人は入れ替わる。それでも続くものは何だろう。
最近、「地域の持続可能性」を考える中で、一つ気になることがある。
コミュニティや共有空間は、うまく機能している間は素晴らしい。しかし、いつか担い手が減り、形骸化してしまう可能性もある。そのとき、「誰も触れられないもの」になってしまうのではなく、関係性や仕組みを更新できる余地を残しておくことが大切なのではないか、と考えるようになった。
最初は「道具」という言葉が浮かんだ。
作品のように完成されたものではなく、人が使い、手を入れながら育てていくもの。
しかし、考えていくうちに、もう少し違うイメージが見えてきた。
例えば、鳥取砂丘の砂の美術館は、作品をつくっては壊すことが前提になっている。だからこそ毎年新しい制作者が集まり、新しい表現が生まれる。
花壇も同じだ。花は枯れることが前提だから、植え替えが営みの一部になる。
学校の部活動も、毎年卒業生を送り、新入生を迎える。人は入れ替わるが、部は続いていく。
さらに、老舗企業もそうだ。社員は入れ替わる。それでも企業としての価値を社会へ提供し続けている。
これらに共通しているのは、「変わること」が最初から織り込まれていることではないだろうか。
整理してみると、変わるものと変わりにくいものがある。
変わるものは、人や活動、そこで生まれる表現や成果。
一方で、空間や文化、仕組みは比較的ゆっくり変化する。
だからこそ、新しく入ってきた人たちが、その土台の上で自分なりの営みを重ねることができる。
重要なのは、土台そのものを固定することではない。土台もまた、少しずつ更新されていく。
そう考えると、「持続可能性」とは、変わらないことではなく、変わり続けられることなのかもしれない。
まだ、この考えをどう整理すればよいのかは分からない。
ただ、「人と地域をつなぐインタフェース」を考えてきた私にとっては、そのインタフェースが「世代を超えて更新され続けるもの」であることが、一つの鍵になるような気がしている。
今はまだ問いの段階だが、この視点はもう少し育ててみたい。
