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六十四、時代小説 義賊 千変万化の三太(せんぺんばんか の さんた)

第六話 風小僧涙の橋

四章 日本橋の黒い影

日本橋の夜風、黒影を運ぶ日本橋の夜は深い。 行灯の灯りも消え、 川面を渡る風だけが、 江戸の町をゆっくり撫でていた。その静寂を裂くように、 質屋「越後屋」の屋根に、 黒い影がふわりと舞い降りた。影は、風のように軽い。新太郎である。「お雪を身請けする金か……」「悪いが、その金は使わせねぇ」声は低く、しかしどこか哀しみを含んでいた。
新太郎は天窓の桟に指をかけ、音もなく外すと、梁からするすると店内へ降り立った。越後屋の帳場は、金の匂いと人の欲が染みついた場所。新太郎は引き出しを開け、札束をめくる。「これじゃねぇ……」札の紙が、夜の静けさにカサリと鳴った。やがて一枚の札に指が止まる。『酒井左近将監家 拝領品 初花茶入 一品』「……あった」新太郎の目が細くなる。蔵の奥はひんやりとして、まるで別世界のようだった。桐箱を開けると、黒漆の箱に収められた茶入が、静かに息を潜めていた。「なるほど」「これが上様の拝領品か」新太郎は風呂敷を広げ、茶入を丁寧に包む。その手つきは盗人のそれではなく、まるで宝を扱う僧侶のように慎ましかった。ふと振り返った新太郎は帳場へ戻り、質入れの証文を懐へしまった。「証文がなきゃ証拠にならねぇ」「それじゃ意味がねぇ」「少しは頭を冷やすんだな」新太郎は口元に笑みを浮かべた。その笑みは、悪党のそれではなく、江戸の弱き者を守る義賊の笑みだった。次の瞬間、新太郎の姿は屋根へ跳ね上がり、夜の江戸へ溶け込むように消えた。風がひとつ吹き抜けただけで、そこに人がいた痕跡は何も残らない。朝日が差し込む頃、越後屋は大騒ぎとなった。「拝領品がねぇ!」「証文もねぇ!」「奉行所へは届けられねぇぞ!」番頭は真っ青になり、主人は膝をついて震えた。
                                                つづく

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