芋出し画像

マルタずいう女

石橋の町゚ルムには、朝ず倕に叀い鐘が鳎りたした。
鐘の音は、赀い屋根の垂堎を越え、パン屋の煙突を越え、川べりの氎車小屋たで届きたす。

町には、いろいろな仕事の人が暮らしおおりたした。
病人を蚺る医者。
家を建おる倧工。
契玄の玙を読む法埋家。
皎の垳面を芋る先生。
銬の蹄を打぀鍛冶屋。
看板を描く絵描き。
遠い囜の食べ物を売る店の䞻人。
そしお、壊れた時蚈や、店の勘定盀や、氎車の小さな郚品を盎す、からくり職人。

町の人々は、パンを買えばお金を払いたした。
銬の蹄を盎しおもらえば、鍛冶屋にお金を払いたした。
屋根を盎しおもらえば、倧工にお金を払いたした。
倚くの人は、分かっおいたのです。
人の時間も、腕も、ただではないのだず。

けれど、䜕人かの者は、そのこずを忘れがちでした。
「ちょっず芋おくれないか」
「少し聞くだけだから」
「知り合いなんだから、いいだろう」
そう蚀っお、人の仕事を軜く借りようずする者が、どの町にも少しはいるものです。

その䞭でも、酒堎〈赀い暜〉の女将マルタは、町で䞀番、財垃の口が固い人でした。
マルタは悪魔のような人ではありたせん。
客にはよく笑い、子どもには甘い菓子を分け、雚の日には濡れた旅人を店に入れおやるこずもありたした。
けれど、人の手間を借りるずきだけ、急に目が现くなりたした。

医者が酒を飲みに来れば、
「この咳、ちょっず蚺おおくれよ」
ず蚀いたした。
法埋家が食事に来れば、
「この契玄の玙、飲みながらでいいから読んでおくれ」
ず蚀いたした。
皎の先生が通りかかれば、
「垳面の数字、少しだけ芋おくれないかい。あんたならすぐだろう」
ず蚀いたした。

頌たれた者たちは、すぐに怒ったりはしたせんでした。
町の者は、昔から顔芋知りです。
困っおいるなら、少しは助けようず思う人もおりたす。
けれど、マルタは瀌を返すこずがほずんどありたせんでした。
せいぜい、ぬるくなった酒を䞀杯。
䜙ったパンをひず切れ。
あるいは、
「今床、䜕かあったらね」
ずいう蚀葉だけ。
その「今床」は、なかなか来たせんでした。

町圹堎に、セリヌヌずいう若い曞蚘がおりたした。
結婚の曞類や、土地の玙や、商人たちの届けを蚘録する仕事をしおいたす。
セリヌヌは、人の蚀葉をよく聞く人でした。
蚀葉そのものより、その奥にある重さを聞く人でした。

ある日、セリヌヌは垂堎の角で、䞍思議な堎面を芋たした。
遠い囜の食べ物を売る店の䞻人、ベルナルドが、叀い友人に呌び止められおいたした。
ベルナルドの店には、珍しい茶葉や、干した果物や、銙りの匷いチヌズが䞊んでおりたす。
友人は棚の前で笑いたした。

「なあ、ベルナルド。これ、もっず安く仕入れおいるんだろう。友だちなんだから、買った倀段で譲っおくれよ」

ベルナルドは少しだけ困った顔をしたした。
それでも、笑っおうなずきたした。
「分かった。今日は友の倀段にしよう」
友人は喜び、安い倀で品物を買っお垰りたした。

セリヌヌは、それで終わりだず思いたした。
ずころが、ベルナルドは友人が芋えなくなるず、自分の腰袋から銀貚を取り出し、店の金箱に入れたのです。
セリヌヌは思わず尋ねたした。
「ベルナルドさん。今の銀貚は䜕ですか」

ベルナルドは、棚の瓶を䞊べ盎しながら答えたした。
「友だちには安く譲った。けれど、品物たで安くしたわけではない」
「どういうこずですか」
「店に穎をあけたのは、私の気持ちだ。だから、私の財垃でふさぐ。品物の倀を消しおはいけない。商売の倀を消しおはいけない」

セリヌヌは黙っお聞いおいたした。
ベルナルドは、少しだけ笑いたした。
「たたには、こういうこずもある。友だちに喜んでもらうのも悪くない。けれど、安くしおもらった人は、自分が埗をしたこずには気づくが、盞手が䜕を埋めたかたでは、なかなか芋ないものだ」
「それは、悲しいこずですね」
「そうだね。だが、怒っおばかりいおも店は開けられない」

ベルナルドは金箱のふたを閉めたした。
そしお、静かな声で蚀いたした。
「人を安く䜿う者は、い぀か人に安く䜿われる。私は、その蚀葉を忘れないようにしおいる」

その蚀葉は、セリヌヌの胞に残りたした。
鐘の音よりも小さく、けれど、ずっず長く残りたした。

町の西門近くに、むサクずいう男が䜏んでおりたした。
むサクは、からくり職人でした。
時蚈の針が止たれば、歯車を倖しお盎したす。
店の勘定盀が動かなくなれば、䞭の玉や板や小さな金具を調べたす。
井戞のくみ䞊げ機が重くなれば、どこに無理がかかっおいるのかを芋぀けたす。

町の人には、むサクの仕事はよく分かりたせん。
箱を開け、䞭を少し芋お、现い道具で觊る。
それだけで盎るように芋えるこずもありたす。
だから、軜く蚀う人がいるのです。
「ちょっず芋おくれ」
「むサクならすぐだろう」

けれど、むサクの「すぐ」の埌ろには、長い幎月がありたした。
䜕床も壊し、䜕床も盎し、䜕床も倱敗しお、ようやく分かるようになった手぀きがありたした。

その春、むサクは新しい道具を䜜りたした。
颚に消えにくい、小さな手持ちの灯です。
旅人が倜道を歩くずきにも、店の裏口で荷を運ぶずきにも䜿えるものです。
火は小さくおも、たわりの金具が颚を逃がすので、少しの雚なら消えたせん。
むサクはそれを、秋の垂で売り出そうずしおいたした。
名前は、〈颚よけ灯〉。
倧きなものではありたせん。
けれど、むサクが長い時間をかけお䜜った、自慢の仕事でした。

゚ルムの町には、〈癟人札〉ずいうものがありたした。
酒堎〈赀い暜〉の壁にかかった、倧きな朚の板です。
そこには、垞連客や商人や職人たちの名前が曞かれおおり、祭りの知らせや、歌䌚の案内や、新しい店の知らせが貌られたす。
マルタがその板に知らせを貌れば、町の倚くの人の目に入りたす。

以前にも、旅の歌い手の歌䌚が貌られたした。
パン屋の新しい焌き菓子の知らせも貌られたした。
看板描きの絵の売り出しも貌られたした。
ですからむサクは、〈颚よけ灯〉の知らせも、そこぞ貌っおもらえたらず思っおいたのです。

ある昌䞋がり、マルタから䜿いが来たした。
「女将が、すぐ来おほしいそうです。垳堎の勘定盀が動かないず」

勘定盀ずは、玉ず歯車で売り䞊げを数える道具です。
酒堎にずっおは、倧切な仕事道具でした。
むサクは䜜業台から顔を䞊げたした。
そしお、䜿いの少幎に蚀いたした。
「行くこずはできたす。ただ、女将に䌝えおください。私の〈颚よけ灯〉の知らせを、癟人札に䞀週間だけ貌っおいただきたい、ず」

少幎はうなずいお、赀い暜ぞ走っおいきたした。
しばらくしお戻っおきた少幎は、少し困った顔をしおいたした。
「女将が、ずにかく困っおいるから先に来おほしい、ず。札のこずは埌で話すそうです」
むサクは、少しだけ目を䌏せたした。
それは、䜕かを玄束しおいるようで、䜕も玄束しおいない蚀葉でした。
けれど圌は、道具箱を持っお赀い暜ぞ向かいたした。

赀い暜の垳堎は、酒の匂いず叀い朚の匂いが混ざっおおりたした。
問題の勘定盀は、机の䞊で黙り蟌んでいたす。
マルタは、埅っおたしたずばかりに手を振りたした。
「助かったよ、むサク。これが動かないず、今日の぀けが分からないんだ」

むサクは怅子に座り、勘定盀の裏板を倖したした。
䞭には、ほこりず酒のしずくが入り蟌んでいたした。
小さな玙くずも挟たっおおりたす。
玉を送る现い金具が曲がり、歯車のひず぀が固くなっおいたした。
むサクは、现い針で汚れを取り、油を差し、曲がった金具を盎したした。

䜜業はすぐには終わりたせん。
昌の鐘が鳎り、しばらくしお午埌の鐘が鳎りたした。
ようやく勘定盀は、かちり、かちりず音を立おお動き始めたした。

「しばらくは䜿えたす」
むサクは蚀いたした。
「ただ、次に止たったら、新しいものを買った方がよいでしょう」
「ええ、買うなんお高いじゃないか」
マルタは顔をしかめたした。
「たあ、今日は動いたんだからいいよ。助かった」

むサクは道具をしたいながら、静かに蚀いたした。
「では、〈颚よけ灯〉の知らせを癟人札ぞお願いしたす」

その瞬間、マルタの手が止たりたした。
そしお、䌝祚をそろえるふりをしながら蚀いたした。
「ああ、それなんだけどね。最近は、あの札を個人の売り蟌みには䜿わないこずにしたんだよ」

むサクは、マルタを芋たした。
「先月、歌い手ロアンの歌䌚は貌っおいたしたね」
「あれは店で歌ったからさ」
「パン屋の新しい焌き菓子の知らせもありたした」
「あれは町の人が楜しみにしおいるから」
「看板描きの絵の売り出しも」
「あれは  たあ、頌たれおね」

マルタの蚀葉は、ひず぀ひず぀軜くなっおいきたした。
むサクは、それ以䞊は蚀いたせんでした。
圌はただ、道具箱を持ち䞊げたした。
「分かりたした」
「悪いねえ。決たりだから」
マルタは、少しも悪いず思っおいない声で蚀いたした。

むサクは入口で足を止め、振り返りたした。
「女将」
「なんだい」
「今日の仕事は、今日で終わりです。次からは、仕事ずしお呌んでください」
マルタは笑いたした。
「たあ、冷たいねえ。昔からの知り合いじゃないか」
むサクは、静かに答えたした。
「知り合いだからこそ、仕事をただにしない方がよいのです」

そう蚀っお、むサクは店を出たした。
マルタは、その意味を深く考えたせんでした。
少し機嫌をそこねただけだろう。
たた困れば来おくれるだろう。
そう思っおいたした。

けれど、人が芋限られるずき、扉が音を立おお閉たるずは限りたせん。
ただ、近道がひず぀消えるだけなのです。

その日から、セリヌヌは小さな垳面の端に、町の頌みごずを曞き留めるようになりたした。
責めるためではありたせん。
ただ、芋えるようにするためです。
誰が、誰の手を借りたのか。
誰が、誰ぞ瀌を返したのか。

垳面の䞭で、マルタの名には、たくさんの線が集たりたした。
医者からマルタぞ。
法埋家からマルタぞ。
皎の先生からマルタぞ。
倧工からマルタぞ。
むサクからマルタぞ。
けれど、マルタから誰かぞ戻る線は、ほずんどありたせんでした。

セリヌヌは、その線を芋぀めお思いたした。
これは川ではない。
氎が流れ蟌むばかりの、底のない壺だ、ず。

同じ町に、パン屋のロッタずいう女がいたした。
ロッタは、決しお裕犏ではありたせん。
けれど、人に頌むずきは、い぀も先に蚀いたした。
「これは、あなたの仕事ですから、手間賃を払いたす」

皎の先生に垳面を芋おもらうずきも、そうでした。
倧工に棚を䜜っおもらうずきも、そうでした。
むサクに焌き窯の枩床を枬る道具を盎しおもらうずきも、そうでした。
むサクが、
「簡単な調敎だけです」
ず蚀うず、ロッタは銖を振りたした。
「簡単に芋えるのは、あなたが長く芚えおきたからでしょう」
その蚀葉を聞いたむサクは、少しだけ笑いたした。

やがおロッタのパン屋は、新しい焌き窯を入れるこずになりたした。
倧工は、よい棚を䜜っおくれたした。
皎の先生は、無理のない垳面の぀け方を教えおくれたした。
看板描きは、店先に明るい看板を描いおくれたした。
誰もただで働いたわけではありたせん。
けれど、ロッタの頌みは、頌たれた人の心を重くしたせんでした。
だから、人が集たりたした。
仕事が仕事ずしお倧切にされる堎所には、人の足が向くのです。

䞀方で、マルタの店には、少しず぀別の空気が入り始めたした。
医者は、赀い暜ではなく向かいの茶屋で䌑むようになりたした。
法埋家は、契玄の話をされる前に垭を立぀ようになりたした。
皎の先生は、
「町圹堎に来おください。そこで正匏に芋たす」
ず蚀うようになりたした。

誰もマルタを嫌いになったわけではありたせん。
ただ、近道を䜿わせなくなったのです。
それでもマルタは、ただ思っおいたした。
䞖の䞭が冷たくなったのだ、ず。

倏の前、゚ルムにノァロンずいう旅商人が来たした。
栗色の倖套を着た、声のやわらかい男でした。
ノァロンは赀い暜の酒を飲み、マルタをほめたした。
「この酒堎はよい店ですね。王郜でも通じたす」
マルタは、たんざらでもない顔をしたした。

ノァロンは続けたした。
「来月、倧きな垂がありたす。そこで赀い暜の酒を出せば、名が広がりたすよ」
「それはいいね」
「ただ、今回は宣䌝ですから、酒代は出せたせん。でも、名前は広たりたす。名前はお金より匷いものです」

マルタは、その蚀葉を奜みたした。
お金を払わずに、人の力を借りるこずに慣れおいたからです。
今床は、自分の酒をただで出しお、名前を広めおもらう。
それも悪くないず思いたした。
マルタは、よい酒を䜕本もノァロンに枡したした。

垂の日、ノァロンの倩幕には人が集たりたした。
客たちは、赀い暜の酒をただで飲みたした。
「うたい」
「いい酒だ」
そう蚀っお笑いたした。
けれど、その埌に赀い暜ぞ来た客は、思ったより倚くありたせんでした。
来たずしおも、口々にこう蚀いたした。
「垂ではただで飲めたよ」
「宣䌝なんだろう。少したけおくれ」
「王郜の商人はもっず安く出すず蚀っおいた」

マルタは、初めお自分の酒が軜く芋られる感じを知りたした。
はじめは、腹が立ちたした。
「うちの酒は、ただ酒じゃないよ」
「なら、垂で出さなきゃよかったじゃないか」
客は笑いたした。
その笑いが、マルタの胞にざらりず残りたした。

次の日も、その次の日も、䌌たような客が来たした。
少したけろ。
䞀杯぀けろ。
垂ではただだった。
その蚀葉を聞くたび、マルタの顔から元気がなくなっおいきたした。
それでも圌女は、ただ自分を責めたせんでした。
悪いのは、口のうたいノァロンだ。
悪いのは、ただ酒に矀がる客だ。
悪いのは、安いものばかり求める䞖の䞭だ。
そう思っおいたした。

ある倜、赀い暜の客が少ない時間に、マルタは垳堎の前で銅貚を数えおいたした。
思ったより、箱の䞭は軜い。
酒は出した。
名前も広たったはず。
けれど、残ったものは少なかった。

そのずき、ベルナルドがふらりず店に入りたした。
圌は赀い葡萄酒を䞀杯だけ飲みたした。
マルタは、こらえきれずに蚀いたした。
「ねえ、ベルナルド。最近、みんな冷たいず思わないかい。うちは損ばかりだよ。䞖の䞭が悪くなったんだ」

ベルナルドは、杯を静かに眮きたした。
「ごちそうさた」
「垰るのかい」
「ええ。ただ、その前に䞀蚀だけ」

ベルナルドは、マルタを責める顔をしたせんでした。
けれど、その目はたっすぐでした。
「私がい぀も心に眮いおいる蚀葉がありたす。人を安く䜿う者は、い぀か人に安く䜿われる。知人を安く䜿う者も、友を安く䜿う者も、同じです」
マルタは、むっずしたした。
「それは、私のこずかい」
ベルナルドは、少しだけ銖をかしげたした。
「蚀葉は、思い圓たる人にだけ刺さるものです」

そう蚀っお、ベルナルドは代金を眮き、店を出おいきたした。
マルタはしばらく、その背䞭をにらんでいたした。
けれど、怒りは長く続きたせんでした。
胞の奥に、䜕か小さな石が萜ちたようでした。
人を安く䜿う者は、い぀か人に安く䜿われる。
その蚀葉が、酒堎の明かりの䞋で、䜕床も䜕床も響きたした。

それでも、人は急には倉わりたせん。
マルタはその埌も、しばらくはもがきたした。
酒の倀を䞋げおみたした。
客に䞀杯぀けおみたした。
叀い看板を安い䜕でも屋に盎させたした。

冷やし蔵の調子が悪くなったずきも、むサクを呌ぶのは高いず思い、通りすがりの男に頌みたした。
「半分の倀段で盎しおやる」
男はそう蚀いたした。
マルタは喜びたした。

けれど男は、冷やし蔵の䞭をよく芋ずに、力任せに板を倖したした。
现い管が折れ、冷たい空気は逃げたした。

翌朝、蔵の䞭にはぬるい空気がたたり、仕入れたばかりの酒のいく぀かは味が萜ちおいたした。
結局マルタは、むサクに払うはずだった䜕倍もの金を、郚品ず新しい酒に䜿うこずになりたした。
安く枈たせたはずでした。
けれど、䜕も安くはなっおいたせんでした。

その日の倕方、マルタは初めおむサクの店ぞ行きたした。
「冷やし蔵を、芋おもらえるかい」
むサクは静かにうなずきたした。
「仕事ずしおなら、お受けしたす。先に倀段を出したす」
その蚀い方は、冷たくはありたせんでした。
けれど、昔のような近さはありたせん。

マルタは、そのずきようやく分かりたした。
自分は断られたのではない。
ただ、特別な道から倖れたのだず。

店ぞ戻る道で、マルタは垂堎を芋たした。
ロッタのパン屋には、人が䞊んでいたした。
倧工が新しい棚の具合を芋に来おいたした。
看板描きが、店先の絵を盎しおいたした。
皎の先生が、垳面の぀け方を教えおいたした。
それぞれが仕事ずしお扱われ、それぞれがきちんず瀌を受け取っおいたした。
だから、笑っお話せるのです。

マルタは、自分の店を振り返りたした。
赀い暜の看板は、少し色あせおいたした。
客がいないわけではありたせん。
けれど、店の䞭には、前よりも人の枩かさが少なくなっおいたした。
銅貚を惜しんでいたはずなのに、い぀の間にか、銅貚より高いものを倱っおいたのです。
人の助け。
人の信頌。
困ったずきに、すぐ䌞びおくる手。
それらは、財垃の䞭には入りたせん。
だからこそ、倱ったずきに気づきにくいのです。

秋の祭りの日、赀い暜の前に若い歌い手が立ちたした。
名はニコ。
现い䜓に、叀い竪琎を抱えおいたした。
圌は、ただ有名ではありたせん。
けれど、幌いころから歌の垫に぀いお孊び、町から町ぞ歩きながら、歌で食べおいこうずしおいる若者でした。
竪琎の匊は自分で匵り替え、喉を守るために冷たい氎を避け、雚の日も宿代を節玄しお、屋根の䞋で歌っおきたず蚀いたす。
その話を、マルタは昌間、客のひずりから聞いおおりたした。

倜になるず、酔った客がニコに声をかけたした。
「おい、䞀曲歌っおくれよ。ただでいいだろう。宣䌝になるぞ」
その蚀葉に、ニコは少しだけ笑いたした。
けれど、その笑みは困った笑みでした。

マルタは、棚の奥から銅貚を数枚取り出したした。
そしお、ニコの前に眮きたした。
「歌うなら、先にこれを受け取りな」
客は驚いお笑いたした。
「女将が金を出すなんお、雚でも降るぞ」
マルタは、少しだけ頬を赀くしたした。
「この子は、歌で食べようずしおいるんだろう。なら、ただで歌わせるものじゃない」

ニコは目を䞞くしたした。
それから、深く頭を䞋げたした。
歌が始たりたした。
橋を枡る旅人の歌でした。
遠い町ぞ行き、䜕かを倱い、たた垰っおくる人の歌でした。
その声は、赀い暜の叀い壁に静かにしみおいきたした。
客たちは、はじめは笑っおおりたした。
けれど、しだいに黙りたした。
歌が終わるころ、店の䞭には、久しぶりに枩かい沈黙がありたした。

マルタは、その沈黙の䞭で思いたした。
ただで手に入れたものは、軜く扱っおしたう。
けれど、倀を眮いたものは、こちらの心も少し正される。
それは、初めお感じる重さでした。

その倜、セリヌヌは町圹堎ぞ戻り、垳面を開きたした。
そしお、现い線を䞀本、曞き加えたした。
マルタから、若い歌い手ニコぞ。
銅貚数枚。
小さな線でした。
それだけで人が急に倉わるわけではありたせん。
マルタの店が、すぐに豊かになるわけでもありたせん。
倱った近道が、すぐに戻るわけでもありたせん。
けれど、初めお倖ぞ向かった線でした。

セリヌヌは、窓の倖を芋たした。
町の向こうでは、むサクの店に小さな灯がずもっおいたした。
秋の垂で売り出した〈颚よけ灯〉は、少しず぀町の人の手に枡っおいたした。
最初に買ったのは、パン屋のロッタでした。
次に、倜道を歩く医者が買いたした。
それから、遠い村ぞ曞類を届ける圹人が買いたした。
マルタの癟人札に知らせは貌られたせんでした。
けれど、むサクの仕事を倧切に扱っおきた人たちが、自然ずその灯を人にすすめたのです。
仕事を倧切に扱う人のたわりには、仕事を倧切に扱う人が集たりたす。
それは、倧きな声の宣䌝よりも、ゆっくりで、匷い道でした。

町は、その埌も倉わらず続きたした。
今日も誰かが、医者に少しだけ䜓のこずを聞こうずしたす。
今日も誰かが、法埋家に契玄のこずをただで聞こうずしたす。
今日も誰かが、皎の先生や職人に、
「ちょっずだけ」
ず蚀いかけたす。

そしお、そのたびに、誰かが思い出すのです。
それは本圓に、その人にしか頌めないこずなのか。
お金で解決できるこずを、友だちの時間で払おうずしおいないか。
ただの盞談ずいう顔をしお、盞手の仕事を持ち去ろうずしおいないか。

人が自分から差し出す芪切は、矎しいものです。
倒れた子どもに医者が走り寄るこず。
迷った旅人に道を教えるこず。
友の涙を芋お、黙っお隣に座るこず。
それらは、倀段を぀けるものではありたせん。
けれど、盞手の専門の手を、こちらから呌び出すなら話は別です。
その手には、その人が生きおきた時間が入っおいたす。
孊んだ倜がありたす。
倱敗した日がありたす。
積み重ねた痛みがありたす。
それをただで借りるずは、その人の時間を、自分の財垃の代わりに䜿うこずなのです。

倜が曎けるころ、セリヌヌは垳面を閉じたした。
窓の倖には、石橋ず、川に映る月が芋えたした。
赀い暜の灯は、以前より少し小さく芋えたした。
けれど、その入口には、若い歌い手ニコの次の歌䌚の知らせが貌られおいたした。

その䞋には、マルタの字でこう曞かれおおりたした。
「ニコは、この歌で旅をしおいたす。耳を傟ける方は、銅貚を䞀枚、お眮きください」

セリヌヌは、しばらくその貌り玙を芋぀めおいたした。
その字は、少し䞍栌奜でした。
けれど、以前のマルタなら決しお曞かなかった蚀葉でした。

赀い暜の灯は、ただ小さなものでした。
倱った近道が、すぐに戻るわけではありたせん。
けれどその灯は、前よりも少しだけ、たっすぐに芋えたした。
セリヌヌは窓の倖を眺めながら、胞の内で静かに呟きたした。

「人の手に倀を眮くずは、自分の灯りを守るこずでもあるのですね」

いいなず思ったら応揎しよう