日本国憲法【第15回】総括・憲法改正 ――主権者としての決断と、これからの日本国憲法
【第15回】総括・憲法改正 ――主権者としての決断と、これからの日本国憲法
全15回にわたる「日本国憲法」の講義も、いよいよ今回が最終回となります。 第1回のガイダンスから始まり、基本的人権の精緻なカタログを一つひとつ読み解き、国家を動かす統治機構のダイナミズムを追ってきました。ここまで完走された皆さんの努力に、心からの敬意を表します。
最終回となる今回は、これまでの講義全体を総括しつつ、この巨大な国家の設計図を「書き換える」ための究極のルールである「憲法改正(第96条)」について学びます。 憲法を改正するのか、それとも守り抜くのか。それは一部の政治家や法律家が決めることではありません。主権者である私たち国民一人ひとりが、自らの頭で考え、決断しなければならない最大のテーマです。
1. これまでの講義の総括 ――私たちは何を学んできたのか
憲法改正という未来の話をする前に、私たちがこの講義で学んできた「憲法というものの本質」を振り返っておきましょう。
① 立憲主義 ――権力を縛る鎖(第1部)
第1回で学んだ最も重要な概念が「立憲主義(りっけんしゅぎ)」です。 法律が「国家が国民を縛るルール」であるのに対し、憲法は「国民が国家権力を縛るルール」です。国家権力は、放っておけば必ず暴走し、国民の自由を奪います。その怪物に鎖をかけ、国民の権利を守るための防波堤、それが憲法でした。
② 基本的人権の保障 ――歴史の闘争の結晶(第2部)
第4回から第10回にかけて、私たちは多様な人権を学びました。 国家に心の中を覗かれない「精神的自由」、自らの力で生き抜くための「経済的自由」、不当な逮捕や拷問から身を守る「人身の自由」、そして国家に人間らしい生活の保障を求める「社会権」。 これらは決して、国家から恩恵として与えられたプレゼントではありません。「自由への不断の努力(第12条)」によって、人類が血と汗を流して権力から勝ち取ってきた歴史の結晶です。だからこそ、憲法はこれらを「侵すことのできない永久の権利」として宣言しているのです。
③ 統治機構 ――人権を守るための精緻なシステム(第3部)
第11回から前回にかけて学んだ国会、内閣、裁判所、そして地方自治。これらは、権力が一箇所に集中して独裁が起きないようにするための「安全装置」です。三権分立による「抑制と均衡(チェック・アンド・バランス)」は、すべて「国民の人権を守るため」という一つの目的に奉仕するために設計された、極めて論理的なメカニズムでした。
2. 憲法改正の手続(第96条)と「硬性憲法」
この美しくも精緻な設計図である日本国憲法は、1946年(昭和21年)の公布以来、ただの一度も改正されたことがありません(一度も改正されていない憲法としては、現存する世界最古クラスです)。 なぜ、日本の憲法はこれほどまでに変わらないのでしょうか。それは、憲法自身が「簡単に書き換えられないような厳格なルール」を自らに課しているからです。
日本国憲法 第96条第1項 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
このように、通常の法律(出席議員の過半数で成立)よりも、改正のために極めて厳しい条件が設定されている憲法のことを「硬性憲法(こうせいけんぽう)」と呼びます。
なぜ「硬性」にする必要があるのか?
もし、憲法が通常の法律と同じように「国会の過半数」で変えられるとしたらどうなるでしょうか。 選挙で大勝し、過半数を握った政党(時の権力者)が、「明日から野党の表現の自由を制限する」「総理大臣の任期を永久にする」と憲法を書き換えることができてしまいます。これでは、権力を縛るはずの憲法が、権力者の都合の良い道具(軟性憲法)に成り下がってしまいます。 一時的な世論の熱狂や、多数派の暴走から、少数者の人権や民主主義の根幹を守り抜くため、憲法はあえて「変えにくく」作られているのです。
憲法改正の2つの高いハードル
第96条が定める手続きは、大きく2つの段階に分かれています。
ハードル①:国会による「発議(はつぎ)」
まず、国会が「憲法のここを変えませんか?」と国民に提案(発議)しなければなりません。 その条件は「衆議院と参議院、それぞれの『総議員』の3分の2以上の賛成」です。「その日、議場に出席していた議員」ではありません。「全議席」の3分の2です。これは、与党だけで達成することはほぼ不可能であり、野党を含めた幅広い合意形成が絶対に必要となる、極めて高いハードルです。
ハードル②:国民による「承認(国民投票)」
国会が発議しても、まだ憲法は変わりません。最終的な決定権は、主権者である私たち国民の手に委ねられます。 憲法改正案は国民投票にかけられ、「有効投票総数の過半数の賛成」を得て、初めて承認されます。(※現在は「国民投票法」が整備され、18歳以上の国民に投票権が与えられています)。
承認された憲法改正は、天皇が「国民の名で」直ちに公布します。
3. これからの日本国憲法と私たちが直面する課題
手続きの厳格さゆえに、憲法改正は日本政治における「開かずの扉」となってきました。しかし、制定から80年近くが経過し、社会の姿は激変しました。現在、この扉を開けるべきか否か、以下のような重大な論点が突きつけられています。
① 第9条と自衛隊の明記
最大の争点が、第3回の講義で学んだ「平和主義と第9条」です。 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定める第9条と、世界有数の実力組織である「自衛隊」の存在。この「条文と現実の巨大なズレ」をどうするのか。 「憲法違反の疑いをかけられながら命を懸ける自衛隊員のために、憲法に自衛隊の存在を明記すべきだ」という改憲論と、「明記すれば、これまでの平和主義の足かせが外れ、海外での武力行使が無制限に広がる危険がある」という護憲論が、今も激しく衝突しています。
② 緊急事態条項の創設
大地震などの大災害や、未知のウイルスのパンデミック、あるいは他国からの武力攻撃など、国家の存亡に関わる「緊急事態」が起きたとき、どう対応するか。 「平時のルールでは対応できない。一時的に内閣に権力を集中させ、国民の権利を制限できる『緊急事態条項』を憲法に書き込むべきだ」という意見があります。 一方で、「過去の歴史を見れば、独裁者は常に『国家の危機』を口実にして権力を奪ってきた。危機に乗じて権力を集中させる条項こそ、最も危険である」という強い反対意見もあります。
③ 「新しい人権」の明記や、一票の格差の是正
第10回で学んだ「プライバシーの権利」や「環境権」などを、第13条の解釈に頼るのではなく、明文として憲法に書き込むべきだという主張もあります。 また、第9回で学んだ「一票の格差」問題に関連して、過疎化が進む県から必ず1人は国会議員を出せるようにするため(合区の解消)、選挙のルールを憲法レベルで修正すべきだという議論もあります。
「解釈」で乗り切るか、「明文」を変えるか
憲法学者の間でも意見は分かれます。 「社会の変化には、裁判所の判決や新しい法律による『憲法の解釈のアップデート』で十分に対応できる。むやみに条文をいじるべきではない」という立場と、「解釈でごまかし続ければ、憲法というルールの信用そのものが失われる。現実にあわせて正々堂々と条文を変えるべきだ」という立場です。
正解はありません。だからこそ、主権者である私たちが、自らの頭で考えなければならないのです。
講義の結びにかえて ――「不断の努力」を引き継ぐ者として
全15回の講義を通じて、皆さんは日本国憲法という「国家の取り扱い説明書」を読み解く視点を手に入れました。
法律や憲法は、六法全書の中に閉じ込められた活字ではありません。 「なぜ私の表現の自由が奪われるのか」「なぜ私が理不尽に逮捕されなければならないのか」「なぜ私の働く環境はこんなにも過酷なのか」。そうした、市井の人々の怒りや悲しみ、そして「人間らしく生きたい」という切実な願いが積み重なってできた、生々しい人間のドラマそのものです。
日本国憲法 第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
憲法は、私たちが何もしなくても自動的に人権を守ってくれる「魔法のバリア」ではありません。私たちが主権者としての自覚を持ち、社会の不条理に対して声を上げ、時には裁判を起こし、選挙で一票を投じるという「不断の努力」を続けて初めて、憲法は生きた力を持つことができます。
憲法を変えるべきか、守るべきか。 どんな社会を次の世代に手渡すべきか。 その重い決断のバトンは今、この講義を修了した皆さん一人ひとりの手に委ねられています。
長きにわたるご受講、本当にありがとうございました。皆さんがこの講義で得た「リーガルマインド(法的思考力)」が、今後の人生において、不当な力から自分と大切な人を守る強力な武器となることを心から願っています。
【修了試験】(第15回・最終確認テスト・全5問)
本講義の総決算となる修了試験です。国家試験や大学の期末試験でも最も基本かつ重要な「憲法改正手続き」と「立憲主義」の核心を問う問題です。有終の美を飾ってください。
【問題1】 本講義の第1回で学んだ、憲法を貫く最も根本的な思想に関する問題です。「国家権力は乱用される危険があるため、憲法という最高法規によって権力を制限し、国民の自由と権利を守らなければならない」とする政治的な基本理念を何と呼ぶか。
【問題2】 憲法第96条が定める憲法改正の手続きにおいて、国会が憲法改正の「発議」を行うためには、衆議院および参議院のそれぞれで、どのような議決が必要とされているか。「〇〇〇の〇分の〇以上の賛成」という形式で答えなさい。
【問題3】 憲法改正案が国会で発議された後、最終的に改正を承認するために行われる国民投票において、可決されるために必要な条件は何か。
【問題4】 日本国憲法のように、通常の法律(出席議員の過半数で成立)を制定・改廃する手続きよりも、厳格で困難な改正手続きが定められている憲法のことを、学問上何と呼ぶか。
【問題5】 憲法改正が国民投票によって承認された後、その改正案は直ちに「国民の名で」公布されます。日本国憲法において、この憲法改正の「公布」を行う権限を持つのは誰(どの地位にある者)か。
【修了試験:解答と詳細な解説】
【問題1:解答】 立憲主義(りっけんしゅぎ)
【解説】 近代憲法を学ぶ上で絶対に外してはならない大前提です。憲法は「国民が守るべき道徳の教科書」ではなく、「国家(政治家や公務員)が守らなければならない命令書」です。憲法改正の議論においても、「その改正案は、国家権力を縛るという立憲主義の本来の目的に沿っているか、それとも権力を解放してしまうものか」という視点が極めて重要になります。
【問題2:解答】 総議員の3分の2(以上の賛成)
【解説】 ここでの最大の引っかけポイントは「出席議員」ではなく「総議員」であるという点です。例えば、病気や海外視察で欠席している議員がいても、その分ハードルが下がるわけではなく、あくまで「全議席数の3分の2」の賛成が必要です。特定の政党が一時的なブームで多数派になっても、簡単には憲法の根幹を覆せないようにするための極めて重い「安全装置」です。
【問題3:解答】 有効投票の過半数の賛成
【解説】 国会での発議は「3分の2」という高いハードル(特別多数決)ですが、国民投票の段階では「過半数(2分の1超)」の賛成で承認されます。なお、国民投票法の規定により、白票や無効票は除外され、純粋に「賛成」と「反対」の有効投票のうち、賛成が過半数を占めた場合に成立します。ここで初めて、主権者たる国民が直接的に国家の最高法規を決定するというダイナミズムが生まれます。
【問題4:解答】 硬性憲法(こうせいけんぽう)
【解説】 通常の法律と同じ手続き(議会の過半数など)で簡単に改正できる憲法を「軟性憲法(なんせいけんぽう)」と呼ぶのに対し、改正手続きが厳格に設定されている憲法を「硬性憲法」と呼びます。日本国憲法は、世界各国の憲法と比較しても改正の手続きが特に厳格な、非常に「硬い」憲法に分類されます。これは、人類が多大な犠牲を払って獲得した基本的人権を、多数派の暴走から守り抜くための知恵です。
【問題5:解答】 天皇(てんのう)
【解説】 憲法第96条第2項は、「憲法改正が承認されたときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」と定めています。天皇は国政に関する権能を有しません(第4条)が、主権者である国民が決定した憲法改正を、国事行為(第7条第1号)として形式的に広く国民に知らせる(公布する)役割を担っています。
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