かぞくのはなし。
101歳まで生きた、ばあちゃんの葬式の日。
セレモニー会場には、100人を超える弔問客が訪れていた。
当家(喪主家族)側の最前列には、
父、母、私、妻、妹が並んでいる。
焼香のたびに、私たちは頭を下げる。
焼香のあと、縁のある方は、こちらまで挨拶にきてくれる。
ばあちゃんの知り合いなどほとんど知らない父は、すぐ後ろの席の実の姉である叔母から、どういった繋がりの方かを耳打ちされていた。
私は、映画の『プラダを着た悪魔』でこんなシーンあったよなと思いながら、それを見ていた。
隣の母は、なんだかわかってないけど愛想笑いが上手い。
「さっきの人、だれ? ばあちゃんの知り合いにしては若くない?」
母親に小声で聞くと、
「知らん」
と、返ってきた。
左隣の妻は、葬式の中盤にも関わらず、もうウルウルしていた。
さらにその隣の妹は、滅多に会えない遠い親戚との再会で盛り上がっていた。
真面目な父は、喪主である責任感も加わって、目がギンギンになっていた。
見ているこっちの腰が痛くなりそうなほどのお辞儀を、多分知らないであろう人に、繰り返している。
「この度は、おそれいります」を、なにかの日本代表のような雰囲気で、何度も、何度も。
血圧は大丈夫なのだろうか。
それと、
スキのお返しのコメントを超完璧に真面目にやろうとすると、あんな感じになるのかなぁ、と思った。
葬式も終盤になり、会場は葬儀屋がセッティングした照明の暗さに変わり、静かな音楽が流れ出す。
葬儀屋の女性がマイクを取り、掠れた、でもしっとりとした声でナレーションを始めた。
「故人様がともに生きた、家族の思い出を」
ライトアップされたモニターに、ばあちゃんと、私たち家族の写真がスライドショーされていく。
暗くなった会場は、涙と嗚咽に包まれていった。
隣の妻に至っては、すでに号泣していた。
目に当てているハンカチの柄が違う。
ああ、2枚目のハンカチなんだ。
なんだかんだ、私もじわりと込み上げてきた。
そのとき、
「これ、昨日(通夜)と同じじゃんね」
ボソッと、母が言った。
その声で込み上げていた何かが収まり、顔を向けずに母に返した。
「昨日、来てない人もいるからでしょ」
「ふーん、手抜きじゃないのか」
まったく響いてない人が、ここにいた。
ふと、父を見た。
父は、この後の「喪主挨拶」を控えての緊張がピークに達している顔をしていた。
手に持つ原稿が震えている。
目は依然としてギンギンのままだ。
そっと妹も見てみた。
瞼を閉じて──ひたっているのか?
違う、妹のあの顔は、『無』だ。
長年の付き合いからそれがわかる。
会場が涙、涙の中、一番ばあちゃんと血の繋がりが濃い私たちは、こんな感じだった。
祭壇に飾られた、凛とした顔のばあちゃんの遺影を見た。
(これが、じいちゃんとばあちゃんの作った面白い家族だよ)
心の中で伝えると、一瞬だけばあちゃんの、きっと結んだ口元がゆるんだように見えた。
(ほんとだなぁ)
ばあちゃんは笑ってそう言っている気がした。
それからすぐ、
「あんたらが、わたしの宝だよ」
ばあちゃんの口ぐせを思い出して、ついに私も泣いていた。
父の喪主挨拶は、噛まずに無事終わった。
いざというとき、代わろうと思っていた私の出番はなかった。
母は、「あら、大丈夫だったじゃない」
と、少しつまらなさそうにボヤいていた。
父のやり遂げた顔を見て、
私もまた、ホッとしていた。
ついに最後の別れのとき、
それぞれがばあちゃんの棺に、花を入れていく。
プレッシャーから解放された父も、
ぶつくさ言っていた母も、
座り疲れていた妹も、
3枚目のハンカチの妻も、
涙しながら、お別れの言葉を口にしていた。
そして私も。
ばあちゃん、ありがとう。
また、いつか。
