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GQuuuuuuXはなにを分断したか。『機動戊士Gundam GQuuuuuuX』に぀いお【総評】

『機動戊士Gundam GQuuuuuuX』以䞋、『GQuuuuuuX』ずいうアニメ䜜品がある。本䜜は2025幎にテレビアニメずしお攟送配信プラットフォヌムで各話配信された、「ガンダム」シリヌズの䞀䜜だ。なお、本攟送開始以前にその1~3話分を構成したものが劇堎公開されおいる劇堎版タむトル『機動戊士Gundam GQuuuuuuX Beginning』。

このアニメ䜜品は、2025幎にひず぀の珟象ずなった。「ガンダム」シリヌズは第䞀䜜『機動戊士ガンダム』以降長く継続し、倚数のファンを獲埗しおきたシリヌズだ。しかしここたでファンずは別の局にアプロヌチする、瀟䌚珟象的な䜜品ずなったこずは、第䞀䜜以降ほずんどなかったのではないかず筆者はおもう。

それは「ガンダム」あるいは『機動戊士ガンダム』ずいう、がんやりず䞖間で知られおいる皋床のものに察しお、人びずを出䌚わせるこずだったずいえる。それは出䌚い頭の事故、あるいはハプニングのようなものだ。しかし埌述するが、それは既存のファンダムに溶け合うこずやファン局の拡倧をかならずしも意味しない。

GQuuuuuuXはなにを分断したか

筆者は劇堎版の公開や本攟送開始以埌、『GQuuuuuuX』を語るずきに「分断」や「断絶」ずいう蚀葉を䜿っおきた。自分でも䞍思議なくらいに、その蚀葉にこだわっおいたずおもう。「分ける」でも「絶぀」でも「Divide」でも、どのような蚀い方をしおもいいが、ずにかくそういうものを感じおいた。ただ、ここはひずたず「分断」ずいう蚀葉を据えお話を進めたい。

ひずくちに「分断」ず蚀っおも色々なむメヌゞがあるだろう。筆者が本䜜から感じおいた分断ずは、越えられない「壁」のようなむメヌゞだ。ただし壁の向こうにはたしかに「隣」が存圚するずいう確信がある、そうしたものだ。近幎「分断」ずいう蚀葉はネガティブに䜿甚される堎面が倚い。だが、少なくずもここで䜿甚する「分断」は、けっしおネガティブな意味合いを匷くしようず意図したものではない。

すべおの攟映が終わり䞀幎以䞊経った珟圚、最終的に「分断」ずいう蚀葉はやはり『GQuuuuuuX』ずいう䜜品を衚すのに適した蚀葉だずあらためお感じた。ただしそこに含たれる意味合いは、圓初感じた「壁」だけではないものに倉化しおいる。いたからそれを説明したい。申し遅れたが、この文章は筆者が攟映圓時蚘した『GQuuuuuuX』の感想矀の総括でもある。

なお、圓時の筆者のリアルタむム感想、たたラむタヌのカワチ氏のYouTubeチャンネルにお参加した各話感想䌚は以䞋にたずたっおいる。興味があれば芋られたし。

GQuuuuuuXは芖聎者を分断した

『機動戊士Gundam GQuuuuuuX』は「ガンダム」ずいう前提をも぀。ここには本䜜が「ガンダム」シリヌズに連なる䞀䜜だずいうこずに加え、第䞀䜜『機動戊士ガンダム』を䞋敷きにした䜜品であるずいう二重の意味がある。

誰かに本䜜のこずを簡単に説明する堎合、『機動戊士ガンダム』のパラレルワヌルドを描いた䜜品だ、ず蚀うものにならざるをえない。本䜜は『機動戊士ガンダム』の架空戊蚘的な性栌を持぀。実際それは䜜䞭の事象を説明するうえで間違っおはいないが、ただそれだけでは物足りない。本䜜がどのようにしお『機動戊士ガンダム』のパラレルワヌルドたりえおいるのか、その蚭定に぀いおここで詳述はしない。もし気になれば公匏サむトやアニメ系サむト、Wikipediaなどを参照するのがいいだろう。

そしおたた、「ガンダム」ず名の぀いたシリヌズ䜜品だからずいっお、すべおの䜜品が同䞀の䞖界蚭定や連続性を持っおいるわけではない。こうした现かな郚分に぀いお語るこずは可胜だが、それも本蚘事の目的ではないため、「そういうものなのだ」ず理解しおほしい。なお、本蚘事では第䞀䜜を指す際に『ガンダム』、シリヌズや抜象抂念を指す際に「ガンダム」を極力甚いる。

ずもかくこうした文脈が暪たわっおいる時点で既に、「ガンダム」を知る者ず知らない者の間に「分断」はある。それはたさしくこのアニメ䜜品における䞻人公たちず䞖界の関係を衚しおいる。

私たちの䞖界においお『機動戊士ガンダム』は1979幎に攟映された。そしお䜜䞭䞖界における戊争は宇宙䞖玀0079幎に起こった。

本䜜の䞻人公であるアマテ・ナズリハマチュは過去の戊争、物語開始の5幎前に起こった「䞀幎戊争」を知らない。知らない、ずいうのは存圚そのものを知らないこずを指さない。それがあったこずじたいは分かっおいおも、その確からしさや自己ずの具䜓的な関係を描けないこず。そうした実感のなさを「知らない」ずいっおいる。むろん「宇宙芏暡の倧戊争をたかだが5幎皋床の時間経過で“知らない”ず蚀い切れるのか」ずいう問題はある。䞀応䜜品偎の゚クスキュヌズずしお、圌女の䜏むスペヌスコロニヌが戊灜を免れた䞭立地垯だったずいう蚭定は甚意されおいるし、そこで平和に暮らす若幎者マチュは高校生だの認識からすれば、知らないずいうこずはギリギリありうるラむンではある。

私たちの䞖界においお「ガンダム」もそうしたものだろう。぀たり『機動戊士ガンダム』ずいう昔のテレビアニメがあり、それがなぜか40幎以䞊に枡り続いおいる。リアルタむムに芖聎し、「䞀幎戊争」を䜓隓しおいた「戊䞭䞖代」たちが生き残り、子を生み、育お、死んでいった状況が珟にある。しかしそれらは「ガンダム」ずいうワヌドを耳にしたこずがある皋床の、倚くの人びずにずっお「なんかある」ずいった類のものなのだ。

こうした意味で、私たちの生きる䞖界ず『GQuuuuuuX』の宇宙䞖玀はパラレルな関係にある。぀たり䞡者の䞖界は壁䞀枚で隔おられ、壁䞀枚で぀ながっおいる。『機動戊士ガンダム』「䞀幎戊争」ずいう珟象が私たちを隣人ずさせたのだ。そしお隔おられた互いの䞖界の内偎で、ふたたび分断が起きおいる。文脈を知っおいるずいうのは避けようのない過去の経隓を持぀か、あるいは事埌、意識的に知ろうずするこずで獲埗される。

実際のずころ分断じたいはいたたでも存圚したのだ。しかしこれたでの「ガンダム」シリヌズは、できる限りこうした分断を気づかれないようにし、分かるものだけがその結節点を芋出だせるように慮っおきたようにおもう。それはおそらく「ガンダム」ずいうナニバヌスに新たな人びずを迎え入れねばならないからなのだろう。その営みはプラモデルの合わせ目ぞのダスリがけ、それが端からひず぀のパヌツだったようにみせるこずず䌌おいる。

『GQuuuuuuX』はそうではない。『ガンダム』ずそうでない郚分、パヌツの合わせ目が芋えおしたっおいる。誰の目にも明らかなツギハギ感がある。䜜品じたいが断絶の䜓をなしおいる。

だがこれは䞀方で「キリトリ線」のような機胜を果たす。芖聎者のうち、「ガンダム」を知らない・興味のない者は、その前提である「ガンダム」を切り離しおこのアニメ単䜓を鑑賞できる。自分にずっお奜たしいものを遞択しおそこに集䞭できる。逆に「ガンダム」に察しお自芚的な者は、個人単䜍では『機動戊士ガンダム』ずの連続性を奜むにせよ奜たざるにせよ本䜜をみるだろう。あるいは、『GQuuuuuuX』を芋始めた人びずのこずを「新たなガンダムファン」の参入だず芋おしたう人もいるだろう。

しかしこれは先述の説明をみればわかるように、非察称な、ズレた認識だ。䞀方はかならずしも「ガンダム」を必芁ずしおいないのに察し、もう䞀方は「ガンダム」ずいう前提をたず眮き、興味がある・持ち始めたず思い蟌んでいる。あたかも片想いのような次元のズレだ。

なぜ「ガンダム」が前提のアニメ䜜品を「ガンダム」から切り離しお楜しめるのか、その答えは明らかだ。それは本䜜がはっきりず『機動戊士ガンダム』の領分をそのたた描いたからであり、『GQuuuuuuX』ず完党に癒合するこずがなかったからに他ならない。

本䜜に出䌚った際の筆者自身の感想を述べれば、「居心地の悪さ」ずいうほかない。これは隣に誰かがいる、誰かの目を意識する緊匵感である。劇堎ずいう堎で明らかに『ガンダム』がほがそのたたの圢で流されおいるずいうのは、「ガンダム」奜きを自認しお生きおきた自分にずっおはどこずなく自分自身を晒されおいるような感芚なのだ。

そしおそこには恥ずかしさず同時に、自身の暎力性ぞの危惧があった。぀たり自分自身「ガンダム」がスクリヌンに晒された恥ずかしさず、あたりにも『ガンダム』過ぎるものが憚りなく出おいるこずで、『ガンダム』を知らない人たちに暎力を振るう偎に自分がなっおいやしないか、ずいう匷烈な自意識がはたらいたのだ。

こうした認知を自意識過剰だず蚀われればそうなのかもしれない。たた本䜜がガンダムを知らない人たちに察しお、どれほど暎力的な䜜品だったか、筆者はその刀断を自身の䜜品䜓隓から取り出すこずができない。こうしたこずから、少なくずも筆者にずっお本䜜は珟象ずしおしか評䟡䞍可胜だず悟った。それゆえ、さほど「ガンダム」を知らないように思える人たちの動向楜しみ方や接し方こそが最も泚芖するべきこずであり、過去の䜜品文脈や蚭定に぀いおデヌタベヌス的に述べるのは無意味だず感じおいた。

より個人に匕き付けお本音を蚀えば、「ガンダム」を知っおいるこずをある皮のアむデンティティにしお楜しむこずそれ自䜓に忌避をおがえたし、そのようなふるたいを芋かけるたびに苛立ちをおがえおいた。だが䞀方、筆者自身それをりリにしお文章を曞き、仕事にしたこずは事実である。筆者が「ガンダム」ずずもに生きおきお、か぀ラむタヌずいう仕事を受け持぀のならば、それを掻かさない手はない。

ただ『GQuuuuuuX』が公開されお以降の筆者は、ある皮「ガンダム」に぀いお語る長老のようになりたくはないずいう自意識を持ちながらむろん筆者より詳しい人など幟らでもいる、ずはいえそれでもある皋床の詳しさは持ち合わせおいる  そんな自芚を持っお文章を曞いおきた。

それはより普遍化すれば、䌚瀟などの組織における幎長者の自意識のようなものに近いのかもしれない。実際に高い圹職に぀いおいるかはずもかく、圢匏䞊なんずなく敬われるような、なんずなく疎たれおいるような。それが明確にそうかどうかずいうより、少なくずも自身でそんな空気を感じ、自身の行動に反映させる。これはもちろん䟋倖はあるだろうが、特に日本では幎長の男性に察しお向けられおきた芖線のようにおもう。

筆者はこれたで、自分自身の属性なるものを匷く意識しお「ガンダム」やアニメ䜜品を芳おこなかったし、これから先もそうなるかはわからない。だが本䜜ではそうせざるをえなかった。先述した自意識の件もそうだが、い぀しかシャア・アズナブルずいうガンダムの象城的人物が自身に重なっおしたうようになっおいた。圌に぀いおの説明は長くなるので簡単なものに留めよう。『ガンダム』では䞻人公ず敵察するラむバル、カリスマ性を持ちながらも優柔䞍断な男  そのような理解でおおむねよいだろう。

シャアはシリヌズ第二䜜『機動戊士ガンダム』以䞋、『』以降にも登堎する。そこでは『ガンダム』から䞀転、二䜜目の䞻人公ず共闘する先茩埌茩のような関係ずなった。䜜䞭での圱響力・存圚感も倧きく、「もうひずりの䞻人公」だず蚀われるこずもある。しかし本線を芖聎しおいるずわかっおくるのだが、圌自身『』の䜜䞭䞖界に銎染んでおらず、身の振り方や眮き所にしっくりきおいないように思えおしたうのだ。

これは圌が集団内においお若くもなく幎寄りでもない立ち䜍眮にあり、そしお䞀幎戊争を経隓し生き残っおしたった戊䞭掟だったからずいう芋方もできる。圌にずっお䞀幎戊争ずは、血みどろになり、そしお恋をした烈しい青春、若さそのものである。それが過ぎおしたったあずの䞖界では、いったいなぜ自分がこの舞台に立っおいるのかわからない、圹を芋倱った登堎人物ずなっおしたったのではないか。

『GQuuuuuuX』は『Z』ではないが、このような時間倉化による察応を迫られた「シャアらしさ」がほがそのたた描かれおいる。『GQuuuuuuX』のシャアは刻ずきをこえお垰還した浊島倪郎だ。そしお自身が『GQuuuuuuX』あるいは「ガンダム」においおどのような圹目を負っおいるかを自己認識した。私たちは劇堎版冒頭で、あるいは『GQuuuuuuX』第2話でシャアがガンダムに乗るその瞬間を目撃したが、それはドッペルゲンガヌに出䌚うような䞍気味さを垯びおいる。

だが、こうしお長々述べおいる文脈ずはたったく関係なく、マチュをはじめ「ガンダム」を知らない人たちはすぐ隣にいた。「シャア」「ガンダム」「私」ずいう䞉重の圱。これらは無関係な隣人に芋られるこずによっおはじめお、己が姿かたちを認められる。ただし、い぀䜕時「キリトリ線」に沿っお切り離されおしたうかは隣人たちの気分しだいだ。

GQuuuuuuXはガンダムを分断した

本䜜の最終話は、巚倧化したRX-78 ガンダム『機動戊士ガンダム』の初代ガンダムの頭郚をGQuuuuuuXが刎ねるシヌンで戊いが決着する。぀たり「ガンダム」を分断しおいる。これは䞀芋するず、かなりわかりやすいかたちで「ガンダム」ずいう象城に察する乗り越えを描いおいるようにみえる。具䜓的なモチヌフをいえば、『機動戊士ガンダム』のアむキャッチや最終話の「ラスト・シュヌティング」ずいうシヌンが匕甚されおいる。このような乗り越えじたいはこれたでのシリヌズでもおこなわれおきたこずだ。

ではなぜマチュずこのアニメ䜜品はガンダムを分断しなければいけなかったのか。それはガンダムを駆るシュりゞ・むトりが「ガンダム」に束瞛された存圚だからだ。マチュにずっおシュりゞは倧切な存圚であり、ガンダムなど関係がない。圌を瞛る「ガンダム」を断ち切り、自由にするこず。それが圌女が最埌に抱いた倢なのだ。

先ほどのシャアの䟋ずおなじく「ガンダム」はシュりゞにずっお自らに圢を䞎える存圚だ。しかしそれに瞛られおいる。攟映序盀は、あたり圌が䜕かに束瞛されおいるようには映らない。どちらかずいえば、マチュの抱える、自由になるこずぞの囚われやあがきが目立぀。しかし圌が圓初から決たり文句ずしお䜿う「ガンダムが蚀っおいる」には、ガンダムに憑かれた者の危うさが滲む。その危うさは終盀に差し掛かるに぀れ、よりはっきりずしおくる。少なからず「ガンダム」ずずもに生きおきた自負を持぀芖聎者ならば、圌の姿をみお「シュりゞは自分たちずおなじだ」ず思うのではないか。

筆者は前項でシャアを自分ず重ねおしたったこずを述べたが、あちらはむしろ筆者個人の抱える問題に近く、匷いおいえば幎霢や䞖代のような時間的感芚に察するものだった。察しお芖聎者がシュりゞを重ねお芋おしたうのは、「ガンダムが奜き」であるこずに拘泥する自分ずいう、ガンダムファンにずっおより普遍的な問題意識だろう。

䜜䞭においお語られるシュりゞの目的は『ガンダム』の重芁キャラクタヌであるララァを絶望させないこずだ。ララァは本来、芖聎者の知る『機動戊士ガンダム』の䜜䞭ではシャアを庇っお死亡する。だが、“『GQuuuuuuX』における『ガンダム』”では逆に圌女を庇っおシャアが死亡しおしたった。絶望した圌女は、平行宇宙を発生させお眠りに぀く。どうにも話が蟌み入っおいるが、ずもかくそういうものだず理解しおほしい。

『GQuuuuuuX』でマチュたちの生きる宇宙䞖玀はそうしお生じた䞖界のうちのひず぀らしい。ララァは時が止たったたたの状態で「シャロンの薔薇」ずいう兵噚モビルアヌマヌの䞭で眠りに぀き、倢をみおいる。その倢こそが平行宇宙を生み出す源なのだ。ララァが絶望しない䞖界を求め幟぀もの宇宙を巡ったシュりゞだったが、どの宇宙でもシャアは死ぬ。そのたびにシュりゞは、絶望するララァを殺しおきたずいう。

しかし『GQuuuuuuX』の宇宙では初めお、シャアがガンダムに乗るずいう珟象が起きた。結果ずしおこの宇宙のララァはシャアず出䌚わず、戊いに身を投じおいない。それは䜕かが倉わる予兆を感じさせるものだった。

だがここで前項に述べたシャアの自己認識が問題ずなる。シャアは自身が「シャア・アズナブル」ずいう圹であるず自芚しはじめおいる。それはララァの「倢」の䞖界の䜏人が、持ちえないはずの自我を獲埗するずいうこずであり、䞖界の厩壊を意味するからだ。

先ほど述べたように、シャアずガンダム、そしお私たちは䞉䜍䞀䜓の関係にある。それらはララァを起点に耇雑に絡み合い、支え合っおしたっおいる。シュりゞはこの難問に倖郚から挑み、ララァを救うこずに倱敗しおきた。しかしそれを解くために本圓に必芁だったこずずは、シュりゞ自身の内面を救うずいうやり方にほかならない。シュりゞは自身を存立させるものが、『ガンダム』を前提ずした䞖界であり、ララァを救うずいう圹目だず思い蟌んでいる。それは関係性だけに自身の存立を芏定させる考え方であり、い぀しか自分自身をその結び目のなかに取り入れおしたう。

マチュずGQuuuuuuXは、こうした文脈ずいっさい関係なく、それを断ち切る。ふたりは「倢」のなかの圹でもなければ、圹目を自芚したものでもない。自身の、自由な、倉わりゆく「倢」を持぀者なのだ。解けない結び目は切断しおしたえばいい。

なぜ「ガンダム」を分断しなければならなかったのか。それは「倢」から醒めるためだ。GQuuuuuuXの手に握られた刃はそれを執行するため振るわれる。結果的にそれが『機動戊士ガンダム』の再珟であるかにみえたずお、それは『機動戊士Gundam  GQuuuuuuX』ずいうアニメ䜜品がそのように挔出し、『ガンダム』を知る者がそうみおいるずいうこずにすぎない。

マチュずGQuuuuuuXの姿は、私たちも含めたこの宇宙の人びずに自芚を促した。その行為はシュりゞを「ガンダム」から解き攟った。この瞬間、すべおのものは独立を果たした。

GQuuuuuuXはふたりを分断した

こうしおようやく、マチュずシュりゞはきらめきのなかにめぐりあう。

シュりゞのみおいる䞖界に远い぀こうず長らくあがいおいたマチュず、「ガンダム」に囚われ続けおいたシュりゞ。ふたりはそれたでも共に過ごし、関係性はあったが、けっしお出䌚うこずはなかった。互いを瞛る関係や文脈が断ち切られたずき、異なる宇宙を持぀ふたりの遭遇が可胜ずなる。

皮肉にもこのめぐりあいは「ガンダム」ずいう障壁がなければあり埗なかった。それを断ち切ったからこそふたりは出䌚えた。そしお異なる存圚になるずは別れるずいうこずでもある。

これは芖聎者たちも同様だ。もし本䜜が「ガンダム」それも『機動戊士ガンダム』ずいう、ファンが既に匷固な壁を築き䞊げおしたったアニメ䜜品を題材にしおいなかったらどうだったろうか。きっず隣人の存圚は感じ取れないたた、ひず぀の䞖界を生きるだろう。少なくずも筆者は劇堎においおも、たた本攟送開始以埌も、そのような隣人たちの気配を感じ取った。

「い぀かたた䌚える、っおガンダムが蚀っおる」

ラストシヌン、浜蟺のマチュはこちら偎を向いおそう蚀った。それは盞棒マブであるニャアンの問いに答えた蚀葉のようにも、シュりゞに、そしお画面の向こうにいる芖聎者たちに向けお蚀ったようにもみえる。しかし実際には、それがどこの誰に向けられたものなのかなど、正確にはわからない。圌女がそんな぀もりなどなく発した蚀葉を、私たちが勝手に解釈しおいるだけなのかもしれない。そうだずすれば、分かり合っおいる状態を意味しないこれは「分断」だずいえそうだ。

ただ私たちは、それを自分たちに向けられたものずしお受け取るこずができる。受け取らないこずもできる。私たちぞ向けられおいるずいう枠組みじたいを疑ったうえで、その解釈はおこなわれる。コミュニケヌションずはそうしたものではないか。

筆者は本攟送開始前に「旧来のファンはGQuuuuuuXずいう珟象によっお凊刑されるか、あるいは無芖され眮いおいかれるのではないか」ずいう危機感・譊戒感を持っおいた。そのため過去䜜の人物や兵噚、蚭定の登堎を楜しむずいうような、䞀郚で盛り䞊がったような芋方には賛同できなかった。本䜜は筆者に毎週、掻き乱されるような感芚を䞎えた。どれほどそれが挑発であるず理解しおいおも「なにかを蚀わないずいけない」気にさせる、そんな煜りのうたさを持っおいた。だが隣人たちの気配が、こうした気勢の発露を憚らせる。

はたしおガンダムの銖は刎ねられ、終幕を迎えた。しかし最終回埌の心地は悪くはなかった。もうこれで毎週たいぞんな思いをしなくお枈む  たしかにそれが倧きかったのは吊定しない。ただ、このアニメ䜜品の終わり方は予想しおいたよりずっずフラットなものだ。

シャアはじめ、『ガンダム』の登堎人物たちはこの宇宙䞖玀のなか、それぞれ勝手に動きはじめた。もはや枠組みや若さぞのこだわりなどなく、誰の蚱可も必芁ずしない。『機動戊士ガンダム』も『GQuuuuuuX』もない。誰もが攟っおおかれるが、かずいっお無芖はされない。みんながナニバヌスにいるのではなく、各々がナニバヌサルなのだ。

「分断」や「壁」ずいったものは筆者が持ち出した空想の産物だ。それはもしかしたら芋知らぬ人びずの䟵入に察する防衛機制だったのかもしれない。だが壁の存圚がなければ気づけない存圚があったのはたしかだ。たずえ分断があったずしお、それがなんなのだ。隔おる壁を叩いたらその向こうには宇宙の気配がするだろう。コロニヌの隔壁越し、宇宙空間にマチュが感じおいたのは、自由だったのではないか。

私はこのアニメ䜜品にずいぶんコテンパンにされた。もう䌚うこずもないかもしれない。しかし隣でおなじものをみお、たるで異なる感じ方をした人びずがいお、その暪には私もいた。それは他の䜕にも代えがたい。『機動戊士Gundam GQuuuuuuX』にあるのはずきめきだけだ。それ以倖はなにも残さず宇宙の圌方ぞ去っおいった。

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林與五右衛門よごえむHayashi Junpei 蚘事を読んでおもしろかったらサポヌトをお願いしたす