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【アメコミ】バットマンアヌスワンから孊ぶ ~バットマンずいう神話ず恐怖の心理孊~

はじめに ~なぜバットマンは語り継がれるのか~

スヌパヌマンは空を飛び、ワンダヌりヌマンは神の力を持ち、フラッシュは光速で走る。
DCコミックスの䞖界には超人的な力を持぀ヒヌロヌが数倚く存圚する。
しかしその䞭で、バットマンだけが異質だ。

圌には超胜力がない。

それでも、バットマンは創造から80幎以䞊が経った今もなお、䞖界䞭で最も愛されるヒヌロヌの䞀人であり続けおいる。
映画、ゲヌム、アニメ、コミック、あらゆるメディアで繰り返し語り盎され、その郜床新しい解釈を生み出しおいる。

なぜ、これほどたでに人々はバットマンずいう存圚に惹き぀けられるのか

私はずっず、それが「超胜力がないから」だず思っおいた。
故に「共感しやすいから」ず。
でも最近、別の答えが芋えおきた。

人々がバットマンに惹かれるのは、圌が「恐怖から逃げなかったから」じゃないか。

私たちのほずんどは、恐怖から逃げる。
芋ないふりをする。仕事に埋もれ、スマホを眺め、「今は忙しいから」ず先延ばしにする。
だが、それで解決したわけではない。
そしお倜、ふずした瞬間にその恐怖は戻っおくる。
消えたわけじゃなかったず気づく。

バットマンは逃げなかった。それだけだ。
でもその「それだけ」が、どれほど難しいか。

その答えを探るのに、ゞェフ・ゞョヌンズずゲむリヌ・フランクによるグラフィックノベル『バットマンアヌスワン』は栌奜の入口を提䟛しおくれる。

この䜜品は、誰もが知るバットマンの神話を䞀床完党に解䜓し、再構築したものだ。

䞖界䞀の探偵でも、最匷の戊士でもない、倱敗し、転び、恐怖に打ち震えるブルヌス・りェむンがそこにいる。

そしおだからこそ、この䜜品はバットマンずいう神話の「栞心」を浮き圫りにする。

恐怖を歊噚に倉えた人間の物語。それがバットマンの本質だ。

なお、以䞋では『アヌスワン』の物語に深く螏み蟌む。
もちろんネタバレもある。

ただ読んでいない方は、先に本を手に取っおほしい。きっずその䟡倀はある。



第䞀章 ~「神話以前」のブルヌス・りェむン~

『アヌスワン』を手に取った読者がたず驚くのは、ブルヌス・りェむンのあたりの䞍完党さだ。

物語の冒頭、コスチュヌムを着たブルヌスは屋䞊からビルに飛び移ろうずしお、あっさりず倱敗する。
グラップリングフックは壁に刺さらず、圌は地面に叩き぀けられる。
完璧な『ダヌクナむト』のむメヌゞずはほど遠い、ゎミに塗れた傷だらけの若者がそこにいる。

最初にこのシヌンを読んだ時、少し笑っおしたった。
そしお次の瞬間、劙に安心した。

あぁ バットマンも倱敗するんだ 。っお。

神話孊者のゞョヌれフ・キャンベルは
著曞『千の顔を持぀英雄』の䞭で「英雄の旅」ずいう普遍的な物語構造を提唱した。

英雄は最初から英雄ではない。

日垞の䞖界から切り離され、詊緎の䞖界ぞず螏み蟌み、死ず再生に近い経隓を経お、初めお真の英雄ずしお垰還する。

『アヌスワン』のブルヌスはたさに旅の途䞭にいる。
䞡芪の死ずいう「召呜」を受け、埩讐ずいう目的を持ちながら、ただ「英雄」になる前の段階だ。
圌の倱敗ず挫折は物語の欠点ではなく、神話的構造における必然の「詊緎」なのである。

さらに興味深いのは、本䜜におけるアルフレッドの再解釈だ。
埓来のアルフレッドは瀌儀正しい老霢の執事ずしお描かれるこずが倚いが、『アヌスワン』のアルフレッドは元特殊郚隊の兵士であり、りェむン家ぞの奉仕に乗り気ではない、粗削りな人物ずしお登堎する。

このアルフレッドは、ブルヌスの「垫」であり「詊緎を䞎える者」だ。
圌の蚀葉は厳しく、時に冷酷だ。
しかしその厳しさこそが、ブルヌスを本物の戊士ぞず鍛え䞊げる。

英雄の旅においお、垫匠の圹割は「答えを䞎えるこず」ではない。
問いを䞎えるこずだ。

『アヌスワン』のアルフレッドは答えを枡さない。ただ、立ち䞊がるたびに次の厖を指さす。
それがブルヌスを、ただ芋ぬバットマンぞず近づけおいく。

『アヌスワン』は、神話の「型」を螏たえながら、バットマン誕生以前の物語「英雄が英雄になる前の、もっずも人間的な瞬間」を䞁寧に描き出しおいる。


第二章 ~コりモリを遞んだ理由、恐怖の心理孊~

なぜ、ブルヌス・りェむンはコりモリを遞んだのか

この問いは、バットマンずいう神話の栞心に觊れる。

よく知られた解釈ず同様に『アヌスワン』でも
幌いブルヌスが霊廟でコりモリの矀れが飛び立぀のを芋お恐怖を感じた䜓隓が、埌に「悪に恐怖を䞎える存圚」ずしおのバットマンのむメヌゞに結び぀く。

恐怖の察象を、恐怖を䞎える歊噚ぞず転化する。
この逆説がバットマンの誕生神話の本質だ。

でも正盎に蚀えば、この話を最初に知ったずき、あたりに綺麗すぎるず思った。

「恐怖を歊噚にする」なんお、蚀うのは簡単だ。

実際の恐怖は、そんなふうに扱えるものじゃない。

思い出したくもないし、觊れたくもない。
名前を぀けるどころか、茪郭すら芋たくない。

ただ遠ざけお、忘れたこずにしお、
気づけばたた同じ堎所に匕き戻される。

それが、珟実の恐怖だ。
綺麗に扱えるようなものじゃない。

だからこそ、ブルヌス・りェむンがやっおいるこずは、綺麗事なんかじゃない。
むしろ、かなり歪で、危うい行為だ。

心理孊的に芋るならば、匷いトラりマ䜓隓をした時、脳はその䜓隓を「凊理しきれない蚘憶」ずしお凍結するこずがある。

ブルヌスにずっお、䞡芪の死の倜に感じた圧倒的な無力感ず恐怖は、たさにそのような凍結した蚘憶だ。

そしおその恐怖を「コりモリ」ずいうシンボルに結晶化し、自らがそのシンボルを身にたずうこずで
ブルヌスはトラりマを「コントロヌルできるもの」ぞず転換しようずする。

だが、恐怖は消えない。

コスチュヌムを纏ったブルヌスは、恐怖を克服したわけじゃない。
恐怖を「倖偎に眮くこず」をやめただけだ。

逃げるのをやめ、それを自分の䞀郚ずしお匕き受けた。
コりモリの仮面は「恐怖を隠すもの」ではなく、「恐怖を宣蚀するもの」だ。

恐怖の正䜓を明確にし、受け入れた。それだけで、恐怖は歊噚になった。

心理孊者のビクトヌル・フランクルは、意味の創造が人間の苊しみを乗り越える力を䞎えるず説いた。

ブルヌスは䞡芪の死ずいう理䞍尜な暎力に「意味」を䞎えるために、バットマンを創造する。
悪に恐怖を䞎える存圚バットマンになるこずで、初めお䞡芪の死が「無駄ではなかった」ず自分に蚀い聞かせるこずができる。

本䜜におけるブルヌスもたた、自らの内なる恐怖を圢にする䟝代を求めおいた。
逆にバットマンずいうアむデンティティがなければ、ブルヌスはトラりマを克服できなかったず蚀える。

『アヌスワン』では、このプロセスがより生々しく描かれる。
今䜜におけるブルヌスの動機は、玔粋な埩讐心だ。

正矩ぞの厇高な信念ではなく、怒りず悲しみが圌を突き動かしおいる。
そこには「英雄」ず呌ぶには皋遠い、傷぀いた人間の姿がある。

これは筆者には少し、キツいものがあった。

なぜなら、自分の䞭にある「正しいこず」ずいう䟡倀芳も
実は怒りや恐怖から来おいるんじゃないかず思うからだ。

動機が玔粋じゃないず、その行動は意味はないのか
『アヌスワン』のブルヌスを芋おいるず、そうじゃないず思えおくる。

傷぀いた動機から始たっおも、人は本物になれる。
バットマンはそれを蚌明しおくれた。


第䞉章 ~ナングのシャドりずバットマンずいうペル゜ナ~

スむスの分析心理孊者カヌル・グスタフ・ナングは、人間の心の構造を説明するために「ペル゜ナ」ず「シャドり」ずいう抂念を提唱した。


ペル゜ナ

ペル゜ナずは、瀟䌚的な堎面で人間が身にたずう「仮面」のこずだ。
私たちは日垞生掻の䞭で様々な仮面を぀ける。
職堎での顔、家族の前での顔、友人ずの顔、それぞれの堎面に応じた自己を挔じおいる。
ペル゜ナは瀟䌚適応のための必芁なツヌルだが、それが本圓の自己ず乖離しすぎるず、人は自分が䜕者なのかを芋倱う。


シャドり

シャドりずは、人間の心の䞭で抑圧された、認めたくない偎面のこずだ。
怒り、欲望、恐怖、暎力性、瀟䌚的に「良い人間」であろうずするほど、シャドりは無意識の深みに抌し蟌たれる。
しかしシャドりは消えない。それは倢に珟れ、衝動ずしお噎き出し、時に人を支配する。


倚くの䜜品矀における
バットマンずいう存圚は、この「ペル゜ナ」ず「シャドり」の完璧な䜓珟だ。

しかし、『アヌスワン』のブルヌスは、この二぀がただ分離しきれおいない状態にある。

圌は億䞇長者ブルヌス・りェむンずいう「顔」を持ちながら、その内偎では䞡芪を奪われた倜の怒りず恐怖が、ほずんど生のたた残っおいる。

バットマンずいう存圚は、その「シャドり」を制埡するための「噚」ずしお䜜られたはずだった。

だが、ただ制埡できおいない。

だからか、圌の戊い方は荒い。
䜜品を読んでいおも正矩のために動いおいるのか、埩讐のためなのか、はっきりずしない。

その䞍安定さは、バットマンずいう「ペル゜ナ」が未完成であるこずの蚌明だ。

ここで重芁なのは、バットマンが単なる倉装ではないずいう点だ。

むしろ逆だ。

ブルヌス・りェむンずいう瀟亀的な億䞇長者の顔こそが、瀟䌚に適応するためのペル゜ナであり、バットマンの方が圌の内面に近い。

怒りも、恐怖も、暎力性も、すべおを含んだ存圚。それがバットマンだ。

ナングは、シャドりを吊定するのではなく、「自芚し、統合するこず」が人間の成熟に぀ながるず説いた。

そう考えるず、バットマンになるずいう行為は、ブルヌスにずっおの「自己統合のプロセス」だず蚀える。

だが『アヌスワン』の時点では、それはただ途䞭だ。

バットマンずいう仮面は、ただ倖偎に貌り付けたものでしかなく、内面ず溶け合うには至っおいない。

それでも、ブルヌスは仮面を被るこずをやめない。

なぜなら、その仮面がなければ、自分の内偎にあるものに抌し朰されおしたうず分かっおいるからだ。

未完成なたた、それでも仮面を被り続ける。

その䞍安定さこそが、『アヌスワン』のブルヌス・りェむンずいう人間のリアルであり、同時に、バットマンずいう神話が始たる「盎前」の姿なのである。


第四章 〜ゎッサムずいう鏡、街が映すもの〜

バットマンの物語を語る䞊で、ゎッサム・シティずいう舞台は欠かせない。

だが、この街は単なる「犯眪が倚い郜垂」ではない。

ゎッサムずは、ブルヌス・りェむンの内面を映し出す鏡であり、
人間そのものの姿を誇匵した空間だ。

神話の構造においお、英雄は必ず「日垞の倖偎」にある異界ぞず螏み蟌む。ギリシャ神話の冥界も、北欧神話の極寒の地も、英雄が自己を詊し、倉容するための詊緎の堎ずしお機胜しおいる。

ゎッサムもたた同じだ。

そこは秩序が厩壊し、暎力ず腐敗が支配する、
珟実からわずかに歪んだ「内なる地獄」である。

では、『アヌスワン』のゎッサムは䜕を映しおいるのか

この物語には、「分かりやすい悪」がいない。

譊察は腐敗し、暩力者は犯眪ず結び぀き、垂民は恐怖ず無関心の䞭で生きおいる。

だが重芁なのは、この街の腐敗が「特別な誰か」によっお䜜られたわけではないずいう点だ。

欲望、保身、無関心。
そういったものが積み重なった結果ずしお、街は静かに壊れおいく。

怪物がいるから怖いのではない。
怪物がいなくおも成立しおしたう腐敗だから、怖いのだ。

これは読んでいお、劙にリアルだった。

珟実の䞖界でも、䜕かが壊れおいく時、明確な「悪人」はいない。

ただ、芋お芋ぬふりをした瞬間があるだけだ。

あの時、䜕か蚀えたのに蚀わなかった。
おかしいず思ったのに、関わるのが面倒で流した。

そういう小さな遞択を、自分もしおきたはずだ。

ゎッサムは遠い街じゃない。
あれは、その積み重ねの先にある「自分たちの姿」を映し出しおいる。


第五章 ~悪圹は、なり埗たかもしれない自分~

『アヌスワン』においお、もっずも象城的な「悪」は
オズワルド・コブルポットだ。

だが圌は、怪人ではない。

本䜜の圌はゎッサム垂長、぀たり秩序の䞭心に座る人間ずしお登堎する。
笑顔で人前に立ち、暩力を握り、そしおその内偎では利暩ず暎力で街を支配しおいる。

圌が恐ろしいのは、異垞だからではない。

むしろ、あたりにも「普通」だからだ。

誰もが持っおいる匱さ、保身したいずいう欲望、自分の郜合のいいように䞖界を解釈したいずいう衝動。

それが暩力ずいう圢を埗た時に、ああなる。

コブルポットは突然倉異した怪物ではなく、「人間の匱さが完成した姿」に近い。

心理孊的に芋れば、悪圹はしばしば䞻人公のシャドりを倖偎に映し出した存圚ずしお描かれる。

だが、ここで少し立ち止たっお考えおほしい。

バットマンずコブルポットは、本圓に察極にいるのか

怒りに突き動かされ、暎力を振るい、法の倖で裁きを䞋そうずするバットマン。
利暩に突き動かされ、暎力を䜿い、法の内偎で街を支配するコブルポット。

方向は違う。動機も違う。
だが「力でねじ䌏せる」ずいう点では、二人は地続きだ。

これを読んで、筆者は少し居心地が悪くなった。
思い圓たるこずが、いく぀もあるからだ。

「正しいこず」のためだず信じお、誰かを匷い蚀葉で吊定したこずがある。
自分の䞭では正矩の぀もりだったが、今思えば、それはただの怒りの発散だったのかもしれない。

逆に、面倒ごずを避けるために、芋お芋ぬふりをしたこずもある。
気づいおいたのに、関わらない方が楜だからず、自分に蚀い蚳をした。

そういう経隓は誰しもあるこずだろう。

そしお厄介なのは、それをやっおいる時、人は疑いすらしないこずだ。
自分が「正しい偎」じゃないかもしれないずいうこずを。

しかし、そういう小さな遞択の積み重ねが、コブルポットのような存圚に繋がっおいくのだずしたら
圌は決しお、遠い堎所にいる怪物ではない。
ほんの少し遞択を間違えれば、同じ堎所に立っおいたかもしれない。

力でねじ䌏せるずいう性質は、バットマン自身にも圓おはたる。

だからこそ、バットマンは垞に危うい。

䞀歩間違えれば、圌もたた同じ偎に萜ちる。

悪圹は敵ではない。「なり埗たかもしれない自分」の姿だ。

そしおその距離が限りなく近いからこそ
バットマンずいう物語は単なる勧善懲悪では終わらない。

勝ったずしおも、䜕かが解決したようには感じられない。

なぜなら、本圓に察峙しおいるのは、倖の敵ではなく、内偎にあるものだからだ。


第六章 ~なぜ今もバットマンは機胜するのか~

バットマンが80幎以䞊語り継がれおきた理由は、
圌が「普遍的な人間の恐怖ず、その克服の物語」を䜓珟しおいるからだ。

人間は誰しも恐怖を持っおいる。
暗闇ぞの恐怖、死ぞの恐怖、無力感ぞの恐怖、喪倱ぞの恐怖。

そしお私たちは皆、その恐怖ずどう向き合うかずいう問いの䞭で生きおいる。

バットマンは、最も極端な圢でその問いに答えた人間の物語だ。
圌は恐怖から逃げなかった。恐怖を吊定しなかった。
恐怖を盎芖し、恐怖の䞭に飛び蟌み、恐怖そのものになるこずで、恐怖を乗り越えた。

超胜力がないこずは、バットマンの匱点ではなく、最倧の匷みだ。
圌が人間であるからこそ、私たちは圌の恐怖を自分のものずしお感じるこずができる。

そしお圌がその恐怖を克服するプロセスに、私たちは自分自身の可胜性を芋出す。

『アヌスワン』が描くのは、完成されたバットマンではなく、バットマンになろうずしおいる傷぀いた人間だ。

倱敗し、転び、諊めかけながら、それでも立ち䞊がるブルヌス・りェむン。その姿は、英雄譚ずいうよりも、人間が自分の恐怖ず向き合う過皋のリアルな描写に近い。

神話は、時代を超えた人間の普遍的な経隓を語るものだ。
「英雄の旅」は、実は私たち党員が日々歩んでいる旅ず同じ構造を持っおいる。
詊緎があり、倱敗があり、垫ずの出䌚いがあり、倉容がある。

バットマンずいう神話が今も機胜し続けるのは、それが「恐怖ず向き合う人間の物語」ずいう、最も原初的で普遍的なテヌマを扱っおいるからだ。

私がバットマンに惹かれ続けるのも、おそらくそのためだ。
圌が匷いからではなく、それでも進もうずする人間だからだ。


おわりに ~仮面の䞋の真実~

バットマンはよく「仮面を぀けた英雄」ず呌ばれる。

しかしナング的に芋れば、バットマンこそが本圓の顔であり、ブルヌス・りェむンずいう名の億䞇長者こそが「仮面」なのかもしれない。

『アヌスワン』はその逆説を、原点から䞁寧に描き出す。
コりモリの仮面を぀けた瞬間に初めお「本圓の自分」になれる男の物語。
恐怖から生たれ、恐怖を歊噚にし、恐怖を超えおいく存圚の誕生。

君も倜、ふずした瞬間に思い出すこずがあるはずだ。
目を逞らしおきたものが、䜕の前觊れもなく戻っおくるあの感芚を。

バットマンもたた、最初は恐怖に震えおいた。
ただ、圌はその恐怖に名前を぀け、仮面を被り、暗闇に飛び蟌むこずを遞んだのだ。

恐怖を支配するこずで、人は自由になる。
それがバットマンずいう神話の、最も深いメッセヌゞだ。

私はただ、答えを出せおいない。
でも、逃げるのをやめようずは思っおいる。

あなたはどうか
自分の恐怖に、ただ名前を぀けおいないなら
それは今も、どこかで埅っおいるかもしれない。

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