二十一、時代小説 義賊 千変万化の三太(せんぺんばんか の さんた)
第三話、三太の恋
ニ章、お鈴の告白
月夜の裏庭 宴も終わった。 彦六は柱を抱いて高いびき。 豆吉は徳利を抱いて寝ている。 お滝は女中たちと笑い疲れて座敷で寝息を立てている。 旅籠「松葉屋」の裏庭。 井戸のそば。 月明かりが白く石畳を照らしていた。 三太は縁台に腰を下ろし、煙管をふかしている。 そこへお鈴が湯飲みを二つ持って現れた。 「お酒ばかりでは喉が渇くでしょう」 「これはありがたい」 三太は湯飲みを受け取る。 二人はしばらく黙っていた。 虫の声だけが聞こえる。 やがて三太が口を開いた。 「お鈴さんは、この町の生まれかい?」 お鈴は少し驚いた顔をした。 「そうです」 「長いのか」 「ええ……長いです」 言葉の最後が少し沈んだ。 三太はそれ以上聞かなかった。 聞いてほしくない話なら、人は黙る。 聞いてほしい話なら、自分から話し始める。 しばらくして。 お鈴がぽつりと言った。 「三太さん」 「うん?」 「父は役人でした」 三太は黙って頷いた。 お鈴は月を見上げた。 「代官所で勘定方をしていました」 「ほう」 「真面目な人でした」 その声には懐かしさがあった。 「嘘がつけなくて、お人好しで……」 お鈴は少し笑った。 「役人には向いてなかったのかもしれません」 風が吹く。 井戸の桶が小さく揺れた。 「十年前、この町で御用金が消えました」 三太の目が細くなる。 だが何も言わない。 「三万両だったそうです」 「……」 「父は管理を任されていました」 お鈴の指が震えた。 湯飲みを持つ手に力が入る。 「盗んでなどいないのに」 声が掠れる。 「父は盗人にされました」 三太は煙管を置いた。 「裁きは早かったです」 お鈴は笑った。 だが悲しい笑みだった。 「お役人様は皆そう言いました」 『責任を取れ』 『武士らしく腹を切れ』 『家名のためだ』 「父は最後まで盗んでいないと言いました」 お鈴の目に涙が浮かぶ。 「でも誰も信じませんでした」 月が雲に隠れる。 辺りが少し暗くなる。 「父は切腹しました」 静かな声だった。 泣き叫ぶのではない。 十年かけて心の奥へ沈めた声だ。 「その年の冬、母も病で亡くなりました」 三太は何も言えない。 お鈴は続けた。 「私は親戚に引き取られました」 少し間を置く。 「引き取られたと思っていました」 苦笑する。 「本当は売られたんです」 三太の眉が動いた。 「飯盛女なら食いっぱぐれない、と」 お鈴は自嘲気味に笑った。 「子供でしたから、最初は意味も分かりませんでした」 風がまた吹く。 木の葉が揺れる。 「気が付いたら十年です」 お鈴は空を見上げた。 「私は何をしたんでしょうね」 涙が頬を伝う。 「父が罪人になって」 「母が死んで」 「私がこんなところにいる」 「何か悪いことをしたんでしょうか」 その言葉に。 三太は初めて口を開いた。 「してない」 お鈴が振り向く。 「そんな顔をする人間が悪いことをするもんか」 お鈴の唇が震えた。 三太は月を見上げたまま言う。 「世の中にはな」 「盗人より悪い奴がいる」 「人を騙して金を奪う奴」 「罪を他人に押し付ける奴」 「それで平気な顔をして生きてる奴」 声は静かだった。
「それで、その御用金は見つかったのか?」お鈴は膝の上で手を握り締めた。「御用金は見つかっていません」三太の眉がわずかに動く。
「見つかってない?」「はい」
「盗まれた三万両は、今もどこにあるのか分からないんです」
夜風が吹く。提灯がかすかに揺れた。「おかしな話でしょう?」お鈴は苦笑した。「父が盗んだなら、どこかに隠していたはずです」「だが見つからない」「一両も」
三太は腕を組んだ。「それで役人どもは納得したのか」「してません」
お鈴は首を振る。「でも死人は口をきけませんから」しばらく沈黙が続く。やがてお鈴は声を潜めた。
「三太さん」
「なんだい」
「私は今でも父は嵌められたと思っています」「……」「証拠はありません」「ですが父は死ぬ前に言いました」お鈴はゆっくり顔を上げた。
『金はわしは知らん』『だが虎屋と越前屋と代官を信じるな』「それだけ言い残したんです」三太の目が細くなる。「なるほど」
「私は馬鹿だと笑われます」
お鈴は寂しそうに笑った。
「十年も前の話ですから」
「皆忘れてしまいました」
「でも私は忘れられません」
月明かりが涙を照らす。
「父は罪人のまま死にました」
「町では今でも盗人の娘です」
「だから――」
声が震える。
「私は知りたいんです」
「御用金はどこへ消えたのか」
「誰が盗んだのか」
「父は本当に無実だったのか」
お鈴は拳を握る。
「もし真実が分かるなら」
「私は何年かかっても知りたい」
「父の潔白を晴らしたいんです」
ここで三太はお鈴の涙を見ながら、心の中でこう考えます。三万両は消えたのではない。誰かが持っている。そして十年経った今でも、その秘密を守るために黙っている。
三太「お鈴、もしその金の在り処が分かったらどうする」
お鈴「父の無実が証明できるなら、それだけでいい」
お鈴はふと気付く。 いつもの芸人の顔ではない。 何か別の顔だ。 狐の面の奥に隠れた、本当の顔。 しかし次の瞬間には笑っていた。 「なるほど」 「厄介な話だ」 お鈴も笑う。 涙を拭いながら。 その夜。 お鈴は初めて胸のつかえを人に話した。 そして三太は決める。 この町に埋まっているのは金だけではない。 十年前の罪だ。 その罪を掘り起こしてやろう――と。
つづく

