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生きながら何度でも生まれ変わる、この都合の良さがわたしの持ち味。


今、自由に自分の時間を謳歌する日々です。

朝目覚めて、太陽の光を浴びて、六方拝をして、白湯を飲む。

分別したごみを指定の場所に出しにいく。今日の空気を感じる。

それから朝食の準備を始める。お仏壇にお供えするためにご飯を炊く。
お味噌汁や、ひじき煮や切干大根、酢の物のような副菜をこしらえて、少しでも美味しく、身体に優しい食事ができるように、食材に感謝する。

ヒーリング音楽や好きな芸人のラジオなどを聴きながら、キッチン周りをピカピカに掃除する。
この時間が、まず一番こころが澄んでいてしあわせ。

ラジオ体操から、エクササイズやウォーキングなどの運動を小一時間。

シャワーをして身支度を整えたら、次はベランダに洗濯物を干す。
これがまた、とても好き。
背中に太陽を浴びながら、丁寧にしわも伸ばして乾きやすいように干していく。
天気がよければ布団やまくらも干すけれど、最近はなんか明らかに変な飛散物が多いので、あとからレイコップをかけるのは重労働。

鼻歌まじりにトイレ掃除や玄関の水拭きなんかをして、贅沢品のコーヒーを淹れる。
冷蔵庫の残りを確認して、買い物リストをメモする。
今日はどこのスーパーへ行こうか、あまり知っているひとに会いそうな場所は避けたくなる。

野菜の鮮度と量と値段を見比べながら、肉類や魚類は美味しそうだからといってなんでもカゴには入れられなくなった。
わたしのお棺にはお花ではなくお菓子をぎっしり詰めて、と頼んでいるほどスナック菓子が好きだったけれど、そのコーナーはもうスルーできる。
代わりに花屋さんに惹かれるようになった。

何故だろう、近年は花や樹木や空や海、自然の写真ばかり撮るようになった。だんだんと、自然に還る準備を整えているのだろうか。

算命学や四柱推命を知ると、自分を含む人々と自然界のすがたを重ねて地球を慈しむ気持ちが芽生えてきたし、ホロスコープを知ると夜空に見えない星の姿を探したくなる。

わたしが居ても居なくても世界は特に何も変わらないけれど、わたしの意識がなくなれば、わたしの慣れ親しんだこの世界は跡形もなくなるなあとも思う。

そんなどうでもいいことを適当に夢想しながら、掃除機と、クイックルワイパーをかける。丁寧にかけたはずなのに、振り返るとまだ何本も髪の毛が落ちていて、なんだこいつと思う。

洗濯物を取り込んで、きれいに畳んでクローゼットに片付けたら、炭酸水のレモン味を飲みながらパソコンの前に座る。

夕食の準備を始めるまでは、動画を観たり、学びたいことを自由に学んだり、仕事をしたりする。とにかく知りたいことをとことん調べたり、調べたことに思いを馳せたり、そういう時間がとても好きだ。
あんまり目が良く見えなくて、読書はなかなか進まなくなってきた。

食器洗いとお風呂掃除は正直あまり好きではないけれど、水回りこそなるべくきれいにしておきたい。

なんだこの、何者でもない人物の、何でもない日常の紹介文は。
仕事に従事していても、していなくてもこういった営みは多くのひとの普通の日々かもしれない。

ただ、なんというか『自分自身のために』心地よい環境をつくること、家事と呼ばれるこの時間を楽しくて大好きだと思う日が来るなんて想像もしていなかったから、内面的な変化はとても大きかった。

今まで抑圧していた女性性、これが自然と湧き出てきた気がする。

女性らしくなってきた、とは全然ちがうのだけれど。

外側に向けて他人に向けて、エネルギーをすべて使い果たすこと。内側の鬱屈した孤独、寂しさを認めずに、与え続けることに価値があり、受け取ることに罪悪感を抱く毎日をリタイアしたら、これまでのどのステージとも違う自分に出会えた。

先日、勢い任せに重たい記事を書いたあと、少し経ってから目隠しのように有料記事にした。誰かに聞いてほしかったことを、思い切って自己開示し続けてきたら、なんというか、これまでの自分の生き方に気が済んだような感覚で、しばらく空虚になった。

もちろん世を儚むわけではまったくない。

最大の敬意を払って、一番純粋な愛をもって、感謝を持って、お別れをする。そして、また生まれ変わって新しい自分を生きていきたい気持ちになった。この何十年を、もう勝手に過去世にしている。笑


ここまでの文章を本当に読んでくださった人がいたらこっそり伝えたいが、noteで出会った文章、それを綴ったひとの在り方は、それがたとえ勝手な想像に過ぎないにしても、この数か月わたしに素敵な影響を与えてくれた。

自分と同じ経験や感性を受け取れば、温かい安心感や親近感があったし、自分とはまったく違う経験や考え方を大切にしている人には、ときに自分の甘さ軟弱さを刺激されながらも、結局すごくまぶしく素直に憧れた。

『感じ取って、自分で選んで、決めて、動いて、楽しむ。そしてシェアする。この循環をすぐにやる。迷う隙を与えない。』

自分がたくさんの人の、色んな記事の中から教えてもらったことを、少しずつ取り込んで、いま、暮らしの中で実行している。

もっとゆったりと心を楽にして、行き当たりばったりの一人旅もしてみたくなった。わざと頑なに通ってこなかった王道のドラマや映画、アニメもすこしずつ観ている。

そういう時間を過ごすなかで、ぽっかりと空洞になった心のうえに、何重にも張り付けて保護していた絆創膏が外れ、あたらしい何かが充実しつつある。

なにかを、魂が訴えてきている。かすかではあるけれど、動きたがったっている震えを感じる。

まだ、時間はありそうだ。直感に従って、存分に五感を喜ばせよう。




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