二十八、時代小説 義賊 千変万化の三太(せんぺんばんか の さんた)
第三話、三太の恋
九章、狐の文
寺の裏山では、若葉を渡る風が竹を鳴らしていた。 三太の傷はまだ癒えぬものの、熱はすっかり下がっていた。床に半身を起こし、障子越しの庭を眺めていると、廊下をどたどたと歩く音が近づいてきた。 「おう、生きていたか」 声とともに障子が開き、彦六が顔を覗かせた。 その後ろから豆吉も首を突っ込む。 「本当に生きてる」 「死んでたらどうしょうかと思った」 「縁起でもねえことを言うな」 彦六が豆吉の頭を小突いた。 三太は苦笑した。 「心配かけたな」 「馬鹿野郎」 彦六はそう言いながら、ほっとしたような顔をした。 「あと半日遅かったら危なかったそうじゃねえか」 「らしいな」 「らしいじゃねえ」 彦六は持ってきた徳利を脇へ置くと、真顔になった。 「だが安心しろ。後は俺たちに任せろ」 その口調に、三太は少し眉を上げた。 「何か分かったか」 「分かったどころじゃねえ」 彦六は座り直した。 虎屋では若い衆が昼夜問わず出入りし、蔵から武具が運び出されている。 越前屋も同じだった。 表向きは商売を続けているが、番頭も手代も皆ぴりぴりしている。 お滝が飯盛女たちから聞き出した話では、両家とも数日のうちに何か仕掛けるつもりらしい。 そして代官所。 これが一番不穏だった。 代官は表向き争いを治めようとしているが、捕り方の数を増やし、密かに町の出入りを監視させている。 まるで何かを待っているようだという。 話を聞き終えた三太は、しばらく黙っていた。 やがて静かに言った。 「やっぱりな」 「何がだ」 「俺の考えが当たっている」 彦六と豆吉が顔を見合わせた。 三太は枕元の湯飲みに手を伸ばした。 「十年前、御用金を盗んだのは虎屋と越前屋、それに代官だ」 「うむ」 「だが三万両を分けたわけじゃない」 彦六が首を傾げる。 「なぜだ」 「分ければ足がつく」 三太は答えた。 「三万両なんて大金を急に使えば目立つ。だから奴らはどこかに隠した」 「なるほど」 「そして互いを信用できなかった」 三太の目に鋭い光が宿る。 「だから証拠を持ち合った」 「香炉や血判か」 「そうだ」 三太は頷いた。 「誰かが裏切れば全員終わる。だから十年間、誰も手を出せなかった」 彦六は腕を組んだ。 「だが今は違う」 「そうだ」 三太は笑った。 「香炉が外へ出た」 部屋の空気が静まった。 「虎屋は越前屋を疑う」 「越前屋は虎屋を疑う」 「そして代官は二人を疑う」 三太は畳の上に指で円を描いた。 「三人とも、自分だけが騙されるのを恐れている」 「だから争う」 「そうだ」 彦六がふと気づいたように言った。 「待てよ」 「なんだ」 「奴らが一番気になるのは……」 三太はにやりと笑った。 「金だ」 その一言で全員が腑に落ちた。 「三万両がまだ無事か」 「誰かが先に持ち出していないか」 「隠し場所が漏れていないか」 三太は続けた。 「心配にならないはずがない」 彦六の顔が明るくなった。 「つまり」 「奴らは必ず見に行く」 「その通り」 三太はゆっくりと頷いた。 「金の在処さえ分かればこっちのものだ」 しばらく沈黙が流れた。 外では鳥が鳴いている。 寺の鐘が遠くで響いた。 やがて三太はお鈴を見た。 お鈴は部屋の隅で静かに話を聞いていた。 「お鈴さん」 「はい」 「頼みがある」 お鈴は姿勢を正した。 「字は書けるな」 「少しなら」 三太は微笑んだ。 「十分だ」 そう言うと、彦六の方を向いた。 「紙と筆を用意してくれ」 「何を書く」 三太の目が細くなる。 狐が獲物を見つけた時のような目だった。 「文だ」 「虎屋と越前屋へ送る」 彦六が吹き出した。 「また化かす気か」 「今度はもっと派手にな」 お鈴が筆を取り、机へ向かった。 三太は少し身を乗り出した。 傷が痛む。 だがその顔には、久しぶりに生気が戻っていた。 「まず虎屋宛だ」 お鈴が筆を構える。 三太は静かに口を開いた。まず一通。 虎屋宗兵衛殿 証拠の品は取り返した。 金の隠し場所も分かってる。 三万両は全て我らが頂く。 これまでの付き合いに免じ、 命だけは助けてやる。 越前屋 三太は笑う。 「虎屋なら飛び上がるな」 続いてもう一通。 越前屋清蔵殿 証拠の品は既に手元にある。 奉行所へ届ける手はずも整った。 今さら言い逃れは出来ぬ。 命が惜しくば金を渡せ。 虎屋 「さて、どんな顔をするかな」 狐のような笑みが浮かんだ。 寺の一室で、新たな策が練られ始めていた。 そしてその文が届く頃、宿場町はさらに大きな嵐へ向かって動き出すのである。
つづく

