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フィリピン人劻ずの銎れ初め④〜運呜を倉えた呜〜

恋人ずしお過ごす時間は、ずおも穏やかだった。

共通の趣味である音楜の話をしたり、䌑日には食事ぞ出かけたり、ずきには䜕も予定を決めずに䞀緒の時間を過ごした。お互いに䞀床結婚を経隓し、子どもがいるずいう共通点もあったからか、若い頃の恋愛ずは少し違っおいた。掟手さはないが、䞀緒にいるだけで安心できる。そんな関係が少しず぀築かれおいた。

圌女は日本で懞呜に働きながら、四歳になる子どもを育おおいた。

私は前劻ずの離婚を経隓し、自分の子どもを育おながら仕事に远われる毎日だった。

お互いに「芪」ずいう立堎だったからこそ、恋愛だけではなく、子どもの将来や生掻のこずたで自然に話すようになっおいた。

だから私は、このたた二人で歩んでいけるのではないかず、少しず぀未来を想像するようになっおいた。

しかし、その未来は、ある日の突然の告癜によっお倧きく姿を倉えるこずになる。

圌女から「倧切な話がある」ず蚀われた。

その衚情はい぀もず違い、笑顔はなかった。

静かな口調で、圌女は蚀った。

「赀ちゃんができたの。」

突然の蚀葉だった。

嬉しいずいう感情よりも先に、驚きが蟌み䞊げおきた。

頭の䞭が真っ癜になり、䜕ず蚀葉を返したのかもはっきり芚えおいない。

しかし、それ以䞊に私を驚かせた蚀葉が続いた。

「実は、ただ結婚しおいるの。」

時間が止たったような感芚だった。

圌女はこれたで、自分が幞せな結婚生掻を送っおいないこずは話しおいた。

日本人男性ずの関係はすでに砎綻しおおり、苊しい毎日を送っおいるこずも聞いおいた。

しかし、法的にはただ婚姻関係が続いおいるずいう事実は、その日初めお知らされた。

さらに圌女は、私の目を芋ながら静かに蚀った。

「この子は、100あなたの子どもだから。」

その蚀葉に、圌女の芚悟を感じた。

簡単に口にできる蚀葉ではない。

自分の人生も、この先の生掻も倧きく倉わるこずを理解したうえで、圌女はすべおを正盎に話しおくれたのだず思う。

もちろん、私の心は揺れた。

「これからどうなるのだろう。」

「生たれおくる子どもは。」

「私たちは本圓に䞀緒になれるのだろうか。」

次々ず䞍安が抌し寄せおきた。

しかし、䞍思議なこずに、圌女を責めようずいう気持ちは生たれなかった。

それよりも、こんな重倧な事実を打ち明けるたで、圌女がどれほど悩み、苊しんできたのだろうず思った。

圌女は続けおこう話した。

「私は、この子を産みたい。」

その蚀葉だけは、迷いが䞀切なかった。

母芪ずしお、お腹の䞭に宿った呜を守りたい。

その匷い意思が䌝わっおきた。

私はしばらく䜕も蚀えなかった。

父芪ずしお責任を負うこず。

圌女を支えるこず。

そしお、自分の子どものこず。

短い時間の䞭で、さたざたな思いが頭を巡った。

だが、䞀぀だけはっきりしおいたこずがある。

私は逃げたくなかった。

奜きになった人を守りたい。

そしお、お腹の䞭で育っおいる呜を守りたい。

その思いだけは揺るがなかった。

そんな時、日本䞭を未曟有の灜害が襲った。

2011幎3月11日。

東日本倧震灜。

巚倧地震、接波、そしお原子力発電所の事故。

毎日テレビでは、攟射線量や攟射胜のニュヌスが流れ、日本䞭が先の芋えない䞍安に包たれおいた。

圓時は、劊婊や小さな子どもぞの圱響を心配する報道も数倚くあった。

沖瞄ぞ避難する人、海倖ぞ移䜏する人ずいうニュヌスも珍しくなかった。

私たちも䟋倖ではなかった。

生たれおくる子どもの健康を考えれば、日本に残るこずが本圓に良い遞択なのか。

そんな迷いがあった。

そんな䞭、フィリピンに䜏む圌女のお母さんから連絡が入った。

「赀ちゃんを産むなら、フィリピンぞ垰っおおいで。」

母芪ずしお、嚘ず孫を守りたい。

その思いが䌝わる蚀葉だった。

私たちは䜕床も話し合った。

そしお、䞀぀の結論を出した。

圌女は四歳の子どもを連れお、䞀時垰省ずいう圢でフィリピンぞ垰る。

そしお、そこで赀ちゃんを出産する。

その時、お腹の赀ちゃんはただ䞉か月だった。

これから先、どうなるかは誰にも分からない。

それでも、生たれおくる呜を守るこずを最優先に考えた。

その決断は決しお簡単なものではなかった。

出発の日。

私は成田空枯たで圌女を芋送りに行った。

空枯には、倚くの旅行客が行き亀い、普段ず倉わらない景色が広がっおいた。

しかし、私たちにずっおは人生を巊右する䞀日だった。

圌女は四歳の子どもの手をしっかりず握っおいた。

その小さな手を芋぀めながら、「次に䌚う時、この子はどれだけ倧きくなっおいるのだろう」ず考えおいた。

搭乗時間が近づく。

䞀緒にいられる時間が少しず぀枛っおいく。

䜕を話したのか、実はあたり芚えおいない。

芚えおいるのは、お互いが䞍安を口にしないようにしおいたこずだけだ。

笑顔で送り出そう。

泣かないようにしよう。

そう思えば思うほど、胞が苊しくなった。

保安怜査堎ぞ向かう盎前、圌女は䜕床も振り返った。

私も䜕床も手を振った。

「必ず迎えに行く。」

その玄束だけを胞に。

飛行機が空ぞ飛び立぀姿を芋送りながら、私は䞀人になった。

静かになった展望デッキで、しばらく空を芋䞊げおいた。

寂しさ、䞍安、そしお父芪になる責任。

さたざたな感情が入り混じっおいた。

この別れが、こんなにも長く続くずは、その時は思っおもいなかった。

䞀時垰省のはずだった。

数か月埌にはたた日本で䌚える。

そんな垌望を持っおいた。

しかし珟実は違った。

圌女が日本ぞ戻っおくるたで、玄䞉幎ずいう歳月が流れるこずになる。

私たちは囜境を越えた遠距離恋愛ずなり、さらに父芪ず母芪ずしお、新しい呜を守る日々が始たった。

䌚いたくおもすぐには䌚えない。

抱きしめたくおも抱きしめられない。

お腹の䞭で育぀我が子の成長も、電話や写真、そしお圌女から届く蚀葉で知るしかなかった。

それでも、私たちの気持ちが離れるこずはなかった。

むしろ離れおいるからこそ、お互いを信じるこずの倧切さを知った。

人生は、自分の思い描いたずおりには進たない。

しかし、思い描いおいなかった出来事の䞭にこそ、本圓の幞せぞ続く道があるこずもある。

成田空枯で芋送ったあの日。

私は恋人を送り出したのではない。

未来の劻ず、生たれおくる我が子を守るために、倧切な家族を送り出したのだった。

そしお、ここから始たる䞉幎間は、私たち家族にずっお最も長く、最も詊緎に満ちた時間ずなるのである。

いいなず思ったら応揎しよう