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青ブラ文学部|一輪挿しの花 涙の理由


ある日の放課後、美緒は英語の教科書をかかえて、寮の玄関を出ると
いつものように、すぐ近くの明子先生の下宿に向かった。

ここは、山間にある小さな中学校で
通学の生徒と寮で暮らす生徒が、一緒に学んでいる。

都会から赴任した英語の明子先生は、まだ若く生徒たちの人気者で
美緒は、先生の下宿に遊びに行くのが、楽しみだった。

知人も少ない明子先生は、生徒達の訪問を喜んで迎えてくれた。そんな中でも、美緒は特に仲良しだった。

「せんせー こんにちは」
二階にある先生の部屋の前で、元気に声をかけて、ドアをノックする。
だが、応答がない。

( あれっ どうしたんだろう? )

「せんせー ?」
今度は、少し控えめに声をかけてみる。

沈黙… が続く。

美緒が、少し不安になった時
ガチャリ と重い音がして、ドアが開いた。

部屋の中には、山に沈む夕陽の光が斜めに射し込んでいた。
半開きのカーテンが揺れ、窓辺の一輪挿しの笹ゆりから、濃い香りが室内に漂っている。

まだ 明るさの残る窓辺を背景に、明子先生はうつむいていた。

「美緒ちゃん、今日はちょっと…  ごめん」
先生は、顔を背けるようにして、軽く手を振った。

美緒は、はっとした。
何か見てはいけないものを見たような気がして
あわてて、頭を下げてドアを閉めた。

その場を立ち去りながら
( 先生、泣いてた? どうしたんだろう )

寮に戻ってからも、美緒は不安だった。
翌日の英語の授業でも、明子先生はどこか元気がなかったが
美緒は遠くから見ているしかなかった。

そうするうちに、夏休みに入り、寮の生徒は自宅に帰ってゆく。
二学期に美緒が戻ってきた頃には
明子先生は、元の明るさを取り戻したように見えた。

互いに、あの日の事にふれるでもなく、時は過ぎて
美緒は卒業し、先生とのつながりは、季節の便りくらいになって行った。


やがて 十数年の時が過ぎ

都会に出た美緒は、実家に帰った明子先生を訪問する事となる。

「まあ、美緒さん、すっかり大人になって!」
「ご無沙汰しておりました。先生もお元気そうで…」

明子は、住宅街の一軒家に、美緒を迎え入れた。
紹介された母親が、紅茶とクッキーを運んでくれる。


思い出話が弾む中で
やがて、明子は、紅茶のカップを手にして、あの日の涙の理由を静かに語り始めた。


あの日、明子先生は、恋人から別れの手紙を受け取っていたのだった。
それは単なる失恋の話ではなかった。

先生には、都会に将来を誓いあった恋人がいた。
彼は、僻地の教師として情熱を燃やす明子先生を、初めは応援していた。
だがやがて、そろそろ地元に帰って結婚をと、望むようになり

もう少し 後二〜三年と願う明子先生に、
もう、これ以上待てない。自分か、仕事のどちらかを選ぶようにと、決断を迫る手紙をよこしたのだった。

明子は、悩み続けた後、返事の手紙を送った。
「あなたの元へ帰ります」

だが、その手紙をポストに入れたその日の午後、彼から届いた手紙には

「そこまで仕事にこだわるなら
 もうこれで終わりにしよう。僕は待てない」

それは、きっぱりと別れを告げる手紙だった。

二通の手紙は、すれ違ってしまったのだ。
二人は、もう引き返すことが出来なかった。


悩み抜いた末の決心が遅すぎた…  取り返しのつかない想い。

彼女の運命を変えてしまったのは、ほんの僅かな時間のずれだったのか 
あるいは、二人に生じた、心のずれだったのかも知れない。

それが、あの日の涙の理由だったのだ。

今の明子は、屈託なく笑う。

「あの頃、最初はね、大変な所に来ちゃったなぁと思ったの。 
 どこを見ても、山ばっかりなんだもの」

「そうですよね」
美緒も苦笑するしかない。

「でも、だんだん、あなた達が可愛くなって 
 離れられなくなっちゃったのよね」

「先生…」


先生の涙を見たのは、たぶんあの日の私一人。
そのわけを知るのも、きっと私だけだろう。

夕陽が西に傾く頃、美緒は、明子先生にいとまを告げた。

先生は、笑顔で見送ってくれた。
あの見覚えのある一輪挿しには、紅い薔薇が咲いていた。


各家庭にも、まだ電話が少なかった時代。

もし スマホや ラインや メールが あったなら 
二人の心は 通いあっただろうか。
結果は違ったものになっただろうか。

それは、誰にも分からない。

       

山根あきらさんの 企画

「一輪挿しの花」というお題に、応募させて頂きます。
よろしくお願い致します。


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