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通貨の信用範囲

信用という名の通貨
人間の交易は、もともと物々交換から始まった。
魚と米を交換する。
野菜と布を交換する。
自分に余っている物と、相手が持っている物を取り替える。
理屈としては簡単だが、実際には不便である。
自分が魚を持っていて米が欲しいとしても、相手が魚を欲しがっていなければ交換は成立しない。
そこで人間は、皆が価値を認める共通の仲立ちを作った。
それが通貨だった。
魚を直接米に替えなくても、
魚を売ってお金に替え、
そのお金で米を買えばよい。
たったそれだけで、交易の自由度は一気に広がった。
考えてみれば、これは凄い発明である。
しかも通貨は、ただ物を交換するためだけの道具ではなくなった。
価値を測る物差しにもなり、
今日得た価値を明日へ持ち越す手段にもなった。
ところが、私は中学生の頃、銀行というものに妙な疑問を持ったことがある。
銀行は、人様のお金を預かるところだと思っていた。
ならば、
「預かったお金を、どうして別の人に貸してしまうのだ?」
と。
例えば三人から一万円ずつ預かれば、手元には三万円ある。
そこへ誰かが来て、
「二万円貸してください」
と言えば、銀行はそこから二万円を貸す。
では翌日、最初の三人が全員、
「一万円ずつ返してください」
と言ったらどうなるのだろう。
二万円は貸してしまったのだから、足りないではないか。
子供ながらに、
「これって、ちょっとインチキじゃないか?」
と思った。
大人になって知ったのは、銀行というものは、預けた一万円札そのものを一人ずつ分けて金庫にしまっている訳ではないということだった。
預金者は銀行に対して、
「この金額を返してもらえる」
という権利を持つ。
銀行は集めた資金を貸し出しや運用に回し、その一方で、いつでも引き出しに応じられるよう資金を管理する。
つまり銀行を支えているのは、金庫の中の現金だけではない。
明日行っても、ちゃんと返してもらえる。
という信用である。
もし、この信用が一気に崩れ、
「危ないらしいぞ。皆、今すぐ全部下ろせ。」
となれば、取り付け騒ぎになる。
どれだけ立派な建物でも、信用が崩れれば銀行は弱い。
逆に言えば、銀行という仕組みは、巨大な信用の上に立っている。
似たことは、保険会社にも言える。
保険会社も、加入者全員が同時に最大額の保険金を受け取ることを前提に現金を積み上げている訳ではない。
事故が起きる人。
病気になる人。
亡くなる人。
その確率を見積もりながら、多くの人から集めた保険料でリスクを分け合っている。
ここでも大切なのは、
「いざという時には払ってもらえる」
という信用である。
公営競技もまた、少し形は違うが面白い。
競馬や競輪などでは、皆が賭けた金を一つの大きなプールに集め、その中から一定割合を差し引き、残りを的中者で分ける。
大穴に一人しか賭けていなければ、その人の配当は大きくなる。
しかし大勢が同じ大穴を当てれば、一人当たりの配当は小さくなる。
つまり胴元が、無限に大きな支払いを背負う仕組みにはなっていない。
その反対に、昔からある不正なノミ行為は危うい。
皆から馬券代を集めながら、実際には券を買わず、全員外れれば集めた金を懐に入れる。
けれど誰かが大穴を当てれば、本来の配当を自分で払わなければならない。
そこで一気に破綻する。
ここでも結局、
集めた金と、将来の支払い義務をどう管理するか
という問題に行き着く。
そして通貨そのものも、国と国の間で交換される。
円とドル。
ドルとユーロ。
その交換価値は、毎日、いや時々刻々と変わる。
金利。
物価。
景気。
戦争。
選挙。
企業の決算。
中央銀行の発言。
ニュース一つで、チャートが大きく跳ねることも珍しくない。
面白いのは、良いニュースが出たから必ず上がるとは限らないことだ。
市場がもっと良い結果を期待していれば、
「良かったけれど、思ったほどではない」
として下がることさえある。
逆に悪い数字でも、
「予想ほど悪くなかった」
として上がることもある。
相場とは、単なる数字の列ではない。
そこには、人間の期待と不安、欲と恐れが映っている。
こう考えると、お金というものは、実に不思議である。
最初は、物と物を交換する不便を解消するための道具だった。
やがて銀行が生まれ、保険が生まれ、相場が生まれた。
今では、物そのものではなく、知識や技術、将来の利益、さらにはリスクにまで値段が付く。
それでも、その中心にあるものは案外変わっていない。
信用である。
紙幣そのものに価値があるのではない。
銀行の数字そのものに価値があるのでもない。
この紙は使える。
この銀行は返してくれる。
この保険会社は払ってくれる。
この通貨は明日も受け取ってもらえる。
皆がそう信じるから、お金は動く。
だから私は思う。
通貨とは、金属や紙や数字の姿を借りた、
「信用の持ち運び装置」
なのかもしれない。
そして私たちは毎日、その信用を渡し、受け取り、また誰かへ手渡して暮らしている。
お金の正体を突き詰めていくと、最後に残るのは紙でも硬貨でもない。
人と人との間にある、
信用という名の通貨
なのだと思う。

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