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八十五、時代小説 義賊 千変万化の三太(せんぺんばんか の さんた)

題七話 風小僧 名前を盗まれる


九章 姉貴分、お紋

三太は腕を組んだまま、江戸の町をあてもなく歩いていた。 「どうする……。」 足が止まる。 「ぼやぼやしてりゃ、新吉の野郎は打首だ。」 空を仰ぐ。 「俺が名乗り出たところで新吉が助かるとは限らない……。」 その先が続かない。命が惜しいわけじゃない! 三太は頭を掻いた。 「ちくしょう……。」 悩めば悩むほど、頭の中がぐちゃぐちゃになる。 そんな時だった。 通りの向こうから、子供たちの笑い声が聞こえてきた。 神社の境内。 飴売り、団子売り、物売り。 江戸の町は、何事もなかったように賑わっている。 「……。」 三太は、その光景をぼんやり眺めた。 すると―― 「芸でもやるか。」 三太は、ふっと笑った。 昔からそうだった。 悩み事があると、芸をやった。 身体を動かしている間だけは、余計なことを考えずに済む。 三太は境内の真ん中へ出ると、軽業の道具を取り出した。 棒を立て、ひょいと飛び乗る。 くるり。 子供たちが、 「おおっ!」 と声を上げた。 棒の上で逆立ちをし、そのまま身体をひねる。 「わあ!」 拍手が起こる。 三太は笑った。 「どうだい!」 さらに曲芸を繰り出す。 宙返り。 棒渡り。 最後は地面へ見事に着地。 「へい、お粗末!」 わっと笑い声が起こった。 その時――。 境内の端に、一人の女が立っていた。 三太は、その姿を見た瞬間、目を丸くした。 「……お紋姐さん?」 女は腕を組んでいる。 昔と変わらぬ、きりっとした顔。 ただし、その目つきだけは昔以上に怖い。 「久しぶりだね、三太。」 「どうして姐さんがここに……。」 「風小僧が捕まったって聞いてね。」 お紋は三太をじろりと見る。 「あんたじゃないかと思って、心配して来たのさ。」 「……。」 「でも、どうやら違ったようだね。」 三太はしばらく黙っていた。 やがて、ぽつりと言う。 「いや……。」 「何だい?」 「それが……俺なんだ。」 お紋の眉がぴくりと動いた。 「……何?」 「風小僧。」 「じゃあ、捕まったのは誰だい?」 「新吉。」 「新吉?」 「昔、黒霧の勘兵衛の手下だった男だ。でも今は足を洗って、板前の修業をしてる。」 三太は苦笑した。 「俺に義理を感じてるらしくてな。俺の代わりに名乗り出やがった。」 お紋の顔から笑いが消えた。 「それで?」 「このままじゃ打首だ。俺が名乗り出るしかねえだろう。」 「あんた相変わらず馬鹿だね。」 「姐さん……。」 「おつむの中まで軽業師だね、中身が空っぽだから高く飛べるのかい?」 「そんなにポンポン言わなくても……。」 「じゃあ、何だい?」 お紋が詰め寄る。 「最後の芸を見せて、名乗り出るつもりだったって?」 三太は俯いた。 「……そうだ。」 「それで新吉が助かると思ってるのかい?」 「だって俺が名乗り出れば――」 「新吉は帰ってこないよ。」 三太が顔を上げる。 「盗っ人だったんだろ?」 「……。」 「だったら、風小僧の身代わりになった男なんか、奉行所が簡単に放すと思うかい?」 「あんたが名乗り出たところで首が二つ並んでる晒されるのがおちだよ」「……。」 「少しは頭を使いな!」  三太が情けない顔をする。 「相変わらず姐さんはきついなぁ。」 「何言ってんだい。」 お紋は鼻で笑った。 「俺が子供だったら声を出して泣いてるよ。」  お紋は三太を指差した。 「あんたはまだ子供だよ。」 「六尺近くあるぞ。」 「身体の話じゃない!」 三太は黙った。 お紋はため息をつく。 「まったく……昔から何にも変わっちゃいない。」 そして、ふと笑った。 「でも――。」 三太を見る。 「芸は上達したじゃないか。」 「……本当か?」 「ああ。」 「さっきから見てたのか?」 「見てたよ。」 お紋の顔に、少しだけ昔の優しさが戻った。 「風車座にいた頃より、ずっと上手くなった。」 「そうか……。」 三太は照れ臭そうに頭を掻いた。 「源蔵さんは元気か?」 「知らないね。」 「弥平さんは?」 「知らない。」 「千代松は?」 「……。」 お紋の顔が少し曇る。 「つなぎは取ってない。でも、たぶん皆元気だよ。」 「そうか……。」 三太の目が潤んだ。 「みんな……。」 お紋は三太の肩を軽く叩いた。 「泣くんじゃないよ。」 「泣いてねぇ。」 「泣いてるじゃないか。」 「これは……。」 「はいはい。潮風だろ?」 「……。」 三太は苦笑した。 しばらく沈黙が流れた。 やがて三太が尋ねる。 「姐さん。」 「何だい?」 「どうして俺が風小僧だと思ったんだ?」 お紋は呆れたように笑った。 「馬鹿は死ななきゃ治らないというけど、あんたの馬鹿は死んでも治らないよ。」 「何でだよ。」 「あんた、昔『風の三太』って名乗ってたじゃないか。」 「あ……。」 「それで江戸へ行くって言って、いなくなったんだ。」  「誰だって怪しいと思うだろうよ。」 「……。」  三太は黙り込んだ。 「分かったかい?」 「……ああ。」 「だったら、泣き言はおしまい。」 お紋は三太の胸を指で突いた。 「まず、今まで以上に派手にやるんだよ。」 「派手に?」 「風小僧としてね。」 三太が目を丸くする。 「ここで盗みをやめたら、どうなる?」 「……新吉が風小僧だったと思われる。」 「その通り。」 お紋はにやりと笑った。 「風小僧がまだ江戸を飛び回ってる。そう思わせるんだよ。」 三太の目が少しずつ輝き始める。 「そして――。」 お紋は声を落とした。 「相手の弱みを握る。」 「誰の?」 「そこらの悪党じゃない。」 お紋は三太の目をまっすぐ見た。 「幕閣、奉行、盗賊改……。」 そして、 「そいつらが逆らえないほど偉い奴の弱みを掴むんだ。」 「そんな奴の弱みなんて……。」 「あるさ。」 お紋は即答した。 「権力を持ってる奴ほど、後ろ暗いことの一つや二つあるもんだ。」 三太は腕を組んだ。「なるほど綱渡りよりゾクゾクするな」「落ちたら死ぬのは同じだよ」 「……。」 「分かったね?」 「分かった。」 「早まるんじゃないよ。」 お紋は念を押した。 「新吉を助けたいからって、馬鹿みたいに自首なんかするんじゃない。」 「分かったって。」 「それから――。」 お紋は少し笑った。 「ここから先は、私も手伝う。」 三太は驚いて、お紋を見る。 「姐さん……。」 「何だい?」 「昔から……。」 「何だよ。」 「やっぱり姐さん、怖ぇな。」 「何言ってんだい!」 お紋の拳が三太の頭に落ちた。 「痛ぇ!」 「そんなところまで昔のまんまだよ!」 境内に、子供たちの笑い声が響いた。 三太は頭を押さえながら、久しぶりに腹の底から笑った。 「……よし。」 その目に、もう迷いはなかった。 「風小僧、もう一働きするか。」 お紋は腕を組み、満足そうに頷いた。 「そうこなくっちゃ。」
                                               つづく


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