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短編小説 「夜の底で瞬く、君との時間」

 「あの人は5秒、あっちは3秒……」

 道ですれ違った人の頭上に浮かぶ数字を見ては溜息を吐く。
 普通の人なら、気軽に「こんにちは」で過ぎる相手に、僕は「もうどうせ、会わないからいいか」という惰性が浮かんでしまう。

 そう、僕は生まれつき、僕と相手との賞味期限。
 つまりは相手と続く関係性の長さが見えていた。
 お母さんは26年、お父さんは23年。
 斜め前の席でよく喋るあいつは1年3ヶ月。

 最初は長く続く人に絞って、エネルギーを使ったり、嫌いな人が現れても、「あと1年で終わるし、いいか」と切り替えられたり、便利な能力を持ったなと思っていた。

 でも、いざ生活してみると、いいことばかりじゃなかった。

 どんなに楽しい時間を過ごしていても、常に終わりを意識させられてしまう。
 相手の笑顔を見るたびに頭上の数字がチラついて、表情が引き攣る。
 どうせ、一年後には離れていくのだろう。
 相手が何気なく笑うたびに、怒りと悲しみが膨れ上がって、僕は今日、それを仮面の中に隠せなかった。

 

 暗闇の中、僕は一人で今日の後悔を反芻していた。
 月明かりが舗道に薄い膜のように広がって、足元を淡く照らす。
 自責と未来への不安。
 そのせいで、足は上手く踏み出せない。
 でも、だからと言って、立ち寄れるような場所もなくて。
 仕方なく、静まり返った部屋に響く秒針のように、ゆっくりと足を進めていく。

 夜の歩道橋は、昼間とは別の場所のように輪郭が鋭く、静謐だった。
 車のライトが川のように流れて、街灯の光が風に揺れる。
 とてつもなく美しすぎる光景。
 僕は、自分の心臓に沈み込んだ焦燥と閉塞感を吹っ切りたくて、その風の目の前で止まった。
 いつも見上げる信号機が、手を伸ばしたら届きそうなほど近かった。

 その刹那、冷えた風が頬を掠めた。
 街灯に灯る光が煌めいて、暗かった歩道橋が照らされていく。
 小さな足音。
 それはコツコツと、心臓に迫りくる。

 その先から現れたのは、黒いセーラー服を身に付けた痩身の少女だった。
 山吹色の電灯をじっと見つめるぼくには気付かない様子で、スマートフォンをいじりながら、こちらに向かってくる。

 彼女が一番上の段まで上がったと同時に、僕は床へ視線を移した。
 端は完全に錆び切って、中央部分も軽くひび割れている。
 人との賞味期限を気にせずにいられるせっかくの時間。
 それを、手に入れたのに、乱されたくはなかった。
 だが、彼女の足音は僕の目の前でスンと止まった。

 

「ねえ」

 その声に振り向くと、小さな手で支えられていたスマートフォンの光で、彼女の頬は淡く揺れた。

「2.12.57」

 二時間か。
 顔を見るだけで否応なく視界に入ってくる数字。
 さっきの通りすがりの人よりは長いものの、やはり終わりは近い。

「用がないなら、帰ったら」

 彼女は画面から僅かに顔を上げて、僕に睨みを利かせてくる。
 気怠そうな視線を覆い隠すストレートの長い前髪。

 後から来ておいて追い出そうとするなんて、傲慢。
 だが、帰った方がいいという彼女の指摘はある意味、適切だろう。
 
 多分、あと数分ほどで親から、帰宅の催促の電話がかかってくるだろうし、ここで夜を過ごしたところで、僕の悩みは解決しない。
 だけど、帰りたくない日だってある。
 だって、家に着いたら、どうしたって、両親の頭上の数字が目に入ってしまうから。

 

 「君は帰らないの?」

 言葉を返すと、彼女の瞳は静止画のように静かな舗道を捉えていた。

 「私はいつも、ここで夜を過ごしているから」

 その瞳には、どこか芯があって、踏み込めない強さがある。

 「そっか」

 僕が吐き出した言葉は、すっと冷たい空気に溶けていく。

 

 夜の音しか聞こえない静寂。
 錆びついた欄干にもたれかかって、ただ無心に僕は真っ暗な空を見つめる。
 頬を薙いでいく冷たく澄んだ風。
 何でもない夜景が途端に美しく思えてくる。
 でも、多分。
 救われたいからそう見えるだけで、本当は桁違いの美しさなんて存在しないのだろう。

 真横に立つ彼女は束から飛び出た髪を揺らしながら、画面を細い指で、ゆっくりとスクロールしていた。
 こんなシチュエーション、そうそう無いだろう。
 もし、話しかけたら何か特別なことが起こったり。
 なんて考えてはみるものの、そんな幻想はすぐに捨て去られる。
 だって、彼女の頭上に浮かぶ賞味期限は、たったの一時間四十三分なのだから。

 

 夜に酔いしれるように延々と黒一色の空を眺めて、時間を消費していく。
 溜息を吐いたら、丁度、鳥肌が立った腕が目に入った。
確かに、さっきから少し寒気がしていたような気がする。
 もう、目を反らすのも潮時かな。
 上着を着ていればなと少し名残惜しく思う反面、帰る理由ができたことに僕はそっと胸を撫で下ろした。
 夜の静けさを一呼吸、味わってから、彼女がいる下りの階段へ足を向けた。

 その途端、彼女のスマートフォンの画面が目に入ってきた。

 

 清々しい青。
 夏の海岸で短髪の少女が躍っている映像。
 どこか寂しそうな表情をしていて、見ているだけでやるせない感情が渦巻く。
 そう、それは僕が何十回と見返して、物の配置まですっかり覚えきったミュージックビデオだった。

 吐き出した息が白く溢れ、どうせ終わるという惰性、もう帰るかというあきらめを飛び越えて、僕の息は上がった。

「ねえ、それって」

そのバンドの名前を告げると、彼女は大きく目を見開く。

「知ってるの?」

 その言葉に小さく頷き、僅かな基本情報を口にするだけで、僕の体温はぐんと上がっていく。
 忘れ去った感動が、一瞬にして蘇ってくる。
 気がついたら、瞳を煌めかせて熱く語っていた。
 そして、目の前の彼女もそれに便乗するように、さっきまでの無愛想な人とは似ても似つかない様子で、聞き取れないほど早口になっていく。
 うんうんと、頷き合って、日頃語れない感情を溢れんばかりに零していく。
 寒い夜なのに、お互い、額には汗が滲んでいた。
 僕の記憶には彼女の必死さの方が際立って残っているけれど、僕も彼女に負けず劣らず、熱くなっていたと思う。
 多分、他人越しに見たら、死ぬほど恥ずかしい光景だ。

 

 時間はあっという間に過ぎていき、彼女の頭上の数字は分表記に切り替わった。
 一時間、四十分、三十分、十分。
 こんなにも楽しいのに終わりがきてしまう。
 祖母と最期にあった日も。
 終業式の日に大好きな先生とすれ違った時も。
 今まで、何度も心臓を駆け巡った寂しさが脳を溶かすように押し寄せてくる。
 空に浮かぶ星屑のように時間は徐々に消えていく。
 そして、僕にはそれが長いのか短いのかさえもよく分からない。
 もう、終わるのは仕方のない運命だから、この一縷の時間だけでも、という気持ちさえ湧いてくる。

 

残り三分。

想表示が切り替わったところで、彼女の右手に掴まれていたスマートフォンから通知音が零れた。

 

「じゃあ、またね」

画面を見て、少し逡巡するような顔を見せてから、そう笑う。

 またの機会。
 そんなのないのに。そんなことは一ミリも考えずに去ろうとする、その背中。

「次なんて来るわけない。僕はもう、知ってる」

 簡単に次があるという彼女にイラついて、つい声に出してしまった。
 彼女はキョトンと、踵を返そうとしていた足を止める。
 そんなことを話したところで運命は変わらないのに。
 彼女は僕の目をじっと見つめて、それから、何でもない関心のない話を聞き流すように「ふーん」と呟いた。

「そっか。じゃあ、またね」

 そう言って、彼女の背中は段々と小さくなっていく。
 どうせ、まともに取り合ってもらえる訳ないか。
 静かな夜に小さくため息を吐き出すと、その時、彼女が振り返った。

「27.3.12.30」

二十七日。

 いつの間にか、彼女の頭上の数字が変わっていた。
 こんなことは生まれて初めてだった。
 小学校から今の今まで関係性が続いている友達だって、会った時からその年数が表示されていたし、偶然再会した相手だってそうだった。

 この能力は運命が見える。
 でも、人の気紛れは見えないのかもしれない。

 小さく夜に呟いて、溶けていく白い息を見つめた。
 見えなくなっていく彼女の背中を見送ってから僕はそっと呟く。

「そっか」

 次があるんだ。
 その実感と共に、胸の辺りに仄かな焦熱が浮かんでくる。

 歩道橋に寄り掛かったせいで手に付着した、見えない塵を軽く払ってから、僕は一段目の階段に足をかけた。