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五十一、時代小説 義賊 千変万化の三太(せんぺんばんか の さんた)

第四話 三太対山女衒
十六章 夕暮れの長屋


その日の暮れ方であった。 江戸の町へ入ったお滝とお千代は、日本橋から少し外れた貧乏長屋へ辿り着いた。 軒は傾き、壁の土はところどころ剥げている。 だが、夕餉の支度をする煙があちらこちらから立ち上り、人の温もりのある長屋であった。 「あっ……!」 お千代が立ち止まった。 「どうしたんだい。」 お滝が尋ねる。 お千代の目に涙が浮かんだ。 「あれ……。」 長屋の一軒の戸口。 痩せた職人風の男が、ぼんやりと座っていた。 「お父つぁん……。」 男が顔を上げた。 「……お千代?」 次の瞬間。 「お父つぁん!」 お千代は草履も脱げそうな勢いで駆け出した。 「お、お千代!」 男もよろめくように立ち上がる。 そして――。 二人は固く抱き合った。 「お父つぁん……!」 「お千代……!」 父親の声が震える。 「無事だったか……!」 「うん……うん……!」 お千代は父親の胸に顔を埋め、わんわんと泣いた。 父親も娘の背を撫でながら、声を殺して泣いている。 その声を聞きつけて、長屋の戸が次々と開いた。 「何だい?」 「あっ!」 「お千代ちゃんじゃないか!」 「お千代ちゃん!」 人々が駆け寄ってくる。 「無事だったか!」 「よかった……!」 「もう帰って来ねぇかと思ったよ……!」 老婆が泣きながらお千代の頭を撫でた。 子どもたちも、 「お千代姉ちゃん!」 と、しがみついてくる。 長屋中が泣き、そして笑っていた。 その様子を、少し離れた路地の陰から見ている男が一人。 三太である。 「……。」 しばらく黙って見つめていた。 やがて、ふっと笑う。 「……ちくしょう。」 目頭が熱い。 「彼奴……泣かせやがって。」 鼻をすすり、そっと袖で目をぬぐった。 ――よかったな、お千代ちゃん。 そのまま三太は、誰にも気づかれぬよう踵を返した。 *** それから数日後。 昼下がり。 長屋の井戸端では、お千代が洗濯をしていた。 鼻歌まじりで、ずいぶん元気になっている。 そこへ。 「へい、かんざし、櫛、小間物はいらねぇかい。」 小間物屋の行商風の男がやって来た。 背には風呂敷包みを背負っている。 「お嬢ちゃん。」 男がしゃがみ込んだ。 「これなんかどうだい。」 一本のかんざしを差し出した。 安物ではあるが、陽の光を受けてきらりと光る。 「わあ……。」 お千代の目が輝いた。 「綺麗……。」 だが、すぐに顔を曇らせる。 「でも、買えないわ。」 男がにやりと笑う。 「そうかい。」 お千代は顔を上げた。 そして――。 「あ……。」 目を丸くする。 「ああっ!」 男も、しまったという顔になった。  「お父つぁーん!」 戸が勢いよく開く。 「どうした、お千代!」 父親が飛び出して来る。 そして。 「あ……。」 三太を見た。 「こと人!」 お千代が嬉しそうに叫ぶ。 「私を助けてくれた人よ!」 父親の顔色が変わった。 「それは……!」 深々と頭を下げる。 「ありがとうございます!」 「いや、そんな……。」 「さあ!」 父親は三太の手を掴んだ。 「むさ苦しいところですが、中へ!」 「いや、俺は……。」 「さあさあ!」 結局。 三太は半ば引きずり込まれるように長屋へ上がった。 粗末な六畳間であった。 だが、きちんと掃き清められている。 お茶が出され、 父親は語った。私は権兵衛、大工です。女房とお千代、今年五才に成るお清と四人暮らしでしたが半年前に女房に先立たれ、 借金で大工道具を形に取られたんです。 お千代が自分も働くと言い出して、 そこへ甘い言葉を掛ける者が現れ、 それからお千代がいなくなったことんです。「私は気が狂うかと思いました……。」 父親は、声を詰まらせた。 「長屋のみんなも一緒に探してくれて……。」 「そこへ、お滝さんが現れたんです。」 「必ず探し出すって。」 三太が顔を上げた。 「……お滝が?」 「はい。」 父親が頷く。 「私どもは、まったく面識もございません。」 「……。」 三太は腕を組んだ。 ますます分からない。 見ず知らずの娘。 しかも、金もない。 それを命がけで……。 お千代が不思議そうな顔で言った。「え?」 「お滝さんと夫婦じゃなかったんですか?」 「は?」 「だって、凄く仲が良かったから……。」 「冗談言うな!」 三太が飛び上がった。 お千代は、きょとんとしている。 三太が真顔になった。 「……まさか。」 「何です。」 「彼奴……。」 三太が小声になる。 「あんたの妾か、隠し子では……。」 「何でそうなるんですか!」 「違うんのかい?」 「とんでもねぇ!私は死んだ女房一筋ですよ!」 父親は真っ赤になった。 「私はそんな甲斐性のある男じゃありませんよ!」 三太が慌てて笑う。 「これは失礼!」 「娘の前で悪かった!」 皆が笑った。 その時。 父親がふと思い出したように、懐から包みを出した。 「そうそう。」 中から、三両が現れた。 「お滝さんは、これを置いていかれたんです。」 「……三両。」 「これで道具を取り戻してくださいと。」 部屋が静かになった。 父親が、しみじみと言う。 「これで……明日から、また仕事ができます。」 目に涙が浮かんでいた。 「娘を助けていただいたうえに……こんなことまで……。」 三太は、じっと三両を見つめていた。 やがて、ぽつり。 「……三両か。」 あの女。 結局、一文も自分のために使わなかったのか。 「せめて、少しでもお礼がしたい。」 父親が頭を下げた。 「居場所を教えてください。」 三太は苦笑した。 「いや……。」 頭をかく。 「俺が聞きてぇくらいなんだ。」 「え?」 「お千代ちゃん。」 「はい。」 「何か聞かなかったか?」 お千代は、しばらく考えていた。 そして、小さく頷いた。 「……言ってました。」 「何て?」 「私は親を亡くして……。」 お千代は静かに続けた。 「ちょうど、あなたぐらいの歳で売られて、辛い思いをした。」 「……。」 「そんな思いを、させたくない。」 「……。」 「頑張るんだよ……って。」 部屋がしんとなった。 三太は黙った。 やがて。 ふっと息を吐く。 「……そうか。」 そして、お千代の肩をぽんと叩いた。 「心配するな。」 「え?」 「お滝の居場所は……。」 三太が、にやりと笑う。 「俺が探す。」 お千代も、つられて笑った。 「あ……。」 三太は懐から、さっきのかんざしを取り出した。 「ほら。」 「え?」 「さっきの、やるよ。」 「いいの?」 「困ったことがあったらな。」 三太は、かんざしをお千代の手へ握らせた。 「これを表の戸に挿しときな。」 「……うん。」 「きっと、助けに来てやる。」 お千代の目が、また潤んだ。 「ありがとうございます……。」 三太は立ち上がった。 「じゃあな。」 「お待ちください!」 父親が呼び止める。 「せめて、お名前だけでも……。」 三太は足を止めた。 名前か。 しばらく考える。 そして。 口元に笑みを浮かべた。 「風の三太……。」 だが、首を振る。 「いや。」 振り返る。 「千両役者の三太だ。」 そう言うと、ひらりと手を振り、夕暮れの長屋を後にした。 お千代は、いつまでも、いつまでも、その後ろ姿を見送っていた。
                                      つづく


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