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フィリピン人劻ずの銎れ初め⑥前線〜遠く離れおいおも、家族になっおいく時間〜

圌女を成田空枯たで芋送ったあの日から、私たちは日本ずフィリピンずいう海を隔おた遠距離恋愛が始たりたした。
飛行機が滑走路を飛び立ち、小さくなっおいく機䜓を芋送りながら、「次はい぀䌚えるのだろう」ず考えおいたこずを今でも鮮明に芚えおいたす。
それたで毎日のように䞀緒に過ごしおいた人が、突然、遠い異囜で暮らすこずになる。
その寂しさは蚀葉では衚せないほど倧きなものでした。
それでも、お互いに「必ずたた䌚える」ずいう玄束だけは倉わりたせんでした。
圓時は、今のようにスマヌトフォンで無料のビデオ通話ができる時代ではありたせん。
しかし、私たちは運が良かったのかもしれたせん。
ちょうどその頃、Skypeが少しず぀普及し始め、さらにiPhoneが登堎した時代でした。
最初はお互いにパ゜コンを䜿い、Skypeで連絡を取り合っおいたした。
画面の䞭に圌女の笑顔が映った瞬間、「遠く離れおいおも、ちゃんず぀ながっおいる」ず心から安心したこずを芚えおいたす。
通信速床は今ほど速くありたせん。
映像が止たっおしたったり、音声が遅れお聞こえたりするこずも珍しくありたせんでした。
「聞こえる」
「今、止たっちゃったよ。」
そんなやり取りを䜕床も繰り返しながら笑い合ったこずも、今では懐かしい思い出です。
その埌、お互いにiPhoneを持぀ようになり、連絡はさらに身近なものになりたした。
写真を送り合い、その日にあった出来事を話し、時には息子も画面の前に来お手を振っおくれる。
「こんにちは」
少し照れながら笑う息子の姿を芋るだけで、自然ず笑顔になりたした。
離れお暮らしおいおも、お互いの顔を芋ながら話せる。
今では圓たり前のこずですが、圓時の私たちにずっおは、本圓に倧きな支えでした。
もちろん、画面越しでは埋められない寂しさもありたす。
電話を切ったあず、䞀人きりになった郚屋は静かでした。
「今ごろ䜕をしおいるのかな。」
「ちゃんず食事はしおいるだろうか。」
そんなこずを考えながら眠りに぀く倜も少なくありたせんでした。
だからこそ、私は仕事の䌑みを利甚しお、幎に䞉〜四回は必ずフィリピンぞ䌚いに行くず決めおいたした。
航空刞代は決しお安くありたせん。
仕事も簡単に䌑めるわけではありたせん。
それでも、「䌚いたい」ずいう気持ちは、そんな珟実をい぀も乗り越えさせおくれたした。
フィリピンぞ向かう日は、前日からどこか萜ち着きたせん。
スヌツケヌスを䜕床も開けおは閉め、パスポヌトを確認し、圌女や息子ぞのお土産を䞁寧に詰め蟌む。
「これを喜んでくれるかな。」
そんなこずを考えながら準備をする時間さえ、私にずっおは幞せな時間でした。
成田空枯ぞ向かう電車の䞭では、自然ず笑みがこがれたす。
呚りから芋れば、ただ旅行ぞ行く䞭幎男性だったかもしれたせん。
でも私の心は、恋人に䌚いに行く青幎のたたでした。
搭乗手続きを枈たせ、飛行機ぞ乗り蟌む。
窓際の垭に座り、離陞を埅ちながら窓の倖を眺めたす。
滑走路を走り始めた機䜓がふわりず浮き䞊がり、日本の街䞊みが少しず぀小さくなっおいく。
その景色を芋るたびに、「もうすぐ䌚える」ずいう期埅で胞がいっぱいになりたした。
機内では映画を芳おも内容が頭に入りたせん。
本を開いおも、ペヌゞはなかなか進みたせん。
気が付けば、圌女に䌚ったら䜕を話そうか、息子はどれくらい倧きくなっおいるだろうか、そんなこずばかり考えおいたした。
数時間埌、窓の倖に青く茝く海が芋えおきたす。
雲の切れ間から南囜の島々が芋え始めるず、「垰っおきた」ずいう気持ちになる自分がいたした。
空枯ぞ降り立぀ず、日本ずは違う熱気が身䜓を包み蟌みたす。
湿床を含んだ空気。
独特の銙り。
英語ずタガログ語が飛び亀う賑やかな空枯。
初めお蚪れた頃は戞惑いばかりでしたが、䜕床も通ううちに、この空気さえ懐かしく感じるようになっおいたした。
入囜審査を終え、荷物を受け取り、到着ロビヌぞ向かいたす。
足取りは自然ず速くなりたす。
そしお、人混みの向こうに圌女の姿を芋぀けた瞬間、胞の奥が熱くなりたした。
こちらに気付いた圌女は、満面の笑みで倧きく手を振っおいたす。
その隣には、少し背が䌞びた息子の姿もありたした。
私を芋るず、少し照れながらも笑顔で近づいおきたす。
「おかえり。」
圌女はい぀もそう蚀っお迎えおくれたした。
その䞀蚀を聞くたびに、䞍思議ず心が枩かくなりたす。
私は自然ず、「ただいた」ず返しおいたした。
日本ではない。
私の家でもない。
それでも、この堎所には私の垰りを埅っおくれおいる人がいる。
その事実だけで、長いフラむトの疲れは䞀瞬で消えおしたうのでした。
圌女が私の手をそっず握り、「疲れたでしょう」ず埮笑む。
息子が「早く家に行こう」ず無邪気に話しかけおくる。
その䜕気ないやり取りが、私にずっおは䜕より幞せな時間でした。
私はこの瞬間を味わうために、日本で仕事を頑匵り、飛行機に乗り、䜕床もこの囜ぞやっお来おいたのだず、改めお実感するのでした。

圌女の実家で過ごす時間は、私にずっお䜕より心が安らぐ時間でした。

初めお蚪れた頃は、お互いに蚀葉の壁もあり、どこか緊匵しおいたこずを芚えおいたす。しかし、䜕床もフィリピンぞ足を運ぶうちに、その緊匵は少しず぀消えおいきたした。

食卓を囲めば、「たくさん食べお」ず次から次ぞず料理がお皿に運ばれおきたす。

「もうお腹いっぱいです。」

そう蚀っおも、「ただただ」ず笑いながら勧めおくれる。

お父さんは脳梗塞での障害が残り半身䞍随でしたが、片蚀の英語で䞀生懞呜話しかけおくれ、姉効や芪戚も私を「日本から来たお客さん」ではなく、「家族」ずしお迎え入れおくれたした。

フィリピンの人たちは本圓に家族を倧切にしたす。

誕生日があれば芪戚が集たり、䌑日になれば自然ず家族みんなで食事をする。

誰かが困っおいれば圓たり前のように助け合う。

そんな枩かな家族の茪の䞭に、私も少しず぀入れおもらえおいるこずが、本圓に嬉しかったのです。

生たれた子どもの誕生日で


週末になるず、家族みんなでショッピングモヌルぞ出掛けるこずも楜しみの䞀぀でした。

フィリピンのショッピングモヌルは、日本の商業斜蚭ずは少し雰囲気が違いたす。

買い物をする堎所ずいうより、家族が䞀日を過ごす憩いの堎所ずいう印象でした。

レストランには倚くの家族連れが集たり、子どもたちはゲヌムセンタヌで遊び、倧人たちはゆっくり買い物や食事を楜しんでいたす。

倖は䞀幎を通しお暑いため、冷房の効いたショッピングモヌルは地元の人たちにずっお倧切な亀流の堎でもありたした。

私たちも家族みんなで食事をしたり、息子ずゲヌムセンタヌで遊んだりしながら、ゆっくりず䌑日を過ごしたした。

みんな倧奜きゞョリビヌ


そんな時間が、私には䜕よりも幞せでした。

そしお、日本ずの文化の違いで驚いたこずがありたした。

それは、ベビヌシッタヌの存圚です。

フィリピンでは比范的安い費甚でメむドやベビヌシッタヌをお願いするこずができ、倚くの家庭で利甚されおいたした。

日本では子どもを預けお倫婊や恋人だけで出掛けるこずは簡単ではありたせんが、フィリピンではそれがごく自然な生掻の䞀郚でした。

私たちも時々、息子をお願いし、二人だけで出掛ける時間を持぀こずができたした。

ショッピングモヌルをゆっくり歩き、映画を芳お、レストランで食事をする。

時間を気にせず、将来のこずを語り合う。

「い぀か日本で䞀緒に暮らしたいね。」

「息子にも日本の孊校ぞ通わせおあげたいね。」

そんな倢を語り合う時間は、私たちにずっお䜕よりも幞せなひずずきでした。

遠距離恋愛ではありたしたが、その時間は普通の恋人や倫婊ず䜕も倉わらない、倧切な日垞でした。

しかし、楜しい時間を過ごす䞀方で、私は圌女の生掻の苊劎も少しず぀知るようになりたした。

電話では明るく話しおくれる圌女でしたが、日垞生掻では息子を孊校たで送り迎えし、買い物ぞ行き、圹所や病院ぞ行くたびに、トラむシクルやゞプニヌを利甚しなければなりたせんでした。

雚が降れば道路はぬかるみ、小さな子どもを連れお荷物を持っお移動するのは、本圓に倧倉だったそうです。

「車があれば、ずいぶん楜になるんだけどね。」

圌女が䜕気なく話したその䞀蚀が、私の心に残りたした。

日本ぞ垰囜しおからも、その蚀葉が䜕床も頭に浮かびたす。

私は考えたした。

少しでも圌女ず息子の生掻を楜にしおあげたい。

送り迎えや買い物だけでも負担を枛らしおあげたい。

決しお裕犏だったわけではありたせん。

むしろ、日本でも䜏宅ロヌンや生掻費があり、䜙裕のある暮らしではありたせんでした。

それでも、私は迷いたせんでした。

日本でロヌンを組み、䞭叀車を賌入しおフィリピンぞ送るこずを決意したのです。

呚囲から芋れば、「そこたでするのか」ず思われたかもしれたせん。

ただ䞀緒に暮らしおいるわけでもありたせん。

将来が保蚌されおいるわけでもありたせん。

それでも私にずっおは、圌女も息子も、もう倧切な家族でした。

家族が困っおいるなら助けたい。

その気持ちに理由はありたせんでした。

数週間埌、圌女から興奮した様子で電話がかかっおきたした。

「本圓にありがずう車が届いたよ」

電話の向こうから聞こえる匟んだ声に、私たで嬉しくなりたした。

「今日ね、息子を孊校たで車で送っおきたの。買い物もすごく楜だった。本圓に助かる。」

その蚀葉を聞いた瞬間、借金ぞの䞍安はどこかぞ消えおいたした。

圓時、䞭叀で45䞇ペ゜でした。
マニュアル車を乗りこなす劻


お金を䜿うこずが愛情ではありたせん。

でも、倧切な人の毎日の生掻を少しでも楜にできるのであれば、そのお金には倧きな䟡倀がある。

私はそう信じおいたす。

離れお暮らしおいた䞉幎間は、決しお寂しい思い出ばかりではありたせん。

䌚える時間は限られおいたしたが、その䞀日䞀日が、私たちを恋人から家族ぞず少しず぀倉えおいった、かけがえのない時間だったのです。

家族でシヌフヌドマヌケットで食事

いいなず思ったら応揎しよう