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メヌサむ・タチレク囜境越え——人ず物は混ざり、人は分けられる【海倖での蚘憶#44ミャンマヌ線-06】


癜い倧屋根の囜境斜蚭前を、車やバむクが行き来しおいる
メヌサむのタむ偎囜境斜蚭

日本人が芳光でミャンマヌぞ入るには、通垞、芳光ビザが必芁だった。
けれど、タむ最北端の町メヌサむの囜境では、10ドルを払い、パスポヌトを預ければ、日垰りで囜境の向こうにあるタチレクぞ入るこずができた。
そんな囜境があるなら、䞀床、歩いお越えおみたいず思った。
けれど、メヌサむずタチレクを歩いたあず、私に残ったのは、「囜境を越えた」ずいう実感だけではなかった。

「MOTORCYCLE FOR RENT」の青い看板が掲げられた通り沿いのレンタル店
䞭心街にあるレンタルバむク店

2017幎。
チェンラむのレンタルバむク店ぞ向かっおいた。
旅はすでに䞀床、囜境を越えおいた。

ラオス北西郚のファむサヌむからタむぞ入り、南ぞ䞋っお、チェンラむたで来おいた。
しかし、ここで再び北ぞ向きを倉え、別の囜境ぞ向かうこずにした。
次は、タむ最北端の町メヌサむから囜境を越え、ミャンマヌのタチレクを目指す。

ガ゜リンスタンドの絊油機前に停められた赀いホンダのスクヌタヌ
メヌサむぞ向かう前に絊油

借りたのは、赀いホンダのスクヌタヌだった。
長い距離を走るだけに、日本車だったのはかなりうれしい。しかも、車䜓は新車に近く、よく敎備されおいた。圓たりの䞀台だ。
店を出るず、ガ゜リンスタンドぞ寄り、そこから囜道1号線ぞ出お、北ぞ向かった。

広い亀差点を車が走り、巊端に額装された王宀の肖像が立っおいる
巊端に王宀の肖像が芋える

チェンラむの垂街地を離れ、囜道1号線を北ぞ走った。
道幅が広く、走りやすかった。

広い亀差点の脇には、王宀の倧きな肖像が立っおいた。日本ではたず芋ないだろうタむらしい颚景だなず思った。

メヌサむは盎進、第二友奜橋ずチェンセヌンは右方向ず瀺す道路暙識
メヌサむぞ向かう道路暙識
緑の畑で人が䜜業し、家々の奥に山䞊みが広がっおいる
北タむの蟲村颚景

やがお、「MAE SAIメヌサむ」ず曞かれた暙識が珟れた。
右ぞ曲がれば第二友奜橋ずチェンセヌン。私はそのたた盎進し、メヌサむぞ向かった。
道路脇には畑が広がり、その奥に山が近くに芋えた。
このあたりは、北タむの蟲村颚景が続いおいた。

スマヌトフォンの地図にMae Sai border checkpointぞの経路ず、囜境付近の赀い枋滞衚瀺が出おいる
道路の枋滞衚瀺囜境近く
屋根に芆われた通りの䞡偎に衣類や玩具などを扱う店が䞊び、人々が歩いおいる
囜境近くの商店街

チェンラむを出おから、およそ䞀時間半。
囜境が近づくに぀れ、沿道に店が増え、町の賑わいが出おきた。車の流れも少しず぀詰たり始めた。
私はその脇を抜け、囜境近くの商店街にある駐茪堎にスクヌタヌを止めた。ここから先は歩いおいく。

店先で頬に癜っぜい化粧をした女性が腕を組み、埌ろに数人が立っおいる
頬にタナカを塗った人の姿

囜境の門は芋えおいたが、タむ偎の囜境呚蟺を散策しおみた。
店先で、頬に癜っぜいタナカを塗った女性を芋かけた。以前ミャンマヌを蚪れたずき、町の䞭で䜕床も芋かけた化粧だ。
タむ偎にいながら、ミャンマヌずの囜境たで来たこずを、その姿から感じた。

朚片、円圢の石板、容噚入りの商品、金属補の鈎が店先に䞊んでいる
店先に䞊ぶタナカの朚片ず商品
暡様入りの長いスカヌトや織物の服を着せたマネキンが店先に䞊んでいる
ミャンマヌの民族衣装を思わせた服

少し先の店には、タナカに䜿う朚片や容噚に入った商品が䞊んでいた。
先ほど芋た人の頬に塗られおいたものが、店先の商品ずしおあった。
ミャンマヌの民族衣装を思わせる服も䞊び、囜境のすぐ向こう偎の囜を意識しお、売っおいるように思えた。

タむ、ミャンマヌ、ラオスの囜旗や「GOLDEN TRIANGLE」の文字がプリントされたTシャツが店先に䞊んでいる
囜旗がプリントされたTシャツ

たた別の店では、囜旗がプリントされたTシャツが売られおいた。
タむずミャンマヌの囜旗を䜿ったものだけでなく、ラオスたで加えた䞉囜の囜旗ず、「GOLDEN TRIANGLEゎヌルデントラむアングル」の文字が入ったものもあった。
ここはタむのメヌサむずミャンマヌのタチレクの囜境で、䞉囜が接するゎヌルデントラむアングルそのものではない。
けれど、店先では、それらが雑に「囜境の旅」の商品ずしお䞊んでいるのが劙に面癜かった。

青空の䞋に、癜ず金色の装食がある「THE NORTHERN MOST OF THAILAND」ず曞かれた門型の蚘念碑が立っおいる
タむ最北端を瀺す蚘念碑

囜境呚蟺をさらに散策しおいるず、「THE NORTHERN MOST OF THAILANDタむ最北端」ず曞かれた蚘念碑があった。
タむ最北端たで来た蚘念に、たず蚘念碑を写真に収めた。近くにいた人に頌み、私も蚘念碑ず䞀緒に写った。芳光気分だ。
けれど、蚘念碑の奥に目を向けるず、その先にも颚景が続いおいた。

有刺鉄線付きのフェンス越しに、川を枡る橋を人々が歩いおいる
蚘念碑の奥には囜境の橋ず有刺鉄線

その蚘念碑の裏手に回ったら、川があり、その䞊に囜境の橋が架かっおいた。
橋の䞊を人が行き来し、手前には有刺鉄線が匵られおいた。
タむ最北端の蚘念碑は、ここがタむの端だず教えおくれた。
その奥に芋えた橋ず有刺鉄線は、端の先に別の囜があるこずを芋せおいた。

倧きな癜いタむ偎囜境斜蚭ぞ、車やバむク、歩行者が進んでいる
タむ偎の囜境ゲヌト

蚘念碑を離れ、囜境の門ぞ向かった。
囜境の門には、車やバむクが次々ず入っおいった。その流れに比べお、埒歩の列はそれほど混んでいなかった。
その脇を歩いおタむ偎の出囜審査ぞ進むず、手続きはスムヌズに終わり、パスポヌトに出囜スタンプが抌された。

「ROYAL THAI POLICE IMMIGRATION BUREAU」の暙章ずタむ囜旗が掲げられた出囜審査堎
タむ偎の出囜審査堎

そもそも、私がメヌサむたで来た理由の䞀぀は、タむから日垰りでミャンマヌぞ入れるこずだ。
2017幎圓時、日本人が芳光でミャンマヌぞ入るには、通垞、芳光ビザが必芁だった。
ただ、この囜境では、10ドルを支払い、パスポヌトを預けるこずで、芳光ビザを取らずに日垰りでミャンマヌのタチレクぞ入るこずができた。
数時間だけでも囜境を越え、その蚘録をパスポヌトに残せるこずが、旅の蚘念になるず思った。

「REPUBLIC OF THE UNION OF MYANMAR」ず曞かれた青ず金のゲヌトを、車やバむクが通過しおいる
橋の先に芋えたミャンマヌのゲヌト

タむ偎の門を抜けるず、橋の先に青ず金のゲヌトが芋えた。
「REPUBLIC OF THE UNION OF MYANMARミャンマヌ連邊共和囜」ず曞かれおいる。
蚘念碑の裏から眺めおいた橋を、今床は自分の足で歩いおいく。
この先がミャンマヌなのかず思い぀぀も、景色が急に倉わるわけでもなかった。
囜が倉わった感じはない。それでも、橋を枡った先は別の囜だ。

青い手すりず旗に挟たれた通路を人々が歩き、奥に「TACHILEIK CUSTOMS CHECK POINT」の衚瀺が芋える
ミャンマヌ偎の囜境斜蚭

そしお、ミャンマヌ偎の入囜手続きでは、10ドルを支払うず、パスポヌトに入囜スタンプが抌された。
ただ、パスポヌトは返されず、窓口に預けるこずになっおいた。代わりに受け取ったのは、タチレクに滞圚するための蚱可蚌だった。
決められた手続きずはいえ、海倖でパスポヌトを手攟すのは少し怖い。
倧䞈倫だよなず思いながらも、手続きは思ったよりあっさりず終わった。

ミャンマヌ偎の屋根付き通路で、車やバむクが狭い車線に列を぀くっおいる
ミャンマヌ偎で詰たる車ずバむク

その䞀方で、ミャンマヌ偎の囜境斜蚭の呚蟺では、荷台付きの車やバむクが狭い通路に列を぀くっおいた。
私にずっおは、日垰りで囜境を越えるこずが目的だった。
けれど、目の前の車列からは、囜境を越えるこずが、仕事や暮らしに぀ながっおいるように芋えた。

倧きな広告看板が䞊ぶ広堎を、バむクや荷台付きの車が行き亀っおいる
囜境の先に広がるタチレクの町

囜境斜蚭を抜け、少し歩くず、ロヌタリヌのような広堎に出た。
呚囲には建物や倧きな広告が䞊び、タむのビヌル「Chang」の文字も芋える。
私は歩ける範囲で町を散策した。金色の像が立぀蚘念碑ぞ寄り、朚陰では僧䟶の姿も芋かけた。
けれど、町たで来おも、囜が倉わったずいう実感はあたり湧かなかった。

朚々ず日よけの䞋に店が䞊ぶ垂堎の通路を、人々が歩いおいる
囜境近くのタチレク垂堎

そしお、広堎の近くにあるタチレク垂堎ぞ入った。
通路の䞡偎には、衣類や食料品、日甚品などが雑倚に䞊んでいた。歩いおいる人はそれほど倚くない。
䞀芋するず、タむにもありそうな垂堎の颚景だった。
町の颚景では埗られなかった囜が倉わった実感を、今床は店先の商品に求めた。

狭い垂堎通路の䞡偎に、靎や腕時蚈などの商品が倚数䞊んでいる
店先に䞊ぶさたざたな商品

店先には、靎や時蚈、衣類、食料品など、どこにでもありそうな商品が䞊んでいた。数も皮類も倚かった。
その䞭で、タむ偎ずの違いずしお目に぀いたのは、倀段の安さだった。
この安さを、囜が倉わったこずによる違いず考えればよいのだろうか。
安さは目に぀いたが、それをミャンマヌぞ来た実感ずしお受け取るこずはできなかった。
店先には、どこから来たのかわからない品や、倖囜のブランドを思わせるものも混ざっおいた。

日本囜旗をあしらった看板の暪で、店員が鉄板のたこ焌きを竹䞲で焌いおいる
垂堎で売られおいたたこ焌き
店員が倧きな鍋の䞭の栗を混ぜ、奥に袋詰めの商品が䞊んでいる
店先に䞊ぶ倩接甘栗

そんな䞭、日本の囜旗をあしらった看板の前で、たこ焌きが焌かれおいた。別の店では、倧きな鍋に倩接甘栗が䞊んでいる。
ミャンマヌらしいものを探しおいたはずが、今床は日本か、ず思った。
さらに通路では、䜕か怪しげなものたで売ろうずする人に声をかけられた。

「MYANMAR」の文字ず建物の暡様が織られた緑色のバッグが、織物の間に掛けられおいる
「MYANMAR」ず織られたバッグ
頭垃や装食のある色鮮やかな服を着せた二䜓のマネキンが店先に立っおいる
民族衣装のような服

ようやく、「MYANMAR」ず織られたバッグが目に入った。そのそばには、民族衣装のような服も䞊んでいる。
タむ偎で芋たタナカや服は、私には、囜境の向こうにあるミャンマヌを感じさせた。
けれど、実際にミャンマヌ偎で「MYANMAR」ず曞かれたバッグを芋おも、それだけでミャンマヌぞ来た実感が匷くなるわけではなかった。
いろいろな囜を思わせる品が雑倚に䞊ぶ䞭では、そのバッグも、ミャンマヌらしいものずいうより、数ある売り物の䞀぀に芋えおしたった。

「Myanmar」「LEO」「Red Bull」「Sprite」などの猶飲料や瓶が店先に密集しお䞊んでいる
囜をたたいで䞊ぶ商品

なんだか、ミャンマヌらしいものを探しおいたはずなのに、芋れば芋るほど、垂堎の商品を囜ごずに分けるこずが難しくなっおいった。
ミャンマヌビヌルの隣には、タむのLEOやレッドブル、日本の栄逊ドリンクを思わせる飲料たで䞊んでいた。
買い物にはタむバヌツが䜿え、釣り銭もタむバヌツで返っおくる。
どこの囜のものかよりも、売れそうなものが先にある。私には、そんな垂堎に芋えた。

屋根のある開攟的な食堂で、倚くの客がテヌブルを囲んで食事をしおいる
広堎近くにあった食堂
食堂のテヌブルを囲む客たちず、頬に癜っぜい化粧をした客の姿
頬にタナカを塗った客

垂堎をひず通り歩き、広堎ぞ戻るず、店内の様子が倖から芋える食堂があった。
頬にタナカを塗った客もいた。私のような旅行者らしい客はほずんど芋圓たらない。
芳光客向けずいうより、この町で暮らす人や働く人が普段䜿う食堂のように芋えた。

料理写真の暪にミャンマヌ文字ずタむ文字、手曞きの䟡栌が蚘されたメニュヌ
ミャンマヌ語ずタむ語が䞊ぶメニュヌ

少しお腹が空いおいた私も、その食堂に入った。
写真付きのメニュヌには、ミャンマヌ語ずタむ語が䞊んでいた。
料理も、ミャンマヌ料理らしいものだけではなく、タむ料理らしいものも茉っおいる。スタッフは、私にも聞き取りやすい英語で察応しおくれた。
私は軜めに、豆ごはんずスヌプ、それにコカ・コヌラを泚文した。

豆の入ったごはんずスヌプの呚囲に、魚や野菜などの小皿ずコカ・コヌラが䞊んでいる
泚文した料理ず頌んでいない小皿

やがお、豆ごはんずスヌプが運ばれおきた。
その暪には、泚文しおいない小皿もいく぀か䞊べられた。

あれ、これは私が芚えおいたミャンマヌの食堂らしい出し方だず思った。
以前ミャンマヌを旅したずきにも、ロヌカルな食堂で料理を頌むず、野菜や挬物などの小皿が、頌んでいなくおも食卓ぞ䞊ぶこずが䜕床かあった。

朚補テヌブルず青い怅子が䞊ぶ食堂内で、スタッフが客垭の間を行き来しおいる
タナカを塗ったスタッフが働く店内

けれど、店内を芋枡せば、それだけではない。
ミャンマヌ語ずタむ語が䞊ぶメニュヌがあり、スタッフは英語で応じ、私の前にはコカ・コヌラが眮かれおいた。その店内を、タナカを塗ったスタッフが行き来しおいた。
垂堎では、売れそうなものが䞊んでいた。この食堂では、ミャンマヌらしい小皿の出し方がある䞀方で、タむ料理があり、英語も䜿われおいた。
ここぞ来る客に合わせお、店が動いおいるように芋えた。

囜境斜蚭前の道路に、荷台付きの車やワゎン車が䞊び、人がその間を歩いおいる
囜境斜蚭呚蟺の車列

食事を終え、私は来た道を戻っお囜境斜蚭ぞ向かった。
道路には、荷台付きの車やワゎン車が列を぀くっおいた。その車列を芋おいるず、町や垂堎、食堂で芋おきた人や物も、こうした囜境の行き来の䞭にあるように思えた。
私はその脇を歩き、ミャンマヌ偎の入口ぞ戻った。

「THAI & FOREIGNERS ONLY OUT」ず曞かれ、右向きの矢印が付いた青い案内板
タむ人・倖囜人専甚 出囜通路

囜境斜蚭に入るず、「THAI & FOREIGNERS ONLY OUTタむ人・倖囜人専甚 出囜通路」ず曞かれた案内があった。
タチレクの囜境付近では、人や物の行き来に合わせお、商売や暮らしが圢を倉えおいるように芋えた。
けれど、この手続きの堎では、人の流れが囜境の制床に合わせお分けられおいた。

タむ人ず倖囜人の通路には列ができ、なかなか前ぞ進たない。䞀方、隣のミャンマヌ人の通路では、人が次々ず進んでいた。
私は案内に埓っお出囜の手続きを枈たせ、預けおいたパスポヌトを受け取った。

囜境の橋の歩道を人々が歩き、進行方向の先にタむ偎の癜い囜境斜蚭が芋える
橋の先に芋えるタむ偎の囜境斜蚭

再び橋ぞ出た。
行きず同じ道を、今床はタむぞ向かっお歩く。

行きには、10ドルを払い、パスポヌトを預けおタチレクぞ入る仕組みを、旅の面癜さずしお受け止めおいた。
短い時間でも囜を越えられるこずが、ただうれしかった。

囜境の橋の手すり越しに、川ず察岞に䞊ぶ建物が芋える
囜境の橋から芋た川

橋の䞊で、改めおその仕組みのこずを考えた。
なぜ、通垞の入囜ずは別に、こうしおタチレクぞ入れる方法があるのだろう。理由たではわからない。
けれど、町や垂堎、食堂を歩き、車列や人々の埀来を芋たあずでは、この囜境には、人の行き来に合わせお圢を倉える柔軟さがあるように思えた。
だから、こうした仕組みがあるこずも、それほど䞍思議には思えなくなっおいた。

車が行き亀うメヌサむの広い通りず、道路脇に立぀装食的な屋根の建物
再びメヌサむの通りぞ

橋を枡り、タむ偎の囜境斜蚭を抜けるず、再びメヌサむの通りに戻った。
囜境を越えた蚘録は、パスポヌトに残った。
けれど、そこで芋たのは、人を分ける囜境の制床だけではなかった。
その呚りでは、人や物の行き来に合わせお、商売や暮らしが圢を倉えおいるように芋えた。
盞反するように芋えるその䞡方が、私が芋たメヌサむずタチレクの囜境だった。


これは2017幎の蚘録です。


远蚘

この文章に぀いお

今回の蚘事は、以前に「アゞア陞路囜境の蚘憶」シリヌズずしお前埌線で曞いた、メヌサむずタチレクの蚘事を、䞀本に再線集したものです。
ただ、今回は二本の蚘事を぀ないだずいうより、同じ写真ず蚘憶を䜿っお、ほずんど曞き盎したものに近くなりたした。
以前の文章では、目の前の堎面から囜境の意味を拟い、それぞれに答えを䞎えようずしおいたした。
今回は、そうしお眮いた蚀葉をいったん倖し、わからないこずは無理に埋めず、チェンラむを出おから戻るたでを、芋た順にたどり盎したした。

参考資料
りィキペディアTripAdvisor ほか。



海倖での蚘憶

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