チェ・ゲバラはなぜ今も人々を惹きつけるのか ――「行動する知識人」のカリスマと、ボリビアで露呈した現場主義の限界
前回、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を久しぶりに観たことをきっかけに、アムロ・レイがシャア・アズナブルに投げかけた「革命はいつもインテリが始める」という言葉について考えました。
高い理想を掲げる知識人が社会を変えようとする。
ところが現実の社会は、理想通りには動きません。
人々は必ずしも革命家の考えについてきません。
その時、革命家が「なぜ人々は分からないのだ」と考え、やがて「分からない大衆が愚かなのだ」と考えるようになれば、理想を掲げた側と普通の人々との間に大きな断絶が生まれます。
『逆襲のシャア』におけるシャアは、その行き着いた先として、人類を強制的に宇宙へ移住させようとしました。
では逆に、「大衆が分からない」と嘆くのではなく、自分自身が大衆の中へ飛び込んでいった知識人ならどうでしょうか。
そこで思い浮かんだのが、チェ・ゲバラです。
革命に成功しても「偉い人」にならなかった男
チェ・ゲバラ、本名エルネスト・ゲバラは1928年、アルゼンチンに生まれました。
医師となったゲバラはラテンアメリカ各地を旅し、貧困や社会的不平等を目の当たりにします。(この辺りのエピソードは映画『モーターサイクルダイアリーズ』を参照してみてください)その後、メキシコでフィデル・カストロらと出会い、キューバ革命に参加。1959年、バティスタ政権打倒に成功します。
革命後のゲバラは、キューバ国立銀行総裁、工業相など政府の要職を歴任しました。
普通なら、ここで「革命家チェ・ゲバラ」の物語は完成しても不思議ではありません。
命懸けで革命に参加し、それに成功し、国家の指導者になったのです。
ところが、ゲバラはそこに留まりませんでした。
1965年にはキューバの公的な舞台から姿を消し、コンゴでの革命運動に参加。その失敗を経て、1966年にはボリビアへ入り、再びゲリラ闘争を開始します。
そして翌1967年10月、ボリビア軍に捕らえられ、39歳で処刑されました。
ここに、ゲバラという人物が今なお強烈なカリスマを放つ理由の一つがあるように思います。
彼は「革命」を職業にして安全な場所から語ったのではなく、自分自身が危険な現場へ戻っていったのです。
「口だけではない知識人」という魅力
ゲバラは、決して「理論より行動」というだけの人物ではありませんでした。
医師であり、読書家であり、マルクス主義を学び、経済政策について論争し、ゲリラ戦について自ら著作を残した知識人でもあります。
だからゲバラの特徴は、
「知識人ではなかった」
ことではありません。
むしろ、
「知識人でありながら、理論と実践を分離しようとしなかった」
ことにあります。これは大きな違いです。
社会を変えるべきだと主張しながら、自分は安定した世界にいる。
貧困について語りながら、自分は特権的な生活を続ける。
戦うべきだと主張しながら、実際に危険を引き受けるのは別の人間である。
こうした「言っていることと、やっていることの違い」は、政治家や知識人に対する不信を生みやすいものです。
ゲバラの場合、その逆でした。
自分が正しいと思ったことを、自分自身が実行した。
しかも革命政権の大臣という地位まで捨ててしまった。
この「言行一致」は、ゲバラの思想そのものに賛同しない人にとっても、強烈な印象を残します。
実際、医学誌『Postgraduate Medical Journal』が2022年に掲載した論考も、ゲバラを世界でもっとも広く認識される医師の一人としつつ、革命的英雄と見る評価と、苛烈な暴力を行使した人物と見る評価の双方が存在する「道徳的に曖昧な人物」と位置づけています。
つまり、ゲバラの魅力を考えることと、彼の行為を無条件に肯定することは別問題なのです。
なぜゲバラの顔は世界中に残ったのか
ゲバラについて興味深いのは、思想書以上に「顔」が世界へ広がったことです。
アルベルト・コルダが1960年に撮影した有名な写真「英雄的ゲリラ(Guerrillero Heroico)」。
長髪にベレー帽、遠くを見つめるゲバラの顔は、その後ポスターや旗、壁画、Tシャツなど、ありとあらゆる場所で使われることになります。
現在では、ゲバラの政治思想を詳しく知らない人でも、あの顔は知っているというほどです。
映画・写真研究者のLibby Saxtonは、ゲバラの死後のイメージ形成について、写真だけでなく映画やニュース映像も含めて分析し、ゲバラの顔が「群衆」と結びつく政治的アイコンとして機能してきたことを論じています。
つまりゲバラは、
一人の政治思想家から、「抵抗する者」の記号へ変わった
ともいえます。
ここには一つの皮肉もあります。
資本主義を批判した革命家の顔が、資本主義社会で大量の商品になっているからです。
それでもなお、ゲバラの肖像が消えないのは、その人生そのものが「権力に反抗し、自分の信念のために行動し、若くして死んだ人物」という非常に強力な物語になっているからでしょう。
ゲバラと「フォコ理論」
キューバ革命後、カストロ政権は次第にソ連との関係を深めていきました。
しかし、ゲバラはソ連型社会主義の運営に批判的になっていきます。
1965年2月のアルジェでの演説でゲバラは、社会主義国にも発展途上国の解放を支援する責任があると主張し、社会主義国が世界市場の交換原理をそのまま途上国との関係に持ち込むことを厳しく批判しました。
彼にとって革命とは、政権を取った時点で完成するものではありませんでした。
おそらく、それこそが彼を再び「現場」へ向かわせた理由の一つだったのでしょう。
ここでゲバラの革命思想を考えるうえで重要になるのが、後に「フォコ理論」と呼ばれる考え方です。
キューバ革命の経験から、ゲバラは一つの重要な結論を導きました。
革命に必要な条件がすべて整うまで待つ必要はない。
小規模なゲリラ部隊が農村部で武装闘争を始めることで、革命の条件そのものを作り出すことができる――という発想です。
1950年代末のキューバ革命の成功は、このモデルに巨大な説得力を与えました。
発想としては、非常にゲバラらしいものです。
しかし、ここにゲバラの「現場主義」が抱える重大な問題がありました。
「自分たちが立ち上がれば、大衆も立ち上がる」という前提
フォコ理論を突き詰めていくと、一つの前提に行き着きます。
少数の革命家が行動を開始する。
その姿を見た農民や労働者が、「自分たちも立ち上がれる」と気づく。
そして革命運動が拡大する。
つまり、
「革命家が大衆より先に行動すれば、大衆は後からついてくる」
という発想です。
これは、前回取り上げたシャアとはかなり違います。
シャアは人々が変わるのを待てなくなり、最後には強制的に人類そのものを変えようとしました。
ゲバラはむしろ、自分自身が先頭に立つことで、人々を動かそうとしました。
ところがボリビアでは、この前提そのものが崩れてしまいます。
ボリビアの農民は、ゲバラについてこなかった
1966年、ゲバラは密かにボリビアへ入り、ゲリラ拠点を作ります。
しかしキューバで起きたことは、ボリビアでは再現されませんでした。
Cambridge University Pressから刊行された『A Concise History of Revolution』では、ゲバラのボリビア作戦について、現地ボリビア人の参加者を集めることに非常に苦労したことが指摘されています。
ゲバラ自身も日記の中で、想定していたことの中で最も遅れているのが「ボリビア人戦闘員の参加」であると嘆いています。
1967年4月の時点でも、農民による支持基盤は形成されておらず、新規参加者も得られていませんでした。
そして状況は悪化していきます。
ゲリラ部隊は孤立し、食料にも苦しみ、兵力も減少。
最終的にゲバラは捕らえられ、10月9日に処刑されました。
もちろん、これを単純に「農民がゲバラを拒絶したから」とだけ説明するのも不正確です。
ボリビア軍による農民への圧力、米国の支援を受けた対ゲリラ作戦、ボリビア共産党との対立など、複数の要因がありました。
しかし近年の研究では、より根本的な問題として、ゲバラがボリビア社会の革命への期待を過大評価していたことが指摘されています。
実は、ボリビアは1952年にすでに革命を経験し、農地改革なども行われていました。
ゲバラから見れば不十分な改革であっても、現地の農民や労働者の多くが「今すぐ新たな武装革命を起こしたい」と考えていたわけではなかったのです。
さらにゲバラの部隊にはキューバ人が多く、政権側から「外国人による介入」と描かれやすいという問題もありました。
研究者たちは、ゲバラがキューバ革命の特殊な成功条件を一般化しすぎたこと、そしてボリビアで十分な民衆の支持を獲得できなかったことを、その失敗の重要な要因として挙げています。
「現場へ行くこと」と「現場を理解すること」は違う
私はここに、ゲバラという人物の最大の逆説があるように思います。
ゲバラは「現場を知らない知識人」ではありませんでした。
むしろ誰よりも現場へ行った。
机の上で革命を論じるだけではなく、自分で銃を持ち、自分で山を歩き、自分自身の生命まで賭けました。
それは間違いなく、ゲバラという人物の強烈な魅力です。
しかし、「現場へ行くこと」と「現場の人々を理解すること」は同じではありません。
ここが重要なのではないでしょうか。
確かにゲバラはボリビアの農民のところまで行きました。
しかし、
「彼らは本当に革命を望んでいるのか」
「彼らが今もっとも必要としているものは何なのか」
「キューバで成功した方法が、ボリビアでも通用するのか」
という問題については、自分自身の革命観を先に置きすぎた可能性があります。
言い換えるなら、
「大衆を見下してはいなかったとしても、大衆を自分の理想の中に当てはめてしまった」
のではないでしょうか。
「ゲバラを魅力的にしたものが、ゲバラを失敗させたのではないか」
そう考えると、非常に皮肉な結論に行き着きます。
行動すること。
妥協しないこと。
地位に執着しないこと。
理想を諦めないこと。
自分自身が危険を引き受けること。
これらはすべて、ゲバラを20世紀最大級の革命的アイコンにした要素です。
ところが政治というものは、本来もっと泥臭いものです。
現地の人々と交渉する。
反対する人間とも話す。
場合によっては妥協する。
自分より穏健な勢力とも協力する。
そして何より、
自分の理想より、人々が実際に何を望んでいるかを優先しなければならない場合があります。
ゲバラは、そうした妥協をもっとも嫌った人物の一人でした。
『The Tricontinental Revolution』の研究では、キューバ革命でカストロが反バティスタ勢力との協力を広げるために戦術的妥協を行ったのに対し、ゲバラは武装闘争への強いこだわりを持ち続け、ボリビアでは現地の革命意識を過大評価したと分析されています。
すると、一つの仮説が浮かんできます。
ゲバラを魅力的にした資質と、ゲバラをボリビアで失敗させた資質は、実は同じものだったのではないでしょうか。
妥協しないから英雄になった。
しかし、妥協しないから孤立した。
自分で行動するから人々を魅了した。
しかし、自分が行動すれば人々も動くと考えたことで、現地社会との距離を見誤った。
これはゲバラを単純に英雄視するよりも、あるいは逆に「失敗した革命家」と切り捨てるよりも、ずっと興味深い問題に思えます。
シャアとゲバラは正反対に見えて、同じ問題にぶつかった
ここで、前回の『逆襲のシャア』に戻ってみます。
シャアは、
「人類は愚かだから、自分が強制的に変える」
という方向へ進みました。
ゲバラは、
「自分が先頭に立って行動すれば、人々も立ち上がる」
と考えました。
方法はまったく違います。
しかし二人とも最後には、
「理想を持つ者」と「普通の人々」との距離
という同じ問題にぶつかっています。
そして、この問題は現代にも残っています。
社会運動でも政治運動でも、
「自分たちの主張は正しい」
ことと、
「人々がその主張を支持する」
ことは別です。
いくら正しいデータを示しても、人は動かないことがあります。
いくら自分自身が献身的に活動しても、人々がついてこないこともあります。
そこで、
「大衆が無知だからだ」
と考えれば、シャアの問題に近づきます。
しかし、
「自分たちがもっと激しく行動すれば、人々も目覚めるはずだ」
と考えるだけでも、ゲバラのボリビアでの失敗と同じ罠に近づく可能性があります。
必要なのは、もしかすると別の何かなのかもしれません。
なぜゲバラは「アイコン」で終わったのか
ここまで考えていて、私はもう一つ不思議なことに気づきました。
ゲバラは死後、世界的なカリスマになりました。
彼の顔は世界中に広がり、「反抗」「革命」「理想に生きること」の象徴になりました。
しかし、世界中の人々がゲバラ主義者になったわけではありません。
ゲバラのTシャツを着ている人が、ゲリラ戦を始めるわけでもありません。
つまりゲバラの生き方は、
「尊敬することはできても、普通の人にはほとんど再現できない」
のです。
大臣の地位を捨てる。
家族と別れる。
外国へ潜入する。
ジャングルで武装闘争を行う。
最後には命まで失う。
これを「あなたも実践してください」と言われても、ほとんどの人にはできません。
そこで、ふと別の人物が思い浮かびます。
約2000年前、既存の権力や社会秩序と衝突し、弱い立場の人々に語りかけ、最後には権力によって処刑された人物です。
そう、イエス・キリストです。
もちろん、ゲバラとイエスをそのまま同列に置くことはできません。
時代も思想も目的もまったく違います。
しかし「若くして処刑され、その死後にカリスマ的象徴となった人物」という点だけを取り出すと、興味深い比較ができます。
そして決定的な違いがあります。
ゲバラは世界的な「アイコン」になりました。
一方、イエスから始まった運動は、キリスト教という世界的な「共同体」になりました。
なぜでしょうか。
カリスマ的な人物が命懸けで理想を示すだけでは、思想は社会に根付かないのでしょうか。
だとすれば、その理想を「普通の人々」が参加できるものへ変えるためには、何が必要なのでしょう。
この疑問を考えていくと、マックス・ウェーバーの「カリスマの日常化」という社会学の議論や、イエスの死後に登場したパウロという人物へ行き着きます。
そして、そこからもう一度アムロの、
「革命はいつもインテリが始める」
という言葉へ戻ってみると、別の景色が見えてきます。
そこで次回は、
「なぜゲバラはアイコンになり、イエスは世界宗教につながったのか」
という少し大胆な比較から、「理想」が普通の人々へ広がるための条件について考えてみたいと思います。
――第3回へ続きます。
出典:
・Jack A. Goldstone, A Concise History of Revolution, Cambridge University Press
・The Tricontinental Revolution, Cambridge University Press
・Timothy Wickham-Crowley, “Two ‘Waves’ of Guerrilla-Movement Organizing in Latin America, 1956–1990”, Comparative Studies in Society and History, Cambridge University Press
・Libby Saxton, “The Face of the Crowd: Che”, No Power Without an Image: Icons Between Photography and Film, Edinburgh University Press / Oxford Academic
・“Dr Ernesto ‘Che’ Guevara: a study in moral ambiguity”, Postgraduate Medical Journal, Oxford Academic, 2022
・Ernesto Che Guevara, “At the Afro-Asian Conference in Algeria”, 1965
