三十七、時代小説 義賊 千変万化の三太(せんぺんばんか の さんた)
第四話 三太対山女衒
二章 山中の出会い
箱根の山は春なお浅く、ところどころに桜が咲き残っていた。 山肌には薄い霞がたなびき、谷あいからは湯煙が白く立ち上っている。
三太はゆっくりと石畳を登っていた。 傷はだいぶ癒えたが、まだ脇腹が重い。 急な坂になると、鈍い痛みが走る。 「まったく、湯治が必要なのは間違いねえな。」 そう呟いて苦笑した。 その時だった。 前の方から慌てた声が聞こえてきた。 「お雪! 待ちなさい!」 見ると、一人の娘が石段を駆け下りてくる。 年の頃は十六、七。 赤い手拭いで髪をまとめ、旅姿ながら目の輝いた娘だった。 その後を、四十がらみの男が息を切らして追ってくる。 「転ぶぞ!」 「大丈夫!」 と言った次の瞬間。 娘の足が石につまずいた。 「あっ!」 三太は思わず手を伸ばした。 娘の身体がふわりと倒れ込む。 「危ねえ。」 気がつけば、三太の腕の中だった。 娘は目をぱちくりさせている。 「……あ。」 「怪我はねえか。」 娘は顔を真っ赤にした。 「だ、大丈夫です……。」 そこへ父親が駆けつけた。 「すみません! この子はそそっかしくて!」 「お父っつぁん!」 「本当のことだろ。」 男は頭を下げた。 「助かりました。」 「気にするな。」 男は汗を拭いながら笑った。 日に焼けた顔だった。 身なりは質素だが、どこか人の良さそうな顔をしている。 「旅のお方ですか。」 「ああ。」 「私どもも旅の途中なんです。」 「ほう。」 娘が口を挟んだ。 「私たち、江戸へ行くんです。」 「おい。」 「いいじゃない。」 娘は嬉しそうに笑った。 「私、初めての旅なんです。」 三太は思わず顔をほころばせた。 「そいつはいい。」 「でも箱根ってすごいですね。」 娘は山を見上げた。 「あっちにも山、こっちにも山。」 「箱根は天下の険だからな。」 「険……。」 娘は感心したように頷いた。 「お侍さんも殿様も、みんなここを通るんですよね。」 「そうらしい。」 「なんだか夢みたい。」 父親が苦笑した。 「この子は何でも珍しがるんですよ。」 「だって、本当に珍しいんだもの。」 娘はそう言って笑った。 その顔を見ていると、不思議とこちらまで楽しくなる。 三太もつられて笑った。 「旅は初めてか。」 「はい。」 「なら、急がずゆっくり歩くことだ。」 「どうしてです?」 「急ぐと景色を半分しか見られねえ。」 娘は目を丸くした。 「なるほど。」 「旅は景色と人を見るもんだ。」 娘は真面目な顔で何度も頷いている。 父親が吹き出した。 「すっかり教えを受けてしまった。」 三太は少し照れた。 すると父親が言った。 「もしご迷惑でなければ、湯宿までご一緒しませんか。」 「ご一緒?」 「一人旅も気楽でしょうが、道連れがいた方が旅は楽しい。」 娘もぱっと顔を明るくした。 「そうですよ!」 「……。」 三太は少しだけ空を見上げた。 一人でいるつもりだった。 その方が楽だと思っていた。 だが。 春の山風が吹き、桜の花びらが一枚、娘の肩に落ちた。 娘が笑う。 父親も笑っている。 三太はふっと息を吐いた。 「……まあ、湯宿までなら。」 「本当ですか!」 娘は嬉しそうに手を叩いた。 「私、お雪です!」 父親も頭を下げた。 「私は太助と申します。」 三太は少し間を置いてから答えた。 「三太だ。」 こうして、箱根の山中での小さな出会いが、後に思いも寄らぬ騒動へつながっていくのであった。
つづく

