0648 徳川家康も、のちの城主も出世した「浜松城」(静岡県)
浜松城のご利益
仕事運、勝負運、縁結び
浜松城の360度ビュー
浜松城について
出世城と呼ばれ、徳川家康が激戦・激動の壮年期を過ごしました。
武田信玄の侵攻に備えた400年前の石垣が残る歴史的にも貴重な城跡です。
仕事運、勝負運、縁結びのパワースポットです。

歴史の教科書にもある天保の改革を行った水野忠邦を含め、5人の老中(幕府の実務最高職)が、家康後の25人の浜松城主から誕生しました。
他に大坂城代2人、京都所司代2人、寺社奉行4人も輩出した出世城です。

家康は45歳に駿府城へ入城するまでの浜松城での17年間は、姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、小牧・長久手の戦い等と、苦しい戦いが多く続きました。
特に信玄との三方ヶ原の戦いは家康人生最大級の全面的敗北を喫しました。

浜松城での経験が家康自身を出世させ、幼年期から辛酸をなめ尽くした家康が、日本史上燦然と輝く江戸時代をつくる江戸幕府を開くことになります。

明治6年(1873)の廃城令により、三の丸、二の丸は宅地化されました。
昭和25年、城跡に浜松城公園、昭和33年に旧天守台の上に新天守を再建。
天守曲輪と本丸の一部は宅地化を免れ、現在にその姿を残しています。

浜松城には天守、清水、西端城、作左の4つの曲輪がありました。
完全に残っているのは天守曲輪だけです。
天守曲輪からその東に本丸、二の丸、東南には三の丸がほぼ一直線に並び、東側は見晴らしが良いため、信玄の侵攻を警戒するには適した立地でした。

石垣は戦国時代の特徴的な野面積みで、強固さと荒々しさのある技法で造られました。400年以上前の建築当時の貴重な歴史的遺構です。
籠城時の水源として浜松城の建築当時からの井戸が残っています。
天守台地下の井戸が残っているのは、浜松城の他には伊賀上野城、名古屋城、松江城、熊本城しかなく、歴史的に大変貴重なものです。

天主近くの徳川家康の銅像はよくある武将像とは違った表情をしています。
手には徳川家康の兜の意匠に用いられた歯朶を持っています。

天守閣は昭和33年に再建した鉄筋コンクリート製で、内部は資料館です。
家康の甲冑や古文書、城の模型などが展示されています。
浜松市街や遠州灘まで一望でき、富士山が見えることもある絶景です。

スピリチュアルな話は、三方ヶ原の戦いのあった毎年12月22日に城を見守る家康の霊を感じたり、不思議な光や甲冑姿の武士の影を見る人がいます。
浜松城に来ると期せずして人生に転機が訪れる、ということも起こります。
