見出し画像

迷探偵カノンの成長日記 ― M&K探偵事務所事件簿 ―

あらすじ

 六歳のとき、事故で両親を失った少女のカノン。
 身寄りのない彼女を救い育てたのは、刑事のマコトだった。

 二十年後――
 カノンはマコトの探偵事務所で新人助手として働いていた。

 ネコ探し、失踪事件、地上げ――
 次々と舞い込む依頼に振り回されながら、カノンは守られる側から守る側へと成長していく。
 しかし、その裏では、父シンジの死にまつわる巨大な陰謀が静かに動き始めていた。

 亡き親友との約束を胸にカノンを守り続けるマコト。そして、いつか自分も誰かを守る側になりたいと願うカノン。

 笑いあり、涙あり、少し切ない恋心あり。

 「守る」とは何か――

 迷探偵カノンの成長と、隻眼の名探偵マコトとの絆を描く、探偵物語風のヒューマンドラマ。


罠―狙われた約束①

 「……カノン……カノン!」

 夢の中で、誰かの優しい声が響く。

 「考えるな。感じるんだ!」

 その不思議な言葉に手を伸ばす。

 「……ん?」

 「ううっ! 頭、痛ったあ!」

 カノンは目を覚ました。
 こめかみが脈打ち、首筋から肩にかけて鉛のように重苦しい。

 「さっきの夢、何だったの?」

 一瞬、夢の声が蘇る。
 だが、押し寄せる頭痛にすぐかき消された。

 「ここはどこ? いま何時なの?」
 朦朧とした意識で、スマホを探す。

 「スマホ?」
 ――いや、違う!

 別の何かが握られている!
 固く、冷たく、ズシリと重い。

 暗がりの中、窓からこぼれる光に照らしてみる。

 カノンの小さな右手に握られていたのは……
 マコトの拳銃だった――

 「ちょっと、待って!」
 「私、撃っちゃったの?」

 おぼつかない手で銃の弾倉を調べてみる。
 あるはずの弾が一発だけない――

 冷たい汗が首筋を伝う。

 辺りを見回そうにも、体が言うことを聞かない。

 「もう、なんなのよ!」

 汗を拭おうと、痺れる左手を動かした。
 すると、その拍子に何かに触れた。
 ドロッとして、生暖かい……

 「……ナニ?」
 指先が凍りつく。

 カノンは軋む体を無理やり起こし、足元を見た。

 「ヒッ!」
 息を飲む。

 視線の先に、ひとりの男が倒れている。

 男は動かない。
 眉間に、赤黒い小さな穴が開いている。
 虚ろな目は宙を見つめ、床にはどす黒い海が広がっていた。

 血生臭い匂いが漂う。

 思わず、悲鳴が込み上げる。
 ――その瞬間、マコトの言葉が脳裏に浮かんだ。

 「怖いときほど冷静に!」
 「声を出してはいけない。命取りになるからね」

 「そうだった。声はダメ!」

 だが、体は正直だ。
 声は我慢できても、体の震えは止まらない。

 「もしかして、私が……」
 最悪な想像が、頭の中を埋め尽くす。

 「考えるな。感じるんだ!」
 カノンは自分に言い聞かせ、深く息を吸う。

 「とにかく、マコさんに連絡しなきゃ!」

 震える指で涙を拭った。


罠―狙われた約束②

 「……マコト……マコト!」

 聞き慣れた声がする。

 「考えるな。感じるんだ! 心が彷徨うと……」

 何度も聞いたそのセリフ。


 「……ハッ!」

 マコトは目を覚ました。

 「また、あの夢か……」
 ボサボサの頭をかきながら呟く。

 汗の匂いがする。
 「また、カノンに叱られるな……」

 この数日、まともに眠っていない。

 車の中には、コーヒーと栄養ドリンクが散乱している。
 さすがに限界なのか、一時間ほど眠ってしまったようだ。


 マコトは、ふと遠い目をした。

 「考えるな。感じるんだ……か」
 「あいつ、よく言ってたな」

 脳裏に、親友シンジの笑顔が浮かぶ。
 二十年前に亡くなったカノンの父だ。

 「シンジ……」
 「なんとしても守ってみせる!」

 マコトは冷めたコーヒーを一気に飲み干し、車を走らせた。

 この三日間、カノンの足取りを追い続けている。
 もう近くにいるはずだ。

 『隻眼のM』――
 裏社会では名が通っている。
 ベテランのマコトは、これまで仕事を諦めたことは一度もない。

 信号待ちの間、胸騒ぎがした。
 ふと、ルームミラーに目を遣る。
 だが、何も映っていない。

 信号が変わる。
 不安を振り払うように、アクセルをグッと踏み込んだ。



罠―狙われた約束③

 冷静になったカノンは、マコトと連絡を取る方法を考えていた。

 「そういえば、さっきの夢……」
 「考えるな。感じるんだ!って言ってたよね」

 「う~ん?」
 「でも、今は考えなきゃ!」
 カノンは心の中で呟いた。
 
 だが、思い浮かぶのはマコトのことばかり。

 胸が熱くなる。
 なぜだろう?
 そんな場合じゃないのに。

 カノンにとって、マコトは命の恩人だ。
 そして、六歳のあの日からずっと……

 「マコさん……」
 思わず、声が漏れた。

 「マコさんなら必ず助けに来てくれる!」
 「でも、どうやってここを知らせたら?」

 「……ん」

 「私、ちょっと匂うわね」
 「もう何日経ったのかしら……」
 カノンは胸元をクンクン嗅いで、はにかんだ。


 すると、その瞬間――

 首から下がる何かが胸元で光った。
 数日前にマコトからもらった銀のペンダントだ。

 「ああ……」
 触れると心が落ち着いた。

 開けてみた。
 小さな写真が微笑みかけてくる。
 マコトと父のシンジだ。

 思わず、指先に力が入る。
 すると、写真が外れた。

 「あっ、壊れちゃった?」

 「ん?」
 「なかに何かある!」

 カノンは詳しく調べてみた。
 すると、写真の奥にボタンがひとつ。

 躊躇わず、押してみた。

 すると、赤いランプが点滅した。

 「わっ!」
 「何? 発信機?」


 ちょうどその時、部屋の扉がギィーと鳴った。

 「お目覚めのようだね。カノン」

 男の声が不気味に響いた。


罠―狙われた約束④

 時は三日前に遡る。

 昼下がり、M&K探偵事務所の電話が鳴った。
 マコトが不在で、暇を持て余していたカノンが電話を取った。

 「お電話ありがとうございます」
 「M&K探偵事務所、カノンでございます」

 「あー、君が噂のカノンかい?」

 「随分と綺麗だそうじゃないか?」
 「シンジもあの世で喜んでいるだろうよ」

 聞き覚えのない声。
 だが、耳の奥にこびり付いて離れない。

 カノンは、不躾な質問に眉をひそめて聞き返す。
 「父のお知り合いですか?」

 「あー、随分と世話になった」
 「だから、礼もしっかりさせてもらったよ!」

 「えっ! 今なんて?」
 「あなた、父の死に関わっているの?」

 「さあ、どうかな? ご想像に任せるよ」
 「でも、あの事故のこと、知りたくないかい?」

 「なっ?」
 「どうして、あのことを知ってるの?」

 「ふっ、決まりだな」
 「今日の十八時、カワサキ駅裏の◯◯ビルまでひとりで来い」

 「おっと、おかしな気は起こすなよ!」
 「マコトに言ったら、真相は永久に闇の中だ」


 電話が乱暴に切れた。

 カノンは呆然として、受話器を握り締めていた。
 ツー、ツーという音が、胸の鼓動と同期する。

 「ああ、どうしよう?」
 「マコさんに相談しないと……」

 でも――

 『マコトに言ったら、真相は……』
 その声が耳から離れない。

 マコトの寂しげな顔が瞼に浮かぶ。

 それでも――

 カノンは首を振り、
 「とにかく、行ってみるしかない!」


 急いで身支度を済ませ、事務所を出ようとした。
 だが、ふと思い直してマコトの部屋に入った。
 そして、隠し金庫の扉を開けた。

 そこにあるのはマコトの銃。
 黒光りした質量が「触るな!」と言って、カノンを威嚇してくる。

 一瞬怯む。
 だが、意を決して手に取った。

 重い。
 想像以上の重さに、手が震える。

 カノンは目を閉じた。

 そして――
 震えるその手を無理やり鎮め、銃ごとバッグに押し込んだ。

 「マコさん、ごめんなさい」
 「私、どうしてもあの事件のこと……」

 カノンは言葉を飲み込んだ。

 唇を噛む。
 血の味がした。

 そして、振り返ることなく、事務所を後にした。


罠―狙われた約束⑤

 「どうだい、素晴らしい朝じゃないか?」
 「最高の気分だろう? カノン」

 男の声が、乾いた部屋の空気に響いた。
 薄気味悪く冷徹なその声を、カノンは忘れていなかった。

 「電話の人ね!」
 「こんなことをして、何のつもり?」

 男はその問いには答えず、
 「君こそ、大それたことをしたのに、随分と落ち着いているね」 

 「大それたこと?」

 男は促すように、床の死体に視線を落とす。

 にわかに、カノンの顔が強張る。

 「私じゃないわ!」

 「そうだろうね。だが、間もなく警察が来る」
 「これを見て、誰が君を信じるかな?」

 「嵌めたのね!」
 「殺ったのはあなたでしょ?」

 「さて、どうだろう?」
 「覚えてないな」


 カノンは逆上した。
 そして、手に持つ銃を男に向けた。

 「おいおい、そんなことをしていいのかい?」
 「君には撃てないよ」
 
 「バカにしないで!」

 カノンは天井に銃を向け、強張る指を無理やり引いた。

 「カチッ!」
 弾が出ない。

 「?」
 呆気にとられるカノン。

 男はポケットから何かを取り出しながら、
 「ハッハッハ、これを見るんだな」
 「寝ている間に、空砲とすり替えておいたよ」
 「重さの違いに気づかんとは……」

 カノンは歯ぎしりした。
 だが、同時に、時間稼ぎにも必死だった。

 「分かったわ。私の負けよ」
 「すり替えに気づかないなんて、ホント素人ね」

 「で、あなたは一体どうしたいの?」

 男は腕時計に目を落とした。

 「もう手遅れだ」
 「すぐに警察が来る」

 「君は男を殺し、私にも銃を向けた」
 「やむなく私は君を撃つ。正当防衛の成立さ!」
 男は機嫌よく、ペラペラと喋った。

 カノンは息を殺して、男を見つめている。
 まだ、時間は稼げる!

 「フン、そんなにうまくいくものかしら?」

 「いいや、うまくいくさ」
 「最初から仕組まれてるんだからね」

 そう言うと、男は銃を取り出し、カノンに向けてゆっくりと構えた。


罠―狙われた約束⑥


 「何か言い残すことはないかね?」

 銃を向けられ、怖くて足がすくみそうだ。
 それでも、カノンはじっと男を睨み続けた。
 ただひたすら、マコトが来ることを信じて――

 「マコさん!」

 「あの世でシンジによろしく伝えてくれよ」

 男が勝ち誇るように言い放ったその瞬間――
 部屋の扉がガタンッと開いた。

 マコトが勢いよく飛び込んで来る――

 「カノンッ! 跳べ!」

 「!」

 「考えるな! 感じるんだ! 跳べ!」

 ふたりは、同時に跳んだ。
 跳びながら、カノンはマコトに銃を投げた。

 銃は綺麗な放物線を描いて、マコトの右手に収まった。

 「ハハッ、マコト!」
 「撃ってみるがいい!」

 「ドゴッ!」
 鈍い音がした。

 男は勝利を確信した瞬間、頭に強い衝撃を受けて倒れた。

 マコトが投げた銃が、見事ヒットしたのだ。

 「グッ、どうして分かった?」
 薄れゆく意識のなかで、男は訊いた。

 「誰を相手にしてると思っている」
 「握ればすぐに空砲と分かるさ」

 「昔から、つくづく残念なヤツだよ」
 そう言って、マコトは溜息をついた。

 男は苦悶の表情を浮かべて、気絶した。


 マコトはカノンに歩み寄る。

 「マコさん……私……」
 大粒の涙が流れ、言葉が詰まる。

 そんなカノンを、そっと優しく抱き起こし、
 「よく頑張ったな。カノン、偉かったぞ」
 「でも、銃を持ち出すオイタはこれが最後!」

 そう言って、カノンの頬を軽く摘まんだ。

 「マコさん!」
 カノンの顔に笑みが戻った。


 数分後、警視庁捜査一課のレイナがやってきた。
 酷く息が切れている。

 「あんたたち、また引っ掻き回してくれたわね!」 
 「いつも、後始末だけやらせるんだから!」

 マコトはバツが悪そうに頭を掻いて、
 「県警の連中はどうしてる?」

 「うちの部下が入口で抑えているわ」
 「この男、カワサキ署長のクロサキね」
 レイナは、男に手錠を掛けながら言った。

 「ああ、やつの新人時代、俺とシンジが面倒をみたんだが……」
 「研修中に大失敗をやらかして、左遷されたんだ」

 「それ以来、根に持ってウザ絡みしてくるのさ」
 マコトは視線を落とした。

 「マコさん、私、クロサキに呼び出されたの」
 「父の死の秘密を教えるって言われて……」

 「でも、ここに来たら誰かに殴られちゃって……」
 「……気づいたら、その人が……」

 カノンは死んだ男をチラッと見た。
 だが、身震いをしてマコトの胸に顔をうずめた。

 レイナは横たわる男の顔を見た。
 「この男、クロサキの子飼いの殺し屋ね」
 「恐らくは口封じ!」

 「殺ったのはクロサキのようね」
 「硝煙の匂いが奴の袖からするもの」

 そう言うレイナに、
 「相変わらずいい鼻をしてるね。敏腕警部様!」
 とマコトは持ち上げた。

 「褒められたって、何も出ないんだからね!」
 レイナは赤くなった。

 そして、ふたりを追い払うように、
 「さっさとここから消えなさい!」
 「後始末はしておくから!」

 「クロサキは……もう終わり?」
 カノンがポツリと呟く。

 「だといいんだけど……」
 「奴には警視庁幹部の父親がいるわ!」
 「あんたたちも、せいぜい気をつけることね」

 マコトとカノンはレイナに礼を言って、その場を後にした。


 外の世界は朝日に包まれていた。
 何事もなかったかのように、いつも通りの一日が始まっている。

 カノンはマコトに肩を支えられ、光の中へと歩き出す。

 これまで助けられるのは、いつも私だった。
 でも、いつか――
 私も、誰かを守れる探偵になりたい!

 三日ぶりに見る朝日に、カノンは目を細めた。


罠―狙われた約束⑦

 その日の夕方のニュースで、
 「速報です。本日未明、カワサキ警察署のクロサキ署長が、殺人の容疑で逮捕されました――」

 報じるレポーターの声が興奮気味だ。

 「被害者の男性は、過去に複数回、逮捕歴がありましたが、いずれも不起訴になっていました」

 マコトはコーヒーを一口飲んで、眉をひそめた。



 その日の夜。
 警視庁幹部の一室で、一本の電話が鳴った。

 「ああ、私だ」

 「愚息のことは聞いている。あのバカが!」
 「もう使い物にならん」

 「それより、例の探偵事務所だ」
 「このまま捨て置くわけにはいかん!」

 「監視を怠るな」

 「それと例のノートだ」
 「何としても探し出せ!」

 そう言うと、男は電話を切った。

 「シンジの娘とマコトか……」
 「フフッ、いずれ仲良く奴のもとに送ってやる」

 薄暗い部屋の中、月明かりに照らされた男の口元が歪む。

 デスクの名札には、
 「警視監クロサキ」と書かれていた。



 同じ頃、M&K探偵事務所では……

 治療を終えたカノンがすやすやと眠っていた。

 マコトは傍らに座り、その寝顔を見つめながら、
 「今日もなんとか守れたよ」

 穏やかなカノンの寝息が聞こえる。

 その傍らで、マコトも深い眠りに就いた。


 罠 終わり


迷探偵カノンのネコ探し―はじめての依頼

 その後、一週間ほどして、カノンはすっかり元気を取り戻した。
 その間、マコトはひとりで事務所を回していた。

 そんな中、難事件が飛び込んできた。
 それは――
 「迷いネコの捜索」だ。

 カノンには内緒だが、ネコアレルギーのマコトにとって、ネコは天敵だ。
 居場所はわかる。
 だが、捕まえようとすると、くしゃみが出て止まらない。

 朝食の支度をしていたカノンは、仕事の中身を聞くなり、マコトから依頼書を奪い取った。

 「ネコちゃん探しね! 得意分野だよ!」
 「この仕事、私にやらせて!」

 「ちなみに訊くけど……」
 「どうやって探すつもりだい?」
 マコトは嫌な予感しかしなかった。

 「ネコの匂いを追うんだよ」
 そう言って、カノンは胸を張ると、マコトの承諾もないまま、大急ぎで準備に取り掛かった。

 「は〜」とマコトは溜息をつく。
 だが、その視線はカノンに優しく注がれていた。



 カノンは早速行動を開始した。

 まずは、「ネコ探してます!」のビラを作成した。
 ネコの名前は「ニー」。
 六歳の茶トラのオスでなかなかのイケネコだ。

 出来上がったビラは、小学生が作ったような仕上がりだ。
 まったくもって、憎めない。
 だが、肝心な連絡先が書いてない。
 やむなく、マコトがこっそり書き足した。

 ビラが出来上がると、
 「これでいいわ!」
 そう言って、カノンは早速街に飛び出した。

 ところが、ビラ貼り禁止の壁にも貼ってしまう。
 こっそり後をつけたマコトが、謝りながら剥がして回った。

 マコトは呆れはしたが、それでもカノンから目が離せなかった。

 悪戯ばかりしていた、あの小さな女の子。
 だが、いつの間にか子どもではなくなっていた。


 さて、そんなこんなで数日が過ぎた。
 カノンはまだ、「ニー」の足取りを掴めずにいた。

 その日の朝、朝食を食べていると、
 「カノン、今日はどの方面を探すんだい?」
 マコトが尋ねた。

 「今日は〇〇区よ」

 「でも、□□区はまだ探してないんだろ?」
 「飼い主の家からそう遠くないし、どうかな?」

 「うん。じゃあ、今日はそっちにしてみるよ」

 「そう言えば、あそこには馴染みの情報屋がいる」
 「何か知らないか、訊いてみるといい」
 そう言って、マコトは一枚のメモを渡した。

 「ありがとう。会ってみるね!」
 そう言うと、カノンは元気よく出掛けて行った。



 メモの場所に着くと、マコトの言う通り、ひとりの男が佇んでいた。
 身なりこそみすぼらしいが、その眼光は鋭い。

 カノンは男に近づくなり、いきなり尋ねた。
 「こんにちは、このネコちゃんを探しているんですけど、ご存じありませんか?」

 男は呆気にとられた。
 だが、すぐにマコトの顔が脳裏に浮かぶ。
 身震いしながら、ネコを見かけた場所を教えてやった。

 すると、カノンは男の手を取り、
 「ありがとう、おじさん!」とお礼を言った。

 男はまたキョトンとしたが、ふと我に返り、
 「オイ! ただ働きかよ?」

 だが、時すでに遅し。
 カノンはそそくさとした足取りで、もう立ち去っていた。

 陰から一部始終を見ていたマコト。
 頭を抱えながら、
 「はぁ〜」と溜息をついて、男にチップを渡した。

 「『隻眼のM』も形無しですなあ」
 チップを受け取りながら、男は皮肉を言った。

 「探偵はな、依頼人は選べても、助手は選べないものなのさ」

 「ハハッ、違いねえ」

 男は笑い終えると、真顔になって、
 「そういや最近、あんたのことを嗅ぎ回ってる連中がいるぜ」

 「クロサキの手の者か?」

 男は答えない。

 「図星のようだな」

 「さあな?」
 「俺も長生きしたいんでね」

 男は、首をすくめて立ち去った。



 一方のカノンだが……
 教えてもらった倉庫に行くと、そこは無人の廃屋だった。
 生き物の気配はなく、静まり返っている。

 当てが外れ、引き返そうとしたそのとき――
 破れた窓から風が通り、カノンの鼻が反応した。

 「いる! 間違いない!」

 やがて、鳴き声が微かに聞こえ、カノンは声に向かって足音を忍ばせた。

 すると、床に落ちた毛布の上に、一匹の茶トラのネコが横たわっていた。

 「ニーちゃ~ん。とても探したんですよ」

 ニーに駆け寄り、抱き上げようとした瞬間――
 カノンは思わず手を止めた。

 その横顔には、微笑みとともに涙が伝っている。

 ニーの後ろに、もう一匹の白いネコ。
 その傍らに、生まれたばかりの七匹の子ネコ。
 ミャーミャー鳴きながら元気に乳を飲んでいる。

 「ニーちゃん……」
 「よかった、本当によかったね」
 ニーを抱き上げ、カノンは胸を撫で下ろした。


 早速、カノンは飼い主に連絡した。

 しばらくして、飼い主がやって来た。
 ニーはカノンの腕から抜け出し、飼い主に飛びついた。

 飼い主はニーを抱きしめて言った。
 「もう独りにしないでよ」

 カノンは、甘えながら喉を鳴らすニーを見て、
 「寂しかったんだね」と呟いた。

 飼い主は、ニーをケージに入れたあと、
 「探偵さん、ありがとうございました!」
 と、カノンに礼を言った。

 仕事を通じて、はじめて言われた感謝の言葉。
 嬉しい!
 でも今は、その喜びに浸っているわけにはいかなかった。

 カノンの視線は、白ネコと七匹の子ネコに向けられていた。

 ニーを連れて帰ろうとする飼い主を、カノンは引き留めた。

 「お願いがあります!」

 「はあ、なんでしょう?」

 「無理は百も承知ですが……」
 「この子たちも引き取ってもらえませんか?」

 「えっ!」
 飼い主の顔に困惑の色が浮かんだ。

 カノンは、怯むことなく続けた。

 「家族と離れるのはつらいですよね」
 「それなら、ニーちゃんも……」

 「う~、そう言われましても……」

 カノンはじっと飼い主の顔を覗き込む。

 そして、ニーの前にしゃがみ込んで、
 「ニーちゃん?」
 「この子たちと離れるのは、嫌かニャ?」

 「ニャー!」

 カノンはしたり顔で、じっと飼い主を見つめた。
 
 「はあ……」
 「分かりました」

 飼い主に浮かぶその苦笑。
 困ったような、嬉しいような不思議な色が浮かんでいた。

 カノンの顔も、ぱあっと色づいた。


 抱き合う飼い主とネコを見て、カノンは知った。
 誰かを探すことは、誰かを想うことなんだと。

 カノンは探偵の仕事が、少しだけ好きになった。


 その日の夜。

 マコトは事務所のソファーで寝ていた。
 裏方として慣れない仕事に疲れたのか?
 いつものように、今日も風呂に入っていない。

 その傍らで、カノンはマコトを見つめていた。

 貼り直されたビラ。
 探索方面のアドバイス。
 情報屋へのチップ。

 答えはとっくに分かっている。

 「ホント、不器用なんだから……」
 カノンは微笑みながら、マコトに毛布を掛けた。

 いつか私も――
 こんなふうに守れる探偵になりたい。
 まだ、小さな一歩。
 でも、ちょっとだけ前に進めたかな?

 マコトの寝顔を見つめるカノン。
 そっと、その体を屈めた。

 その瞬間、マコトが寝返りをうつ。

 「もう!」

 カノンは少し頬を膨らませた。
 けれど、その表情はすぐ笑みに変わった。


 迷探偵カノンのネコ探し 終わり


ストーカー―叶わぬ願い①

 クロサキの事件から二か月が経った。
 その間、カノンは数件の簡単な依頼を経験し、晴れて探偵初級のお墨付きをもらっていた。

 そんなある日のこと。
 M&K探偵事務所に、ひとりの中年女性が飛び込んできた。

 女性はマコトの顔を見るなり、
 「お願いです! 娘を探してください!」
 その目が赤く腫れている。

 「三日前から帰ってこないんです」
 震える声でそう言うと、懐から一枚の写真を差し出した。
 笑顔の美しい、若い女性が写っている。

 「詳しくお話いただけますか?」
 マコトは席に案内しながら、静かに言った。

 女性は俯きながら、
 「娘のユキミは、半年前からある男につきまとわれていました」

 「警察に何度も相談しましたが、まともに取り合ってくれません」
 彼女は次第に早口になる。

 「失踪翌日に捜索願いを出したんですが、埒が明きません!」
 女性は、思わず拳でテーブルを叩いた。

 「お客様?」
 「もしかして、眠ってないんじゃないですか?」

 「どうして?」
 女性は訝しげに訊いた。

 カノンはその問いには答えず、女性を隣の部屋で休ませた。


 事務所に戻ると、マコトが資料を眺めていた。

 「ねえ、マコさん」
 「助けてあげようよ」

 マコトは訝しげに、
 「助けることと、人生に踏み込むことは別だよ」

 「そうだけど……」
 「何か気がかりでも?」

 「ああ、警察が動いていない」
 マコトは呟いた。

 「でも……」
 カノンはマコトの顔を覗き込む。

 ちょっとした沈黙が、部屋に立ち込める。

 「ふふっ、分かったよ」
 「でも、しっかり働いてもらうからね」

 そう言って、カノンの頬をツンと突いた。


 カノンはユキミの母を見送った。
 そして、慣れた手つきでビラを作り、街に飛び出していった。

 その間、マコトは情報屋と接触して聞き込みにあたった。

 一方で、ユキミの自宅を中心に、街の監視カメラの確認を警視庁のレイナに頼んでいた。

 「こっちも暇じゃないんだけど!」
 取りつく島もなかったが、何とか頼み込んだ。


 その日の夕方、聞き込みで足を棒にしたカノンが帰ってきた。

 ドアを開けるなり、
 「マコさん! 足取りがつかめたよ!」

 カノンは駆け寄った。
 踵には絆創膏が貼られている。

 「ああ、よくやった」
 マコトの声は温かい。

 カノンによると、三日前の夕方、シンジュク駅のナガノ方面ホームで目撃情報があり、特急アズサに乗ったらしい。

 カノンの泥臭い調査が実を結んだ。


 翌日、徹夜明けのレイナからも電話が入った。

 失踪した夕方、ユキミ家の付近のカメラに、若い男とユキミの姿が映っていた。
 その後、シンジュク駅のカメラでも、ふたりの姿が確認された。

 レイナは戸惑い気味に続けた。
 「でも、誘拐にしてはおかしいのよね」

 「ユキミも男も大きな荷物を持っていたし、普通に会話しながら歩いていたの」
 「しかも、人混みでいつでも逃げられたのに、ユキミは逃げなかった」

 「アレだな」
 マコトは口を挟んだ。

 「ええ、そうとしか思えないわ」

 マコトはレイナに礼を言い、受話器に向かって軽くキスした。

 「もう、キモイのよ、あんたは!」
 「いつも都合よく使ってくれちゃって!」

 そういう割に、その声は弾んでいた。

 「それより……」
 「あんたの事務所の近くでも、面白いものが映っていたわ」
 レイナは、真顔に戻って言った。

 「ああ、知ってるよ。黒のセダンだろ?」
 「一週間前からだ」

 マコトは続けた。
 「見られるのは慣れている」
 「本当に怖いのは、見えない奴だ」

 「そうね」
 「知ってるとは思うけど……公安の連中みたい」
 「余計なお世話だったかしら?」

 「そんなことはないよ」
 「ありがとう」

 また、電話越しにキスの音がする。

 「もう!」

 レイナは慌てて電話を切った。
 

ストーカー―叶わぬ願い②

 翌日、マコトはカノンを伴って、ユキミの母に会いにいった。
 だが、その前にひとりの情報屋に会った。

 情報屋は、煙草に火をつけながら話し始めた。
 「ユキトという男だ」
 「交際相手の父親の会社で働いており、評判も悪くない」

 煙草の煙が、路地裏の空気に溶け込んでいく。

 「半年前から付き合ってるが、両親が猛反対だ」
 「なんとか諦めさせようと、母親が警察に駆け込んだって次第さ」

 マコトは無言で聞いていた。

 情報屋は煙草をもみ消しながら、
 「ただの恋愛に、警察が出張るわけねえよ」
 その声には、露骨に嘲りの色が滲んでいた。

 マコトはチップを渡して礼を言い、ユキミの家に向かった。



 家に着くと、ユキミの両親がマコトたちを待っていた。

 マコトはこれまでの経緯を説明し、核心をつく質問を投げた。 

 「この事件、誘拐ではなく、同意の上の駆け落ちですね?」

 「……」

 ユキミの母は重い口を開いた。
 「お察しの通りです。ふたりは恋仲でした」
 「私たちが反対したせいで、駆け落ちしたのです」

 「酷いじゃないですか?」
 「娘さんの恋人をストーカー扱いするなんて!」
 カノンはたまらず口を挟んだ。

 「あなたに何が分かって?」
 「何も知らないくせに、軽々しく言わないで!」
 その声は鋭く、胸を刺すようだった。

 「それでも!」
 食い下がろうとするカノンをマコトがなだめた。
 
 ユキミの父も、妻の背中にそっと手を置いた。

 そして、大きくひとつ息を吐き、
 「あのふたり、実は異母兄妹で私の実子なんです」
 と打ち明けた。

 「ええっ!」
 カノンの声が静寂を破る。

 「驚かれるのも無理はありません」
 「本人たちは、兄妹と知らずに交際しているんですから……」

 「……」
 「詳しく話してください」
 マコトは静かに促した。

 促されるままに、父親は語った。
 「すべて、私が悪かったのです」

 「ユキトは前妻との間に生まれた子供で……」
 「その後、今の妻と恋に落ち……」
 「ユキミが生まれました」

 テーブルに置かれた手は固く握られている。
 その手には、深い皺が刻み込まれていた。

 壁に掛かる写真の中で、幼いユキミを抱いて夫婦が微笑んでいる。
 セピアに色褪せてはいたが、偽りの色は微塵も感じられなかった。

 「長い調停を経て、前の妻と正式に離婚し、今の妻と再婚しました」

 「ユキトさんは気づいていないんですね?」
 マコトは尋ねた。

 「ええ、私のことは覚えていないでしょう」
 「偶然、就職活動で志願してきたユキトに会ったときは、驚きました」
 そう言うと、彼は一息ついた。

 ユキミの母も、今は落ち着いて、
 「あのふたりを追い込んでしまいました」
 「でも、この恋は、どうしても認めるわけにはいかないのです」

 その背中は寂しげだった。


 カノンは、目頭に涙を浮かべ、
 「私がふたりを見つけてきます!」
 「どうか逃げずに、真実を伝えてあげて!」
 
 夫婦は顔を見合わせると、
 「お願いします」

 声を合わせて一礼した。


ストーカー―叶わぬ願い③

 その夜、マコトとカノンが事務所に戻ると、警視庁のレイナが若い女性を伴い、訪ねてきた。

 「紹介するわ。彼女はアリア」
 「警視庁捜査一課の刑事よ」

 アリアは長身、長髪の美人で、小柄なカノンとは対照的だ。

 マコトがアリアに鼻の下を伸ばしていると、カノンはその脛をドンッと蹴った。

 その様子を見たレイナはカノンをからかって、
 「相変わらず、やきもち焼きなのね!」

 「レイナさんこそ、お若く見せるのにご苦労なさってるそうで……」
 カノンも負けじとやり返す。

 そんな不穏な空気を読む様子もなく、
 「捜査一課のアリアです。よろしくお願いします」
 敬礼しながら、アリアは元気に挨拶した。

 「事件の概要はレイナさんから伺っております」
 「すでに足取りを掴んでいるので、ご安心ください!」

 そう言うと、アリアはカノンの耳元に口を寄せ、ヒソヒソと呟いた。
 「いま追ってる事件で明日から出張なんで、ついでにチャチャッと解決して来いだって……」

 「フフ、そうなんだ」

 同じ年頃とあって、ふたりはすぐに打ち解けた。
 そして早速、ユキミ捜索の打ち合わせを始めた。

 
 ふたりが事務所で相談している間、マコトとレイナはクロサキ警視監について情報交換した。

 ふたりとも、シンジとその妻の事故死について、クロサキが絡んでいると見ていた。

 だが、クロサキは狡猾だ。
 その尻尾を掴むことは容易ではなかった。

 シンジが追っていた、大物政治家と警視庁幹部の癒着も、真相は闇の中だ。

 その全容をまとめたノートが存在するという。
 だが、その行方は誰も知らない。

 「あのノートさえ……」
 レイナは目を伏せながら呟いた。

 グラスの氷がカランと鳴った。

 「ところで、あんた、顔色が悪いわよ」

 「気のせいだ」

 「幾つになっても、無理をするのね」
 「そうやって、何人の女に心配かけてきたの?」

 「思い当たらんよ」
 とマコトは苦笑した。

 「はあ……」
 レイナは溜息をついた。


 ふたりのグラスの縁が、軽く触れ合う。
 キィンという澄んだ音が、部屋に響いた。

 見つめ合う目と目。
 遠い日の想い出に浸っている。

 レイナは微笑みながら、
 「カノンも大人になったものね」
 「あの日、両親を亡くした六歳の少女も、今では二十六の女盛り。母親似の美人だわ」

 「そうかな? 君には遠く及ばんがね」

 「そうやって茶化すの、悪い癖よ」

 レイナはマコトの頬をつねりながら、
 「あんただって、あの子の気持ち……」
 「気づいてないわけないでしょう?」

 「……」
 
 「距離を置くのも、それが理由!」

 「……」

 「はあ~ ホント、変わらないのね」
 「こんなことなら、あんたのプロポーズ、受けとくんだった」

 「なに言ってんだ。いまさらだよ」
 「君は昔から綺麗で、優秀だった」

 「おだてるのがうまいのね」
 「いつも言うけど、ご褒美はでないんだからね!」

 レイナは口づけをした人差し指を、マコトの口に軽く押し当て、部屋を後にした。


ストーカー―叶わぬ願い④

 翌朝、カノンとアリアはシンジュク駅で待ち合わせ、特急でアズミノに向かった。

 「アズミノまで切符を買ったのは確かなの」
 「ユキミの親友がペンションをやっているから、きっといるはず!」

 じっと話を聞くカノン。
 内心、ドキドキしていた。

 そこに、車内販売が通りかかる。
 カノンは待ってましたとばかりに、おやつやジュースを次々と注文した。

 「買いすぎじゃない?」
 アリアが呆れたように言うと、
 
 「出張はおやつが大事なの!」
 カノンは力説した。

 隣の席の小さな子が、
 「あのお姉ちゃんたち、楽しそうだね」
 と母親に囁いた。

 ふたりは、互いに顔を見つめてプッと笑った。


 アズミノ駅に着くとバスを乗り継ぎ、目的のペンションにやってきた。
 そこは、爽やかな高原の空気に包まれた素朴なペンションだった。

 受付でオーナーのミナコに面会した。
 アリアは警察手帳を出して、捜査に協力するよう要請した。

 しかし、ミナコは、
 「申し訳ありませんが、そのようなお客様はいらっしゃいません」
 そう言って、協力を拒んだ。

 埒があかず、強権を発動しようとするアリア。

 それを遮り、カノンが口を開いた。
 「ミナコさんとユキミさんはご親友だそうですね」
 「お互いを思いやる、素敵なご関係ですね」

 ミナコの表情が、少しだけ緩んだ。

 カノンは静かに続けた。
 「今、ユキミさんは人生の岐路に立っています」

 「詳しくはお話しできませんが、いまご両親と向き合わないと、一生後悔するかもしれません」

 「ご両親はユキミさんを愛しています」
 「そして、そのお気持ちは、ユキトさんにも向けられています」

 「どうか、ふたりに会わせていただけませんか?」

 アリアはじっと聴いていた。
 口を挟む余地はなかった。

 ミナコは、しばらく黙って窓の外を見つめていたが、やがて、小さく溜息をつくと、その表情は和らいでいた。

 「カノンさん、ついてきてください」

 そう言って、ミナコは静かに立ち上がった。



 昼下がり、カノンはユキミたちがいる建物に案内された。
 三角屋根に丸木造りの可愛らしい家だ。

 ユキミとユキトは、紅茶を飲みながらくつろいでいた。
 だが、トウキョウから探偵が来たと聞いて、にわかに緊張した。

 ユキトは会うことを渋った。

 だが、ユキミは小さく頷いて、
 「会いましょう」と迷いなく言った。


 カノンは部屋に通された。
 部屋は綺麗な花とモールで飾られている。
 祝福めいた空気が、部屋じゅうに漂っていた。

 出された紅茶を一口飲んでから、カノンは静かに語り始めた。
 「私は、M&K探偵事務所のカノンと申します」
 「お母様からのご依頼で参りました」

 「ご両親はお二人の交際に反対していますが……」
 「それには深い事情があり、その訳を直接お伝えしたいそうです」
 カノンはそう言うと、ふたりの顔を見つめた。

 ユキトは険しい表情で反対した。
 「ストーカー扱いまでしておきながら、いまさら虫がよすぎませんか?」

 カノンは、その言葉を受け止めて、
 「ユキトさんのお怒りはごもっともです」

 「でも、それほどまでにお母様は追い込まれていたのです」
 「どうか許してあげてください」

 まだ不満げなユキトを制して、ユキミが尋ねた。
 「お母さん、どうしていますか?」

 カノンは優しい表情で、
 「お二人のことをとても心配しています」
 「でも、今は落ち着いていますよ」

 「どうか、ご両親のお話に耳を傾けていただけませんか」
 そう言って、カノンは深々と頭を下げた。

 「分かりました。戻りましょう」

 ユキミは静かに答えた。
 ユキトも、今は穏やかな表情で小さく頷いた。


ストーカー―叶わぬ願い⑤

 翌日、カノンとアリア、ユキミとユキトの四人は、アズミノ駅までタクシーで移動した。

 アリアとは駅で別れ、カノンはユキミとユキトに伴って、トウキョウ行きの特急に乗り込んだ。

 みな、無言だった。
 ユキミとユキトは、ずっと手を握り合っていた。


 ユキミの家に着いたときは、もう夜の七時を過ぎていた。
 カノンは、ふたりを送り届けたところで帰ろうとしたが、ユキミが引き留めた。

 五人は小さな食卓を囲んで夕食をとった。
 みな押し黙っており、食器の音だけが微かに響いていた。


 食事のあと、重苦しい空気の中、ユキミの父が静かに語り出した。
 「この度は本当に申し訳ないことをしたね」
 「心から謝らせてほしい」
 「そして、帰って来てくれて本当に嬉しいよ」

 父と母は静かに詫びた。

 父は続けた。
 「ユキト君に嫌な思いをさせてまで反対したのには、深い理由があるんだ」

 父は、これまで隠してきた真実をすべて話した。
 何度も何度も、言葉を詰まらせながら……
 その目には、溢れんばかりの涙が浮かんでいた。

 カノンは胸が痛んだ。

 ユキミは父の話をじっと聞いていた。
 そして、意を決したように口を開いた。
 「お父さん、話してくれてありがとう」

 「でもね、兄がいることは知っていたの」
 「高校の頃、お父さんたちが話しているのを偶然聞いちゃって……」
 「今まで、知らない振りしてごめんなさい」

 そして、ユキトの方を見ながら、
 「ユキトさんと知り合ったのは、半年前」
 「お父さんの会社のイベントで……」

 「私、一目惚れしちゃった」

 「僕もです」
 ユキトも頷いた。

 ユキミは、少し微笑みながら続けた。
 「そのあと、付き合い始めたんだけど……」
 「不思議と求め合う気持ちにはならなかったの」

 「まるで、兄妹のようにしか振る舞えなかった」

 「最初はそれでも楽しかった」
 「でも、友達に冷やかされると、意識するようになっちゃって……」

 ユキミは少し言い淀んだ。
 「ある日、思い切って一線を越えようとしたら」
 「お父さんと私にある背中の痣が、ユキトさんにもあって……」

 ユキミは小刻みに震えだした。
 「もしかすると……と思い、戸籍を調べたら、異母兄妹だと分かったわ」

 「信じられなかった!」
 「結ばれてはいけない運命を呪った!」

 ユキミは父を見て、
 「どうして? どうしてなの?」
 そこまで言うと、ユキミは泣き崩れた。

 ユキトがその肩をそっと支える。

 「でも、どうしようもなかったんです」
 泣き崩れたユキミに代わって、ユキトが続けた。

 「その日から、僕たちは兄妹として振る舞おうとしました」
 「でも、満たされなかった……」

 「せめて想い出だけでも欲しかった」
 「だから、形ばかりの結婚式をふたりで……」

 ユキトも、それ以上話すことができなかった。

 静かな部屋に、すすり泣きの声だけが響いた。

 その様子に、父が消え入るようにぽつりと言う。
 「本当に済まなかった……」

 母がそっと慰める。

 しばらくして、落ち着きを取り戻したユキミが語り始めた。
 「親友のミナコに相談したら、快く協力を申し出てくれて……」
 「何もかも希望通りにできたの」

 「でも、お母さんたちにどう接したらいいのか……わからなくて、帰る決心がつかなかった」

 「ちょうどそんなときでした、カノンさんが来てくれたのは」
 「おかげで勇気をもらい、運命と向き合うことができました」
 「カノンさん、本当にありがとう!」

 カノンの目から、大粒の涙が零れ落ちた。

 その帰り道、カノンはひとり考えていた。

 助けたい気持ちだけでは人を救えない。
 正しさを押し付けるだけでもダメだ。
 痛みを抱えた人に必要なのは、答えではなく、そっと寄り添うことなんだ。

 ふと、空を見上げた。
 摩天楼の灯りが、夜空を優しく照らしていた。



 こうして事件は解決した。

 被害届は取り下げられた。
 ユキミとユキトは、兄妹として新たな関係を模索している。

 一方、カノンはというと……
 あの夜から数日、泣きはらした目を隠していたが、今はもう笑顔を取り戻している。

 それでも、ひとりで過ごす夜、ユキミと自分を重ね合わせ、好きな人と結ばれない運命、切ない想いに心を痛めたりもしている。


 またひとつ、大人になったカノンだった。


 ストーカー 終わり


カノンとアリアの休日―スピンオフ

 ある晴れた日曜日、M&K探偵事務所に警視庁捜査一課のアリアが訪ねてきた。
 今日はカノンもアリアも仕事がオフなので、ふたりで遊びにいく約束をしていたのだ。

 事務所の建物は三階建て。
 一階が事務所、二階と三階がそれぞれマコトとカノンの住居だ。

 カノンの朝は早い。
 でも、今朝はいつにも増して早起きをした。

 「カノちゃん、おはよう!」
 「おはよう! アーちゃん」
 といった具合に、先日の事件を通してすっかり打ち解けていた。

 カノンが作った朝食を一緒に食べたあと、ふたりは早速街に出掛けた。


 その頃、マコトはというと、事務所のソファーで爆睡していた。
 もちろん、昨夜も風呂に入っていない。



 長身のアリアと背の低いカノンは、街を歩くだけで人目を引いた。
 中には言い寄ってくる男もいたが、アリアが一睨みすると、みな退散していった。
 そのおかげで、カノンはアリアとの楽しい時間を心置きなく満喫できた。


 ふたりは恋愛系のアクション映画を見たあと、有名なスイーツ店で、インスタ映えする大きなパフェをふたりでペロリと平らげた。

 午後は遊園地。
 絶叫系のコースターやお化け屋敷でキャーキャー騒いだ。


 思いっきり遊んだあとは、夜景のきれいな高層ビルの最上階で、ワインを飲みながらディナーを楽しんだ。

 「ねえ、カノちゃん?」

 「な~に? アーちゃん」

 「周り、見てみなよ」

 アリアに促されると、周りはすべてカップルだった。

 「私たち、なんか浮いてるね?」
 溜息をつきながら、アリアが言う。

 「そ、そんなことないよ」
 カノンは口ごもりながら返事をした。

 「ねえ、カノちゃん」
 「マコトさんのこと、どう思ってるの?」

 突然の質問に、カノンはワインにむせながら、
 「わ、私の命の恩人でー」

 「うん!」

 「子どもの頃から育ててくれてー」

 「うん、うん!」

 「お父さんみたいなものだよ!」
 カノンは、ハンカチで汗を拭った。

 「へ~、そうなんだ!」

 バツが悪くなって、カノンもやり返す。

 「そういうアーちゃんこそ、どうなの?」
 「いるんでしょ? 好きな人」

 「さーて、どうかな?」
 「でも、マコトさんは影があって素敵よね」

 アリアはからかい上手だ。

 カノンは真顔になって、
 「それはダメ」
 「いくらアーちゃんでも、それはダメなの」

 女の子の恋バナとは、何とも可愛らしいものだ。

 「でも、カノちゃん! レイナさんは本気だよ」
 「うかうかしてると取られちゃう!」

 「……」

 「マコトさんとお父さんのこと、レイナさんから聞いたよ」
 「親友の娘を守り抜くって男の約束、素敵よね」

 「でもね、お父さんは……」
 「約束のせいで娘が幸せになれないなんて、望んではいないはずだよ」

 「……」

 「私だったら迷わない」
 「好きなら、好きって言う」

 「私たちの仕事って……」
 「必ず明日が、来るわけじゃないから」

 「……うん」
 カノンはぽつりと返事した。

 「カノちゃんたちって似た者同士」
 「割り切るのが下手なのね」

 「アーちゃん、もうやめて、顔から火が出る~」
 カノンは、耳まで真っ赤にしながらはにかんだ。

 「うん、うん、カノちゃん、カワイイよ」
 「さあ、さあ、もっと飲んで!」

 こうして、ふたりの楽しい夜は更けていった。

 
 家に帰ると、カノンはベッドに寝転んで、ぼんやりと天井を見つめていた。

 アリアの言葉が、頭の中でぐるぐると回る。

 いつの日か、向き合わなければいけない想いが――
 確かにそこにあった。



 その頃、マコトはというと、まだソファーで眠っていた。

 一体、何時間寝れば気が済むのか?


 カノンとアリアの休日 終わり


地上げ屋―守りたい場所①

 「どうか、お力添えいただけないでしょうか?」
 彼女は悲しげな顔で頭をさげた――

 ここは、M&K探偵事務所。
 ユキミとユキトの件から一か月ほど経っている。

 久しぶりに訪れた依頼人は名をアヤナといい、祖母のミーコについて相談したいとのことだ。

 マコトはアヤナにコーヒーを勧めながら、
 「詳しくお話いただけますか?」と尋ねた。

 カノンもマコトの隣にちょこんと座って、メモを取り出した。

 「私の祖母はシンジュク区△△町の一軒家で、一人暮らしをしています」
 アヤナは、今にも泣きそうな顔で話し出した。

 「一年前に地域の再開発計画が出た頃でした」
 「祖母のところに、土地の売却を持ちかける不動産屋が来るようになりました」

 「はじめは、穏やかだった彼らですが、半年ほど前から態度が豹変して……」

 アヤナの拳が固く握られた。

 「警察に相談しても、まともに動いてくれません」
 「気丈に振る舞ってきた祖母ですが、もう黙って見ていられないのです」
 
 話し終えたその肩は、ガタガタ震えていた。

 マコトは最後まで話を聞いたあと、いくつか質問をした。

 特に、おばあさんが立ち退きを頑なに拒む理由を、詳しく訊いた。
 だが、孫のアヤナにも、理由を話してくれないとのことだった。

 アヤナは話し終えると、
 「どうか、お力添えいただけないでしょうか?」
 と涙ながらに頭をさげた。

 しかし、マコトはアヤナの依頼をひとまず保留とし、後日連絡するとだけ答えた。

 アヤナは何か言いかけた。
 だが、その言葉を懸命に飲み込み、一礼して事務所を後にした。



 「どうして受けなかったの?」
 「アヤナさん、がっかりしてたよ」
 カノンは、マコトを責めるように尋ねた。

 マコトはちょっと考えたあと、静かに返事した。
 「地上げ絡みは厄介なんだ。裏も表も絡んでくる」
 「警察が動かないなら、後ろに大物がいるのかもしれない」

 マコトはコーヒーを一口飲んだ。
 その表情は苦々しかった。

 「まずは、事件の背景を把握してからだよ」

 「……分かりました」
 その返事とは裏腹に、カノンの口は尖っていた。

 マコトはコーヒーを飲み干すと、警視庁のレイナに会う約束をして出掛けていった。



 ひとり残されたカノンは、アヤナの後ろ姿がどうしても頭から離れなかった。

 「また、叱られちゃうよね」
 そう言いながら、カノンはアヤナの祖母の家に行ってみることにした。

 カノンの独断専行はいつものことである。



 カノンはアヤナからもらったメモを頼りに、ミーコおばあさんの家を探し当てた。

 家に着くと、玄関の呼び鈴を何度も鳴らしたが、返事はなかった。
 仕方なく、庭先の影で様子を伺うことにした。

 すると三十分ほどして、刺青をした男たちが数人やってきた。

 「おい、ババア、いるんだろ?」
 「さっさと出てこいや!」
 怒鳴りながら玄関をドンドンと叩き始めた。

 カノンはしばらく様子を見ていた。
 だが、居ても立ってもいられず、ついには物陰から飛び出した。

 「あなたたち、何やってるの?」

 「なんだ、てめーは?」
 「ババアの身内か?」

 「いいえ、私はM&K探偵事務所の者です」
 「ミーコ様は私の依頼人です」 
 「これ以上騒ぐなら、警察を呼びますよ!」

 「チッ、あのババア、探偵を雇いやがったのか?」
 「まあいい、探偵ごときに何もできやせんよ!」
 そう言って、引き上げていった。

 男たちが去ると、カノンは緊張の糸がほどけて、その場にへたり込んだ。

 すると、先程まで静まり返っていた家の中から、ひとりの老婆が現れた。

 ミーコおばあさんである。


地上げ屋―守りたい場所②

 ミーコおばあさんはカノンを優しく抱き起こし、家に招いてくれた。

 お茶の支度をしている間、カノンは室内をキョロキョロと眺めた。

 その家は、築五十年の古さを感じさせるものの、よく手入れが行き届き、清潔感が漂っていた。

 壁には、亡くなったご主人や息子夫婦の写真がたくさん掛かっている。
 そして、一番目立つところに、ミーコおばあさんとアヤナのツーショットが飾られており、笑顔でこちらを見つめてくる。

 ミーコおばあさんはカノンにお茶を勧めながら、先程の件を詫びた。
 「居留守を使って申し訳なかったねえ。てっきり地上げの連中だと思ったのよ」

 「構いません。それより私の方こそ、勝手にお客様などと言ってしまって……」

 「いいのよ。きっとアヤナが手配してくれたのね」
 「あの子は昔から優しいから」

 「ええ、おばあさま思いの素敵な方でした」
 「実は、まだ正式にご依頼を受けたわけではないのですが……」
 「よろしければ、事情をお話しいただけますか?」

 「ええ、喜んで」
 ミーコおばあさんは、懐かしそうな顔をして語り出した。

 「この柱はね、主人のお気に入りだったのよ」
 「ねえ、ここを見て! 息子が生まれてから、毎年背丈を刻んだ跡なの」
 
 「そうそう、ここはアヤナが落書きしたの」
 「叱ったら泣きべそかいて、自分でお利巧に掃除したのよ」

 おばあさんは楽しそうに語っていた。

 だが、突然その表情が曇った。

 「でもね、息子夫婦が海外に転勤し、アヤナも就職して家を出ると、すべてが変わったの」
 「賑やかだったこの家も、すっかり静かになっちゃった」

 「それからは、爺さんと婆さんの二人暮らし」
 「その爺さんも三年前に先立った」

 その視線は、壁の古い写真に向けられた。

 カノンはコクリと頷いた。

 一人暮らしの寂しさに追い打ちを掛けるように、地上げ騒動が始まったという。
 おばあさんはたいそう心を痛めたが、独りでじっと耐えていたようだ。


 カノンは一時間以上、昔話に耳を傾けていた。
 話を聴きながら、何度もその目を伏せた。

 ミーコおばあさんは、しばらく黙って、庭の花壇を眺めていた。
 そして、お茶を一口飲んで、ぽつりと言った。

 「実はね、カノンさん」
 「アヤナには内緒なんですが……」
 「私はステージⅣの癌を患っているんです」

 「えっ!」
 カノンは言葉を失った。

 「抗がん治療は、ちょっとねえ……」
 「この家で静かに人生を終えたくて、緩和ケアを受けているんです」

 「だから、この家はもうすぐ主を失うの」

 指先に力が入る。

 「死ぬのは怖くない」
 「でも、人生が詰まったこの家とお別れするのは寂しいの」

 淡々と話すミーコおばあさん。
 その手は、誰の目にも分かるほど震えていた。

 カノンは涙を拭わずに、おばあさんの手を取り、
 「諦めないで!」
 「ミーコおばあさんの静かな生活は、何としても守りますから!」

 おばあさんの頬にも、涙が伝っていた。

 そんなふたりを見守るように、居間にある大きな古時計がボーン、ボーンと優しく時を打つ。

 カノンのなかで、ある言葉が、はじめて憧れから覚悟に変わった。


地上げ屋―守りたい場所③

 カノンが帰ると、マコトが事務所で待っていた。

 マコトは静かに尋ねた。
 「ミーコおばあさんに会ってきたんだね」

 「ごめんなさい。勝手なことをして……」
 カノンはうなだれ、か細い声で返事した。

 一拍だけ、沈黙があった。

 「まあいいさ。どうせ依頼を受けないと今月の家賃が払えないしね」

 「マコさん!」
 カノンはマコトに抱きついた。


 そのあと、ふたりは情報を交換した。

 マコトが、レイナから聞いたところによると、
 地上げを行っているのは不動産を経営するタケシという男だ。
 地域で幅を利かせているらしい。

 マコトは続けた。
 「地元の議員や警察内部にも人脈があるようだ」
 「ただね、その一方で、ミーコおばあさんのご近所だから、昔は随分可愛がってもらったようだよ」

 そういうと、マコトはコーヒーを一口飲んで、
 「実は、レイナから釘を刺されてるんだ」

 「『今回の再開発は都の肝入りだから、あんたも首を突っ込みすぎないように!』だってさ!」

 マコトはカノンを見つめながら、
 「計画はもう止められない」
 「でも、まだできることがあるよ」

 カノンはハッとした。
 「守るのは、土地でも建物でもない!」
 「ミーコおばあさんの静かな時間を、最期の日まで守るんだね」

 マコトはにっこり頷いた。
 そして、コーヒーを飲み干すとアヤナに受諾の連絡をした。



 翌朝、アヤナがやってきた。

 マコトは調査結果をアヤナに伝え、カノンがおばあさんの病状を話した。

 アヤナは、病気について薄々知っていたようだ。
 俯いたその顔には、悲しげな色が浮かんでいた。

 だが、再び顔を上げたアヤナの瞳には、毅然とした覚悟が宿っていた。


地上げ屋―守りたい場所④

 その夜から、アヤナはおばあさんの家に泊まり込んだ。
 マコトとカノンも、近所の空地に車を止めて様子を伺った。

 三日間、動きはなかった。
 だが、四日目の朝、ついに社長のタケシ自らが重機に乗って現れた。

 「ばあさん! 起きてるんだろ!」
 「今日こそ家を立ち退いてもらうぜ!」

 タケシは拡声器を大音量にして叫んだ。
 重機の轟音とタケシの声が不気味に響く。

 「朝から騒々しいわね。迷惑だから帰って!」
 アヤナが出てきて声を張り上げた。

 だが、タケシはお構いなしに庭を掘り返した。
 そこには、ミーコおばあさんが手塩にかけた花壇があったが、見るも無残な姿になった。

 アヤナが立ちはだかり、タケシは重機を進める。
 そして、まさにぶつからんとした瞬間――
 間一髪でカノンが横から飛び出した。

 「タケシ社長、何考えてるの!」
 カノンは、アヤナを抱き起こしながら叫んだ。

 ミーコおばあさんも裸足で飛び出してきて、心配そうにアヤナに寄り添った。

 「タケシ! もうやめな」
 「私はどうなってもいいが、孫に手出しするんじゃないよ!」
 いつも穏やかなミーコおばあさんも、激昂した。

 「う、うるさい! ババア!」

 冷静さを失ったタケシは、重機のアームを振り上げ、ミーコおばあさんに叩きつけようとした。

 その瞬間、マコトは身を翻し、銃の引き金に指をかけた。

 「ど、どいてくれー」
 タケシの声が悲痛に響く。

 ふと、マコトは撃つのをやめた。

 その直後、重機のバケットは、誰もいない地面にドシンッと落ちた。

 マコトには、タケシの心の叫びが届いていた。


 重機から降りてきたタケシに、ミーコおばあさんは拳骨で頭を殴った。

 そして、タケシを抱きかかえ、
 「どうして、こんなことを?」
 「あの優しかったタケ坊が!」
 そう言って、涙を流した。

 タケシは黙っていた。

 ミーコおばあさんの拳は骨ばって弱々しい。
 タケシには痛くも痒くもなかった。
 だが、殴られるよりも、そこから伝わる温もりの方が痛かった。

 「俺は一体何をやってるんだ……」
 タケシはぽつりと呟くと、
 「ミーコばあちゃん、ごめんよ!」
 そう言って、タケシも泣き出した。



 一同は、警察が来るまでの間、おばあさんの家で話をした。

 「今更だが、俺だって乗り気じゃなかったんだ」
 タケシは視線を落とした。
 大きな背中が、小さく縮こまっている。

 「ホントは間違ったことは大嫌いだし、ばあちゃんには、可愛がってもらった恩義がある」

 「だがな、裏世界に手を染めちまった以上、家族を守るために仕方なかったんだ」

 「逆らったらどうなるか知っている」
 「あの人には逆らえねえ!」

 マコトの表情が変わった。 

 だが、タケシはそんな様子に気づかず続けた。

 「こんなこと許されねえと、分かっちゃいたんだ」
 「だから、ばあちゃんに立ち退いてもらい、新築でのんびり暮らして欲しかったんだよ」

 「それは、あなたの勝手な都合でしょう」
 カノンが口を挟む。
 
 「ミーコおばあさんは、ご家族との想い出が詰まったこの家が、何よりも大事だったの」
 「そして、限られた時間を静かに暮らしたかっただけなのよ」

 「限られた……?」
 タケシの表情が強張る。

 カノンはハッとした。
 ミーコおばあさんの大切な秘密をうっかり口にしてしまったのだ。

 そんなカノンを気遣って、ミーコおばあさんは静かに語り出した。

 「タケ坊や。私は癌でもう長くはない」
 「あと数か月もすれば、この家はタケ坊の好きにできるんだ」

 「私の死後は、土地を売却するよう遺言してある」
 「だから、何も心配しなくていいんだよ」

 話を聞きながら、タケシは昔のことを思い出していた。
 おばあさんからおやつをもらったり、花壇の花にいたずらして叱られたことが、一気に胸に込み上げてきた。

 タケシは嗚咽して、何度も何度も詫びた。

 間もなく、警察が来てタケシは逮捕された。
 ミーコおばあさんは、タケシが去っていくのを黙って見つめていた。
 


 その日の夜、警視庁の警視監室で一本の電話が鳴った。

 「ああ、私だ」

 「何! 地上げ屋が逮捕されただと!」

 「また、あの探偵屋か?」

 「……」

 「まあいい。追って指示する」

 そう言うと、男は電話を静かに切った。
 だが、その手に握られたボールペンは真っ二つに折れていた。

 
 「マコト……」
 「探偵ごっこは、そろそろ終わりだ」

 男は薄ら笑いを浮かべた。

 「どうせお前は変わらん」
 「仲間を守るためなら、自ら檻に入る男だ」

 「まずは口の軽い地上げ屋からか?」

 月明かりが差し込むなか、男は不気味に呟いた。


 その一件から三か月が経ったある日。

 アヤナがM&K探偵事務所を訪れた。
 彼女は黒のワンピースを着て、少しやつれた様子だった。

 カノンはもとより、マコトの目にも微かに光るものがあった。

 その日の午後、カノンはマコトとともにミーコおばあさんの墓詣りにいった。

 カノンの瞼の裏に、おばあさんの笑顔が浮かぶ。

 正しいことを叫ぶだけでは人を救えない。
 痛みや想いに触れて初めて、救いが始まる。
 私には私のできるやり方がある!

 墓前に花を手向けながら、カノンは誓った。


 地上げ屋 終わり


がんばれ! 新人クロサキ君―スピンオフ

 時は二十五年ほど遡る。

 レイナが新人として、警視庁捜査一課に配属される数年前のこと。
 レイナと同様、新人ながら抜擢されて捜査一課の門を叩いた若者がいた。

 その名を「クロサキ」という。
 そう、若き日のあの「クロサキ(ジュニア)」だ。

 抜擢といっても、レイナの場合とはだいぶ事情が違っていた。

 彼は、警視庁幹部の父の七光りで、能力以上に評価された。
 そして、幸か不幸か、荒くれ者が集まる捜査一課に飛び込んでしまったのだ。


 配属初日の朝。

 「おはようございます!」
 「新人のク、クリョサキです!」

 彼の声は、緊張で異様に裏返っていた。

 捜査一課の面々は、新人のことなど気にも留めず、自分の仕事に集中していた。
 教育を任されたマコトとシンジは、クロサキの緊張をほぐそうと苦心した。

 特に、面倒見のよいシンジは、
 「まあ、クロサキ君」
 「ああ見えてもみんな仲間意識が強いんだ」

 「挨拶で噛んだことなど、すぐに忘れるよ!」
 といって、悪気もないのに無意識にトドメを刺していた。


 こうして捜査一課に加わったクロサキは、はじめの数日間、署内で雑用を任された。

 親の威光でエリート街道を歩んできた彼は、雑用などしたことはない。
 当然ながら、やる気もやる能力もなかった。

 そのため、ファイルを取り違え、コピーの枚数を間違え、掃除をしてバケツをひっくり返した。

 マコトとシンジは、失敗続きのクロサキの尻ぬぐいに奔走した。


 一週間ほどすると、クロサキを事務所に置いておくことに苦情が入った。
 仕方なく、ふたりはクロサキを外回りに連れ出すことにした。

 だが、パトカーを運転させれば、道を間違えるわ、標識を見落とすわで、任せられない。
 かといって、助手席に座らせれば、車酔いするといった始末!

 それでも、クロサキに対し、マコトとシンジは優しく接していた。

 だが、シンジの「悪意のないトドメ」がクリティカルになり、クロサキはふたりに良からぬ感情を抱くようになっていった。


 ある日の巡回中、シンジュクで銀行強盗が発生したとの連絡が入った。

 マコトたちも即座に現場に急行した。
 強盗は人質をとり、屋内に立て籠っていた。

 クロサキの心は踊った!

 初めてのリアルな事件現場だったし、手柄を挙げるチャンスだと思った彼は、冷静さを失っていた。

 要求が通らず、犯人の苛立ちが最高潮に達したその時――
 突然、クロサキはマコトたちの制止も聞かずに、車の影から飛び出した。

 そして、犯人と勝手に交渉を始めた。

 「貴様ら、舐めた真似をするなよ」
 「投降すれば、減刑を考えてやらなくもないぞ」
 と、上から目線で捲し立てた。

 逆上した犯人は、クロサキめがけて銃を撃った。
 弾はクロサキの右肩を掠め、クロサキは悲鳴を上げて倒れた。

 「ギャー、う、撃たれた!」
 「痛い! 痛い!」
 「誰か助けてくれー」

 周囲の野次馬も引く勢いで、クロサキはのたうち回り、やがて、救急車で搬送されていった。

 辺りに静寂が戻る。

 その後、警察の粘り強い説得で犯人が投降し、クロサキ以外に怪我人はなく、事件は解決した。


 クロサキの怪我は全治二週間だった。
 だが、今回の独断専行を咎められ、警視庁を追い出されて、カナガワ県警の交番勤務に左遷された。

 さすがのクロサキ父も、愚息を庇いきれなかったようである。

 一方、マコトたちもただでは済まされなかった。
 教育係の責任を問われ、三か月の減俸を余儀なくされた。

 クロサキが捜査一課を去る日、マコトとシンジは見送りに出た。

 「力になれず、申し訳なかったね」

 そう言って手を差し出すシンジに、クロサキは無言でその手を振り払い、足早に去っていった。
 権威だけに支えられて生きてきた男が、実力主義の現場で敗北した瞬間だった。

 彼にとって、この一連の出来事は消えないトラウマとなった。
 そして、マコトとシンジを逆恨みし、その後も何かにつけてウザ絡みするようになったのである。

 まったくもって迷惑な話だ。


 がんばれ! 新人クロサキ君 終わり


レイナの回想―二十年越しの約束

 ここは、レイナの住む高級マンションの一室。

 レイナは、先日の地上げ事件の資料を見ながら、事件の背景を改めて調べていた。

 逮捕されたタケシは意思決定ができる立場ではなく、裏で糸を引く人物がいるはずだった。

 すでに、地元の政治家との繋がりは見えていた。
 だが、警察の関与があったかどうかは不透明で、黒幕は巧妙に姿を隠していた。

 「癒着、隠蔽、黒幕……」
 「あのときと似てるわね」
 レイナは一瞬、首筋に冷たいものを感じて手を止めた。

 彼女は書類をテーブルにポンと置き、飲みかけのグラスに手を伸ばした。



 そっと目を閉じ、遠い昔を想い出す。

 警察学校を首席で卒業し、しばらくして警視庁の捜査一課に抜擢された。
 配属早々、教育係を担当したのがマコトとシンジだった。

 その頃のふたりは、捜査一課の敏腕コンビで、頭脳派のマコトと感覚派のシンジは不思議と馬が合い、数々の難事件を解決していた。

 レイナも、有望な新人として注目を浴びていた。

 当時のマコトは独身だった。
 一方のシンジは、国際事件で知り合ったロス警察のステファニーと結婚しており、六歳の娘がいた。
 カノンである。


 レイナは、空になったグラスにスコッチを注ぎ、しばしの間、芳醇な香りを楽しんだ。


 その頃、三人はある殺人事件を追っていた。
 そんな最中、ひとりの情報屋が殺害された。

 情報屋は、プログラミング会社に勤務する、ある男と接点があった。
 その男は、警視庁の捜査情報を一括管理するソフトの作成に関わっていたという。

 シンジは殺された情報屋と頻繁に接触しており、警視庁の新プログラムに関する不正を掴んでいた。

 情報は一冊のノートに残されたとの噂があった。
 だが、その存在を確認した者は誰もいない。

 黒幕として、当時はまだ警視だったクロサキの名前が挙がっていた。

 とはいえ、クロサキの背中は遠かった。

 事件の関係者はみな、捜査が及ぶと姿を消した。
 証言を約束した者は失踪し、証拠は何者かによって処分された。
 まるで、誰かが先回りしているようだった。

 シンジはマコトにも詳細を明かさず、ひとりで事件を追っていた。

 そんなある日、シンジはレイナにだけそっと漏らした。

 「レイナ、この件は根深い」
 「相手は想像以上の大物だ」

 レイナは探りを入れてみた。
 「……クロサキ警視なの?」

 シンジの表情が一瞬だけ曇った。
 「今はまだ、誰も巻き込みたくないんだ」
 それ以上、シンジの固い口は開かなかった。 

 レイナは首筋に嫌な寒さを感じて、それ以上は訊かなかった。いや、訊けなかった。

 その数日後、プログラマーは殺害された。

 シンジは捜査に行き詰まった。

 そんなシンジに上司が休暇を勧めた。



 そして、運命のあの日。

 シンジは妻のステファニーとカノンとともに過ごしていた。
 車で出掛けた三人は遊園地で遊んだあと、首都高を走っていた。

 そこで、不審な事故が起きた。

 車は大破し、助手席のステファニーは即死だった。運転していたシンジも、全身を強く打って意識を失った。

 後部座席に乗っていたカノンは、負傷していたが意識はあった。
 だが、車は大きく変形しており、救助は難航を極めた。


 その日、マコトとレイナは別件を捜査していた。

 当時、女たらしだったマコトはレイナに度々アプローチしていたが、そっけなく断られていた。
 その日も、いつものように他愛のないやり取りをしていたが、事故の報を聞き、現場に急行した。

 現場に着くと、心肺停止のステファニーと意識のないシンジが救助され、救急車で搬送されるところだった。

 カノンはまだ、車内に取り残されており助けを求めていた。

 マコトは、かろうじて届いたカノンの手を握り、
 「カノン! おじさんが絶対に助けるから!」
 と言って、励まし続けた。

 車の解体が進み、やっとカノンの上半身が見えたときだった。
 作業の最中に、一瞬火花が出た。

 すると、事故で漏れ出したガソリンに引火して、車はあっという間に火で覆われた。

 誰もが絶望する中、マコトだけは諦めなかった。

 マコトは、猛火の車内でカノンの脚を全力で引き抜き、なんとか助け出した。
 ふたりが救助隊によって保護された直後、車は爆発した。

 カノンは、打撲と軽い火傷で一命を取り留めた。
 だが、マコトは全身に火傷を負い、左眼の視力も失った。

 数日後、車椅子で動けるようになったマコトは、レイナに付き添われてシンジを見舞った。

 シンジは瀕死の重傷で手の施しようがなく、まだ生きているのが奇跡とも言えた。

 マコトは、集中治療室のガラスにすがりついて慟哭した。


 その日の夜、マコトはシンジの夢を見た。

 夢の中で、シンジは言った。

 「マコト……」
 「考えるな。感じるんだ!」
 「心が彷徨うと、己の武器は己を傷つける」

 「また、いつもの説教かい?」
 「お前は心配性だな」

 「ああそうだ。敵は手強い」
 「だからこそ、生きて守って欲しいんだ」

 「もちろんだ」
 「お前の大切な娘だ。何があっても守り抜く」

 「絶対だぞ」

 「ああ、約束は守るためにあるんだ」

 「そうだな」
 「これで心置きなく……」

 シンジはそう言うと、スーッと消えていった。


 マコトが目を覚ましたとき――
 シンジはもう亡くなっていた。


 「……」

 レイナは窓の外を見つめて、溜息をついた。

 あれから二十年。
 みんな変わってしまった。

 シンジは逝き、マコトは左眼を失った。
 自分も歳を取った。

 それでも――

 あの子だけは真っ直ぐに育った。

 レイナは小さく微笑んだ。

 「ホント、不器用なのよね」

 その言葉は、誰に向けたものなのか?
 マコト? カノン?
 それとも……



 いつしか、静かな寝息が聞こえてきた。
 レイナの寝顔には、涙が浮かんでいた。

 飲みかけのグラスが置かれたテーブル。
 その上に、ぽつりと置かれた一枚の写真。

 カノンを囲むように、シンジとステファニー、そしてマコトとレイナが、二十年の時を越え、微笑みかけていた。

 ふと目が覚めて、そっと写真に手を伸ばした。
 だが、届かない。

 「もう二度と、あの場所には戻れないんだ」

 レイナの頬を、一筋の涙がそっと伝った。


 レイナの回想 終わり

 第一部 完


 本作品はフィクションです。
 登場人物、組織、事件等はすべて架空のものであり、実在の人物・団体とは関係ありません。
 なお、本作は探偵物語の形を借りた人間ドラマとして描かれており、作中の捜査や法的手続きには物語上の演出が含まれています。
 どうぞ、肩の力を抜いて、カノンとマコトの物語をお楽しみください。


登場人物

カノン

カノン:M&K探偵事務所の助手、活発で正義感の強い女性、ネコが大好き

マコト

マコト:M&K探偵事務所のベテラン探偵、元警視庁デカ、二つ名は『隻眼のM』

レイナ

レイナ:警視庁捜査一課の敏腕警部、マコトの後輩でマコトに恋心も……

アリア

アリア:警視庁捜査一課の刑事、カノンと同年代で仲良し

クロサキ

クロサキ:警察署長、過去の因縁からマコトに恨みを持つ

クロサキ警視監

クロサキ警視監:クロサキの父、警視庁の汚職に関係があるとされる大物


あとがき


 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
 本作『迷探偵カノンの成長日記』第一部は、ここで一区切りになります。

 この物語を書き始めた当初、私は「探偵小説を書こう」と考えていました。
 しかし、書き進めるうちに、事件そのものよりも、マコトやカノンたちがどのように笑い、悩み、成長していくのかを書く方が楽しくなっていました。

 結果として、事件を通して人が成長する物語になりました。

 正義感が強すぎて時々暴走するカノン。
 そんな彼女を呆れながらも見守り続けるマコト。
 マコトを支えるレイナ。
 そして新たな仲間のアリア。

 彼らは作者の想像以上に、生き生きと動き出し、私自身も彼らに振り回されながら、執筆を楽しんでいました。

 主人公のカノンは、まだまだ未熟な探偵です。

 失敗もします。
 暴走もします。
 たくさん泣きます。

 それでも彼女は、人の悲しみに寄り添い、誰かを守りたいという気持ちだけは、誰にも負けません。

 守られる側だったカノンが、誰かを守ろうとする女性へ――
 本作は、そんな小さな成長の記録でもあります。

 そして、マコトもまた、亡き親友との約束を守るという大きな使命を背負っています。

 「守る」とは何か――
 そのことに思いを馳せていただけたら、作者として幸いです。

 第一部では、さまざまな事件を通して、カノンとマコトの絆、そして二十年前に起きた悲劇の一端が明らかになりました。
 しかし、クロサキ警視監の背後にある闇や、シンジが追っていた真実など、まだ語られていない謎も数多く残されています。

 彼らの物語は、まだ終わっていません。
 これからも、笑ったり泣いたりしながら、それぞれの答えを探していくことでしょう。

 もし皆さまに少しでも楽しんでいただけたなら、作者としてこれ以上嬉しいことはありません。
 また次の事件で、お会いできる日を楽しみにしております。

小森 信(こもり しん)



いいなと思ったら応援しよう!

小森 信(こもりしん) この度は、応援ありがとうございます! いただいたチップは活動費として大切に使わせていただきます!