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なぜ今「最大多数の最大幸福」が必要なのか?株主資本主義から公益資本主義への転換は日本の急務

我々が学生の頃は、よくこの言葉を聞いた。
「最大多数の最大幸福」
英語では、The greatest happiness of the greatest number
これは、18世紀から19世紀にかけて活躍した、イギリスの哲学者、ジェレミー・ベンサムが提唱した、功利主義(Utilitarianism)の根本原則です。

簡単に言うと、「社会全体の幸せの総量を最大にすることが、正しい行い(政治や道徳)である」という考え方です。

株価が史上最高値を更新したというニュースの裏で、実質賃金は上がらず、将来への不安だけが増していく。この「違和感」の正体は、私たちがいつの間にか「株主資本主義」という歪んだレールの上に乗せられていたからかもしれません。

今日は、18世紀のイギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが提唱した「最大多数の最大幸福」という言葉をもとに、現代の日本に必要な「新しい資本主義」の形を考えてみたいと思います。


「最大多数の最大幸福」とは?

ベンサムは、人間について「快楽を求め、苦痛を避ける生き物」と定義しました。そのため、善悪の判断基準を以下のように置きました。

正しいこと: 幸福(快楽)を増やし、不幸(苦痛)を減らすこと。
幸福の計算: 幸福は「量」として測れると考えました(これを快楽計算と呼びます)。

例えば、ある政策で100人が喜び、10人が悲しむなら、差し引き90のプラスなので「それは良い政策だ」と判断するイメージです。

幸福とは、お金や時間であり、不幸は、困窮に置き換えることができます。一部の金持ちが私腹を肥やし、市民が困窮するのではなく、みんなで等しく幸せになるためにはどうすればいいのか?というのが、「最大多数の最大幸福」という考え方です。


どの立場であっても幸福は平等であるべき

この思想が登場した背景には、当時の社会情勢への痛烈な批判がありました。一部の特権階級のみが私腹を肥やし、市民は一向に豊かにならない。今の世の中に共通するものがありますよね。

ベンサムの考えは、当時としては実に革命的でした。
なぜなら、
・王族や貴族も、労働者の1人も、同じ「1」としてカウントする。
・特権階級の贅沢よりも、多くの民衆のささやかな喜びを優先する。 という、極めて民主的で平等な視点を持っていたからです。

では、今日の「株主資本主義」ではどうでしょうか?
株主資本主義では「持っている株数(お金)」で声の大きさが決まります。しかし、ベンサムの功利主義は「どんな立場の人でも、その一人の幸せは等しく1人分」としてカウントします。これは、現代で無視されがちなエッセンシャルワーカーや一般消費者の幸福を、経営の真ん中に取り戻す理論的支えになると考えます。


「公益資本主義」という考え方

「株主至上主義」の歪みを正す考え方として、昨今、注目されているのが「公益資本主義」です。

これは、企業を「株主のもの」だけとするのではなく、 これらすべてのステークホルダー(関係者)を大切にする考え方です。
・従業員(給与の向上)
・取引先(公正な取引)
・顧客(価値の提供)
・地域社会(持続可能性)

これって、どこかで聞いたことがあると思った人もいるかもしれません。実は、日本に古くから伝わる近江商人の「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」という考え方、そのものなんです。

公益資本主義が目指す「社中分配(従業員、顧客、取引先、地域への還元)」は、まさに幸福の総量を最大化するプロセスです。「少数の富を極大化するよりも、社会全体のベースラインを底上げする方が、社会全体としての『快』の総量は大きくなる」 という考え方です。


なぜ今「最大多数の最大幸福」が必要なのか

「少数の誰かが大金持ちになるより、みんなが中流で幸せな方がいい」この考え方は、実は、経済においてとても「合理的」な考え方だと言えます。

幸福の分配は「消費」を生む: 一部の富裕層が1億円余分に持っても、使う量には限界があります。しかし、1万人の給料が1万円ずつ上がれば、それは確実に市場に回り、景気を押し上げます。

持続可能な社会を作る: 短期的な株価対策のために、教育や設備投資を削れば、10年後の企業はボロボロになります。「最大多数」の中には、「未来の世代」も含まれているからです。

「公益資本主義」とは、西洋の功利主義が目指した「幸福の最大化」を、日本的な「三方よし」の精神で実現しようとする、極めてアップデートされた経営理論だと言えます。

実は、フィンランドは幸福の分配で成功した最も中流の多い国です。
フィンランドには、大金持ちもいませんが、貧乏人もいないからです。
つまり、これらの考え方は、決して「絵に描いた餅」ではないという事が理解していただけたのではないでしょうか?


三つの主義の比較

では、「最大多数の最大幸福」を軸に、それぞれの概念を整理してみましょう。

概念:株主資本主義  
誰の幸福か?:少数の株主   
特徴:短期的な利益を優先し、従業員や顧客の犠牲を厭わない。

概念:最大多数の最大幸福
誰の幸福か?:社会の圧倒的多数
特徴:幸福の総量を重視。民主的で、立場に関係ないみんなの幸福。

概念:公益資本主義/三方よし
誰の幸福か?:全ステークホルダー(関係者)
特徴:売り手、買い手、世間(未来も含む)の持続的な幸福を目指す。

実は、世界的に見て「反グローバリズム(脱グローバリゼーション)」の動きは、2026年現在、かつてないほど加速・定着しています。これは、単なる一時的な流行やデモではなく、各国の国家政策として「自国優先・地域回帰」が進んでいるのが大きな特徴です。

今回紹介した「公益資本主義」や「最大多数の最大幸福」という考え方は、日本が世界と共に脱グローバリゼーション化を図る重要なカギとなることでしょう。 


誰かの主張には必ず反対する者が現れる

今回、ご紹介したベンサムの「最大多数の最大幸福」という理論にも異を唱える人物が多数いました。

新しい理論が提唱されたとき、必ずといっていいほど、それを覆してやろうというくだらない考えをもった人物が現れます。その多くは、自分の立場や利益を失いたくない者である場合が多いです。

でも、大半は屁理屈だったようですが…。

少数派の犠牲: 「多数派がすごく幸せなら、少数の犠牲は我慢すべき」という結論になりかねない。
質の無視: ベンサムの弟子であるジョン・スチュアート・ミルは、「満足した豚よりも、不満足な人間である方が良い」と述べ、快楽(幸福)には「量」だけでなく「質」の差(精神的な喜びなど)があると主張した。
計算の難しさ: 人の心の幸せを数値化して比較することは、現実的に見て困難だとする意見。

また、これとは別に「最大多数の最大幸福」の是非を問うために必ず引き合いに出されるのが、「100人の命を救うために、1人の命を犠牲にしていいのか?」というのが有名な哲学の問い(トロッコ問題)です。

例えば、紛争などで1人の犠牲で99人の命が助かるといった場合、間違いなく多数派が選択されるでしょう。イメージ的には、アルマゲドンのパパ(ブルース・ウィリス)が取った行動のように。

でも、貧困で困窮する人々が99人いて、たった1人だけが大金持ちだった場合ならどうでしょうか?おそらく社会や政府は1人の方を取ります。だって、その人は国にとって、とても大きなお得意様でしょうからね。

ならば筆者は、トロッコ問題を用いてこう問います。「一人の人間のために、99人の命を犠牲にしていいのか?」と。


まとめ

いかがだったでしょうか?
実は、「最大多数の最大幸福」を批判する文脈ではよく「少数の犠牲」が問題視されます。

では、今の株主資本主義では、どうでしょうか?
「多数(国民全体)を犠牲」にして、「少数(投資家)の幸福を優先」していませんか?

近江商人の「三方よし」には、未来の世間も含まれています。今の世代だけでなく「将来世代」も含めた幸福の最大化を図り、GDPや株価だけでは数えられない幸せを大切にする社会になるといいなと思います。

「最大多数の最大幸福」という言葉をぜひ覚えておいてください。豊かさが一部の誰かのものではなく、私たち全員の手に取り戻すこと。それが、これからの日本を面白くしていく第一歩になるはずです。

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