#19 まあまあ大変な術後 その①
ICUでは、それはそれは手厚い看護だった。担当のベテランっぽい男性看護師が明るくテキパキといろいろやってくれた。患者の私はほぼ全く動かずにことが進む。傷口の消毒、点滴はもちろん、術後の確認のレントゲンなども、背中に板を入れて寝たまま上から挟み込むような形で、撮ってもらっりした。
そう、動けない。傷口に大きな分厚いガーゼ。お腹の上に大きな石がずっと置いてある様な感覚だった。ずしーんと全体が痛い。あれだけ大きな手術をした後だから、痛くて当然だ。あちこち切ったのでどこが痛いではなく胸の下から腰までの胴体全体が重く痛い。そして管がいっぱいある。高栄養の管、膵臓の前後に一本づつの管、血や排出液のいわゆるドレーンやら、導尿の管やら体から管がいっぱい出ている。身動きが取れない感じだった。手術翌日には一本の管から術後再発予防の抗がん剤がダイレクトに患部に投与される治療も始まっていた。
硬膜外麻酔の針は刺したまま。ケースのようなものに痛み止めが入っている。痛みが強くなったことを伝えれば、看護師さんがポチッとボタンを押しておかわりショットをくれる。直接脊髄にくるのですぐに効いて、痛みが和らぐ。これは相当有り難かった。ケースの中身が無くなったらこの痛み止めは針も抜いて使えなくなると聞いて、がっかりしたのを覚えている。
夫や母、兄が心配顔で見舞いに来てくれた。白衣とキャップ、マスクを被っての入室。たったの5分程度。
「よかったね。無事に終わって。」
「痛いよね」
「ここまでくれば大丈夫。頑張って」
そういえば、父や夫を昔ICUに尋ねた時、いつもの姿と違い、術後ぐったりしているのを見て、びっくりして悲しかったのを思い出した。私もそう見えてるんだろうな。
幸い術前に説明を受けていた「せん妄」にはならずに済んだ。せん妄とは、「身体的・精神的なストレスが引き金となり、一時的に脳の機能が混乱して起きる急性の意識障害」手術後の環境変化で年齢を問わずなる人がいると聞いていた。突然ドレーンなどを全部引き抜いてしまったりする人もあるそうだ。私は意識ははっきりしていた。
携帯を持ち込めないので、300日くらい続けていたDiolingoができないのが残念だなと思ったりした。そして起きている間はずーっと天井を見ていた。「退屈でしょう」とテレビをゴロゴロと持ってきてくれて、リモコンを手に握らせてくれた。何を見ていたかは全く覚えていないけれど、変わる画面をなんとなくボーっと見て過ごした。
結局ICUには3日間いた。
その後HCUに移された。リハビリも始まった。支えてもらって立ちあがる。理学療養士が絡まりそうな管を捌きながら一緒に歩いてくれる。そのドアまで、そこの角までとちょっとずつ。
座ることもできるようになって携帯も許された。
動く範囲が広がり出来ることは増えると、元気が戻ってきている
実感があった。
水を一口飲むことができて、
「明日からスープですね。」
と言われ、ドレーンが一本抜けた日の夕方から、激しい嘔吐が始まった。緑の液体をゲーゲー吐いた。口の中がずっと苦い。
① 抗がん剤の副作用で嘔吐の可能性
②手術後の消化器官再建でこれまでのルートが変わっているので体が対応しきれず、胆汁が逆流している可能性
と医師からの説明。一旦抗がん剤を止めて、溜まった胆汁を逃すドレーンを鼻から入れる措置が取られた。せっかく減ったのに、管とぶら下げげる袋が数がまた増えてしまった。
やっと手術が終わって、これからは回復に向かうと思った矢先にこれ。このHCUで胆汁を吐き続けた3日間が、痛みより何より一番苦しくて辛かった。
ーーーつづくーーー
