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頑張りたいのに頑張れない時、心と身体が「No」と言っている。

わたしには、頑張り続けるというスタンスだけが自分の価値だと、本気で思っていた時期があります。


他人よりも成長が遅かったり、病気がちだったり、気が弱かったり、泣き虫だったり。
そういう自分の姿にかなりコンプレックスを感じていたので、周囲の他人をよく見て、できるだけ周囲と近いリズム、ペース、成績を目指してきた学生時代でした。


そんな学生時代を過ごしていたら、
結果として「辛抱強く頑張る」ということは、呼吸をするくらいに、無理なくできるようになりました。


社会人として、ブラックな環境で経験を積むためのベースを築けていたので、どちらかと言えば、職に就くことには困らなかった方なんだと思います。

何の疑問もなく、頑張り続けていたので、自分がどこか追いやられているということも知りませんでした。


でも。

その「頑張る」という裏で、何が起こっているか。


それは、

わたしの中の“わたし”の欠落

です。


でも、わたしは、一番大切なものが抜け落ちているなんてことは、気づくことはありませんでした。


なぜなら、
頑張れるわたしが、わたしの価値
だと思っていたので。


本当は自分がないのに、
頑張っているのは、まぎれもない自分であり、
 それでこそ、わたしなのだ。

と、信じてやまなかった。

周りから求められている役割に染まるように、生きてきたのでした。



そこで、自分では気づけなかった違和感に対して、唯一警告を出し続けてくれたものがあります。

それが、

わたし自身の身体

でした。


どうしても頑張りたい時。

たとえば
仕事でも、何かプロジェクトがある時。


それの遂行に向けて、とにかく自分の仕事をこなし切ることが求められることがあるかもしれません。


わたしは、完璧主義でしたし、人並み以上に頑張るということをベースに生きてきたので、そのようなプロジェクトに立ち向かう時には、とにかく自分を無にして、がむしゃらにこなしていくことが常でした。


あともう少しで、ひと段落つくけど、今日の内にやっておこう。

とか、

この年度末には、実力のある先輩が退職されちゃうから、早く成長しなくては。

とか。

まるで自分を追い込むことが趣味かのように、仕事漬けになっていくのでした。


もう少し、頑張りきりたい。

食事もおろそかに仕事をこなして、ただ睡眠を取るためだけに、数時間自宅に帰る。
家と職場を往復するだけの日々は、自分の意思で続けてきたものでしたが、誰のことも幸せにしませんでした。


めまいに、高熱。
耳が聞こえなくなるという、体調不良。

当時は若かったですし、実家という甘えられる環境があったとは言え、

まともな時間に食事を摂っていなかったですし、
睡眠時間も最小限でしかなかったので、
今思えば当然のことなのですが、強制シャットダウンのような状態になりました。


そんな時でも

「今が大事な時期なのに、なんで。」

「頑張れるわたしでなければ、誰も認めてくれないのに。」

「這いつくばってでも、出勤しないと」

なんて、思っていました。

(本当に、今では信じられないくらいの仕事中毒でした。)




そんなわたしが、どのようにして
今のような「余白のある暮らし」を大切にするようになったのか?

一言で言えば、

挫折に直面したから

です。


  • 大学時代の親しい友人グループの中で、わたしだけ結婚式に呼ばれなかったこと。

  • 頑張るという姿勢だけで、環境を変えたり、成果を残したりすることはできないこと。

  • 自分の気持ちと努力だけで、事業をマネジメントし続けることはできないと気付いたこと。

  • 仕事漬けになる日々では、大切な人と暮らす中の小さな幸せに気付けないと知ったこと。

  • 大切な人に、心配させるだけでなく、気を遣わせてしまう日々に嫌気が差してきたこと。


黒歴史とも言えるような挫折たちは、
わたしの目の前に登場するたびに、それまでの価値観を壊し、心を大きく揺さぶってきました。


「頑張ることが、悪い」ということを、言いたいのではありません。

でも、

自分の為の「頑張り」によって、
大切なものを失っていないか?

と、自分に問うようになりました。



わたしの人生の中の大きな転機は、結婚。
その次に大きかった転機は、病気療養でした。


思うようにこなせない家事と仕事の両立。

ひとり時間が大切なわたしにとって、誰かと暮らすということも、ネガティブな方向へと働きました。


いつまでも若くないし、当然のように健康だと思っていた身体は、実は健康でい続けられる確証はない。

わたしも、大切な人も、時と共に年齢を重ねていくことは避けられないし、
当たり前の日常なんてものは、そもそもないのかもしれない。


半ば強制的に立ち止まったことによって生まれた「空白の時間」に、わたしは心が痛みながらも、その後の人生を大きく変えることになる、大切なものを知ったのです。


挫折体験を経て、
仕事のスタイルを変え、時間の過ごし方を見直しました。

本当に大切にしたいと思うものだけを、大切にして暮らしてみたら、

見える世界が、本当に変わりました。


振り返ってみると、
わたしは、挫折のたびに、

わたしを見つめ、取り戻して、
自分の暮らしをデザインし直してきた

んだと思います。


学生時代。あれほどまでに、周りと違うことを恐れていたのに、周りが当然のようにしている年齢相応の暮らしはできなくて。

結局、自分は周りを違うんだなということを
直面させられて、凹んでいるわけですが(笑)


こんな日々のわたしを支えてくれているのが、
余白を大切にできる暮らし」なのです。


わたしが背伸びしすぎずに暮らすことができるようになって、
身体がラクになったことは、言うまでもありません。


頑張らなくなったわけではないけれど、

そのままの自分で大丈夫

と思えたり、

安心して帰る場所がある

と感じられたり。


失ったものも多かったけれど、
自分にやさしくなれる余裕ができたら、

大切な人に、きつく当たることがなくなったり、
見える世界の中のやさしさも受け取れるようになれたり

わたしも、大切な人も、
心地よく過ごせる時間が、圧倒的に増えたと感じています。


自分を満たすこともするし、
あえて、完全に満たさないこともあります。


わたしが、絶妙なバランスを保ちながら、
暮らしの小さな選択ができるのは、

わたしの身体が発した「No」を受け取って、
自分の心地よさを知ったから

だと思っています。


「頑張りたいのに、頑張れない。」
その挫折を受け取るとき、心が痛みます。

「あの人は、できているのにな」
と、その方の全てが見えているわけではないのに、輝かしい姿、憧れる生活をしているように見せている人に対して、嫉妬のような感情が、芽生えることもあります。


ネガティブな気持ちも否定せずに、受け止める。

それが出来るのも、心に余白があるからかなと思うと、

至らなさやコンプレックスでいっぱいのわたしは、
ずっと「余白」に救われてきたのかもしれません。


これからも、痛い目を見たり、気づきを得たりして、
自分の暮らしを、等身大の自分に合わせて、デザインし続けていくことでしょう。



そんなRaMが、
心地よく暮らしていくために心がけていることや、
日々の小さな気づきを、お届けしています。



日々の中で、ふっと立ち止まって。

肩の力を抜いて、
自分の気持ちに耳を澄ませて。

また日常へ戻っていくためのエネルギーを回復する。


小さな余白のひとときをご一緒しませんか。



メンバーシップのプランは、2つあるのですが。

そっと安らぎプランは、月額500円。
RaMのメンバーシップ限定コンテンツのお試しができます。

このプランの価格設定としましては、
一緒にカフェに入って、コーヒー1杯を一緒に飲みながらおしゃべりする時間を過ごす、というイメージです。

作品の届く頻度は、ゆるやかとなります。


一方で、ほっと和みプランは、月額1500円。
こちらは、RaMの全て(過去から最先端まで!笑)を、まるっとお楽しみいただけるものです。

noteのメンバーシップにしては、割とお高めかなと思われます。

この強気とも思える価格設定としましては、
ちょっといいカフェで、美味しいスイーツとおしゃれな飲み物をいただきながら、ゆるやかな時間を過ごす、というイメージです。

毎日、何かしらのRaMの言葉が届きます。
RaM推しさんにとっては、こちらのほっと和みプランが人気です。


“わたし”でいられる時間を、大切に。

あなたにとっての必要なときに、
そっと覗きにきてもらえたらうれしいです。




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