より深い安心にいたる破壊
人生が破壊されるほどの出来事というのが地球に生きているとおこる。おこさないように慎重に生きて極力おこさないようにもできるけれど、ストレスが溜まりに溜まった末に破壊がおきたりするから、結局、破壊は大なり小なり起こる。
これは、ほんとうはリスクではない。安心からの恩恵でしかない。
現象的な安心を求めていった結果、安心とおもいこんでいった先で、大病となって決壊するという人生の流れが生まれたりもするし、病気になるのは悪いことではない。
より深い安心にいたる破壊だ。
わざわざ千日回峰行するとか、お遍路を歩いてめぐるとかもいいけれども、日常でいくらでも、それ以上の安心にいたる破壊というのは、起きるし、起こせる。
破壊とはアップデートであり、地球で得難い「安心」という、もっともエクストリームな難易度MAXかつ極上にプレシャスなポイントにつきすすむしかない所に来てしまった者は、誤爆もふくめ、人生の決壊を誘発されていくことはさけられないことに気づくだろう。
ただそのうちに、進めば進むほど、破壊とおもっていたけれど、そうとう自分の頭でバイアスをかけて、心配や恐怖や不安のレイヤーを何重にもほどこしていたことに、気づく人は気づく。
破壊とおもっていたことは、ほんとうは破壊ではないと感じる日も訪れることもあるかもしれない。
まとめると、地球で失敗したら、宇宙が応援にきているとおもったほうがいい。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
