🪶私が考える創作について ― それでも、私は書いている ―
👋ご挨拶
こんにちは。小森 信です。
今日は、創作について書いてみようと思います。
創作論――なんて言ってしまうと、少し大げさですね。
そもそも、私に「創作論」なんてものがあるのか?
よく分かりません。
ただ、これまでいくつもの小説や詩を書いてきて、そのたびに考えてきたことがあります。
私は、何のために書いているのだろう?
今日は、そんなことを考えながら書いてみます。
肩の力を抜いて、お付き合いいただければ幸いです。
たぶん、きれいな答えは出ないと思うので……
✍️自分の書きたいものを書けばいいのか?
「自分の書きたいものを書けばいい」
創作をしていると、よくそんな言葉を耳にします。
確かに、その通りだと思います。
人の評価ばかり気にしていたら、書きたいものなんて書けなくなってしまうから。
だから、自分の書きたいものを書く。
それでいい……
えっ、本当に?
どうにも、私はそこまで割り切ることができないようです。
せっかく書いたのだから、多くの方に読んでもらいたい。
できれば「面白かった」と言ってほしい。
スキがつけば嬉しいし、コメントをいただけば、何度でも読み返してしまいます。
逆に、一生懸命書いた作品がほとんど読まれなければ、やっぱり寂しい。
noteを始めたばかりの頃は、毎日のようにそう感じていました。
「数字なんて関係ない」
そんなふうに格好よく言えればいいのですが、私には無理なようです。
なぜなら、読んでもらいたくて作品を公開しているのだから……
そうじゃなかったら、最初から、投稿せずにしまっておけばいい。
だから私は、読まれたい。
評価もされたい。
できることなら、たくさんの人に読んでもらいたい。
これはもう、素直に認めてしまおうと思います。

🌱でも、数字だけなのかな?
ところが困ったことに、数字が増えれば満足かというと、そうではありません。
たくさん読まれた。
たくさんスキをもらった。
もちろん嬉しい。
ものすごく嬉しい。
でも、しばらくすると、
「それで?」
という気持ちが、どこからか湧いてくる。
なんとも面倒くさい人間です。
読まれなければ寂しいくせに、読まれたら読まれたで、それだけでは満足できない。
では、私は何が欲しいのだろう。
たぶん――
残ってほしいのだと思います。
数字ではなく、その人の心の中に……
小説なら何千字もかけて。
五行詩ならたった五行で。
形は違っても、
同じものを探している気がします。
読み終えたあとに。
一週間後でも、一年後でもいい。
夕暮れを見たとき。
電車の窓から外を眺めているとき。
誰かと別れたとき。
ふと、
「あんな物語があったな」
と思い出してもらえたら。
それは、100のスキより嬉しいのかもしれない。
……いや、100のスキも欲しいですけどね。
📖全部、説明しなくてもいい
以前の私は、作品の中で、もっと説明していたように思います。
この人物は、こう思っている。
この場面には、こんな意味がある。
だから最後は、こうなる。
読者にちゃんと分かってもらわなければ――
小説を書いた経験がなく、仕事で報告書や論文ばかり書いていたからでしょうか(そもそも、行間を読む必要がある報告書ってどうですかね)。
でも、物語を書いているうちに少しずつ変わってきました。
全部を説明しなくてもいいんじゃないか。
説明しない方が、残るものもあるんじゃないか?
五行という短い詩を書くようになって、そのことを強く感じるようになりました。
たった五行しかない。
当然、すべてを書くことなんてできません。
だから削る。
また削る。
すると不思議なことに、言葉を減らしたところに、読んだ人が自分の記憶を重ねてくれることがある。
「ああ、そうか!」と思いました。
作者が全部書いてしまったら、読者が入ってくる場所がなくなるんだ。
物語には、少しくらい空いている椅子があった方がいい。
そこに誰が座るのかは、作者が決めなくてもいい。
🌇私は、なぜこんな話ばかり書くのだろう
自分の作品を振り返ると、似たようなものが何度も出てきます。
別れ。
時間。
家族。
届かなかった言葉。
選ばなかった人生。
そして、夕暮れ。
「またか」
と自分でも思います。
もっと明るい話を書けばいいのに。
もっと痛快な話を書けばいい。
もっと、書いても読んでもワクワクするような話だってあるだろう。
そう思うのですが、気がつくと、また誰かが夕暮れの中に立っている。
困ったものです。
でも、おそらく私は、そういうものに心を動かされるのでしょう。
人生を変えるのは、大事件ばかりではありません。
言えなかった「ありがとう」。
あと五分だけ待っていれば会えた人。
あの日、右ではなく左へ曲がっていたら。
そんな小さなことが、何年も心に燻ぶり続けることがあります。
私は、そういうものを書きたいんだと思います。
たぶん、今のところは……

🕊️作品は誰のものなのか?
最近よく考えます。
作品は誰のものなのか。
もちろん、作者のものです。
登場人物を生んだのも、言葉を選んだのも私です。
だから私の作品です。
でも、公開したあとも、本当に私だけの作品なのでしょうか?
読んだ人が、
「私はこう感じました」と言ってくれる。
ときには、
「そんなふうに読めるのか?」
と、書いた本人が驚くことさえあります。
以前なら、
「いや、そこはそういう意味ではなくて……」
と言いたくなったかもしれません。
でも、今は少し違います。
それでもいいじゃないか、と思う。
私が書いた物語が、その人の人生を通って、別の物語になった。
だったら、それでいい。
むしろ、それがいい。
作品が私の手を離れて、ひとりで歩き始めたように感じるからです。
🌸作者なんて、忘れられてもいい
ここまで書いてきて、
ようやく最初の問いに戻ります。
私は、何のために書いているのだろう?
読んでもらいたい。
評価されたい。
できれば本を出版したい。
創作で収入を得られたら、もちろん嬉しい。
賞だって取りたい。
……ずいぶん欲張りです。
でも、それより先にあるものを考えると、少し違う景色が見えてきます。
いつか私がいなくなったあと、
誰かが偶然、私の作品を読む。
作者の名前なんて知らなくてもいい。
小森 信という人間が、どんな人生を送ったのかなんて知らなくてもいい。
ただ、その人が、たった一行に立ち止まってくれたら。
ページを閉じたあと、ほんの少しだけ何かを感じてくれたら。
それでいいのかもしれません。
……
いや。
本当にそれだけでいいのかな。
できれば名前もちょっとくらい覚えていてほしい。
そう思う自分もいます。
人間なんて、そんなものなのでしょう。
それでも最後には、
作品が残ってくれればいい。
やっぱり、そこへ戻ってきます。
私より長く。
私の知らない誰かのところまで、
物語がひとりで歩いていってくれたら。
それは、とても幸せなことだと思います。
まあ、本も買って欲しいですけど!

🍃おわりに
結局、立派な創作論にはなりませんでしたね。
書けば書くほど、分からないことが増えたような気さえします。
でも、それでいいのかもしれません。
何のために書くのか。
誰のために書くのか。
何を残したいのか。
そんなことを考えながら、
迷いながら、それでも書く。
そして、ときどき考えるのをやめる。
考えるな。感じるんだ。
自分の心が動いたものを、とりあえず書いてみる。
うまく書けなければ、また別の日に書けばいい。
今の私にとって創作とは、
答えを書くことではなく、
答えのないものを、書き続けることのようです。
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