二十六、時代小説 義賊 千変万化の三太(せんぺんばんか の さんた)
第三話、三太の恋
七章、三太危機一髪
さてさて―― 骨董商に化けましたる風の三太。 越前屋へ乗り込み、 香炉を見せて揺さぶりをかけ、 見事に相手の肝を冷やして店を後にいたしました。 ところが―― 狐が獲物を追えば、 また獲物も狐を追う。 世の中そううまくはいきません。 夕暮れ。 空は茜色。 宿場の裏道。 三太は杖をつき、 腰の曲がった老人のふりをして歩いております。 ところが。 ふと足が止まる。 カラン。 カラン。 後ろで下駄の音。 一定の間隔。 離れもせず。 近づきもせず。 三太は心の中で呟いた。 「ついて来やがるな」 越前屋だ。 思ったより早く食いついた。 三太は老人のまま角を曲がる。 すると音も曲がる。 また角を曲がる。 やはりついてくる。 「こりゃまずい」 三太は一瞬で判断した。 次の瞬間。 腰が曲がった老人が消えた。 走る! まるで狐。 風のように駆ける。 「いたぞ!」 後ろから怒号。 「捕まえろ!」 三太は路地を抜ける。 塀を飛び越える。 樽を蹴飛ばす。 犬が吠える。 町人が悲鳴を上げる。 「待て!」 三太は笑った。 「待てと言われて待つ盗人がいるか!」 しかし。 次の角を曲がった瞬間。 ぴたり。 足が止まった。 前に三人。 後ろに四人。 挟み撃ち。 若い衆どもが刀を抜く。 「逃げられると思ったか」 三太は舌打ちした。 「こいつぁまずい」 老人の髭を引き剥がす。 「おっ!」 「化けてやがった!」 三太は懐から煙玉を投げた。 ボン! 白煙。 だが相手も慣れている。 「そこだ!」 刀が閃く。 避ける。 避ける。 だが。 ズブリ。 脇腹に鋭い痛み。 「ぐっ!」 刀が浅く突き刺さった。 血が飛ぶ。 膝が落ちる。 「やったぞ!」 若い衆どもが迫る。 「その香炉を渡せ!」 「紙もだ!」 「命だけは助けてやる!」 三太は血まみれのまま笑った。 「悪党の言葉を誰が信じる」 その時。 「やめて!」 鈴のような声。 若い衆が振り返る。 お鈴だった。 息を切らしながら駆け込んできた。 「お鈴!」 三太が叫ぶ。 お鈴は迷わない。 三太の前へ立つ。 両手を広げる。 まるで雛を守る親鳥。 「どいてろ娘!」 「嫌です!」 若い衆が顔を見合わせる。 「なんだこの女」 お鈴は震えていた。 だが退かない。 「殺すなら私を殺してください!」 路地裏が静まり返る。 若い衆の一人が笑った。 「命張るねぇ」 「この男の何なんだ」 お鈴は答えない。 ただ三太を庇う。 すると頭目が言った。 「香炉と紙を渡せ」 「そうすりゃ命までは取らねえ」 お鈴の顔が揺れた。 希望が見えた。 「本当ですか」 「本当だ」 もちろん嘘である。 だがお鈴には分からない。 彼女は三太の懐へ手を伸ばした。 「三太さん!」 「渡しましょう!」 「駄目だ!」 三太が腕を掴む。 血が滴る。 「これは」 息が苦しい。 「お前の父親の無実を証明する品だ」 「でも!」 「渡しちゃならねえ!」 お鈴の目から涙がこぼれる。 「もうそんなこといいんです!」 「何?」 「父のことなんかもういい!」 。 お鈴は泣きながら叫ぶ。 「生きてください!」 「三太さんが生きてください!」 沈黙。 三太は言葉を失った。 その時。 若い衆が下卑た笑いを漏らす。 「なんだぁ?」 「色か」 「飯盛女のくせに」 「色とは笑わせる」 「ハハハハ!」 下卑た笑い。 その瞬間。 どこからともなく。 「ウッキーッ!!」 男の顔に何かが飛びついた。 「ぎゃあっ!」 猿! 彦六の猿である! 顔を引っ掻く! 耳を噛む! 「離れろ!」 「畜生!」 大混乱! さらに。 屋根の上から声。 「三太ぁ!」 彦六! そしてお滝! 軽業師のお滝が屋根を駆ける。 まるで燕。 手にした袋を放り投げた。 パァッ! 白い粉が舞う。 目潰し! 「目がぁ!」 「見えねえ!」 「ぎゃあ!」 若い衆どもが転げ回る。 その隙。 彦六が飛び降りた。 「担げ!」 豆吉。 「おう!」 二人で三太を抱え上げる。 「逃げるぞ!」 お鈴も駆ける。 猿も駆ける。 若い衆は目を押さえて転げ回る。 路地の闇へ。 風の三太一行は消えていった。 残された若い衆どもは。 「追え!」 「どこ行った!」 「見えねえ!」 大騒ぎ。 その頃。 彦六の背中で揺られながら、 意識を失いかけた三太は、 かすかにお鈴の声を聞いた。 「死なないで……」 「お願いだから……」 そして初めて。 風の三太は思った。 三万両より。 証拠の品より。 悪党退治より。 この娘を泣かせたくない――と。
つづく

