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見守られる側から、見守る側へ

朝起きると、私は一階へ降ります。

キッチンへ向かう途中、いつも最初に目に入る光景があります。

リビングのソファに並んで座り、テレビを見ている父と母の後ろ姿です。

その姿を見るたびに、私は心の中で思います。

「今日もちゃんと起きられている。」

それだけで、ホッとする自分がいます。

昔は、こんなこと考えもしませんでした。

朝になれば、両親がいることは当たり前。

そんな何気ない日常に、安心することなんてありませんでした。

でも今は違います。

朝、いつもの場所に二人が座っている。

その何気ない光景が、私にとってはかけがえのない安心になっています。

キッチンに立ちながら、二人の後ろ姿を見ていると、ふと思うことがあります。

小さい頃は、きっと反対だった。

母も父も、こうして私のことを見守ってくれていたのかもしれない。

学校へ行く私を送り出し、帰りを待ち、何気ない毎日を見守ってくれていた。

その頃の私は、それが当たり前だと思っていました。

でも今は、私が二人を見守る側になりました。

歩き方はいつも通りかな。

元気に朝を迎えられたかな。

そんなことを気にかける毎日です。

親は少しずつ年を重ねました。

でも、それ以上に変わったのは、私の見方だったのかもしれません。

何気ない朝の光景が、こんなにも愛おしく感じるようになりました。

「今日も二人がそこにいる。」

その当たり前が、当たり前ではないことを知ったからです。

「見えにくい介護」は、特別な出来事だけではありません。

何気ない朝に安心し、何気ない日常に感謝する。

そんな心の変化も、その一つなのだと思います。

だから私は、今日もこの景色を大切に心に刻みます。

いつか振り返ったとき、この何気ない朝こそが、一番幸せな時間だったと思える気がするからです。

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