『レストラン』 −前編−
小川恵汰は安東小学校の3年生、家族4人で平屋の借家に住んでいる。
月曜日の学校、1時間目が終わり、10分間の休み時間に友達の和也が自慢げに言った。
「昨日、レストランで誕生日を祝ってもらったんだ。ハンバーグステーキが美味しくてさ、たまらなかったよ」
ハンバーグステーキって何だろう⋯
ハンバーグは知っている。ステーキも知っている。でも、ハンバーグステーキとはどんな形で、どんな味なのだろう。
僕は、知っているふりをして言った。「あれ、おいしいよね」
「お前、食べたことあるのか!?」
「あるよ。お婆ちゃんと高級レストランに行って食べたよ」
「じゃあ、どんなのか言ってみろよ」
困った。少し自分を大きく見せたかっただけなのに、思わぬ追及を受けてしまった。
その時、
「先生来たー」
その声に胸をなで下ろした。
✤ ✤ ✤
帰りの通学路。退屈な15分だ。
ランドセルを玄関に置くと、駄菓子屋へ走った。今日は、もろこし太郎、うまい棒のチーズ味、それに餅太郎を買った。
家に戻ると、宿題をしながら駄菓子を食べる。
しばらくすると、妹の花が再放送の『トムとジェリー』を見始めた。一緒に見ていると、台所からトントントンと包丁の音が響いてくる。
「ただいま」
お父さんが帰ってきた。
「今日は珍しく早いのね」
「ああ、納品が終わって一段落したからな」
いつの間にかテレビはニュースに変わり、久しぶりに家族4人そろって夕食を囲んだ。
「あのね、和也が誕生日にハンバーグステーキを食べたんだって。すごくおいしかったって自慢してた。ねえ、ハンバーグステーキって何?」
「何だろうな」と、お父さんが首をかしげる。「私もよく分からないわ。ハンバーグとは違うのかしら」お母さんも不思議そうに答えた。
僕は意を決して、言いたかったことを口にした。
「お母さん、お願い。来月の僕の誕生日は、和也が行った高級レストランでハンバーグステーキを食べたい」
お母さんは、ああ、やっぱり というような顔をして、お父さんを見た。
お父さんは、アジの開きを箸でつついたまま黙っていた。
「花も行くー」
✤ ✤ ✤
父・幸三と母・民子は、居間に布団を並べ、眠りにつこうとしていた。
「お父さん、恵ちゃんの誕生日のこと考えてる?」
「……ちょうど考えていたところだ」
「たまには連れていってあげましょうか?」
「そうだな。自動車のローンも終わったことだし、今年の誕生日は連れて行こうか」
「私も楽しみだわ。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
翌朝。
小川家の朝食は質素だ。麦飯にふりかけと黄色いたくあん、そして味噌汁。卵かけご飯が食べられるのは週に一度だけだ。
朝食の途中、お父さんが口を開いた。「恵汰、お前の誕生日は高級レストランへ行くことになったぞ」
「えっ!本当? 本当に連れていってくれるの?」
「そうよ。昨夜、お父さんと決めたの。私も楽しみだわ」
「やったー!本当なんだ! うれしい!ありがとう、お父さん!ありがとう、お母さん!」
お父さんは笑いながら言った。「高級レストランだからな。マナーってものがあるんだ」
「マナーって何?」
「ご飯を食べるときのルールみたいなものだ。みんなでマナーの練習をするぞ」
「マナー! マナー!」
花が陽気に声を弾ませる。
✤ ✤ ✤
お父さんがマナーについて調べてくれた。
・清潔感のある服装。
・ナプキンは着席後に膝の上へ広げる。
・姿勢よく座り、肘をテーブルにつかない
・ナイフとフォークは外側から順に使う。
・スープは音を立てずスプーンで飲む。
・口に食べ物が入ったまま話さない
・大きな声で話さず、周囲に配慮する
・ナイフとフォークは使い終わったら皿の上に揃えて置く
・途中で席を立つときはナプキンを軽くたたんで椅子の上へ置き、食事が終わったら軽くたたみ、テーブルの左側に置く。
・店員さんには丁寧な言葉遣いで接する
・美味しかったら、シェフにお礼と感想を言う。
「覚えられないよ〜」
こんなにルールがあるなんて思わなかった。ハンバーグステーキまでの道のりは遠い。
お父さんはシシャモをかじりながら言った。「まずは清潔感のある服装だ」
「恵ちゃんと花ちゃんは、この間の葬儀で着た服があるわね。私はワンピース、お父さんは?」
「俺は出張用のスーツだ。よし、服装はOK」
「次はナプキンだ。お母さん、タオルを」
「えー、ナプキンだよ」
「いいんだよ。タオルもナプキンも大して変わらない」
僕と花は正座して、膝の上にタオルを広げた。
「よし、OK。次は姿勢だ。肘はテーブルにつけない」
花は肘を浮かせるけれど、すぐに忘れて置いてしまう。お父さんも途中で諦めたようだった。「よし、今日はここまで。また明日練習しよう」
誕生日まで、夕食は毎日高級レストランの予行練習になった。
僕と花は音を立てずに味噌汁を飲み、口に食べ物が入っているときは話さないようにした。
ただ、ナイフとフォークだけは、なかなか上手にならなかった。
「いよいよ明日だな。うっかりしていたけど、ところでお店はどこだ?」
僕は和也が行ったお店の場所を説明した。
「⋯常盤公園をまっすぐ行ったところの交差点か?左側のお店か?」
「うん、そう言ってた」
「お父さん、その店知ってるの?」お母さんが言う。
「⋯いや、知らない」
「レストラン レストラーン♪」
花は楽しそうなリズムをつけて連呼している。
-後編につづく-

