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二十、時代小説 義賊 千変万化の三太(せんぺんばんか の さんた)

第三話、三太の恋

一章、風の三太とお鈴の出会い

 春まだ浅き頃。中山道とも甲州街道ともつかぬ山あいの宿場町 。 往来の辻に、一人の若い男が座っていた。 ぼろ笠。 擦り切れた着物。 足元には空っぽの銭箱。 どう見ても食い詰めた旅人である。 ところが。 男の前だけ人垣ができていた。 「おおっ!」 「消えた!」 「どこへ行った!」 歓声が上がる。 男は一枚の小判を指先で弄んでいる。 右手に握る。 ふっと息を吹く。 すると小判は煙のように消えた。 観客が驚く。 次の瞬間。 男は子供の耳の後ろから小判を取り出した。 「うわぁ!」 子供は飛び上がる。 大人たちは大笑い。 銭が飛ぶ。 一文。 二文。 五文。 次々に投げ込まれる。 男は礼をする。 だが芸は終わらない。 今度は旅の坊主を呼び止める。 「旦那、少々お借りしますぜ」 笠を借りる。 ぽんと叩く。 すると笠の中から鳩が飛び出した。 「ひゃあ!」 坊主が腰を抜かす。 観客は腹を抱える。 その時だった。 人垣の後ろから声がした。 「おいおいおい」 大男が腕を組んでいる。 猿回しの彦六である。 隣には軽業師のお滝。 太鼓持ちの豆吉。 旅芸人一座だ。 彦六は目を丸くした。 「なんだありゃ」 お滝も感心する。 「あれ全部手品かい?」 豆吉は首をひねる。 「手品だとしても俺には分からねえ」 三人は芸を見続けた。 やがて男は最後の芸を始める。 懐から狐の面を取り出した。 顔に当てる。 くるりと回る。 そして面を外した。 すると―― さっきまでの若い男ではない。 腰の曲がった老人が立っている。 「えっ!?」 人々がどよめく。 老人が咳払いをする。 「さてさて皆様方」 声まで老人。 ところが再び面を被る。 今度は若侍。 次は薬売り。 次は女。 次は浪人。 見る見る姿が変わる。 観客は総立ち。 拍手喝采。 銭が雨のように飛ぶ。 彦六が膝を叩いた。 「決めた!」 「何を?」 「こいつだ!」 彦六は人垣をかき分ける。 芸が終わった男の前へ進み出た。 「おい兄ちゃん!」 男は振り向く。 「なんでしょう」 「俺たちと組まねえか!」 突然である。 男は目をぱちくりさせた。 「組む?」 「旅芸人一座だ」 彦六が胸を張る。 「猿回しの彦六!」 「軽業のお滝!」 「太鼓持ちの豆吉!」 三人は一斉に頭を下げた。 男は思わず笑った。 「ずいぶん景気のいい誘いだ」 「お前みたいな芸人見たことねえ!」 彦六が力説する。 「一緒に回れば大儲けだ!」 豆吉が言う。 「酒も飲める!」 お滝が補足する。 「女にもモテる!」 「それは余計だ」 男は吹き出した。 久しぶりに心から笑った。 そして頷く。 「いいでしょう」 「本当か!」 「ただし芸名はある」 男は狐の面を掲げた。 「バケ狐」 彦六が豪快に笑う。 「気に入った!」 それから数日。 四人は連れ立って街道を進んだ。 行く先々で大入り。 子供は集まり。 娘は騒ぎ。 老人は笑う。 銭箱は重くなる。 特にバケ狐の早変わり芸は評判となった。 「あの狐面の芸人が来た!」 と宿場ごとに噂が広がる。 そして、あの宿場町へ辿り着く。 広場に舞台が組まれる。 太鼓が鳴る。 笛が鳴る。 猿が踊る。 軽業師が宙を舞う。 そして最後に。 狐の面を被った男が現れた。 「お立ち会い、お立ち会い!」 大歓声。 満員の観客。 大成功の興業。 その夜―― 宿場の居酒屋「角松」。店先には提灯が揺れ、中からは笑い声が漏れている。座敷では芸人四人が酒を囲んでいた。変装芸のバケ狐こと三太。猿回しの彦六。軽業師のお滝。
太鼓持ちの豆吉。皆、顔を真っ赤にしている。「今日は儲かったなぁ!」彦六が徳利を振る。しかし逆さにしても一滴も出ない。「おっと、徳利が病気だ」「ただの飲みすぎだ!」三太が笑う。豆吉は既に机に突っ伏している。「おれは天下人になる……」「何寝言言ってやがる」
「天下人になったら毎日うなぎだ……」「お前は三日で国を潰すな」
どっと笑いが起こる。その時。女中たちが大皿を運んできた。煮魚。焼き鳥。山菜の煮付け。漬物。酒酒。また酒。彦六が目を丸くする。
「おいおいおい!今日は殿様の宴会か!」すると店主が笑った。「お前さんたちのおかげだよ。久しぶりに町が明るくなった」「へぇ!」
「遠慮なく食ってくれ」四人は歓声を上げた。まさに椀飯振舞。芸人たちは飢えには慣れている。食える時に食う。飲める時に飲む。これが旅芸人の流儀である。豆吉などは両手に焼き鳥を持ちながら寝ていた。その頃。台所からその様子を見ていた飯盛女のお鈴、年は二十を少し越えたばかり、思わず吹き出す。三太が魚の骨を箸で器用に抜いている。彦六は酔って猿の真似をしている。お滝は大笑いして床を叩いている。なんとも騒がしい。すると三太が気付いた。「おや」「はい?」「見てるだけじゃ損だ」三太は手招きする。お鈴は慌てて首を振る。「仕事中ですから」「仕事なんて魚も酒も逃げやしない」「そんなこと言われても」「ならこれだけ」三太は器用にみかんを取り出した。どこから出したのか誰も分からない。手を開く。みかんが消える。閉じる。今度は団子になる。お鈴が思わず声を上げた。「えっ!」芸人たちは大笑い。「また始まった!」「狐の化かし芸だ!」三太は得意げである。ところが次の瞬間。団子がぽろり。床に落ちた。「ありゃ」「失敗じゃないですか」お鈴が笑う。三太も笑う。
「そういう日もある」「狐なのに?」「腹が減ると化けられない」
「じゃあ狐じゃなくて狸ですね」
「それは言うな」座敷は笑いに包まれた。宴もたけなわ。やがて芸人たちは一人また一人と潰れていく。
彦六は柱を抱いて寝ている。豆吉は徳利を抱いて寝ている。お滝は机に突っ伏して寝ている。残ったのは三太だけ。そして片付けをしているお鈴だけだった。「賑やかなお仲間ですね」「芸人は騒がしくなきゃ客が寄らん」「三太さんは騒がしくないんですね」三太は少し考えた。「昔から人を眺める方が好きでね」「変わってます」「そうかもしれん」二人は笑った。店の外では春の夜風が吹いている。提灯の灯が揺れる。遠くで犬が吠える。三太はふとお鈴を見た。飯盛女にしては珍しく、どこか育ちの良さがある。言葉遣いも柔らかい。所作も美しい。それが妙に気になった。お鈴もまた思った。この男は芸人のようでいて芸人ではない。酔っていても目だけは澄んでいる。何かを隠している人の目だ。その時だった。目と目が合う。お鈴は慌てて視線を逸らした。三太は少し照れたように頭を掻く。狐のような男と、秘密を抱えた女。二人の恋は、まだ始まったばかりであった。
――つづく。


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