💟地文が語る神武即位の地──御所市柏原の聖蹟を読み解く①
🎀串呂哲学研究ノート 第521号
橿原宮は本当に橿原市にあったのか ──。地文と神話の照応を読み解く串呂哲学の視点で眺めると、静かに浮上するもう一つの聖地がある。御所市柏原の⛩️神武天皇聖蹟伝説地。前号「神武天皇の真陵を求めて」に続き、真の即位地を求める新たな探究が、いま始まる。連載第1回。

はじめに
前号まで四回にわたり取り組んだ⛩️桜井茶臼山古墳の串呂研究によって、「神武天皇の真陵を求めて」は、同古墳こそが神武天皇の真陵であるという結論に達し、一つの区切りを迎えました。 そこで今号では、前号の串呂線上に位置していた御所市柏原町の「⛩️神武天皇聖蹟伝説地」に焦点を移し、もう一つの柏原 三串 -🔴-🔴-🔴- が形づくる神風串呂をご紹介します。
🔶神武天皇聖蹟伝説地
奈良県御所市柏原には、初代 神武天皇が国見をした場所と伝承される⛰️国見山(御所市原谷)に「神武天皇聖蹟伝説地」の石碑が建立されています。
ここは山麓に遷された⛩️国見神社跡で、石碑には「嗛間丘」も刻まれている。

💌この神武天皇聖蹟伝説地は、御所市柏原に鎮座する⛩️神武天皇社(祭神・神倭伊波礼毘古命)を中心とする一帯を指し、享保21年(1736年)の『大和誌』には「橿原宮、柏原村に在り」と記されるなど、古くからここを神武天皇即位の地とする伝承が残されています。

また、本居宣長も明和9年(1772年)の『菅笠日記』で、畝傍山近くに橿原という地名はなく、むしろ一里あまり西南の柏原にあると里人から聞いたと記しています。
明治期に⛩️橿原神宮が現在の橿原市に比定される以前、御所市柏原では宮座を中心に神武天皇即位伝承が守り継がれ、地域の祭祀として連綿と続けられてきました。
周辺には、神武天皇が日向で迎えた妃・吾平津媛を祀る⛩️嗛間神社もあり、婚礼行列が社前を避けるという独特の風習が伝わるなど、神武東征と即位伝承にまつわる古層の記憶が今も息づいています。

この地が橿原宮跡に比定されなかったのは「神社が宮跡に比定されることで移住させられるのをおそれた住民らが、明治のはじめに証拠書類を全て焼いてしまったから」と言われている。
これは私見に過ぎませんが、この地が橿原宮跡に比定されなかったのは、現在の⛩️橿原神宮の地や⛩️畝傍御陵が、串呂における「神武天皇の基点」として計画されていたからだと見ています。
【参照】
❇️神武天皇社(御所市観光ガイド)
❇️ホホ間神社 | 御所市
❇️吾平津媛 - Wikipedia
❇️國見神社

⛩️神武天皇聖蹟伝説地(御所市)の串呂1
❇️「日本一の⛰️茶臼山と⛩️桜井茶臼山古墳を結ぶ神風串呂」を研究中、下記の地文の並びに強烈な印象を受けました。
南西から
🟡御所(和歌山県伊都郡かつらぎ町)
⬇️
🟪神武天皇聖蹟伝説地(🟡御所市🔴柏原)
⬇️
🔴橿原市白橿町(奈良県)
⬇️
⛩️桜井⛰️茶臼山古墳(🟢奈良県桜井市)
⬇️
🟪神武(三重県亀山市加太)
⬇️
🔴柏原町(愛知県春日井市)
⬇️
日本一の⛰️茶臼山(長野県塩尻市🟢奈良井)
柏原(橿原)三串 -🔴-🔴-🔴-
神武 二串 -🟪-🟪-
御所 二串 -🟡-🟡-
奈良 二串 -🟢-🟢-
茶臼山 二串 -⛰️-⛰️-

日本一の茶臼山と⛩️桜井茶臼山古墳の神風串呂(Google.map/縮尺192.3万分の1)
前号では、柏原(橿原)三串 -🔴-🔴-🔴-、御所 二串 -🟡-🟡-、奈良 二串 -🟢-🟢- を取り上げ考察しましたが、時間の制約のため、「神武」が二串 -🟪-🟪- で配置されている点までは検討が及びませんでした。
南西から
御所-⛩️神武天皇聖蹟伝説地-⛩️桜井茶臼山古墳-加太神武-⛰️日本一の茶臼山

この神秘的な地文の連なりを目にしたとき、御所市柏原の⛩️神武天皇聖蹟伝説地に伝わる橿原宮跡説は、おそらく真実に近いのではないか──そう直観しました。
特に、前后「吾平津媛命」を祀る⛩️嗛間神社の由緒には、「神武東征の真実」がほのかに滲み出ているように感じられました。
そこで私は、いったん⛩️桜井茶臼山古墳の研究を中断し、この⛩️聖蹟伝説地の串呂を本格的に探究し、ここが真の橿原宮跡であるかどうかを検証することにしました。
この⛩️聖蹟伝説地が本当の橿原宮跡であることが判明すれば、「⛩️桜井茶臼山古墳=神武天皇真陵説」を、ますます確固たる説とすることができるからです。
🟡読者の皆様に!
【神風串呂】は、皇祖神・天照大御神が日本民族に授けられた、目に見える啓示であり、二千年の時を超えて今、私たちの前に顕れた「神の言葉」です。
このページに辿り着かれた貴方様とのご縁に、心より感謝申し上げます。 本記事は、天照大御神の御神意を体現し、地上に遣わされた神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が創始された「串呂哲学(神風串呂)」の真髄をお伝えするものです。
『神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言』が明かすように、我が国が「天皇を日本国および日本国民統合の象徴と仰ぐ王政」を未来に継承したいと願うならば、皇祖神の御神意に添い奉る道を選ばねばなりません。 さもなくば、我々はこのまま異民族の支配に甘んじ、日本民族本来の尊厳と特性を失い続ける危機に直面し続けるでしょう。
神風串呂には、日本民族が進むべき道が明確に示されています。今こそ、真実に目覚め、御神意に立ち返る時です。 この情報を一人でも多くの方に届けるため、どうか拡散のご協力をお願い申し上げます。
なぜ天照大御神は、長きにわたり神風串呂を構築し、神皇正統家を顕彰されるのか? この問いに真摯に向き合い、串呂哲学の核心を学ぶことで、我々が今なすべき第一義が明らかになります。 そこにこそ、日本民族の再生と未来が懸かっているのです。
神風串呂、そしてそこに示された神皇正統家は、日本民族の魂の根幹であり、かけがえのない宝です。 二千年の歳月をかけて神風串呂を築かれた天照大御神の御心と、命を賭してその真理を解き明かされた三浦芳聖師のご労苦が、今こそ日本国と国民の幸せの礎となることを、心より願ってやみません。
🟡祈り
全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします。
🟡神風串呂を学びましょう!

💞地文が語る神武即位の地──御所市柏原の聖蹟を読み解く①
⛩️神武天皇聖蹟伝説地(御所市)の串呂2
⭕起点は神武町(大阪府八尾市)
前号の串呂研究中に、真の橿原宮跡は、御所市柏原の⛩️神武天皇聖蹟伝説地ではないだろうかと思われましたので、今号は大阪府八尾市の「神武町」を起点に御所市の神武天皇聖蹟伝説地と結んで調査研究してみました。
起点…神武町(大阪府八尾市)
国内唯一の神武町
神武の付く地文は多いですが、地名としての神武は、現在判明しているのは、亀山市の加太神武と、この神武町の二つだけ。
「神武町」を起点にしたのは、至点が「⛩️神武天皇聖蹟伝説地」(御所市柏原)であるからです。

💞串呂概観―柏原三串の二線が直角に交差
大阪府八尾市神武町と御所市柏原の⛩️神武天皇聖蹟伝説地と結んで見たら、案の定「柏原三串 -🔴-🔴-🔴- 」の神風串呂が構築されていました。
北西から
🔴柏原町柏原(兵庫県丹波市)
⬇️
🟪神武町(大阪府八尾市)
⬇️
🔴柏原市本郷(大阪府)
⬇️
🟪神武天皇聖蹟伝説地(御所市🔴柏原)
⬇️
⛰️大普賢岳(奈良県吉野郡天川村)
⬇️
❇️古江町(三重県尾鷲市)

💌この地文の並びは、次のように読み解くことができます。
奈良県御所市柏原の⛩️神武天皇聖蹟伝説地は、神武天皇が大王に即位した橿原宮跡であり、桜井市外山(磐余地方)へ進出する以前の御所跡である。
💌さらに驚くべきことに、両神武(加太神武・八尾市神武町)から柏原の聖蹟伝説地へ引いた二本の線は、いずれも「柏原 三串 -🔴-🔴-🔴-」を構成し、しかも ほぼ直角(90度)で交差しているのです。


御所市の神武天皇聖蹟伝説地の神風串呂(Google.map/縮尺47.6万分の1)
(1)柏原(橿原)三串 -🔴-🔴-🔴- と神武二串 -🟣-🟣- の神風串呂が二本成立している。
(2)その二本は、ほぼ直角に交差している。
これはまさに、串呂主宰神・天照大御神の「神業」であり、“カミカゼ奇呂”と呼ぶほかありません。
以上のことから、御所市の⛩️神武天皇聖蹟伝説地は、地元伝承の通り、神武天皇が即位した真の「橿原宮跡」である可能性が極めて高いと考えられます。
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神武天皇の神風串呂――神皇正統家極秘伝
ヤマト王権の初代王 神武天皇の神風串呂をご紹介しています。これまで投稿した15本の記事に加えて、今後投稿する「神武天皇の神風串呂」の続編を…
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