わたしの京都は、弔う街
今年は、本厄と大殺界のど真ん中が重なった年だった。
まさにその通りのことが立て続けに起き、心も体も身動きが取れないまま一年が過ぎた。
紅葉狩りなど、とても行けそうにない。
けれど十一月も後半に入り、厄の力が少しだけ緩んだのか、
ふと安楽寺に行ってみようと思い立った。
哲学の道から少し外れた、普段は非公開のお寺。
朝九時頃に門前を通ると、人の気配がある。
落ち葉を掃くお年寄りにうかがうと、
「この時期は平日も十時から公開していますよ」と教えてくださった。
あとになって、この方が住職だと知った。
時間になり山門をくぐると、広くはない境内は静かで、
隅々まで丁寧に手入れが行き届いていた。
そして何より驚いたのは、安楽寺の由来だ。
祀られているのは、後鳥羽上皇に寵愛された松虫姫と鈴虫姫。
まず名前の響きに軽い衝撃を受けた。
「姫」とつくなら花の名、という自分の勝手な先入観のせいだろうか。
源氏名か、あるいは力士のしこ名のような、不思議な質感がある。
さらに二人が、法然上人・親鸞聖人の流罪に間接的に関わっていたという。
自然災害の悲しみとはまた別の、
“人の念が引き起こす理不尽”の重さが胸に残った。
京都から離れずに生きてきた者として、
どうしても私は「観光地ではない、わたしの京都」を探してしまう。
自転車で走れば、数メートルおきにお地蔵さんが立ち、
恋人たちが集う鴨川べりは、たった二百年ほど前まで斬首刑の地だった。
清水寺も、私の実家の近くの千本通りも、風葬の場。
実家の住所である「紫野」は、かつて血の色を示す言葉だった。
観光案内には載らない“もうひとつの京都”。
それは、弔いを静かに抱え続ける街の姿でもある。
今年、安楽寺で立ち止まったとき、
その気配がようやく自分の中で輪郭を持ちはじめた。
「わたしの京都」は、確かにここにある。
歩けば歩くほど、死者とともにある街なのだ。
