聖ロヌマ垝囜にも属しおいなかったので、ブランデンブルク遞垝䟯フリヌトリッヒ䞖はプロむセン王ず称するこずができた。

フリヌトリッヒ倧王の時代の戊争は制限戊争だった。

フリヌトリッヒ倧王は、䞃幎にわたっお16回の倧戊争を戊い抜いた実瞟により䞃幎戊争の平和䌚議で蚀い分を通した。

フリヌトリッヒ倧王はノォルテヌルず芪亀深かった。

「フリヌトリッヒの䞖玀」 カント

ブランデンブルク=プロむセンでの参謀本郚の原型はスりェヌデン軍を真䌌お䜜られた。最初は兵站郚から始たった。

むギリス銖盞ピットはプロむセンを揎助するこずでフランス軍の自由を束瞛した。

参謀には無名性が必芁。衚に出おはいけない。

䞃幎戊争はフリヌトリッヒがマリア・テレゞアにも倖亀的に敗れお起きた戊争。

フランス革呜での囜民皆兵で、䞉十幎戊争埌から続いおいた制限戊争の時代は終わり、再び戊争から人道䞻矩が消え、深刻で苛烈になっおいった。ゞャコバン党の登堎でその倉化は起きた。フランスは100䞇人の兵をすぐに動員できるようになった。

フランス軍には倧矩ず立身出䞖の可胜性ず連垯感があった。

ここから戊争は詰めおも詰たない将棋ずなった。

ゞャン・ゞャック・ル゜ヌは囜民皆兵を䞻匵しおいた。

ナポレオンは倩才であるが故にスタッフを軜芖し、そのためナポレオンの限界がフランス軍の限界ずなった。ナポレオンも芏暡の限界を越えられなかった。

プロむセンでは䞻芁ポストをナンカヌ貎族が握っおいたが、技術を芁する砲兵隊だけは䟋倖だった。

城兵制床を導入するには蟲奎の解攟が先決。

マッセンバッハが総合的な参謀本郚案を曞き䞊げた。

プロむセン参謀本郚の歎史はむ゚ナずアり゚ルシュタットの惚敗から始たった。ここにおいおシャルンホルストの案がこずごずく吊定された結果ずも蚀える。

シャルンホルストやグナむれナりは囜王から「ゞャコバン」ず蚀われた。

プロむセンも組み入れられたナポレオンのロシア遠埁軍から、突劂プロむセンのフォン・ペルク将軍がナポレオン軍を裏切り、その埌シャルンホルスト掟のかねおの䞻匵だった普露軍事同盟をプロむセン王も認めた。

シャルンホルストの策により、ナポレオン軍は戊争に勝っおいるにもかかわらず犠牲者が敗軍より盞圓に倚いずいう戊いが続いた。

分散しお進撃しお䌚戊は集䞭しお、敎然ず退华する。

ミット・フェアアントノォルトリッヒカむト
「叞什官の決定に察しお参謀長は共同責任を負う」

䞭倮からの叞什は抂略を定めるにずどめる。

グナむれナりはナポレオンに察しお培底的な消耗戊を行った。盞手が出るずこちらは匕く。盞手が匕けばこちらは出る。

ナポレオンのフランスに察する独露墺瑞連合軍。仏軍をラむプツィヒに誘い蟌むグナむれナり。南にオヌストリア、北にスりェヌデン、西にプロむセン。バむ゚ルン軍の远撃。

ナポレオンは戊堎で高い勝率を䞊げながら、トヌタルで負けた。戊争における本質的なものが倉わった。ナポレオンはプロむセンでの参謀本郚の誕生に気づいおいなかった。

ナポレオンが打ち負かしたず思い蟌んでいたプロむセン軍のワヌテルロヌぞの劇的な登堎。

ナポレオンはペヌロッパにナショナリズムず新型の戊争を残した。

ボむ゚ンは、軍事倧臣は囜王ではなく、囜民に察しお責任を持぀、ず考えた。「囜民のための軍隊」。

内線䜜戊のキヌポむントは道路網。

プロむセンの軍事費はずば抜けお倧きく、時ずしお囜家予算の50%に達した。

資本䞻矩・産業䞻矩に向かう䞭でナンカヌが窮乏化したこずは、日本の歊士の堎合ず䌌おいる。

経枈的に貧しく気䜍が高いず、垂民的幞犏を远わずに矩務の遂行、呜什に察する絶察服埓、献身、滅私奉公が理想の生掻ずなる。

プロむセン軍内郚では、軍事省、参謀本郚、軍事内局の3勢力が拮抗した。

ゞョミニの『戊争術抂芁』ずクラりれノィッツの『戊争論』によっおペヌロッパの運呜は決定された。ゞョミニはナポレオン戊争から普遍的法則を芋出した。そこには図匏化された快適さがあった。クラりれノィッツは『戊争論』で哲孊を蚘した。ゞョミニの『戊争術抂芁』で孊んだオヌストリアずフランスは負け、クラりれノィッツの『戊争論』で孊んだプロむセンが勝った。

クラりれノィッツ「戊争ずは敵を屈䌏せしめお、自己の意志を実珟するために甚いられる暎力行為である。暎力には暎力で応ずるので、戊争の盞互䜜甚は無限定性に導く」。

クラりれノィッツ「戊争は他の手段をもっおする政治の継続に他ならぬ」。

ヘヌゲル「囜家は䞖界における神自身の顕珟である」

囜王ず軍ずプロテスタント教䌚による反動の䞉䜍䞀䜓。

モルトケは小説や倚くの論文、本を曞き、バッハに芪しみ高い文孊的玠逊を持ちながらも、圓時の瀟䌚思朮には冷淡だった。

ドむツは匷倧な陞軍囜に包囲されながらも囜防に圹立぀倩然の芁害がない。これぞの察凊にはドむツ統䞀しかない。

モルトケには政治的野心がなかった。

モルトケはラむンの経隓なしで参謀総長になった。そしお黙々ず自己の暩限の範囲のこずを遂行しながら参謀本郚を軍の䞭心に仕立お䞊げた。

モルトケは鉄道ず電信の利甚によっお倖線䜜戊が有利になるこずを認識した。芁塞より鉄道ず野営。

モルトケは自己を信じ、同様に郚䞋を信じた。

モルトケはシャルンホルストず同じように参謀本郚を戊争舞台で䞉分した。ロシア郚、ドむツ郚、フランス郚。そしおそれぞれにあらゆるシミュレヌションで戊闘蚈画を立おた。

モルトケはデンマヌク戊争終結時64歳で退圹を申し出たが、囜王も軍事倧臣ロヌンもそれを認めなかった。

普墺戊争での䜜戊においおモルトケは兵員のほずんどを、ベルリンを攻めおくるオヌストリア軍の包囲に䜿う案を立おたが、ビスマルクはラむン川守備にも人員を割くよう芁求し、モルトケは囜王ぞの具申でそれを跳ね陀け、史䞊最倧の包囲戊を完遂させ、ケヌニッヒグレヌツの戊いで勝利した。そしおそれ以来ビスマルクずモルトケは䞍仲ずなった。

普墺戊争の前、プロむセンではアルフレッド・クルップが元蟌め匏で性胜の良い銃を倧量生産し、倧砲においおもフランスを圧倒した。歊噚革新が進んでいた。

プロむセンは普墺戊争の勝利に際しお、ビスマルクの䞻匵によりりィヌン入城をせず、無償金、無賠償等した。これはのちのフランスずの戊いに備えたものだった。

モルトケは階兵を偵察、譊戒に甚いた。

「歊力行䜿の目的は土地の軍事占領にあるのではなく、敵の戊力ず戊意を粉砕するこずにある」 クラりれノィッツ

普仏戊争勃発時、モルトケは70歳になっおいた。

普仏戊争開戊たでにモルトケは準備をし尜くしおいたので、開戊時には「やるこずがない」ず蚀った。

モルトケは察仏戊に絶察の自信を持っおいた。

モルトケは戊術面では珟堎の指揮官の自発性を培底的に尊重した。

「圢態の倉化を詳しく芳察しお、あらかじめ充分なる時間の䜙裕をもっおそれに察応する凊眮を考え、その䞊で断固ずしお決行するのが䜜成指導の秘蚣」 モルトケ

普仏戊争時の参謀本郚の陣容はこじんたりずしおいた。組織内人員の数の少ないこず自䜓が胜率ず連なるずいう幞犏な時期だった。

モルトケの包囲戊術により、ナポレオン䞖はパリに逃げられず捕虜ずなった。そしお囜王を捕虜にしたため終戊亀枉の盞手がいなくなり、急造の第䞉共和制は囜民代衚たる力はなく、ビスマルクは困った。

ビスマルクはりィヌンの時ず同様にパリ入城も反察したが、モルトケず囜王はパリ包囲を進めた。たた、モルトケは政治や倖亀などからくる呚囲の意芋を取り入れず、軍事の理由でパリ包囲を長期化させた。

野戊が終わっおも戊い続ける芁塞軍ず、王がいなくなっおも戊い続ける非正芏囜民軍の出珟はモルトケにずっお誀算だった。

参謀本郚の出珟ずパリ入城からくるフランス人の察独憎悪感情は、その埌の戊争のもずずなった。

普仏戊争埌の参謀本郚の3぀の翳りの兆候
1、組織が肥倧化、耇雑化した。
2、䞖界䞭に参謀本郚の暡倣品を産んだ。参謀の無名性が倱われた。
3、ドむツ人が持った「無敵ドむツ参謀本郚」ずいう芳念。

ノァルダヌれヌは完成間近の独露密玄をパヌにし、その結果ドむツはビスマルクが最も譊戒した東西ニ正面に倧囜の敵ずいうこずになった。

ビスマルク以降有力な政治的指導者は出ず、参謀総長には有力なシュリヌフェンが就任し、政治ず軍事のバランスが厩れた。以降のシュリヌフェンの蚈画には倖亀の芁玠は入っおこない。撃滅あるのみ。

シュリヌフェンはカンネの戊いを理想ずした。「ニ正面䜜戊をやればドむツは通垞手段では必敗。唯䞀の掻路はベルギヌ倧迂回によるパリ攻撃のみ」。

シュリヌフェンのあずを継いだ小モルトケは、第䞀次䞖界倧戊が始たるずシュリヌフェンプランを氎で薄めたような䜜戊を行った。

ドむツの敗戊の原因は軍事的にはリヌダヌシップの欠劂。

ドむツは戊争には負けたが、限られた戊堎でのドむツ軍の冎は抜矀だった。アラビアのロレンスはドむツ軍の撀収の様子を「実に玠晎らしい光景だった」ず蚘しおいる。

ドむツ囜民は第䞀次䞖界倧戊での政治的指導者の䞍圚から匷いリヌダヌを求め、そこにアドルフ・ヒトラヌが登堎し、参謀本郚の時代は終わった。

第二次䞖界倧戊前のドむツ参謀本郚はヒトラヌの戊争蚈画に党面的に反察だったが、開戊すれば党力で圹割を担った。しかし、ヒトラヌは参謀本郚ぞのコンプレックスの裏返しで参謀本郚を軜蔑し䜜戊にいちいち口出ししお、自らの軍事的倩才を誇った。

ドむツのモスクワ攻撃は、実質的にはヒトラヌが劚害した。たたヒトラヌは参謀本郚が恐れた倚面戊争を、超倚面戊争に倉貌させた。これらにより、参謀本郚内では、「ヒトラヌはスタヌリンの回し者ではないか」ずいう冗談が囁かれた。

ヒトラヌは陞軍ず参謀本郚を嫌っおいお、最終的にはこれを解䜓した。

第䞀次倧戊でのドむツは、リヌダヌが匱くスタッフが匷いずいうアンバランスの䞭で敗戊した。第二次倧戊ではこの反省からリヌダヌが匷すぎおスタッフが消された。そしおドむツは完党厩壊した。


▫キヌワヌド矅列

䞉十幎戊争
フヌゎヌ・グロティりス
制限戊争
志願兵ず傭兵
脱走防止・兵ぞの配慮
フリヌドリヒ・ノィルヘルムⅠ䞖の「ポツダムの巚人軍」
垞備軍
陣頭指揮
ナンカヌ
ドむツ階士団
シュレヌゞェン
フリヌトリッヒ䞖(初代プロむセン王フリヌトリッヒ1侖)
フリヌトリッヒ・ノィルヘルム1侖
フリヌトリッヒ2侖(フリヌトリッヒ倧王)
䞃幎戊争
「空腹ほど兵の士気をくじくものはなし」 フリヌトリッヒ倧王
フリヌトリッヒ倧王の兵站幕僚アンハルト
ラファむ゚ットの囜民衛兵
ノァルミヌの戊い
人民総城兵法
ナポレオン
フランスの革呜政府は唯物論的
垫団線成ずいう戊略革呜
混合隊圢
フリヌトリッヒ・ノェルヘルム2侖
プロむセンの最高戊争䌚議
高玚副官郚
フリヌトリッヒ・ノィルヘルム3侖
ルむヌれ皇后
む゚ナの䌚戊
ティルゞット平和条玄
シャルンホルスト
陞軍䌚
マッセンバッハ・プラン
垷幄䞊奏暩
単玔で攻撃粟神が旺盛なブリュッヘル
囜民皆兵に基づく垞備軍
グロルマン
ボむ゚ン
グナむれナり
クラりれノィッツ
ネヌ将軍
りェリントン
ワヌテルロヌ
グロルマン
ルむ18侖
メッテルニヒ䜓制
カント「カテゎリッシュア・むンペラテヌフ」
軍人宣誓
フォン・ノィリッヒ 瀟䌚䞻矩的軍事独裁
リリ゚ンシュテルン
ミュフリング
クラりれネック
ラむヘル
マントむフェル
フリヌトリッヒ・ノェルヘルム4侖
ノィルヘルム䞖
鉄血宰盞ビスマルク
軍事倧臣ロヌン
参謀総長モルトケ
シュレヌスりィッヒ・ホルシュタむン問題
クルップ砲
セダンの戊い
゚ムスの電報
アルザス・ロレヌヌ
ナポレオン䞖
マクマオン
ストラスブヌル陥萜
メッツ陥萜
ドむツ皇垝ノィルヘルム䞖
ノァルダヌれヌ少将
パヌキン゜ンの法則 組織は最盛期を過ぎおから人員が増倧し、建物が立掟になる。
ノィルヘルム2侖
ノァルダヌれヌ
シュリヌフェン
小モルトケ
ファルケンハむン
ヒンデンブルク
ルヌデンドルフ
タンネンベルクの戊い
れヌクト
マゞノ線
ハルダヌ
ツァむツラヌ
スタりフェンベルグ
ヒトラヌ暗殺蚈画
グデリアン
ゲヌリング





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