🔶私の好きな奈良:天河大弁財天社 神代鈴と五節舞を伝える芸能の神 能舞台
皆さん、弁財天(べんざいてん)ってご存じですよね。
親しみを込めて「弁天さん」と呼ばれる神様です。
何となくのイメージはお持ちだと思いますが、ではほかの神様とどう違っていて、どんなふうに有難いのか、説明できる方は案外多くないかも知れません。
もとはヒンドゥー教における学問・芸術・言葉・知恵の女神:サラスヴァティ(Sarasvatī)です。紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで一連の宗教文書「ヴェーダ(知識)」が編纂された時代には河川の女神として崇拝され、後に知識と創造の象徴として信仰されるようになりました。
このサラスヴァティが日本に伝わり独自に発展したのが弁財天で、室町時代以降の日本でインド、中国の神仏が融合して広まった七福神(しちふくじん)の一人、唯一の女性神です。
もともとが河川の女神だったことから、水と関係の深い川・池・海など水辺に祀られることが多く、流れを良くする=運気を巡らせる象徴とされます。
また、音楽・芸術・言葉・学問といった「表現の才能」に加え、財運(お金)も司る奇特な神様です。要するに「芸能などの才能を伸ばしながら、運や財も引き寄せる」という幅広さが、弁財天の大きな特徴です。
バラモン教由来の吉祥天の一面を吸収し、神仏習合によって神道にも取り込まれ、神道の神が仏の権現であるという本地垂迹(ほんじすいじゃく)では、日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵島姫命(いちきしまひめ)と同一視されます。
奈良県吉野郡天川村坪内にある、天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ、天河神社)をご存知でしょうか。
主祭神は、まさにこの市杵島姫命で、社名に「弁財天」とつく日本五弁財天の一つです。
一級河川・天の川(てんのかわ;新宮川の上流)が流れるこの地域では、古来からの山岳信仰において「水」を神聖なものと捉えていたため、河川の女神に由来する弁財天への信仰と結びついたのでしょう。
今回は、この天河大弁財天社について書いてみます。

歴史
戦国時代、興福寺の塔頭・多聞院(たもんいん)の院主であった英俊(えいしゅん)による多聞院日記に、 「天川開山ハ役行者」 という一節があります。役行者というと、飛鳥時代の人ですね。
役行者の大峯開山の際、蔵王権現に先立って勧請され、最高峰である弥山(みせん)の鎮守として祀られたのが天河大弁財天の創建とされます。
その後、吉野と縁の深い天武天皇が、「壺中天」の故事(小さな壺の中に広がる仙人の別天地=俗世間を忘れられる心安らぐ別空間)から、壬申の乱の勝利の後、「坪の内」の地に社殿を建立、寄進されたといわれています。

弘法大師・空海が高野山の開山に先立って3年間大峯山で修行しましたが、その最大の行場が天河神社であったとされ、空海が唐から持ち帰った密教法具など遺品が奉納されています。
また、南北朝時代、この地に南朝の黒木御所が47年間置かれていたと言われており、南朝の崇敬が特に篤かった様です。
神社に隣接して、御所跡とされる場所があり、南朝北朝の霊的和解を祈念した慰霊の宝篋印塔が建てられています。

江戸時代までは弁財天(宇賀神王)を本尊とし、琵琶山白飯寺(びわさん はんざんじ)という社号でしたが、明治の廃仏毀釈で白飯寺は廃寺となって、本尊の弁財天は市杵嶋姫命と改められました。
昭和の半ばからは一部の神道家の間で「秘めたる日本弁財天総本宮」と注目され始め、精神世界のメッカ的な地として存在感を高めています。
境内
タイトル写真にある赤鳥居をくぐった後、橋を渡る手前左側の手水舎で手を清めて鳥居をくぐります。
鳥居の向こうの石段を上がると、拝殿、本殿、神楽殿があります。

神社のホームページに境内図がありました。
きれいな絵なので拝借して貼らせていたただきます。

https://www.tenkawa-jinja.or.jp/map
地図①②③の拝殿、本殿、神楽殿は撮影が禁止されていますので、神社ホームページの画像をご覧ください。
本殿に祀られている弁財天像(八臂弁財天像:はっぴべんざいてんぞう)は通常非公開ですが、毎年7月16日から17日にかけ執り行われる例大祭の際に開帳され、祝詞、般若心経や神楽とともに、能楽やアーティストの演奏などが奉納されます。
本殿右扉の中に安置されている「日輪弁財天像:にちりんべんざいてんぞう」は、通常の弁財天とは異なり太陽(日輪)を背景や象徴とする非常に珍しい姿をしています。
秘仏で、御開帳はなんと60年に1度(次回は2041年)のみです。
他に、熊野坐大神、吉野坐大神、南朝四代天皇の御霊(後醍醐天皇、後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇)、神代天御中主神から百柱の神が配祀されています。
拝殿では、正面高くに掛けられている鈴を鳴らして拝みます。
このとき鳴らす鈴は、3つの球体の鈴が円で結ばれた三角形を形成しており、それが上下に2つ重なっているため、合計6つの鈴で構成されています。
正式には五十鈴(いすず)と呼ばれる神代鈴(かみよのみすず)は、天河大辨財天社に古くから伝わる独自の宝物で、神理天則(かみのりごとてんののり)のもとで三位一体の実質・実体を有する原器です。

天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は、伊邪那岐・伊邪那美以前の天ツ神で、体・用・相を具え、万物の根源神、大宇宙の根本精神として一神として信仰されてきました。
その霊力の顕れとして生魂(いくむすび)、足魂(たるむすび)、玉留魂(ためずめむすび)という三魂(みむすび)があり、天御中主神の生命力や生成発展の力が分化して、それぞれ「生み出す力」「満ち足りる力」「魂を留める力」として働いています。
この生命的摂理をもつ三魂の意味が神代鈴に込められています。
天御中主神は、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)のニ神とともに造化三神として働き、天照大御神、月読命、須佐之男命の三柱が生まれ、幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)、真魂(まみたま)の精神的三魂は、三種の神器の源となりました。
天照大御神が天岩屋戸(あめのいわやど)に籠ったときに、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が、神代鈴をつけた矛を持って舞ったことで天地が明るく輝いたというお話はご存じですよね。
この鈴は、日本民族の心の中心にある伝承とともに崇拝されています。
また、拝殿の向かい側、神楽殿には能舞台があります。
天武天皇がこの地で戦勝を祈願した際に、天女(吉祥天)が舞い降りて披露した舞が、のちに宮中の慶事で奉納される「五節舞(ごせちのまい、日本の雅楽では唯一女性が演じる舞)」の起源になったとされています。
このことから、この神社は音楽や芸能の神、芸能の聖地として知られ、世阿弥をはじめとする能楽の達人たちも深く信仰してきました。
今でも芸能人やアーティストが創作や祈願のために足繁く通う「芸能の神様」として非常に有名です。
石段の途中、左側には五社殿があります。
龍神大神(りゅうじんおおみかみ)、大将軍大神(だいしょうぐんおおみかみ)、大日靈貴神(おおひるめのむちのかみ:天照大御神)、天神大神(てんじんおおみかみ)、大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)が祀られています。
五社殿の前には、木の柵で囲われた大きな石があり、お賽銭が納められるなど信仰の対象となっています。
天河大弁財天社には、天から降ったとされる「天石(てんせき)」が4つあり、境内に3つ祀られています。五社殿の前のほか、本殿へと続く階段の右手、裏参道下(行者堂の左側)にあって、残りの1つは天の川の中にあって、川に架かる弁天橋から見ることができると言われています。

天河大弁財天社の奥宮(弥山神社)は、境内図の背後に書かれている弥山の山頂にあります。
ホームページによると、毎年5月15日に近い土曜日を選び、1泊2日の日程にて参加者を募って霊峰弥山に登拝し、大祭が行われているそうです。
弥山神社のある山頂は、標高なんと1895m!
天河大弁財天社の標高は海抜600m弱ですから、ここからの奥宮登拝はまさに修行ですね。

神秘に満ちた歴史を有する、天河大弁財天社について書いてきました。
パワースポットとして多くの参拝者が訪れる理由がわかりますね。
山深い印象はありますが、京阪神からのアクセスは意外に良く、近くの渓流や洞川温泉などの人気とも相まって、週末や夏季などは結構な道路渋滞が生じたりします。
個人的にはあまり人気が出すぎて、多くの人が押し寄せて欲しくないという気持ちもあります。
静かな環境で参拝したい方は、オフシーズンに、信仰心を持った仲間同士で訪れてみられてはいかがでしょうか。
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