母の備忘録 ①
母はあんまり料理が得意では無かったけど
冷凍食品やインスタントは使わず
一応料理はしてた。そこはえらい。
調味料もこだわってて(友人がそうだった)
添加物なしの調味料は今も引き継いでる。
ただ、強烈な人だったやった。
お弁当
中学の時、机寄せて仲のいい子同士で
お弁当食べるんやけど。
その時お弁当箱開けたら、ご飯の上に
焼いた鯵がどーんと一匹。
素早くふたして、お弁当かかえて中庭の
藤棚の下で独りで食べた。
仕事から帰ってきたシングルマザーに
『今日の鰺一匹弁当はいや!』
晩御飯の残りのおでんとご飯。
『もっと、なんか緑とかきれいなんして!』
といったら、観葉植物の葉っぱが入ってた!
食べられへんし。
それから自分でお弁当作ることなったの。
母の入院
私が小学校の高年の時に、子宮筋腫で入院した。
妹たちの世話をしないといけないし、
毎日病院に通って母の着替えと洗濯物
そしてご飯のレシピノートと買い物の
お金もらって病院の帰りに市場で買い物し
妹を保育所まで迎えに行って帰った。
ただ、母のレシピがね。
『茄子のはさみ揚げ』
いきなり揚げ物?料理本にしおりが
挟まれて。でも無知な私は必死で作った。
やけどいっぱいして、あれから茄子が
あんまり好きじゃない。
人生の料理の回数
退院した母は、こいつなんとか料理する
と、味を占めて、だんだん私に料理を
移行してきた。
中学のお弁当の抗議を何度か言った。
だって、相変わらずの詰め込み弁当。
ある日、母が私を目の前に呼んでいった。
『人生で料理する回数は決まとうねん。
私はその回数全部使ったから。
もうあかんから以後たのむわな。』
意味不明!でも、もう料理しないって。
そこから私の料理人生が始まった。
そのおかげで、お料理が得意になったかも。
だけど母のあの宣言は怖かった。
あ、写真は最近作った海老と菜の花。
これ作った時はまだワン、生きてたな。
