理想の夫とは?——ずいぶん遠回りして気づいたこと。
「理想の夫になろう」なんて、正直、考えたこともありませんでした。
結婚したばかりの頃、私が「いい夫」だと思っていたのは、たぶん、こういうことです。
しっかり稼いで。 弱音を吐かず。 なにかあったときに、どんと構えていられる。それさえできていれば、家庭はうまくいくものだと、本気で思っていました。
でも、娘が生まれて、その小さな目が私たちのすべてを見ていると気づいたとき、自分の考えがどれだけズレていたか、ようやく思い知らされた気がします。
私は、気づいていませんでした。
夜、妻がひとりでシンクの前に立って、洗い物をしている。
その背中を私はソファに座ったまま、スマホ越しにただ眺めていました。
すぐそばのテーブルでは、娘がクレヨンでなにかの絵を描いています。
「手伝おうか」の一言が、どうしても出てこなかった。
家事は、なんとなくやってくれるものだと、心のどこかで思っていたんだと思います。
でも、ふと気づいたのです。
この子は、今、この光景を見ている、と。
パパはなにもしないで、ママだけが動いている。
その「ふつう」を、この小さな人に覚えさせてしまっている。
そう思った瞬間、私は立ち上がって、うしろからスポンジを取りました。
「俺、やるよ」
妻が少しだけ驚いた顔をしました。
そして娘が、笑いました。
なにか言いたげな様子でした。
その笑顔を見て、私は、はじめて思い知りました。
ああ、この子は、親の背中を、ちゃんと見ているんだな、と。
「ありがとう」を、言えていませんでした。
ごはんを作ってもらって、当たり前。
洗濯された服が、当たり前に、たたまれている。
そのぜんぶを、私はずっと、「そういうもの」として受け取っていました。
だから、決めました。
どんな小さなことでも、「ありがとう」を言おう、と。
ごはんに、ありがとう。 洗濯に、ありがとう。 今日も一日、ありがとう。
最初は、かなり照れくさかったです。
でも、しばらく経ったある朝のことです。
食卓についた娘が、ふいに、こう言いました。
「ママ、ごはんつくってくれてありがとう」
妻と思わず顔を見合わせました。
誰も教えていません。
この子は、ただ、私を見て覚えたのかもしれないと思いました。
たった一言の「ありがとう」が、こんなふうに次の世代へ手渡されていく。
それを目の当たりにして、私はちょっと言葉が出ませんでした。
娘が、見ています。
子どもは、親の言うことは聞かないけれど、親のすることは意外にちゃんと見ています。娘にとって、私が妻に接する姿は、生まれてはじめて目にする「愛の形」です。
こうして文章にすると、かなり照れますが。
パパがママに、どんな言葉をかけるか。
困っているとき、手を差し伸べるか。
ケンカのあと、どうやって仲直りするか。
そのひとつひとつが、この子の中に静かに積み重なっていきます。
そしていつか、この子が「大切にされるって、こういうことだ」と思う、その基準になる。
そう考えると、背筋が伸びます。
私は、この子の基準、ものさしを毎日つくっているかもしれません。
だからこそ、妻を大切にすること。
それはもう、私ひとりの問題ではなくなりました。
そして、たどり着いた答え。
理想の夫とは、「なる」ものではないのだと思います。生まれつき完璧な夫なんて、どこにもいません。
私なんて、遠回りばかりで、失敗ばかりで、いまだにうまくできない日も多々あります。
それでも、妻が少しずつ私を「夫」にしてくれました。
そして娘が、私を「父」にしてくれました。
気づかせてくれて。 待っていてくれて。 そのたびに、笑って、ありがとうを、返してくれて成長しました。
理想の夫とは、家族みんなで時間をかけて育てていくもの。
その答えに、ようやくたどり着いた気がします。
今夜も洗い物は私の役目です。
お皿を拭きながらふり返ると、ソファでは妻と娘が寄り添うようにして寝落ちしていました。
二人にそっと、毛布をかけます。
娘の寝顔を見ていると、ときどき、少しだけこわくなります。
この子はいつか、大きくなって私たちの元を離れて、誰かと生きていく日がくる。そのとき願わくば、この子が選ぶ人が、この子をちゃんと大切にしてくれる人でありますように。
そして、この子自身が、「大切にされて当たり前」だと、胸を張って言える子でありますように。
そのために、それまでは毎日、不器用でもこの小さな人に見せ続けようと思います。
隣にいる人を大事にするって、こういうことだよ、と。
理想の夫にはまだまだ程遠いですが、夫として、父として、少しずついい背中を見せていけたらいいな、と思っています。
