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家族に最期までの生き様を見せる

 NHK-BS『勿忘草の咲く町で~安曇野診療記~』の最終回を観て、「家族に最期までの生き様を見せ、その結果として死も隠さない」ということを改めて意識した。家族は私を「看取る」ことになる。現代の日本では病院で亡くなることが多く、肉親の死を身近に看取る機会がないため、死を非日常的なことに捉えがちである。家族に看取られ、死に往く姿を見せつつ亡くなっていくことができればよいと考えている。終末期医療や家族の看取りの場で、「自分の死に様を子供や孫に見せることこそが、親の最後の仕事である」という考え方があるそうだ。
 終末期医療の研究では、家族は患者が亡くなった後だけではなく、亡くなる前から悲嘆を経験することが知られている。これは予期悲嘆などとして研究されている。重要なのは、この「死ぬ前の時間」が必ずしも家族にとって悪いものだけではないことである。終末期に患者、家族、医療者が病状や希望について話し合うことは、家族が死を理解し、準備する過程になり得る。終末期の家族コミュニケーションを扱ったレビューでも、家族を意思決定やコミュニケーションに参加させることの重要性が指摘されている。
 さらに、人生の最終段階における医療・ケアについて本人の価値観や希望を話し合うプロセスである人生会議(ACP:Advance Care Planning)についての2025年のシステマティックレビュー※1では、死の前から本人の希望について話し合うことが、死別後の家族の不安やストレスなどを軽減する可能性が示されている。
 2025年の緩和ケア領域のシステマティックレビューでも、家族への支援は死亡後だけではなく死亡前から始めることが重要であり、終末期のコミュニケーションや家族中心の支援が、死別後の悲嘆、不安、抑うつを軽減する可能性が報告されている。ただし研究結果は一様ではない。
 この研究知見から考えると、「死に様を見せる」ことの価値は、死の瞬間を目撃させることそのものにはない。むしろ、「私は自分が死ぬことを理解している」「それでも今日を普通に生きている」「治療についてはこう考えている」「最後はこうしてほしい」「あなたたちにはその後も普通に生きてほしい」ということを、言葉と日常生活の両方を通じて家族に伝えていくことに意味があると考えられる。
 これはある意味で、本人から家族への最後の教育でもある。親であれば、子どもに「人間はどう死ぬのか」を教えるというより、「人間は死ぬことが分かっていても、どう生きることができるのか」を示すことになる。ここには重要な違いがある。「死に様を見せる」ではなく、「家族に最期までの生き様を見せ、その結果として死も隠さない」という考え方である。私は後者の方が、終末期医療や死別研究の知見とも整合的だと考える。
 ステージ4のがんは、根治切除不能だ。化学療法で無増悪期間が延長し、画像上でがん細胞が消える完全奏功になったとしても、いつ再増悪するかわからない。目に見えないがん細胞が一つでもあれば、それが増える可能性がある。現時点の治療では、患者とその家族は、患者の死から逃れることはできない。私自身、今、どんなに治療がうまくいっていても、そう遠くない未来に再増悪すると思っている。再増悪すれば、最終的に死に至る。
 これは医学的予測というより、私がこれからの時間を考えるために置いている仮の時間軸であるが、最短で再増悪するのが数か月後の2026年秋〜2027年初頭とし、そこからトラスツズマブ デルクステカンなどで二次治療に入り、一定期間の病勢制御が得られると仮定し、2027年後半〜2028年前半に三次治療開始し、三次・四次治療などを経て病勢制御困難になるのが2028年頃以降で、2028年後半〜2029年頃が死亡時期と想定してみる。これでも治療開始時に示された生存期間の中央値20か月よりも1〜2年長い。
 再増悪後にも二次治療、三次治療と治療の選択肢が残されている。もちろん、どれだけ時間が残るかは誰にもわからない。半年かもしれないし、2年以上かもしれない。しかし、その時間こそが私にとって重要になる。
 親の死に様を娘に見せる。人が老い、衰え、自然に朽ちていく姿をリアルに見せることで、次世代に命の有限性と尊さを教えたい。身近な人が穏やかに最期を受け入れる姿を見せることで、残された者がいずれ迎える自らの死に対して心の準備をさせたい。
 幸い、がんは比較的経過を見通せる場合があり、緩和ケアによって痛みなどの苦痛を和らげることもできる。衰えていく姿も含めて娘に隠す必要はないと思っている。がんに侵されても、自分の意思で治療や過ごし方を選択し、最期まで自分らしく生きる姿を見せたい。最期まで自分らしくあることが大切だ。
 死ぬところを見せるのではない。死ぬまで生きているところを見せる。この表現であれば、死を美化することも、家族に看取りを強制することもない。仕事をする、食事をする、犬と散歩する、家族と話す、治療を受ける、体力が落ちれば助けてもらう。そして最後には、自分でできることがほとんどなくなる。その一連の過程そのものが「死に様」なのである。
 家族にとって後に残るのも、臨終の数分間より、おそらくその長い過程の記憶である。
 これが私がステージ4のがんになって辿り着いた美学なのかもしれない。


※1:システマティックレビューとは、ある特定の研究テーマに対し、あらかじめ決めた明確なルールに沿って世界中の関連論文をくまなく集め、それぞれの質を厳しく評価したうえで結果を公平に統合する研究方法(二次研究)で、個人の意見で書く通常の総説とは違い、偏り(バイアス)をできる限り防ぐ特徴がある。


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