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なぜ、ちいかわたちは「さすまた」を持っているのか?

さすまたが売れている。

防犯用のさすまたではない。

ちいかわの、さすまたである。

ちいかわマーケット 公式グッズショップでも「売り切れ」の人気ぶり(;^_^A。

水色とピンクの「まじかるちいかわ さすまたステッキ」。

ハートがついている。

羽根までついている。

もはや捕物道具の面影はほとんどない。

そして――売り切れている。

ほかにも、空気でふくらませるソフトさすまたなど、さすまたをモチーフにしたグッズがいくつも商品化されている。ちいかわブームのなかで、いつの間にか「さすまた」までが、欲しくなるキャラクターグッズになっている。


そもそも、さすまたは「かわいい」とは正反対の場所にあった。

学校。

銀行。

店舗。

公共施設。

不審者が侵入したときのため、壁の隅に立てかけてある。

できれば、一度も使わずに済ませたい道具である。

さらに遡れば、刺股は江戸時代の捕物道具として知られ、
突棒、袖搦とともに「三つ道具」と呼ばれた。

刺股は江戸時代から突棒・袖搦とともに犯罪者などを捕らえるために使われた道具とされている。

つまり、ずっと以前からある。それは、必要だから置いておくものだった。

「かわいいから欲しい」などというものではない。

ところが今、そのさすまたが、ピンク色になり、ハートと羽根をつけ、売り切れている。なぜ、こんなことになったのだろう。


そもそも、なぜ、ちいかわたちは「さすまた」を持っているのか?

ちいかわたちは、なぜ、さすまたを持っているのだろう。

剣ではない。銃でもない。ヒーローが持つような格好いい武器でもない。

しかし、あらためて考えてみると、この選択は実によくできている。

なぜなら、さすまたは、「強い者の武器」ではないからだ。


さすまたは「弱い武器」

さすまたでは、相手を倒すことは難しい。

二股に分かれた先端で相手との距離を保ち、

「そこで止まって」と押しとどめるのが、精いっぱいだ。

倒すのではなく、近づかせない。
傷つけるのではなく、距離を取る。

つまり、勝つための武器というより、負けないための道具だ。

ちいかわたちは、強くない。でかつよとは違う。

怖がる。

泣く。

逃げる。

失敗する。

試験に落ちることもある。

働かなければならない。

討伐にも行かなければならない。

そして、自分たちよりずっと恐ろしいものに出会う。

ちいかわの世界は、絵だけを見れば、どこまでもかわいい。

けれど、その世界の仕組みは意外なほど厳しい。

労働がある。

報酬がある。

資格がある。

危険がある。

そして、理不尽なことも起こる。

その世界で、小さくて弱い者たちが生きている。

だからこそ、

剣ではなく、

銃でもなく、

さすまたなのである。

「倒す」のではなく、ちいかわたちが「生き延びる」ための武器に見える。

ヒーローの物語では、主人公は成長して強くなる。

強敵を倒す。

新しい技を覚える。

強い武器を手に入れる。

そして世界を救う。

しかし、ちいかわたちは少し違う。

もちろん成長はする。

けれど彼らの魅力は、圧倒的に強くなることにはない。

怖いものは、やっぱり怖い。

泣くときは泣く。

逃げるときは逃げる。

それでも、

なんとか今日を生きる。

友だちとご飯を食べる。

働く。

眠る。

また次の日が来る。

そう考えると、さすまたは、実によく似合う。

それは、敵を倒すための武器ではなく、自分の生活を守るための道具。


さすまたは「かわいいもの」になった

ここで面白い反転が起きる。

本来なら物々しいはずのさすまたが、ちいかわたちが持ったことで、
かわいく見えてくる。

そして今度は、そのさすまたそのものが商品になる。

小さくなる。やわらかくなる。ピンクになる。水色になる。
ハートがつく。羽根がつく。

そして、売り切れる。

ちいかわブームによって起きているのは、単に「キャラクターグッズが売れている」ということだけではない。

本来なら欲しいと思わなかったものまで、

ちいかわたちが持っていることで、欲しくなってしまう。

キャラクターが商品の価値を変えたというより、

ものの意味そのものを変えてしまった

と言ったほうが近いのかもしれない。


怖いものを、かわいくする。

これは、ちいかわという作品そのものにも似ている。

ちいかわの世界には、怖いものがたくさんある。

討伐。

労働。

試験。

失敗。

貧しさ。

別れ。

変異。

そして、自分ではどうにもならない理不尽。

けれど、それらはすべて、

小さく、

丸く、

やわらかな線で描かれている。

だから私たちは笑って見ていられる。

しかし、よく考えると、けっこう怖い。

怖いものを消すのではなく、かわいい姿にして見せる。

それが、ちいかわの世界なのかもしれない。

さすまたも同じである。


さすまたは「距離」の道具である。

さすまたには、ほかの武器にはない特徴がある。

それは、距離そのものが道具になっている、ということ。

刀なら、相手と戦う。

縄なら、相手を縛る。

手錠なら、相手を拘束する。

しかし、さすまたは、相手との間に長い一本の棒を置く。

その長さが、そのまま境界線になる。

ここから先には来ないで。という意思表示。


私たちも「見えないさすまた」を持っている

人とつながりたい。

でも、近づきすぎると疲れる。

SNSでは誰かの日常を見る。

でも、自分の日常にまで入ってきてほしくはない。

誰かに分かってほしい。でも、全部を知られるのは嫌だ。

友人でも、

家族でも、

職場の人でも、

好きな人でも、

近すぎず、

遠すぎず、

ちょうどいい距離でいたい。

だから私たちは、ときどき相手に言う。

「そこまでね」

つながりたいけど、近づきすぎると疲れる。「そこまでね」という見えない「さすまた」がある。

「そこまでね」という、見えない「さすまた」が稼働する。

ちいかわたちが持っているさすまたが妙にかわいく見えるのは、

私たち自身もまた、そんなふうに世界との距離を測りながら生きているからなのかもしれない。

さすまたとは、弱い者が世界と一緒に生きていくための、かわいい境界線なのかもしれない。

電車という狭い空間に一緒にいる。それでも、それぞれが、自分の領域をつくっている。

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