💟国家民族を救う道5-三種の神器の製作(串呂哲学研究ノート第354)
🟡多可王、三種の神器の製作に着手
三輪義熈著「神皇記」(第一編 神皇之巻 第二章 神祇 第四節 豊阿始原世 地神 五代 第一 天照大御神)より

第四節 豊阿始原世 地神 五代 第一 天照大御神)
🟠多可王を出雲国に神追う
大御神は、即ち大戸道尊の第一の御子大巳貴命を元帥とし、天之茂登太手比古命の御子手力男命を副帥として、眷属二千神を率い多可王を警固して、阿祖北の山陰の奥谷に神追いに追いき。(以上、開闢記には、元帥は弟・山住命と作るが、何者か、時代が異なる。故に祖佐記による)
其地は不二山の悪雲吹き出づる方に当れるに由り、出雲国という。(祖佐記)
(口語訳)
天照大御神は、多加王が心を改めたとはいえ、 そのまま高天原に留めておくことは適切ではないと判断されました。
そこで、大戸道尊(おおとのじのみこと)の第一の御子である 大巳貴命(おおなむちのみこと) を元帥に、 天之茂登太手比古命(あめのもとたてひこのみこと)の御子 手力男命(たじからおのみこと) を副帥として、 二千の神々を率い、多加王を護送しつつ「神追い(かむやらい)」として 阿祖山の北、山陰の奥谷へと送り出しました。
その地は、不二山(ふじさん)から吹き出す悪雲の向かう方角にあたるため、 「出雲国(いずものくに)」 と呼ばれるようになったと伝えられます。
🟠多可王、三種の神器の製作に着手
多可王は、追わえて、出雲国に天降りますや、大御神の神勅を畏みて四海の荒振神等を言向和平さむことを期させましぬ。
乃ち、手力男命を招き、其言向和平すべき器を製せむことを議りましき。命は、婦神手力毘女命と日夜泉水に浴し斎戒して天つ神々に祈願ましますこと三七日。二十一日の夜、天つ神の御神託に、佐渡島より、金銀鉄の三種を掘り来りて製すべしと。
乃ち、御神託の随に其の三種を掘り集め来り、剣刀知を師として之を製し給う。剣刀知は、多可王の従族にましまして、王の叔父金剣清の御子にまします。性、手工に長じ鍛冶を良くす。
(口語訳)
出雲国に追放された多加王は、 天照大御神の神勅を畏れ敬い、 四方の荒ぶる神々を言向け和らげるための「器(うつわ)」を作ろうと決意します。
そのために、手力男命を招き、 「神々を和らげるための道具を作ろう」と相談しました。
手力男命は、妻の 手力毘女命(たじからひめのみこと) とともに、 日夜、泉水で身を清め、斎戒し、 天つ神々に祈り続けました。
三七日(みなぬか=21日)目の夜、 天つ神から神託が下ります。
「佐渡島(さどがしま)から金・銀・鉄の三種を掘り出し、それを用いて作れ。」
そこで神託に従い、三種の金属を集め、 鍛冶に長けた 剣刀知(けんとうち) を師として製作に取りかかりました。
剣刀知は多加王の従族で、 王の叔父・金剣清(きんけんせい)の御子であり、 鍛冶の名手として知られていました。
🟠八太羽鏡を製作
乃ち、手力男命夫婦は、剣刀知と共に工夫を凝らし、先づ鉄を焼き溶かし、大丸長金を製し、金を焼き溶かし、小丸長金を製しおき、更に鉄に銀三分を和合し、火にて焼き溶かして、大石の上に載せて、手力男命大丸長金を、手力毘女命小丸長金を持ちて、之を打鍛うこと百日にして、宝剣八本を製作ましましぬ。
又、銀及金を同じく打鍛うこと二十一日にして、日輪の形に八本の御剣を加え、八太羽鏡を製作ましましぬ。
又、金を同じく打鍛うこと二十一日にして、蓬莱山高千火の峰の形を製し、且つ銀にて同じく鍛いて、月輪の形を製し、其上に金の蓬莱山を安置して、天つ大御神の御神霊となしましぬ。即ち宝司の御霊是なり。
(口語訳)
手力男命と手力毘女命の夫婦は、剣刀知と協力し、 まず鉄を焼き溶かして大きな丸金を作り、 次に金を溶かして小さな丸金を作りました。
さらに鉄に銀を三分混ぜて溶かし、 大きな石の上に置き、 手力男命が大丸金を、手力毘女命が小丸金を持って、 百日間打ち鍛え続けました。
その結果、八本の宝剣 が完成します。
続いて、銀と金を二十一日間鍛え、 太陽の形に八本の剣を組み合わせて 八太羽鏡(やたはのかがみ) を作り上げました。
さらに金を二十一日間鍛えて、 蓬莱山(ほうらいさん)・高千火(たかちほ)の峰の形を作り、 銀を鍛えて月輪(がちりん)の形を作りました。
その上に金の蓬莱山を据え、 これを 天つ大御神の御神霊(みたま) としました。
これが 宝司(ほうず)の御霊 と呼ばれるものです。
まとめ(一般向けの理解)
多加王は出雲国へ「神追い」される
出雲で心を改め、神々を和らげるための神器を作る決意をする
手力男命夫妻と剣刀知が協力し、金・銀・鉄を鍛えて神器を製作
八本の宝剣 → 八太羽鏡 → 宝司の御霊 の順に完成
これらが後に「三種の神器」として伝わる基となる

🟡多加王は神遂に〝出雲〟に追われた
下記は、加茂喜三著「日本の神朝時代」(平成6年11月16日/富士地方史料調査会)からの引用です。
忠誠を誓い姉弟の約を結んだ多加王を天照大神はその心底を見届けるため神遂に処した。この神遂には、大国主命が元帥となり、手力男命が副将となり、眷属二千余神が多加王の警護に当たった。神遂の地は阿祖北の山陰の奥谷であった。
神遂というのは後代の流罪のことで罪の程度により処払、遠流、遠島などがあった。神遂は其の原型で死刑につぐ重刑であった。多加王が追放された処は〝出雲ノ国〟であった。
ここは不二山の悪雲が吹き出づる方に当っていたので出雲の国といったという。ところでこの出雲の国というのはいまの島根県ではない。いまの長野県である。即ち山梨・長野の県境をなす八ヶ岳や駒ケ岳の連なる南アルプスの西側つまり信濃と呼ばれた地方である。
当時、この地方は高天ノ原にとっては辺境の地で、悪霊や邪魔が山間にうようよしていて、頻りに快晴の空を暗黒の世にしたり、しのつく暴雨を降らす雲を湧き出していた処とされ、善良な高天ノ原の神々は恐れ且つ忌み嫌っていた土地であった。それで高天ノ原で悪事を働くと刑罰として神逐に追って茲に流した。(後略)
🟡〝三種神器〟は諏訪でつくられた
下記は、加茂喜三著「日本の神朝時代」(平成6年11月16日/富士地方史料調査会)からの引用です。
多加王は出雲の国に天降ると早速天照大神との約束を守って四海にはびこる荒ぶる悪者の言向和平に励んだ。まず手力男命を招いて荒ぶる神々を言向和平するための神器の製作を企てた。
手力男命は婦神の手力毘女命と日夜沐浴斎戒して祈願すること三七の二十一日の夜神託を得た。つくらんとする神器は佐渡ヶ島より掘って来た金銀鉄の三種を以ってせよ、というのであった。
そこで神託にまかせて佐渡に渡り金銀鉄を掘ってきた。たまたま多加王の従神のなかに剣刀知命という神がいた。剣刀知命というのは多加王の叔父金剣清命の子でその名の如く手工に長じ鍛治をよくした。
手力男命夫妻は剣刀知命に教えを受けてまず鉄を熔かして大丸長金(大槌)を製し、金を熔かして小丸長金(小槌)をつくった。そして鉄に銀三分を加え火に焼いて熔かし、大石に載せて手力男命(手名都知)が大丸長金を、婦神の手力毘女命(足名都知)が小丸長金を持って、これを打ち鍛えた。百日を要して宝剣八本を製した。
また銀と金を同じく打ち鍛えること二十一日にして日輪の形に八本の御剣を加えた八太ノ鏡をつくった。また金を同じく打ち鍛えること二十一日にして蓬菜山(富士山)高地火ノ峰の形をつくった。さらに銀を鍛えて日輪を製し、この上にさきに製した蓬萊山高地火の峰を安置した。これを天つ大御神の神霊とした。宝司の御神霊というのがこれである。
多可王(たかおう)、神器完成後の働き
三種の神器の製作を終えた多可王は、 天照大御神の神勅に従い、 四方四海に散らばる「荒ぶる神々」を言向け和らげるために働き始めます。
多可王は、神器の霊威を携え、 各地の荒ぶる神々のもとへ赴き、 その心を鎮め、国の秩序を整えていきました。
その働きは誠実で、 天照大御神との「姉弟の契り」に恥じないものであったと伝えられます。
神器の霊威が国を安定させる
三種の神器――
八太羽鏡(やたはのかがみ)
宝剣(ほうけん)
宝司(ほうず)の御霊
これらは、天照大御神の御心を象徴する「三つの徳」を表すものとして扱われました。
三つの徳とは
鏡は「清明」(心の清らかさ)
剣は「剛健」(正義を貫く力)
宝司は「仁愛」(人を慈しむ心)
この三徳が国の中心に据えられたことで、 豊葦原瑞穂国は大いに安定し、 神々も人々も安心して暮らせる世が築かれていきました。
天照大御神、国の統治を整える
天照大御神は、神器の完成と多可王の働きを受け、 国の政治・祭祀・秩序をさらに整えていきます。
神々の役割を明確にし、
国の守護を担当する神々を配置し、
祭祀の制度を整え、
天つ神と国つ神の協力体制を固める
こうして、天照大御神の治める国は、 「天と地が調和する国」として形を整えていきました。
天照大御神の御心が示す「国の理想」
天照大御神の統治は、 単なる力による支配ではなく、 「清明・剛健・仁愛」の三徳を中心に据えた、調和の政治 でした。
その御心は、後の天皇の統治理念にも受け継がれ、 日本の国家観の根幹となっていきます。
まとめ(一般向けの理解)
多可王は神器完成後、荒ぶる神々を鎮める役目を果たした
三種の神器は「清明・剛健・仁愛」の三徳を象徴する
天照大御神は国の秩序・祭祀・政治を整え、国は安定した
この統治理念が後の日本の国家観の基礎となった
🟡加茂喜三先生の学恩に謝す
加茂喜三先生は、富士古文献(宮下文書)の権威で、今日、加茂喜三先生の著書を読まずして、富士王朝の研究はできないのではないかと思われるほどです。
ところが、加茂喜三先生の著書は、富士地方史料調査会からの自費出版で、今日入手が極めて困難であるため、出版社からの復刻が望まれるところです。
1980年頃、神風串呂講究所の大先輩から、加茂喜三先生の著書を数冊プレゼントされたことが切っ掛けとなり、以後、加茂喜三先生の学恩に浴して参りました。
加茂喜三先生の著書を、たびたび引用させて頂き、いま改めて、先生の偉大なる学恩に深く感謝申し上げる次第です。
続く
🔴神風串呂を学びましょう!
串呂哲学研究会では、今日では入手不可能な三浦芳聖の著書を復刻するのに多くの時間と労力を掛け、採算を全く考慮せず、串呂図、表紙画像、系図、中扉などのCG画像作成のために多くの費用を掛けて参りました。
これは、我が日本国と日本民族の将来を案ずればこそであります。皇祖神・天照大御神が、私達日本民族のために、苦心惨憺、長期間を掛けて構築して下さった神風串呂を学びましょう!
💟串呂文庫
🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志)
🟡地文学への招待(鈴木超世志)
🟢南朝(神皇)正統皇位継承論(鈴木超世志)
🟣開鏡維新の神風串呂(鈴木超世志)
🟡明治天皇(睦仁)の神風串呂(鈴木超世志)
🟠皇祖神からの伝言-ここまで解った元伊勢伝承(鈴木超世志)
🟡串呂文庫 コピーサービスのお知らせ 串呂哲学研究会
🟣串呂哲学研究ノート バックナンバー
🔴情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂や三浦芳聖伝の紹介記事のバックナンバーです。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
🟡前号(№353)
国家民族を救う道4-天照大御神の御活躍
🟢次号(№355)
🟠天照大御神の子育て-御子 三浦芳聖 の教導録 一覧
🟣国家民族を救う道2~一覧
******************
🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
🟢Facebookグループ 串呂哲学研究にご参加下さい。
🟠アップデートがすぐに分かります。
🟣グループだけの最新情報もあります。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
*******************
いいなと思ったら応援しよう!
串呂哲学研究ノートは、読者の皆様方の財政的ご支援により活動が維持されています。理解しやすい記事作成のために諸般の費用が掛かります。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。読者の皆様方のご支援に感謝しています!