ユン大統領はなぜ戒厳令を発令するに至ったのか・前編
●24年12月、ユン大統領戒厳令を発令
昨年2024年の12月3日にユン・ソンニョル大統領が突如として戒厳令(非常戒厳)を発令しました。
当時の楽韓さんのXのポストを見てみましょう。
発令から30分後に報じられた日経の記事を見た時のリアクションですが、「なにが起きてるの?」といった感じですかね。
んんんん?
— 楽韓Web (@rakukan_vortex) December 3, 2024
韓国大統領が非常戒厳を宣言 「野党が行政まひさせた」:日本経済新聞 https://t.co/nuy3VOAyFs
翌4日には国会が解除要求決議を賛成多数で可決し、それを受け入れる形でユン大統領が戒厳令を解除しました。
その後、12月7日にユン大統領に対する弾劾決議案が国会に提出されたものの、投票議員数が定数に満たず廃案。
そのまま通常国会は閉会となりました。
ですが、臨時国会が召集されて14日には再度の弾劾決議案が提出、この時には与党から造反議員が出て可決。
大統領罷免の可否は憲法裁判所の採決を待つこととなりました。
これを書いている時点ではまだユン大統領の罷免は決まっていませんが、5月から6月にかけて新たな大統領を選ぶための選挙が行われることでしょう。
●ユン大統領はなぜ戒厳令を発令せざるを得なかったのか
この戒厳令前後のおおまかな流れについてはさまざまなメディアで語られているので理解している人も多いと思われます。
しかし、なぜそもそもユン大統領は戒厳令を出したのかについてはあまり語られていないように感じられます。
ユン大統領が戒厳令を敷いた、敷かざるを得なかったのはピラミッドの一番頂点のキャップストーンだけの風景であり、ここに至るまでの基礎があるのです。
今回は戒厳令に至るまでの道筋について語ってみようと思います。
●戒厳令で行政停滞を打破するしか残されていなかった
結論から書けば、ユン大統領は政治的立場がまったくなくなった状況を打破しようとして戒厳令を出したのです。
国会から突き上げられ、国民からは支持を失い、どうしようもなくなったので大逆転の一手として戒厳令発令を行い、そして敗れ去った。
では、なぜそのような状況に追いこまれたのか。そこを解説してみましょう。
そもそもユン大統領は少数与党が擁する大統領として生まれました。
2022年5月時点での国会は野党である共に民主党が野党系無所属なども含めると180議席近くを確保している状況でした。
これは2020年の総選挙がムン・ジェイン大統領の信任投票的な意味合いを大きく持たされたために生じたものです。
●2020年総選挙からはじまっていた伏線
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