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時にかなって美しい

最近エレミヤ書と並行で詩篇も読んでいる。

前回少しふれたが、お客さんの助言により、今週は母教会ではなく実家近くにある同じ教団の礼拝に行ってみた。
運転に自信がない私は、初めて行く場所の駐車場のことを考えてアタフタしないため、バスで行くことにした。

実家から徒歩30秒のバス停に着く前に、
36円を拾った。
バスの出発時間は27分だ。
詩篇は私からすると前後感覚が感じられない書のため、ふと目についた数字を記憶しておいて、その数字の箇所を与えられたものと受け取り、1日の終わりに読むことがある。


車に乗らなくて楽かと思いきや、乗り慣れないバスに緊張して、予定していたバス停の一つ前のボタンを押してしまった。
その分歩けば良いかと思っていたら、すぐに屋根の上の十字架が見えた。
このバス停で正解だった。
屋根が見える距離なので、歩いたら数分で着いてしまいそうだったが、飲み物を用意していなくて困った。
喉がカラカラなのだ。
そう思っているうちに教会についてしまった。
教会で自販機の場所を聞こうと入ってみたら、
自由に飲める麦茶の用意があった。
なんだかラッキーが続く。

礼拝が始まる30分前に着いたので、すでに集まる人達は賛美の練習に集中していた。
受付に人はいない。
家に帰るつもりで聖書をもっていなかったので、教会で借りた。
私は先に頭にメモしていた詩篇箇所を読んだ。
36篇、27篇、
不思議とどちらも裁きや復讐の印象が残った。
心当たりはあまりない。

しかし、時間になり賛美が始まると、
招きの聖句が、
なんと直前に読んでいた詩篇27篇だった。

ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。 命のある限り、主の家に宿り 主を仰ぎ望んで喜びを得 その宮で朝を迎えることを。」

‭‭詩編‬ ‭27‬:‭4‬ 新共同訳‬

偶然に驚いたが、それでもなんのことかまだわからない。
しかし、続いての賛美は讃美歌56の「七日の旅路」だった。

七日なぬかの旅路 安けく過ぎて
御前に集い かしこみ仰ぐ
今日こそ天あめの 休みのしるし

讃美歌56  

最後の歌詞で私の心はくずおれた。
久々に賛美で号泣してしまった。
神様は過剰適応して家族に当たり散らし、それでなお疲れ果てている私に、哀れみをかけ、せめて教会で休めと言っているのだ。
過剰適応の処方箋は、「休め」なのだ。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

‭‭マタイによる福音書‬ ‭11‬:‭28‬ 新共同訳‬


バス停も、お茶も、選ばれた聖句も全てがその日の私のために用意されていたのだ。
(もちろん同じように他の人のためにでもあるが。)
このことから、ただ家でダラダラすることだけが、この聖句でいう休むことにはならないことがわかる。

説教は、民数記14章1から10節。
ここの教会は母教会と違い、講解説教(同じ書を順番に解き明かすタイプの説教)ではなく、私の頭の中のようにピンポイントで聖句を選ぶタイプの説教だ。
カナンの地の偵察後に、ヨシュアとカレブ以外の10士族の選出者が、モーセとアロンに反逆する下りだ。
カナンの地でみた現実は変わらないはずなのに、ヨシュアとカレブ以外の民は、見てきたものに対して真逆の答えを出す。
その違いもやはり神様の約束を信じるか、信じないかの違いだと牧師が解き明かしていた。

私がここのところ暗いのも、現実の困難さばかり見つめて、神様の解放の約束を信じないことからきていたのだと思う。
このことを悔い改めたいと思う。

「主はわたしに油を注ぎ 主なる神の霊がわたしをとらえた。 わたしを遣わして 貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。 打ち砕かれた心を包み 捕らわれ人には自由を つながれている人には解放を告知させるために。

‭‭イザヤ書‬ ‭61‬:‭1‬ 新共同訳‬

礼拝後の茶話会に、少しだけ参加させてもらったら、驚いたことにうっすら面識がある人(町内の別のお店の子息)がいて、早々に盛り上がった。
何で信仰を持ったのか、またいずれ聞いてみたい。
教会で知り合うことはあっても、知り合いが教会で会うのはすごく珍しいと、長老の方も喜んで下さった。トラクト(パンフレットみたいなもの)も貰えたので、早速店に置かせてもらった。

また、同じ日に久しぶりに教会にきていた方が、
自分の話と引き合いにこの聖句を語っていた。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。

‭‭伝道の書‬ ‭3‬:‭11‬ 口語訳‬

ああ、それだな。
と全く違う文脈なのに、同じ聖句に私も心を打たれた。こうして、神様に美しい時が与えられたからだ。
みことばと、みことばを共有できる大きな家族の中にいられることは、日本という荒野において、クリスチャンにとっての恵み、唯一無二の憩いだ。
とても元気をもらえた。


36編についての解き明かしについては、
新たな時を待ちたい。